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水曜日:恋願うこと、乞い願うこと①

 昨夜は昨日1日の疲れもあってか、布団に入った瞬間睡魔に負け、泥のように眠ってしまった。

 夢すら見た覚えもなく朝を迎えられたのはきっと俺にとっては幸いだった。夢でも見ようものならきっと、昨日の舞の”お姉さんぶりっ子”はいい夢でも悪夢でも俺を苛んだだろうしな……。


「思い出すんじゃなかった……」


 微かに感じる温もりと、フレグランスのボディシートの匂いに混じり微かに残る桃の花のような香り、そして本当に微かも微かながら額に柔らかく触れる舞の小さな膨らみ。五感に残った感覚を思い出すだけで腹の底に熱い石を落とされたように重く、熱が溜まっていく。

 身体の芯は熱いのに、手足は少し冷たく、中々意のままに動いてくれない。休息はしっかりとったのに、依然、泥の中をもがいているような不自由さと息苦しさを感じずにはいられなかった。


「……なんなんだろうな。この感じ」


 こよみに想いを伝えられて以来、こよみと俺、俺と舞、舞とこよみの距離感がなんとなくおかしい気がする。具体的に言える変化といえば昼休みにこよみと中庭で2人きりでご飯を食べたり、放課後にデートをしたりしたくらいだが、言葉に出来ない違和感は強くなる一方だ。

 舞の方は――まあいつも通りか。若干スキンシップが増えた気がするが、舞相手に今更そんなことを気にしても仕方ない。そもそも出会った初日に異性にハグしたまま振り回されて、それをさも楽しそうに笑うくらい普通の感性からは離れているしな。

 しっかり睡眠をとったはずなのに重い体を引き摺りベッドから起き上がると、スマートフォンのアラームが起床時間を告げ鳴り出して、すぐに電話のコール音に切り替わった。


「電話……? こんな時間に誰だ?」


 枕元で鳴き声を上げていた電話を拾い上げると、そこには後輩の名前が表示されていた。


「はい、翠川です」

『おはようございます! 今日もいい天気ですね!』


 耳元に当てたら底抜けに明るく、そして音だけで皮膚がビリビリと痺れるような轟音が聴こえてきて、思わず耳から離してしまった。何で朝からこんなに天井知らずな元気なんだよ。


「……朝から何の電話だ?」

『もー、先輩ったらつれないですねー。可愛い後輩からのモーニングコールですよ?』

「そのモーニングコールとやらの前から起きてたからな」

『朝練ないのに起きるの早いですね』

「色々あるんだよ」


 こよみの声で残っていた寝ぼけた感じも全て吹っ飛んでしまった。電話は繋がったままスピーカーモードに切り替え、リビングを横切り、キッチンの壁に掛けておいたエプロンを首から掛ける。


『もしかして、アキ先輩が言ってたお弁当作りですか?』

「勘がいいな。そうだよ」


 今日母親が帰ってくるのは学校の1時限目が始まるくらいだろう。つまりは自分で作らなければ弁当がない日だ。朝飯代わりに牛乳で溶かしたチョコ味のプロテインを胃に流し込み、調理の準備を始める


『それ、もしかして――わ、私の分もあったりなんてことは……?』


 こよみにしては珍しく遠慮がちなトーンで訊ねてきた。

 答えを保留しつつ炊飯器の蓋を開けると、ほっこりと湯気が立ち上り炊き上がって間もない白米が姿を現す。前日夜に眠い目を擦って仕掛けておいた米は2合分――まあ足りるか。


「いいよ。作っておく。なんか食えない物とかないか?」

『先輩の作ってくれた物ならダークマターでも皿まで食らう覚悟っすよ!』

「分かった。本当にダークマター生成して待っててやるよ」


 売られた言葉に買い言葉でそんなことを言ってみたが、漫画のようなダークマターの製造方法なんて俺は知らないけどさ。クッ〇パッ〇なら載っているのかな? ダークマターの作り方。


『待って! 待ってください! 大丈夫です好き嫌いなくなんでも食べます!』

「ん、了解」

『それから、もう30分したら迎えに行きますね!』

「結構容赦ないな!」


 決して出来ない時間ではないが、まあまあタイトはタイトだ。とはいえこよみの場合はソフト部の朝練との兼ね合いもある以上仕方ないか。「じゃ後で」と電話を切って準備を進める。


「さて、やるか」


 30分で粗熱を取って2人分盛り付けようと思ったら、品目数を増やすのは悪手だな。冷蔵庫から卵と牛乳、バター、ソーセージ、ピーマンを。冷凍庫からみじん切りの冷凍玉ねぎを取り出す。

 炊き上がったご飯はそのままフライパンに放り込み、小さな千切りにしたピーマン、ソーセージを一緒に炒め、塩コショウとコンソメパウダーで味付けをする。タッパーに炒めたご飯を詰めて粗熱を取っている間に卵を割り解し、牛乳で伸ばしバターを溶かしたフライパンに流し込んでスクランブルエッグを作る。ついでに余った半端なソーセージや玉ねぎを痛めて顆粒コンソメと水を入れひと煮立ちさせ超が付くほどインスタントなコンソメスープを作る。

 弁当箱に詰めるまで約20分。手抜きも手抜きだが、限られた時間の中でよくやった方だろう。


「袋は――これでいいか」


 白地に赤のラインが2条走った巾着袋に、オムレツ部分をスクランブルエッグで代用した手抜きオムライスの盛られたタッパーと、ほとんど具材がオムライスと変わらないコンソメスープの入ったスープジャーを詰める。

 もう1個の自分の巾着袋にも同じ物を詰め、スプーンも1本ずつ入れる。そこまでやったところで玄関のインターホンが押されたらしく。コール音がリビングに響き出した。時計を見ればこよみの自称”可愛い後輩からのモーニングコール”からジャスト30分だった。


「おはようございます、先輩!」


 玄関開けたら1秒も経たずに差し込んで来る日差しと満開の笑顔で目が痛くなった。別にこよみが悪いわけじゃないけど。


「おはよう。マジで30分ジャストなんだな」

「そりゃあ玄関の扉の前で待機してましたからね!」

「家の中で待っててくれてよかったのに」

「…………うん、次の参考にしますね」


 今絶対に言い淀んだけど、一体家に上がって何するつもりなんだ? 事と次第によってはやっぱり外で待たすぞ?


「しっかし、何で今日は朝から電話なんてしてきたんだ?」

「そりゃあ先輩と一緒に学校行きたいなあって思ったので……。今は部活もあって朝と昼くらいしか時間取れないですから」

「もう今週末で一応大会は一区切りだし、もうすぐオフシーズンだろ?」


 今週末で一応大会は終わりらしいし、そしたらもうすぐオフシーズンだ。基礎トレーニングばかりになって部活も短くなるだろう。


「先輩ならそういうと思いましたよ」


 なんかあからさまなため息をつかれ、呆れ気味な素振りを見せながらそう言われたが、俺は事実を指摘しただけだぞ。


「とにかく部活のことは忘れて、お昼、一緒にお弁当食べましょうね」

「ああ」

「4時間目終わったらすぐ行きます。絶対教室で待っててくださいね」


 そう言ってこよみは一足先に玄関の外の光の中に飛び出して行く。後を追うように俺も2人分の弁当を鞄にしまい、玄関の外へ足を踏み出す。

 錠を掛けている最中、門柱にもたれ掛かるこよみが、


「期間、しくじったかなあ……」


 虚空に向かってそう呟いていた。その表情はさながらど真ん中のストレートを見逃し三振して打席から帰ってくるバッターのようだった。


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