水曜日:恋願うこと、乞い願うこと③
放課後の校舎の壁に、ミットとボールの奏でる音が反響する。西に傾いた日が作る陰影でかなりボールが見辛くなってきたし、今日はここまでかな。
まだ30分くらいしか投げていないはずなのに、やっぱり日に日に日が傾きまともに捕球出来る時間は短くなってきていると嫌でも実感させられる。もう少ししたら野球部も週末以外ろくにボールが扱えない基礎トレーニングの季節が始まるだろう。
「今日はこよみちゃんを待ってあげるの?」
ゆっくり肩を回しながら少しずつ距離を詰めて、舞がそう訊ねてくる。残念だがもうキャッチボールも切り上げるしかない。ダウンして上がろう。
「ああ、そうするつもり。こよみが朝と昼しか時間取れないって嘆いてたからな。俺も出来る範囲で時間を作らない」
「朝と昼……。ああ、それで今日の朝家にいなかったんだね……」
「悪かったな。俺も急いでて舞が来るかもしれないことまで気が廻ってなかった」
予告はしていたとはいえ、時間きっかりに突然やってきて息つく間もなく登校させられたのだ。来るかもしれない舞や秋人のことは完全に忘れていた。
「楓、なんか疲れてる?」
「そんなことねえよ」
少なくとも昨日の夜はたっぷり8時間は眠っている――なんだかよく分からないが疲労感が残っている以上足りていないのかもしれないけど。
少なくともキャッチボール程度でここまで疲れはしないだろうしな。
ボールを仕舞い、ダウンを続けていくとやはり寒い。クールダウンどころじゃない。ベリーコールドだ。
「……頑張ってね」
「何をだよ?」
「それはまあ……。ボクには分からないけどさ」
背中合わせになり腕を組んで俺が体を前に倒すと、舞の足が浮き上がり俺の背に舞のほのかな温さと、支えても苦にならない程度の全体重が掛かってきた。
知っているがやっぱり軽いな。ピッチングは筋力で決まるものではないとはいえ、よくこんな小さく軽い身体から男子顔負けの馬力が出せるものだ。
「舞は相変わらず軽いな。ちゃんと飯食えよ」
「食べてるよーだ!」
「まだまだ軽いって。もっと球速上げるためにも筋肉付けないとな」
「身長の割にはボクは身重な方だよ!」
舞はそれを分かっていて言っているのか……? いや、分かってないか。舞だし。
そもそも本当に身重だったら野球なんか出来る訳がないしな。
「舞、言葉は正しく使おうな」
「へ?」
俺からやんわりと伝えてみたが、多分これ伝わってない奴だな。まあスカートのまま投球練習するなという簡単なことすら2ヵ月以上伝わっていないのだ。
多分舞のフィルターは自身に必要ないと思った情報は全て無意識のうちに跳ね除けているのだろう。……じゃなかったら6年以上野球やってて変化球の投げ方を知らないなんてことそうそうないだろうし。
「俺これから図書室行ってこよみが部活終わるまで課題やるけど、舞はどうする?」
「ボクはもう少し身体動かしたいからいつものところに行くよ」
「オーバーワーク厳禁な」
聞き入れるか分からないが、一応釘は刺しておく。結果として苦しむのは舞だが、そんなことが起こるのは俺としても心苦しいからな。
「分かってるって――またね」
そう言って舞は秋風にスカートを靡かせて駆け出して行った。ひらめくスカートの下から今日もスパッツがお目見えしていたが、もう何も言うまい。ただそのスパッツの献身に、静かに感謝するだけだ。




