VS常葉スパイダース 7回 まだ終われない
前回のあらすじ:楓に人生第1号同点2ランホームランが出ました。
俺の放った同点2ランホームランの直後、ちひろちゃんがフォアボールで出塁し、続く秋人がまたもやライトフェンス直撃の2ベースヒットを放ちノーアウト2塁3塁というまたとない好機を作ったが、その後が見事に続かず同点で7回に突入することになった。
なお4,5,6番の三者連続凡退については三振、ピッチャーフライ、三振で終わるという酷いとかいう次元を通り越して呆れるほかないような最低の有様だった。絶不調通り越してボールがバットに当たらないこよみや、野球ド素人の水井さんはともかく、お前は転がしてランナー返すくらいの努力は見せろよ、もみじ!
「いや、でもあのピッチャー絶対ピンチになってからギア上げたって! 楓の時より絶対力入ってたって!」
もみじが打たされたのはストレートだったが、俺の時とは違いファーストストライクをSFFで取られて、もう1つSFFのボール球で変化球を意識づけてからの高めへの力のあるストレートだ。意識していても直前のボールのイメージは中々切り離せない。
130キロのストレートが投げられてからベースを通過するまでの約0.5秒少々の中において、迷った0.0何秒という時間は致命的なタイムラグになる。さっきの俺のホームランだって迷いがあったらセンターへの凡フライだっただろう。
「ま、ここでもみじを苛めても仕方ないでしょ。打線は水物ってね。もう1点もやらなきゃ負けはしないんだからまずは抑えることを考えるとしようよ」
「それが楽なことじゃないってお前もよく知ってるだろ」
「まあね、それでも舞ちゃんは尻上がりに調子が良くなってきてるし、後は楓のリード次第でしょ」
実際舞の疲労は滲み出てきているが、その集中力は決して落ちてはいない。スローカーブやツーシームを用いたカウント稼ぎで早めに優位に立ち、ここ一番で投げ込むストレートは疲労による質や速度の低下を補って余りあるほどに、打者に手さえ出させないシビアなコース攻めを見せていた。
「そーゆーこと! ボクに任せなさい!」
そう言って舞が壁の如き薄っぺらい胸を叩く。ああ、壁ドンってこういうことか。
「……舞先輩流の壁ドンですね」
ナンデオレノカンガエテルコトガワカルンデショウ?
確かに今不埒にも舞の肩からお腹まですとーんと引っ掛かる物のない胸壁をドンと叩く姿にそんな言葉を連想したのは俺だが、どうやってこよみは俺の考えを読んで来るんだよ!? 怖えよ!
「いきなり人の頭を浚ったようなこと言うの止めてくれないか……?」
「ああ、楓先輩もやっぱり舞先輩のこと絶壁だって思ってたんですね。でも、柔らかいんですよね?」
「――!?」
飲みかけで口に含んでいたスポーツドリンクがキラキラと光る霧になって宙に舞う。まだグラウンドに向かって吹いてよかったよ! あわや秋人の顔面にスポーツドリンクをマウストゥマウスするところだったじゃねえか!
「楓汚いよ。口からスポドリ吹くなんて」
舞があまりに品の無い俺の行動を諫めるが、これについては俺が全面的に悪いと言わざるを得ない。
「わりい舞、……ちょっとムセた」
今はユニフォームを重ねているが、体にピッチリと貼り付くアンダーシャツ姿だと、舞の肢体は制服姿のそれよりも更に細く、頼りなさげに見えるが、触れれば確かにそこには女の子らしい柔らかさがあることを俺は知ってしまっている。——当然、負ぶった時の背中にピタリと当たるふにゅっと柔らかい感触も、思い出してしまう。これで表情が変わらない奴がいたらそいつは男じゃないだろう。
「……先輩のむっつりさん」
こよみがグラブで口元を隠してぼそりと言うが、炊き付けたお前が言うな!
一言くらい文句を言ってやろうかと思ったがその時にはこよみはさっさとグラウンドに出て行ってしまっていた。ホントに逃げ足の速い奴だな。
「楓、どうしたの?」
防具を着けている俺の背を背後から舞が叩く。風任せにふわりと揺れるユニフォームの胸元のボタンが外れているが、襟元から覗くのは真っ平で黒い地平線だ。それなのに今しがたのこよみのバカな発言のせいで意識しすぎてしまう。
「な、なんでもないっ! 良いから気合入れて行くぞ!」
頭を振って邪念を払い、俺もグラウンドへ駆け出していく。この回は2番からの好打順だ。他所事を考えながら相手できるような相手でもない。
「もぅ……。モタモタしてたのは楓なのに」
背後から舞のそんな声が聞こえてきた。
☆☆
2番を1ストライク1ボールから外角低めに逃げるツーシームでファーストゴロに打ち取り1アウト。続く3番はスローカーブを見せ球に外角低めのストレートをファーストに打ち上げさせて2アウト。初回に比べればボールの力こそやや劣るが、舞の投球に対する集中力は更に高まり冴え渡っていた。きっと本人も意識していないだろうに、ボールは俺の要求よりも更に厳しいコースをさり気なく射抜き、手を出さざるを得ない打者の姿勢を容易に崩して打ち取っていく。
2アウトランナーなしで迎えるは4番か。ランナーもいないし舞の調子もいい。ここは勝負以外ないだろう。
「舞、慎重に行くぞ」
少なくとも彼は緩いストレートが真ん中寄りに入ればセンターフェンスへの直撃が打てるだけの馬力のあるバッターだ。
頷く舞とサインを交わし、舞の投じた初球のスローカーブは大きな弧を描き、ベース上バッターの膝の高さ――俺の要求よりも更にボール1つ分下を射抜いていた。一瞬俺の背後で腕を挙げようとする主審が迷ったように腕を振り上げストライクと宣言する。審判すら判定に迷うようなストライクゾーンを枠いっぱい使った投球。ここまで調子がいい舞を打ち込めるような草野球チームなんてどれくらいいるんだろうな?
「ナイスボールだ」
ボールを返しながら声を掛けると、舞がしてやったりみたいな顔を見せる。
2球目の真ん中低めギリギリに沈んだツーシームを4番のバットが捉える。逃げるボールを捉え損ねた会心の当たりとは言えないがバットの相性もある。打球は三塁線、中々速い。
「こよみ!」
マスクを取り、声を張り上げた俺に無言でこよみが頷き打球を追う。
三塁ベース際を抜けかけた打球にこよみのグラブが伸びた――と思った瞬間いきなりグラブが打球の傍から消えた。
「こよみ!?」
駆け出し手を伸ばした瞬間3塁ベースを踏んだことで体勢が崩れて転んだらしい。こよみのグラブの遥か上を越えて、ボールがレフトライン際を転々と転がっていく。
水井さんが抑えたボールをショートのちひろちゃんまで送るが、悠々のスタンディングダブル。ランナーは軽々2塁を陥れていた。
だがそんなこと正直今は二の次だ。サードベースの隣で蹲ったままこよみが動かない。これは明らかに異常だ。
「すいませんタイムお願いします!」
主審にタイムを要求すると同時にマスクとミットを置いて駆け出す。ガチャガチャと揺れるレガースやプロテクターの動きにくさが今はもどかしかった。
「こよみ! 大丈夫か!?」
声を抑えるように口をギュッと噤んでこよみは右足首を抑えていた。踏み出した時にベースを踏んでおかしな方向に捻じれたことで捻挫したか。とりあえずコールドスプレーで冷やして――
「……大丈夫です。ベースに躓いて転けるなんて恥ずかしいとこを見せちゃいましたね。問題ないので続けましょう」
――俺の考えていることを、凄まじく他人行儀な丁寧語でこよみが封殺しにかかって来る。なんでそんなに頑ななんだよ。
「今お前足首を――」
「問題ないです。さっさと戻ってください」
「いや、でもあの転び方は――」
「私の身体です。私が一番良く分かってます。問題ないので戻ってください」
俺の言葉全てを拒絶するようなこよみの態度に苛立ちが募る。
事を察したように舞がベンチからコールドスプレーを持って来て、こよみの足首にソックスの上から吹き掛ける。それに対しては、こよみは何も言わないあたり足首が痛いことは明らかだった。
「こよみちゃん、楓だってこよみちゃんのこと心配してんだからそこまで怖い対応しなくてもいいじゃん?」
「大丈夫ですから。アキ先輩もセンターに戻ってください」
「えぇ……。僕も何かした……? どうせ鈍感な楓が何かやらかしただけだと思ったのになあ……」
「先輩には何もされてないです。アキ先輩の失礼さ具合も相変わらずですね」
「お姉ちゃん……」
珍しく秋人が女の子にタジタジにされ、こよみの妹であるちひろちゃんが言葉を失うという良く分からない話になってきた。なんでこよみの捻挫からこんな話になったんだ……?
「橘さん、負傷者交代する? ここで試合終了にする?」
主審はそう訊いてくるが、これで試合を終わらせた場合にはメンバー不足による『放棄試合』として【常葉スパイダース】の勝利となる。また負けが重なるのか……。
「こちらには交代要員はいません。私がこのまま出ます」
何かに挑むようでもなく、ただそれが当然であるかのようにこよみが毅然とした態度で主審にそう伝える。紅い頬、紅い額にじんわりと浮かぶ汗の玉は、おそらくこよみが無理をしている証拠だろう。
「当人がそう言ってるならプレイ続行するけど、良いのかい?」
「ええ。私はここに野球をしに来たんですから」
こよみの言葉に主審は少し不思議そうな表情を浮かべたがすぐにホームの方に戻っていった。どの道当事者がそう言うのであれば俺が無理に止めることは出来ない。俺も戻るしかない。
「さっさと再開しますよ、かえでせんぱい」
背を向けホームに歩き出した俺の背を、こよみの言葉が押す。
お前は、本当にこれでよかったのか……?
☆☆
2アウトランナー2塁で次打者は5番。クリーンナップだがここは逃げるという選択はない。今のは舞が打たれたわけではない。舞にとっても、こよみにとっても単なるアンラッキーな1本に過ぎない。切り替えてここで切るだけだ。
「舞、3つ勝負で行くぞ」
俺は焦っているのか? 別に舞にわざわざそんなことを言う必要はない。それでも表情さえ窺わせることなくサードで顔を伏せているこよみを見ると、早くこのイニングを終わらせてベンチに引っ込めたくなるのも事実だった。
「りょーかい!」
小悪魔っぽい笑みでそう言ってからの舞の投球は完全にゲームを支配する悪魔のそれだった。
初球はアウトローへツーシーム。2球目にアウトハイのストレート。そして3球目のアウトローギリギリいっぱいへのスローカーブ。宣言通り、小細工なしの3球勝負。バッターに一度としてバットを動かさせることもなく三球三振に仕留めた。
☆☆
7回裏の俺たちの攻撃は、6番の水井さんがストレートの四球で出塁するも、その後は7,8番とバットに当たらず凡退しランナーを進めることが出来ず、9番の舞がピッチャーライナーに倒れ無得点に終わった。7回が終わって2対2同点。試合がかなりテンポよく進んできたこともあり、まだ次のチームが使うまでには時間がありそうだ。
主審が両チームの全員を一旦集め、試合の勝敗についての裁定について話をしたが、とりあえず8回を通常の延長戦で行い、それでも決着しないようであれば9回はサドンデス方式で、それでも決着しないようであればくじ引き方式が橘市の連盟内でのルールになっているらしい。
「お嬢ちゃんたちがやる気なら延長戦、やろうか?」
「望むところです! きっちり決着着けますよ!」
今回の試合は連盟の公式戦ではないが、舞は意気揚々と臨む気らしい。
チームの地力で劣りながらも土壇場の踏ん張りと運でここまで食い下がったんだ。引き分けなんて中途半端で終わらせるのは勿体なく感じるだろう。それは分かる。だがこっちは怪我人を抱えているってこと、本当に分かってるのか?
「舞先輩は仕方ないですね……。終われないって言うならとことん付き合いますよ、先輩」
涼やかな秋風の中、額に脂汗を滲ませてこよみは笑って見せるが、臨戦態勢の一同の中で彼女だけがなんとも言えない酷く力のない笑みだった。
予定更新時間を14時間ほど遅くなって申し訳ありませんでした




