VS常葉スパイダース 4回表・衝突(コリジョン) 上
前回のあらすじ:楓の第1打席はショートフライでした。こよみの迷走は止まるところを知らなさそうです。
3イニングスは何とか失点なしで凌いだが流石に2巡目――先週の試合から通算すればこれで5巡目か、人によっては6巡目になるだろうだけあって、カーブとストレートに対する反応は確実に早くなってきている。
幸か不幸か前回の俺たちの逃げ回りが頭にあるのか、早打ちを仕掛けて来ないこともあってカウントが俺たち優位になりやすいということだけは救いだ。
勿論、打たれないわけではないけど点差を付けられた訳でもない。一進一退と言ったところだ。
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4回表の常葉スパイダースの攻撃は3番の中軸からか。とりあえず先制ストライクが欲しいこの場面。俺の要求は外角へのツーシームで、舞もサインに小さく頷いた。
大きく振りかぶって投じられた1球は俺の要求通りの外角低めへドンピシャで入ってきたが、中軸を張るだけの打者の一振りは逃げていくそれを巧く救い上げた。
「秋人前だ!」
外へ逃げていくツーシームをバットの先端に当てたとはいえ、所詮先端だ。軟式野球に適したビヨンドマックスとて有効な部位ではない。
それでも緩やかなハーフライナーはバッターのスイングの力強さもあって、セカンドを守る助っ人――白井カオルの後方の芝に刺さった。ポテンヒットというには球足の速いその打球に対して、秋人は迷うことなく全力で突っ込んできていた。
「もみじ、バックファースト!」
駆けながら秋人が叫ぶ。もはやキャップも邪魔だと言わんばかりに払い除け、ボールが跳ね上がる前に抑え込むように強引に捕球し、大きくステップを踏む。俺もキャッチャーマスクを払い除け防具をガチャガチャ言わせてファーストベースの後方に駆ける。
秋人は明らかにランナーともみじを等分に見ていた。普通ならやらないが、あの馬鹿ならやる。アイツのアウト1つに対する貪欲さを俺は近くで見ていたから。
ほぼ瞬きする間ほどの時間を縫って、白い矢のごとき送球が目いっぱい伸ばしたもみじのグラブから砂埃を上げさせる程に激しく貫いた。
そのまま網まで引き千切りそうな一球を受け止めてもみじは一瞬顔をしかめていた。
……怪我とかやめてくれよ? 人数足りなくなったら没収試合だからな。
「セーフ!」
そして秋人によるセンターゴロ狙いの強襲の一矢は不発に終わった。
もみじが秋人に「グラブ飛んだらどうすんのさー!」なんて抗議しているが、その場合はノータイムでレーザービーム送球が俺を直撃するだけだ。何も難しい話ではない。そのためのカバーリングなんだからな。
☆☆
そしてノーアウトランナー1塁で打席には4番か。確か前の試合では5番に座っていて、決勝点のランナーになった打者だ。
球数が嵩み甘く浮いたストレートをセンターオーバーに弾き返されたあのショックはまだ記憶に新しいが、逃げて形勢を悪くしたらおそらくそのまま流れを完全に向こうに引き込まれるくらい今の双方の流れは拮抗している。
「ここは勝負、だな」
マスクの下で小さく呟き意思を確認する。やっぱり逃げの一手はなしだ。
ストライクの枠内低目にスローカーブを初球から要求した俺に、舞は悪戯っぽくニッとほほ笑んだ。何かたくらんでいるような顔で俺は舞のことが読めるが、もし相手にも変化球ばれたらどうするんだよ。もう少しだけで良いからポーカーフェイスを身に着けろよな。
舞のクイックからの1球、走られたところでスローカーブ云々以前に俺が投げられない。ならば気にする必要もなし。ふわりと一瞬浮き上がってからベースに沈みこんでいくスローカーブを、バッターの身体が完全に泳ぎながら先端で引っ掛けた。
ボテボテの緩いサードゴロ。タイミングはシビアかもしれないが、ゲッツー狙いが出来る!
「サード前! ボールセカンッ!」
駆け出してくるこよみに指示を出す。だが、何の変哲もないゆるいイージーゴロを掬い上げようとしたグラブの先端から、白球が転がり出た。
「あ……っ!」
ポロリと落球しコロコロと転がる白球にこよみが駆け寄り掴もうとするが、ボールは鰻か何かでもあるようにこよみの手からスルリと逃げていく。
焦るほどに手に着かなくなるのがエラーの常、ファーストに投げてももう遅いだろう。
「投げるな!」
今投げればほぼ手に着かないボールは間違いなくすっぽ抜け、最悪のダブルエラーを生むだろう。
明らかに表情に焦燥の色が浮かんでいたが、俺の声は耳に届いたらしく、ボールを拾い上げたこよみはランナーを眼で牽制するにとどめていた。
6番は舞がセットポジションに入った時には既にバントの構えをしていた。
初球から躊躇いも見えない綺麗な送りバントを1塁側に決められたことでアウトは貰ったとはいえ、2人の進塁と引き換えにアウトカウント1つだ。このコスト、安いようにも高いようにもどちらにも取れる。
1アウトランナー2塁3塁。4回表で未だスコアレスゲーム。
「難しいな……」
ひとりごちても上手い答えは見つからない。相手もこちらも先取点が欲しいこの場面、警戒すべきはスクイズか? エンドランか? そうなるとホームゲッツー狙いのために塁を埋めるのは消極的な手だろうか? いや、それ以前の問題か。打順はここから下位打線だが、仮に打者相手に注文通り打たせたところで、俺がファーストまで投げられない。
「バッター勝負だよ! 弱気は、なし!」
マウンド上で大きく深呼吸をした後に蕾が綻ぶように舞が笑って見せる。
その大輪の花が開くような笑顔は、決して能天気に笑っているわけではない。ただ柱であるエースが笑顔を無くし神経質になればチーム全体が精神的に受け身になることが分かっているからこそ、舞は敢えて笑って見せたんだろう。
「もちろんだ! みんな声出せ! ここで点やらねえぞ!」
1アウトでスコアリングポジションにランナーを2人も置いていれば1点は取られる公算が高いだろう。だが敢えてそう吼える。
7番打者が右打席に入る。ランナーが3塁にいる以上バッテリーエラーは許されない。
舞のスローカーブは劇的によくなったが今でもたまに指に掛かってベースを直撃して跳ねるようなことがある。出来ることならこの局面で多投したい球種ではない。
初球のサインは外角低めのツーシーム。狙いは打たせて内野ゴロ、前進守備でホーム到達を全力で阻止していく構えだ。
『1点も譲るつもりはない』
そう言外に訴えるシフトで迎え撃つ。
外いっぱいの厳しいボールをバッターは大きな挙動もなく見送った。これで1ストライク。スクイズを仕掛けてくるとしたらここだろうか……。バントの可能性、ヒッティングの可能性を考慮しもう一度外角へ。ほんの少しだけさっきよりも外へツーシームを要求する。舞も合点がいったように少し微笑んで頷いた。
舞がクイックモーションで右足を踏み出してきた瞬間、サードランナーが動くのが視界の左隅で見えた。バッターはバントの構え、読み通りのスクイズだったが舞の方が1枚上手だった。ギリギリバットは届くが、高速で外へ沈みながら逃げていくその一投をバッターはフェアゾーン内に入れることが出来なかった。
バットの先端に弾かれたボールはそのまま1塁ベンチのダグアウトに飛び込みこれで2ストライク。
「ここ、決めるぞ!」
言葉にしたのはそれだけだ。それでも俺の想いは舞に伝わっている。そんな気がする。
俺はインコースに真っすぐを要求し、舞はそのサインが分かっていたかのように食い気味に頷いた。
クイックモーションではなく普通に足を上げ力を軸足に乗せる。そこから小さな全身で練り上げた力を一球に集約する。プレートの一塁側ギリギリからクロスステップで踏み出す無茶な投げ方と、それを可能にする柔軟な下半身、腰、背中、そして肩を以てその細い腕を鞭のように鋭く力いっぱい振り出した。
球速にして120キロあるかないかの白い軌跡。だがバッターの胸元に飛び込んだクロスファイヤーにバットはピクリとも動かなかった。
「ストライク! バッターアウッ!」
「ナイスボールだ」
インコースズバッと決まって三球三振。遊び玉一切なしの美しい三球勝負だった。これで2アウト。長い気がするがあと1人打ち取ればこの窮状を脱せる!
☆☆
下位打線を後1人何とかすれば窮地を脱せると思ったが、流石に【常葉スパイダース】はそこまで層の浅いチームではなかった。
8番バッターに5球を投じた時点で1ボール2ストライク。もうファールも2球打たれている。いずれも逃げていくツーシームを明らかに振り遅れて1塁側ダグアウトにボールを叩き込む結果だったが、打ち取れていないのもまた事実だった。
「ファール!」
もう一度クロスファイヤーを要求してみたが、今度は自打球でバッターが呻きながら打席に蹲る結果に終わった。
少しずつだがストレートとの対応もよくなっている。果たしてスローカーブ、使うべきだろうか?
「かえでー、表情硬いよー!」
悩みサインが出せない俺に主審からボールを受け取った舞が激を飛ばしてくる。チームを、そして俺を勇気づけるその笑顔に背中を押され、俺はスローカーブのサインを出した。最悪暴投しようものなら俺が体を張って止めるしかないが、まあいつものことか。
頷き、舞の投じたスローカーブは一瞬すっぽ抜けの暴投を疑うほどにリリースポイントよりも高く投げ上がる。緩やかなそのボールは変化を伴いながらバッターのインコースに落ちてくる――やや高いか……?
「……クッ!」
舞のスローカーブに完全にタイミングを崩されながらも、下半身の力で粘り、大振りすることなくシャープなスイングが大きな弧を描くカーブを叩いた。
ビヨンドマックスというバットの力もあるだろうし、ギリギリまで力が逃げないよう根性で食らいついたバッターの地力もあるだろう。打球は容赦なくちひろちゃんの頭を超えて左中間で跳ねた。秋人が足早に回り込んではいるが、中々に深い。
3塁ランナーを刺すのは無理だ。だが2人目は行かせられない!
「秋人来い! バックホーム!」
「もち、ろん、さあ!」
大きくステップを踏み秋人の下半身が、肩が、腕が、大きく弓形に反る。その強烈な力により生み出される反動がボールに集約され、左中間の深い所から一条の光のように投げ込まれる白球は間違いなく一番速かった時の俺の球速以上だ。
3塁ランナーは楽々生還し、リードを大きく取っていた2塁ランナーも突っ込んでくる。2アウトランナー2塁、3塁で左中間へのヒットだ。よっぽどの鈍足以外は本塁突入しない選択肢がない。
ランナーが3塁を回ったところで足が縺れたのか若干減速する。
秋人のレーザービームのごとき送球は中継に入ったちひろちゃんの頭を越え、1バウンドでストライクゾーンに収まる最高の送球だった。
スライディングしてくるランナーの足だけを払い、ホームベースを塞ぐようなブロックはしない。走路を塞げば走塁妨害として失点が増えるだけだ。
本職が捕手ではなかった俺は草野球を始めてから秋人に説明だけ受けたプレーだったがその説明が功を奏したらしい。
「アウトォォォオオオ!」
主審の宣告は俺たちの期待した通りの物だった。俺たちの失点は最少の1点に留めた。
最後のプレーはきっと秋人があそこまでドンピシャな送球をしてくれなかったら、俺がボールを抱えたままベースを塞いでいた可能性もあったが、そこに来て文句なしのストライク送球だ。
こいつやっぱり透とはベクトルの違う怪物だな。




