水曜日:恋願うこと、乞い願うこと②
4時限目の授業が終わると同時に、背筋を伸ばす暇もなく宣言通りにこよみは4時限目終了のチャイムと同時に教室に侵入してきた。
「はい先輩、中庭行きますよ!」
「昨日も思ったんだけど、ここじゃダメなのか?」
「いいわけないじゃないですか! だってここ2年生の教室じゃないですか? 流石に私でも上級生の教室に1人で放り込まれたら気になりますよ?」
こよみに力強い抗議をされて思い返すと、確かに俺が今から3年生の先輩たちの教室に飯を食いに行くと考えるのは抵抗がある。せめて知り合いばかりならいいが、今この場のこよみの知り合いなど俺、秋人、もみじくらいしかいない。
「それにアキ先輩ももみじ先輩もいますし……」
え? アイツらも駄目なの? 少なくとも同じ草野球のチームメイトで、俺と同じくらいにはこよみにとっても幼馴染だと思うんだが。
「いいから来てください!」
「分かったから引き摺るな!」
踵でブレーキを掛けようがそんな意志は全て無視してこよみは片手で俺の左腕を引き、反対の手でお弁当を収めた鞄を持ち、俺に教室を後にさせた。日本語がおかしいのではない。おかしいのはこの状況だ!
途中からは自分でちゃんと歩いたが、半ば引き摺られるように中庭にやってきて3人掛けのベンチに横並びで座る。少し離れた俺とこよみの間には弁当箱が2つ、スープジャーが2つ。その弁当箱の中身を見てこよみが呟いた。
「このオムライス、薄焼き卵じゃないんですね」
確かに俺もオムライスというとそれを思い浮かべるが、朝から薄焼き卵を何枚も焼くのは面倒臭い――まあ自分の分だけなら結局面倒臭いからスクランブルエッグにするわけだが。
「時間がそうある訳じゃなかったからな。出来る限り手を抜けるところは抜くよ」
「おー……」
こよみが妙に感嘆してくるが、俺だって出来ることなら朝は限界ギリギリまで眠っていたい。ただしそれをやってしまうと昼ごはんがないから自分で作っているに過ぎない。
「その発言、先輩は私のお母さんですか?」
「お前のお母さんになった覚えはねえからな!?」
昨日は舞に弟扱いされて今日はこよみからお母さん扱いか。つまりこよみは舞の姪御か。素敵な家族計画だ。その場合俺は男になるのかな、女になるのかな?
そんなしょうもないことを考えていたらこよみが弁当の巾着袋に手を入れ、何かたくらんでいるように含み笑いを浮かべながらこちらを見ていた。
「あ、でもやっぱり先輩は少し抜けてますね。お弁当は凄いのにスプーン忘れるなんて詰めが甘いので、ここは私に食べさせてくだ――」
「ダウト。間違いなく入れたぞ。何食わぬ顔で嘘吐くな」
あの時には既にこよみのモーニングコールもあって完全に目は覚めていた。そんな凡ミス犯していないこともしっかり記憶している。
「チッ……。先輩ならチョロく引っかかってくれると思ったのに……」
「仮に俺がそこまで抜けてたとしてこよみは嬉しいのか……?」
「うーん。それはなってみないと分からないですね」
隠すことなく舌打ちするこよみの中での理想の俺の姿って何なんだろうな。騙され易い単なるお人よしなのかな? もやもやが渦巻く胸の中を吐き出すように長く1つため息を吐いていると、こよみが巾着袋の底から取り出したスプーンが差し出された。
「とりあえず――はい先輩。スプーンです」
「……いや、それを俺に渡してどうしろと?」
スプーンを俺の手に突き付け、オムライスのタッパーを俺の視線の先に捧げ持ち、何をさせる気だ――いや、もう大体読めたけどさ。
「一口だけでいいんで”あーん”って奴がやりたいんです!」
「素直な奴だな……」
「自分を偽るなって言ったのは先輩ですよね?」
「確かにそうだけどさ……」
背格好は似てないけど、内面的なことで言えば舞とこよみはそっくりだな。努力家なところとかも似ているが、自分の欲求に対する素直さは本当に似てると思う。
「ほらよ」
仕方ない。こうなったら多分こよみは強情だし、意地でも俺に所謂”あーん”をさせるまで昼飯を食わないだろう。恥ずかしいが、覚悟を決める。
受け取ったスプーンでこよみの手元のオムライスをひと匙掬い、こよみの口元にそっと突き付ける。だがこよみは口を開けることなくただ俺の目の前でピンと立てた人差し指を振りながら「チッチッチ」と舌を鳴らすだけだった。何でお前がどや顔なんだよ。
「先輩、セリフが違いますよ? こういう時お決まりのセリフってありますよね?」
「……言わなきゃダメなのか?」
「当たり前です。ほら、もう1回お願いします!」
こよみの押しの強さに、もう白旗を掲げる他ない。降伏の証はスプーンいっぱいに盛られたオムライスだ。
「あ、あーん……」
たかが一口食べさせようとするだけでなんでこんなに恥ずかしく思うんだろう。人目もないし、別段具体的な根拠はないだろうに、恥ずかしくて声が震えた。
「あーん」
何故か湧き上がってくる俺の羞恥心など欠片ほども感じていないように、こよみが満面の笑みでオムライスに食らいつく。なんかサファリパークで猛獣に餌をやってる気分だ――俺はサファリパークに行ったことないけどさ。
「いやー、先輩が私のためを思って作ってくれたと思うと格別ですね! 半分優しさで出来ていると言っても過言ではないでしょう!」
オムライスを頬張り、両頬に手を当ててこよみがオーバーなリアクションをして見せるが、こんな手抜きしまくりの弁当、そんな大層なものではないからな?
「俺の昼飯でもあるから半分は俺自身のためだ。よってお前への優しさは含まれていても25%未満だ!」
「せんぱーい、そういう発言はムードを壊しますよ?」
いっそそんなムード弾け飛んでしまえ。ここは学校だ。
「……教室じゃこんなこと出来ないですからね。これが出来ただけでも、ここまで連れ出した価値はありました」
「……それならよかった」
「……美味しいです。からかいとか、お世辞とか全部抜きにして」
そう言い残して、ぷいっとそっぽを向いて俺の手から引っ手繰るようにスプーンを取り、こよみは黙々とオムライスを掬っては、モグモグと食べ続けた。
健康的に日焼けした頬を微かに桃色に染め、ただ食べる物だけに集中しているように見える彼女を見て、やっぱり作ってよかったなと実感した。
「ごちそうさまでした。大満足です」
「お粗末様でした」
弁当を食べ終わったのはほとんど同時だった。こよみは手を合わせ、俺もそれに応えた。お世辞にもよく出来た弁当とは言えないだろうが、こよみが満足出来たならよかった。
「先輩、ついでに膝枕してください」
「何の次いでだよ!? 次いでで膝枕するような何かがあったか!?」
少なくとも今俺たちがしていたことは昼飯を食うぐらいだ。どう吹っ飛んでも膝枕には繋がらないはずだが、こよみの中ではそれが線で繋がっているらしい。6次の隔たり程もありそうなそれを”次いで”と称するとは恐ろしい頭脳の持ち主だな。
「誰もいないついでですよ。それに先輩は今、仮といっても私のカレですよ? その……。えっと……。希望、叶えてくれないんですか……?」
「ずるいな……」
本当にずるいよな。
こんな時ばっかり女の子らしいなんて、やっぱりこよみと舞は似てる。快活な力技、儚げな淑やかさ、どちらも活かして俺のことを振り回してきやがる。
「……ほら、食べてすぐ横になると牛になるっていうぞ?」
「私はもうゴリラらしいんで問題ないでーす! むしろ先輩としては牛さんの方がまだ可愛げがあるんじゃないですか?」
牽制のつもりで言ってみたが、実は俺のゴリラ呼ばわり、俺が少し気にしていた以上に深い爪痕を残してはいないだろうか?
吐き出した言葉を今更吸い込むことは出来ないけど、流石に俺もそうだったら気にするぞ。それでも今はこれ以上こよみが臍を曲げる前に膝枕くらいしてやろう。減るのは俺の精神的な耐久力くらいだ。
「それなら、まあ…………。おいで、こよみ」
膝をぽんぽんと叩き、大きく息を吸い込み、出来るだけ低く深みのあるバリトンボイスをイメージしてこよみを呼ぶ。
果たしてこれで合っているのか確信はない。ただまたぶっきらぼうに言ってこよみに駄目だしされるのもなんか負けみたいで癪だったので、もみじが好きなゲームの男のようなセリフを真似てみてやった。これでどうだ?
「……先輩には似合わないっすね」
「…………ぉぃ」
結構頑張ってみたのに、結果は一蹴されただけだった。やっぱりあの手のセリフを使っていいのはイケメン限定か!
こよみはこよみで俺にしっかりと駄目出しはしたくせに、さっさと俺の膝に頭預けてベンチに横になってるし、こいつ今どんな顔してんだよ。
「もうすぐ昼休みも終わっちゃいますね」
腕時計を見る限り、後5分もせずに5時限目の予鈴がなるだろう。こうしているのもあと3分くらいか。
「ああ、そうだな」
「やっぱり、短いですね」
「そうだな」
もう少しくらい昼休みが長ければ舞とのキャッチボール捗るんだろうな。今も舞に前もって言われた日は早弁までして対応しているくらいだし、俺としても昼休みが長くなるのは切に願うところだ。
「……もうちょっとくらい一緒にいたいっていうのは、望みすぎなのかな」
俺を見ることなくこぼれたこよみの言葉が苔の生えた中庭の木々の根元に染みていく。
俺の膝に頭を乗せたまま日陰を見つめるこよみの表情は、結局予鈴が鳴るまで見えなかった。




