火曜日:これが年上の色香と包容力です!①
……昨夜は全然眠れなかった。
布団に入って目を瞑っても脳裏に浮かぶのは迫ってくるこよみのことばかりで、ここまで自分が単純な人間だったのかと思うと少し自己嫌悪感を覚えたくらいだ。
ゴロゴロゴロゴロとベッドの上を転がって、たまに転がりすぎて転落して、あれこれ考えているうちに夜が白んできて、あれよあれよという内に家を出る時間になってしまった。
「はぁ……。朝なんて来なければいいのに……」
起床時間から既によれよれのボロボロで、玄関を開けた瞬間、朝日に目を焼かれる心地だった。このまま学校まで行こうものならゾンビのように途中で陽光に焼き尽くされたりしないだろうか? ……いっそ焼き尽くされて灰になったら楽じゃないかな?
「おはよう楓、朝から調子悪そうだけど大丈夫?」
少しだけ唇を尖らせて、舞が門柱脇からひょいと顔を覗かせてくる。どうやら今日も朝から待っていてくれたらしい。全く律儀なことだ。
「おはよう舞。体調は何とか大丈夫だよ。ちょっと頭がガンガンするけど……」
「楓、もしかして風邪ひいた?」
「それだったら学校休む口実が出来てよかったな……」
勿論現実にそんなことはなく、頭が痛くボーっとするのは単に寝ていないからだ。喉も痛くなければ鼻水も出ない。母さんに言えば「寝ないお前が悪い」と断じられて学校行くよう急き立てられるに違いないだろう。つーか普段すれ違い生活なのにこんな顔を合わせるタイミングで家にいるんだろうな。
「じゃあ休まなくても大丈夫なんだね!」
そう言いながら左手で軟式野球ボールを握る舞の姿だけで、彼女が何を安堵しているのかわかってしまうのが相方の辛いところだ。
俺の睡眠不足は舞にとっては二の次、三の次くらいの問題になるらしい。今日あたり舞のストレートを顔面に食らうことも覚悟しておかないといけないかもな、。
「ふわぁ……」
だが今は別に緊張感もない。思いがけず1つ気の抜けた大あくびをして、胸いっぱいに朝の肌寒い空気を吸い込んだところで気は晴れない。降り積もった落ち葉が地面を隠すように、俺の心の中もその表っ面が見えない靄が降り積もっているようだ。
「眠いの?」
「ああ、なんせ一睡もしてないからな……」
「何か困って――ああ、こよみちゃんのこと?」
流石に鈍そうな舞にも分かるか。平たい胸を張ってどや顔をしてるが、多分中学生でもこんなこと分かるだろ。
「ああ……。そうだよ」
そして肝心のその答えについては、一晩延々と考えてもやっぱりわからなかった。
俺とこよみの関係はやっぱり野球を介して繋がった先輩と後輩で、こよみが望むような関係ではなかったはずだし、そもそも俺はこよみに何度も「ゴリラ」やら到底女の子扱いしていない渾名で呼び、相当傷つけていたはずだ。なのにアイツはなんで俺なんかを……?
「楓はやっぱり変に真面目だよね。クラスの男の子なら”とりあえずOKしちゃえ”って言うと思うよ? ま、ボクはよくわからないけどね!」
「変ってなんだよ。流石に”とりあえずOK”なんて回答使える訳ないだろ。それはこよみに対して失礼極まりないし……」
決め顔でサムズアップして堂々と伝聞系の回答をくれる舞は、おそらく本気で分かっていないんだろう。何せ身長も精神年齢も小学校高学年で止まってそうだしな。
今の俺にはその「ありがたいあどばいす(笑)」は役に立たない。男女の機微に疎そうな舞の言葉を真に受けるくらいならネタにされようともみじや秋人の言うことの方がまだ少しはあてになるだろう。
「でも、少し浮かれてる?」
「……っ!」
「…………ふーん、図星なんだ?」
「ししし仕方ないだろ! その……。あんな形で告白されることなんて今までなかったんだし……」
意外と変なところに察しの良い舞には驚かされるが、流石に隠すことは出来ないので正直に打ち明ける。非モテ男子が告白された事実に浮かれるなって方が無理だろ!?
「……後輩の女の子から告白かあ」
舞が呟く。うん、確かにそうだな。
「しかも幼馴染かあ」
うん、まあ確かにそうなるな。随分と空白期間のデカい幼馴染ではあるが。
「ボクの読みによれば、これで上手く行かないわけがないね!」
「……ちなみに根拠は?」
俺の迷いに舞が何かしらの光明をもたらしてくれるなら、それに期待してみてもいいかも――
「名作野球漫画のメインヒロインって幼馴染率高いでしょ?」
――あ、一瞬でも舞にまともな恋愛力を期待した俺が馬鹿でした。
「漫画と現実を一緒にするなっつーの」
「あいたっ」
期待させた分のお返しに舞の旋毛にチョップを1つ喰らわせてやる。
両手で旋毛を抑えて舞は「よよよ」と泣いたふりをしてくるがこんなもの無視だ無視。まさか根拠が漫画なんて回答は俺も予想の中にも入っていなかったぞ。
「とはいってもボクは本当に良いと思うんだけどなあ。お似合いの2人だと思うよ?」
「は? どこがだよ?」
俺の主観でお似合いかと言われたら俺の答えはNOだ。俺はこよみに比べたら背丈もないし、非力だし、あの豪放磊落で王子様然としたこよみの横に立っていたら、きっと俺は今より自分のことが嫌いになってしまうだろう。
「どうせ楓のことだからうじうじと自分の身長が低いだとか非力だとか女顔だとか気にしてるんでしょ? 楓は可愛い系なんだからそれを活かせばいいのにさ。朝っぱらから辛気臭いったらない。あと舞ちゃん、幼馴染はギャルゲーでは負けヒロイン筆頭だよ」
「あ、秋人くんおはよう」
……何故俺はさっきまでいなかったはずの秋人にあっさり頭の中を攫われているんだろうか? 何こいつ、読心術でも持ってるの?
「……秋人、お前どこから聞いてた?」
「つい今の今だよ。舞ちゃんの素敵な推理ショーが始まった辺りから」
「ならいい」
舞に俺が内心浮かれていたことを指摘された場面にこいつが居合わせていたら果たして何を言われただろうか……。
「それにしても色よい答えは出せそうにない割に浮かれてるんだね」
「やっぱりお前もっと前から見てただろ!」
「へ? いきなり何のこと?」
そう言って俺の方を見る秋人の表情は状況を理解出来ていないようにただキョトンとしていた。これはもしかして要らないことを言ってしまったか?
「いや、なんでもない。なんでも……」
やっぱり眠気で思考速度が落ちてるらしい。このままこの話を続けていたらどこまでボロが出るかわからない。もうここまで結構ボロボロかもしれない
手を引いてくる舞に従い歩き出す足元で、秋枯れの赤色に染まった落ち葉がくしゃりと小さな音を立てて砕けた。俺の心も近々こうなるのかな。
「とりあえず、学校行こっか」
舞が空気を読んだようにそう提案してくれて助かった。恋愛のアドバイスは何の役にも立たないけど、やっぱり舞は空気が読めるな。読めてて敢えて読まずに飛び込んでくる俺の幼馴染共にも見習わせたいくらいだ。




