月曜日:デートをしましょう④
日が落ちてしばらくして、俺はこよみに壮絶にしごかれていた。最近ますます日が落ちるのが早くなって、俺とこよみの影だけが長く伸びていた。
「はあ、はあ……」
荒れに荒れた息は幾ら吸い込んでも頭に酸素が巡っている気がしないし、全身の末端の感覚が鈍くなっているような気さえしてくる。
滝のように流れ出る汗で視界が西日の残光に染まる。シャツの袖で顔を拭いこよみの顔を見る。向こうも体を動かしたことで少し汗ばみ、頬は桃色に上気していた。まあそんなことを死に掛けそうな今の俺に気にしている余裕はないが。
「何へばってんですか先輩!」
こよみが激を飛ばしてくるが、さっきから動いているのはほとんど俺だ。へばっても仕方ないだろ! 既に足腰立たなくなるほど下半身に来てるぞ!
「……いや、普通に死ぬって!」
「まだまだやりましょうよ! 日が沈むまでたっぷり楽しんでもいいんですよ?」
「もう沈んでるよ! 帰らなくていいのかよ!」
「先輩、ごちゃごちゃ言ってると私のバットが火を噴きますよ?」
「お前が言うと洒落にならないんだよ……」
「はいもう一丁!」
「ッ!?」
こよみの絶望的な宣告と共に、こよみが動作を開始する。たくましい上半身が動き、おそらくしっかり圧迫されているだろうに舞よりも大きな胸元の膨らみが揺れる。そしてその屈強な腕、背筋、下半身の捻りから放たれる一撃が、瞬きするよりも早く俺の横をすり抜け、背後のネットに突き刺さっていた。……とても守備練習のためのノックの当たりじゃねえな。完全にロングティーとかその手の打ち方だよ!
「うーん、どうやら本当に見えてないみたいっすね。全く打球に反応出来てないですし」
「だからさっきから何回もそう言ってるだろ!」
つーか仮に日が出ていてもまともに捕球する方が難しいわ! これ高校野球でやったら監督の首が飛ぶぞ。橘BGの暫定監督は今地面に這いつくばってぜえぜえ言ってるけどさ。
「まあ、まんぞくしたからこれくらいにしましょう」
これ、こよみが満足していなかったらまだこの殺人ノックやってたってことか? 俺が病院に運ばれる日も近いような気がしてきたぞ……。
「……こんな虐め方をするならいっそ一思いにやってくれ……。怖いし痛いし……」
「虐めって何ですか? ボールは友達っすよ?」
「こよみ、お前はプロレスごっことか言って一方的に虐めをする関係を友達っていうのか? これは虐めっ子と虐められっ子の関係だぞ……」
少なくともこよみのノックにおいてボールは凶器だった。だがそんな凶器をさっきまで俺めがけて放っておきながらこよみは――
「ちょっと久しぶりに先輩とマンツーマンで遊べて興奮しちゃっただけです。別に先輩を虐めたいとかそんな他意は――少しもないですよ?」
――そんなことをのたまいやがった。
わざわざ一瞬視線を俺から外してわざとらしく目を泳がせといて何言ってんだよ。そもそも途中の顔面付近へのライナー3連発とか本気で命まで獲られかねない危機感を覚えたしな。
「俺は何回も肝が冷えたよ。透のピッチャー返しですらここまで鋭くはねえって……」
その間15mにも満たない距離から、こよみが全力スイングで打ち出す個人ノック。それが公園の凸凹だらけの芝でイレギュラーを頻発するのだ。もはや避けることすら出来るかも怪しい。現に捕りに行ったとはいえ、跳ねたボールを脚や胸には何回か食らったしな。
「先輩を育てるための愛の鞭ですよ」
「重いわ。愛が」
「またまたぁ。褒めたって何も出ませんよ?」
「褒めた覚えもねえよ」
顔面に食らわなかったのはおそらく舞との練習でイレギュラーバウンドするボールを何度もぶつけられたりしたおかげで反射神経や回避能力が上がったからだろう。何だろうこの嬉しくない副次的作用。
「でも、愛情はちゃんと込めましたよ?」
「こよみは一回愛情って何かを辞書で引いてこい」
そう言いながら俺はグラブを片付けていく。流石にもうボールはよく見えないし、ダウンのキャッチボールどころじゃない。それを見てこよみもようやくバットをケースに納めてくれた。鬼の金棒のように長い金属バット捌きは今日も絶好調だったな。
「そりゃあ異性を恋い慕う感情のことですよね?」
「……辞書的意味とこよみの行動が一切合致していないように聞こえるのはなんでだろうなあ」
「それはもちろんこれが私の誤魔化しなしの愛だからですよ」
だとしたらいつかその愛情とやらに俺は命を奪われかねないな。【グラウンドで野球の練習をしていたカップル、頭に打球が直撃し死亡】なんて記事になった日は末代まで笑いものになってしまう。
「……悪いのは先輩じゃないですか。私だってこんな身体になる前にデートしたかったですよ……」
「うっ……」
それを責められると俺は辛いところだ。幾ら悔いても取り返せるものではない。
「でも、今から先輩に構ってもらえなかった時間を取り戻すつもりなんでいいです! という訳で先輩は存分に私に構っていいんですよ? さあ何します?」
「……もう帰るよな? 家、どこだったっけ? 送るよ」
「……」
何するかと訊かれたら、とりあえず俺はシャワーを浴びたい。ワイシャツまで汗でびしょ濡れだから風が吹く度に凍えんばかりの寒さだ。
お互い汗びっしょりでムードもへったくれもないが、せめて送るくらいはしておいた方がいいだろう。頼りない彼氏役(仮)とはいえ、自分にやれることすら全うしないということはしたくない。
だがこよみは1つにっこりと幼い子のような屈託のない笑顔を浮かべて――




