VS常葉スパイダース 試合前
前回のあらすじ:アルバムを見ていたら懐かしい夢を見ました
試合前のベンチの空気はかなりピリピリしていた。
・これで今日負ければ舞とチームは4連敗。
・俺は柵越えのホームランを打てなければ期限付きとはいえソフト部の雑用。
・そして今日安打が出なければこよみの打率はほぼ確実に5分を下回る。そんなチーム全体が青息吐息の暗澹たる状況を晒して、平穏無事に和気藹々とはいかないか。
今日は舞も俺ではなく秋人がアップに付き合い、その間俺はスイングの最終確認をしている。
舞には「ピロを信じる他ない」なんて言ってみたが、俺だって正直不安はある。だがその不安な約束の履行をさせるためにもまず俺はホームランを打たなければいけないのだ。実際約束して本当にその試合でホームランを打ち上げるなんてプロでも出来過ぎ扱いされるんだ。俺が出来ない公算の方が高いだろう。その可能性を1%でも引き上げるため出来る限り丁寧にスイングを見返す。
「いい感じじゃん。なんか取っ掛かりでもあったの?」
「ああ、ちょっと物申したい奴がいたからな」
そう言ってくれるのは秋人だ。おそらくコイツの言うことなら俺の感覚よりはよっぽど当てになるだろう。
果たしてピロの奴が約束を遵守して本当に姿を現してくれるかどうかは分からない。だがそれでも、俺の手で打って言うことを聞かせてやる。ピロがもし仮に今のチームメイトを引っ張る取っ掛かりがないと言うのなら、口実くらい俺のバットで作ってやろうではないか。
「察するに、田中さんと賭けでもした?」
「……お前はいつも鋭いな」
「打撃に関しては淡泊な楓がやけに気負ってるからね。ただ負けられない試合である以上に打撃を気にせざるを得ない何かがあったと考えるのは普通でしょ?」
それにしてもよくそんなヒントだけで秋人はピロと賭けをしていたなんてことまで読めるものだ。もしかして俺の顔に出てたりするのかな?
「もしかして今日の試合で勝ったらあのふかふかおっぱいを触っていいって約束を!?」
「してるわけねえだろぉぉぉおおお!! やっぱりお前は死ね秋人ぉぉぉおおお!!」
賭けまでは当たってて勘が鋭いかと思ったらこれだよ! やっぱりこいつダメだな。彼女さんが早くこいつの腹にナイフを刺して鮮血のクライマックスシリーズを演じてくれることを願うとしよう。
周りを見渡せば白い目で見てくる女性陣の姿が。いつの間にか傍に寄ってきていたもみじがポンと1つ俺の肩を叩いた。
「裏切り者。アンタは絶対男に転ぶと思ったのに!」
なんで俺が同性愛者にならなければいけないんですかね!? 何この風評被害。涙出そうなんだけど……。
「もみじ、お前と秋人後でちょっと話があるから覚えておけよ」
「楓がメイド服着てくれるなら覚えておく」
「それなら僕は楓がその状態でお茶の給仕をしてくれるなら覚えとくよ」
「じゃあボクは……。うーん……」
「秋人ともみじは大概にしとけよ!? 舞も無理に乗ろうとするな!」
オロオロしたり落ち込んだりして舞が言うが明らかにあの2人のテンションについていけていないのは見て取れた。ついでにかなり落ち込んでいるようにも見えるしな。
「「はあ……」」
2人分のため息が被る。誰のものかと思えば案の定1人は舞だが、もう1人はちひろちゃんだった。
「はあ……。早く成長期が来ないかな……」
「お姉ちゃんは私の年の時には周りの女の子よりも大きかったのに……」
2人そろって平坦な胸元をぺたぺたと触っているが、2人揃って見た目通りの大平原だ。同じような嘆きは舞とちひろちゃんの橘BGぺったんこコンビ故か。まあちひろちゃんについては中学生だしこれからが成長の時期だろ。
舞は……。まあ俺の身長と同じ理屈で諦めるしかないだろ。16~17歳って女の子の成長期なんてもう終わってるだろうしな。
秋人がちひろちゃんに何か耳打ちして少しはにかみながら腹にパンチされているが、生ぬるいな……。やっぱりメリケンサックくらいは必要かもしれないな。とはいえ今はそんなことする必要はないか。
今は。
……今はな。
相手のチームの監督さんに渡すオーダー表を見返す。不安はあるがこれ以上はないと木曜日から確証を持って認めておいたオーダーだ。後は打線が回るか回らないか、勝負してみる他あるまい。
橘BGのスターティングラインナップは――
1、捕 翠川 楓
2、遊 櫻井 ちひろ
3、中 赤木 秋人
4、三 櫻井 こよみ
5、一 青木 もみじ
6、左 水井 ふみ(助っ人)
7、二 白井 カオル(助っ人)
8、右 国見 ゆい(助っ人)
9、投 星野 舞
――と言ったところだ。打席数をもらうために俺は先頭に座っている。
助っ人は3人そろって学校の授業でソフトボールをやった程度だということだし【常葉スパイダース】の相手をするには荷が重いかもしれない。だがそれでも勝とうと足掻き続けるのが舞だ。舞が舞たる所以だ。そしてそれが俺たち橘BGだ。
「3人とも今日は来てくれてありがとうね。一緒に女の子でも野球が出来るって、みんなに証明するよ!」
舞はジャージ姿の3人の肩に腕を回そうとするが、生憎3人とも舞よりは背が高い。まとめてハグしようとしたのだろうが、腕を肩に回そうとした舞が連れ去られる宇宙人のようになり、足がプラプラと浮いていた。
素振りをする俺の足元にコロコロとボールが転がってくる。どうやらこよみが暴投したらしく、ちひろちゃんがボールを追って走っていた。
「お姉ちゃんちゃんと投げてよ」
珍しく姉に苦言を呈するちひろちゃんだが、どうにも効果は芳しくなさそうだ。
集中力や精彩を欠いたこよみはグラブの先にボールを当ててポロポロと落球しては、近距離でも投げるボールがあちこちに飛んでいく不安定さを見せている。大丈夫なのか、これ?
とりあえずバットを今俺が持っていることを伝えようとちひろちゃんに一言断りこよみに近づく。あんまり寝られていないのか、近めに見てみると表情も顔色も冴えなかった。日頃快活そうに笑う頬もいつもの血色を失い、背丈よりも遥かに小さく見える。
「こよみ、バットの件なんだけどさ――」
そこまで言いかけたところでこよみが「大丈夫です」と一言で俺の言葉を遮った。
「先輩、色々陰でありがとうございました。もう私は大丈夫です。新しいバットで新しい私というバッターになればいいだけですから。これ以上、楓先輩の手を煩わせることはしたくないです」
「……別に俺のことは良いけどさ。お前はどう思うんだ?」
「私は変わろうと思います。見ててください」
そうは言いながらも明らかに目はこちらを見ない。躊躇うように揺れ動く視線はおそらく今の彼女の内心の落ち着かなさを反映していた。
確かに変わることは大事だ。だが、こんな中途半端な形で変わっていいのか? 部活で自分のプレイスタイルが疎まれたからとか、自分の過去の象徴がなくなったからとか、そんな理由で今までの自分と決別するのは後々後悔するんじゃないのか?
「……お前は本当にそれでいいのか?」
「何がですか?」
「お前は、お前らしいバッティングをしたくてあんな馬鹿みたなバットをずっと振り続けたんだろ?」
そうでもなければあんな鬼棍棒バットを選ばないだろうしな。
自分の使いこなせるものではなく、自分に使い得ない物をあえて自分の意のままにするまで扱い続けるというのはなんかしらの目標があっただろう。
こよみが少しだけ目を伏せる。震える口元は泣きそうなようにも、今にも火を噴いて怒り出しそうにも見えた。だがそのどちらでもなく、落胆したような口ぶりでこよみは話し出した。
「……そうですね。そんな時期もありました。でももう今は違います」
「違わないだろ。少なくともついこの間までのお前はこんなじゃなかった。心ここに在らずみたいに間抜けな暴投をしたり、しょうもないバッティングばかりしてるようなプレイヤーでは――」
「……それで先輩は何を言いたいんですか?」
「俺が言いたいのはお前らしいバッティングをしろよってことだ」
「なんですかそれ……」
まるで吐き捨て嘲笑うかのような声。何を吐き捨てたいのか俺には分からないままこよみは怒っているかのように言葉を紡ぐ。
小さな子供が欲求不満に陥って地団駄を踏むようにザッと音を立ててスパイクで砂を踏みしめる。何がそんなにこよみの気に障ったのか、俺には分からない。
「気軽にそんなこと言わないでください」
「気軽にじゃねえよ。お前はありのままのお前で良いんだよ。部のことは俺が何とかしてやるからよ」
少なくともこの1か月近く舞にこよみに振り回され続けて、ソフトボール部に広がる嫌な空気が何なのか明らかにして、その上でやはりこよみはこよみ自身のあるがままを出し切る方がいいと思ったのが俺の結論だ。
「気軽に言ってるんじゃないとしたら、なお悪いです……」
俺には訳が分からないままにこよみが意気消沈していく。
表情と言えるものがほとんど消え失せたこよみの顔を2筋、銀の光が横切る。2筋の流れは顎下で1つの滴になり、ポタリと地面に消えた。その様に、俺は言葉を失った。
「あー、楓が女の子泣かせた―!」
真っ先に突っ込んで来たのはもみじだった。舞と比べたら遥かに豊かな胸を震わせて、近付いて来たかと思った瞬間には頭をグイっと下げられていた。
「はい、ほら、はやく謝って!」
「え? 俺が悪いの?」
正直謝ろうにも何に謝ったらいいのか見当が着いていない。この状況で謝罪をするって下手をしようものなら火に油どころか爆薬をくべるようなもんだよな?
困惑する俺に対して歯を見せて「ニシシ」と泣き笑いするような変な笑みを浮かべてくる。だが俺にはどういう対応をしたらいいのか皆目見当もつかない。
「ほんと、ダメな先輩ですね……。ふんだ」
どこか拗ねたような言葉を放って身を翻すこよみは、俺がここ数カ月関わって見知って来た彼女とは全然違う。ストレスでなんか赤ちゃん返りしてないか?
「こんなお姉ちゃん今まで見たことない……」
ベンチ前で小さく呟くちひろちゃんの言葉に、この試合の先の暗雲を予想せずにはいられなかった。




