水曜日:恋願うこと、乞い願うこと⑤
ピロが帰ってから5分もしない内に、こよみもやってきた。こちらを視界に捉えたと思ったや否や駆け出し、大型犬のように走り寄って――いや、ただ寄って来ているわけじゃない!
「かえでせーんぱい!」
「ぐふっ!」
声色を作ったであろうかわいらしい(本人談の)声と、それに見合わぬショルダータックルの一撃に、無残にも暴れ牛に突っ込まれた闘牛士のように、身体がふわりと浮き上がるのが分かった。
グッと重心を落としたことで流石にモロに吹っ飛ばされはしなかったが、これがクロスプレーならこよみに本塁生還されていただろう――まあ今の時代では無用な仮定だが。
「危ねえだろ、突っ込んで来るな!」
「ふっふー。先輩のトレーニングですよ。そんな細っそい身体で、ランナーと交錯したらどうするんですか? 怪我しちゃいますよ?」
「残念だったな! とっくに草野球もコリジョンルール採用されてるよ!」
本塁上での走路を塞ぐブロックを禁止する衝突ルールは何年か前に男女双方のプロ野球で採用されて、今やアマチュア野球でも全面禁止だ。ゆえにブロックはしないから不要な技術となった。
そもそもこの前の常葉スパイダースとの試合で俺が華麗にランナーをタッチアウトにしたことすら覚えてないって、あの時はどんだけ試合に身が入ってなかったんだよ。
「うぅ……。先輩に体当たりする口実が……」
「とりあえずタックルだけはやめてくれ。流石に俺も怒るときは怒るぞ?」
「はぁい……」
こよみは不承不承と言った調子で間延びした返事を返しただけだった。実際は本気で怒って逆襲されたら危ないのは俺かもしれないけどさ。ただそれでもこのタックルは禁止しておかないと危険極まりない。
「それはそうと、先輩はどうしてここに?」
「お前のことを待ってたんだよ。ほら、朝言ってただろ? 朝と昼しか時間が取れないって。俺にしてやれることなんてこんなことくらいだし……」
「え? ……本当ですか?」
「仮に嘘だったとして待ってた時間は返ってこないのに、こんなことで嘘ついて俺に何の得があるんだよ?」
「……いや、先輩の事だからまた見当違いな優しさを見せつけてくるのかなって」
「やっぱり置いて帰ってやろうか?」
「あーん、嘘です嘘です。帰りましょう!」
そう言いながら目にも止まらぬ速さで俺の隣に回り込み、左手を掴まれる。そしてこの子は何故接近すると同時に人の体臭を嗅いでいるんだろうか? 変態か?
「……先輩、なんかいい匂いがしますね?」
「そうか? 自分じゃよく分からないんだけどなあ……」
「……舞先輩がよく使ってるボディシートと同じ匂いです」
よくまあボディシートの匂いで誰の匂いかまで判別出来るな。俺はメントール系の鼻がツンとする成分が入っているかくらいしか分からないのに。というかなんでこよみは舞の匂いを知っているんだろう。直接匂いを嗅いだのかな?
「先輩、今日も舞先輩と一緒だったんですか?」
「ああ。校舎裏でキャッチボールしてた」
こよみの問いにそう応える。別に隠すようなことでもないと思ったしな。
ただこよみにはその回答がどうもお気に召さなかったらしく、俺の左手を握る右手にリンゴでも割りたいのかというくらい力が込められるのが分かった。
「痛い痛い、どうかしたのか?」
「……先輩は私のなんですか?」
俺の左手を破壊するような握力で握りしめながらこよみが訊ねてくるが、なんだその質問? 「先輩が私にとっての何」って哲学か何かか?
「え? 先輩じゃないの?」
「……それだけでは部分点もあげられないですね。今は仮ですけど、私のカレです」
「そうだったな」
「そんなときに私を放っておいて舞先輩とイチャイチャしているのはどうなんですか?」
「いや、イチャイチャって俺たちただの友達だし……」
「そうです。友達です。今は私の方が優先順位が高くてしかるべきです」
それってこよみが部活で不在の最中にも適用されるのか? 俺はその辺の恋人同士のロジカルってものはよく知らないんだが……。
「つまりこよみが部活に行ってる間、1人で何もせずに待ってろって言うことか?」
「別にそうまで言うことじゃないですけど……。先輩はなんというか、野球出来るなら誰にでも尻尾を振ってホイホイ付いて行きそうなんで。……舞先輩との練習が楽しければ私のことも忘れちゃうんじゃないかって」
「流石にそんなことを忘れたりは……。いや、忘れてた俺が言っても説得力ないか……」
「私は、もう忘れられたくないです」
それについては根本原因を作った俺にとやかく言う資格はない。こよみの次の言葉を取り落とさないよう無言で待つ。
俺を見据えるこよみの眼光は、冷たい秋風よりも更に冷たかった。
「楓先輩、1つだけお願いしてもいいですか?」
「お願い?」
「ええ。お願いです」
こよみの目はただ真っ直ぐ、俺の目だけを映していた。力強く視線を釘付けにするその目に、俺は何も言うことが出来ずただこよみを見上げながら次の言葉を待っていた。
「私だけの先輩になってください」
「は?」
意味が分からない。こよみだけの先輩って何のことだ?
「他の女の子と過度に仲良くしたりしないでください」
「それってどういうことだよ……?」
明らかに隠す様子もなく苛立ちをぶつけられているように思えて、俺も少しイラっとする。一体何がそうこよみの癇に障ったんだ?
「……単刀直入に言います舞先輩とのバッテリーを解消してください」
「ちょっと待て! その場合チームはどうするんだ? 他の皆は?」
「私と一緒に、新しいチームを作りましょう」
なんだよその突拍子もない提案は……。今のチームでみんな仲良く野球していることの何がそんなに不満なんだ? いや、不満があるのは俺個人に対することなのか? 話の矛先があちこちに飛び火してて何が言いたいのか分からない。
「ちょっと待て。そんなこと言い出して、こよみは一体何が言いたいんだよ」
「……舞先輩と縁を切ってください。先輩が私の想いに応えてくれないというなら、私は身を引いて、今週いっぱいでチームからも消えます」
「…………え?」
こよみの切羽詰まったようにも聞こえる言葉に、胸中で留めていた”みんなで楽しく野球しようぜ”という言葉が、ひび割れ、砕け散っていく様が見えた。
サブタイ回収だお!




