第4話 橘BBG始動!①
2021/10/24全体改稿なう
2024/6/6 全体改稿
土曜の午前橘緑地公園内グラウンドの周りは中々に盛況だった。秋晴れで天気がいいというのもあるだろうが、ウォーキングをするおじいさんおばあさん。元気にアスレチックの遊具で携帯ゲームに勤しむ小学生達。そして俺たち野球人。この公園を利用する人は様々だ。
現在時刻は10時の試合開始を前に控えて10分前。今は双方のチームがシートノックを終わらせて、ベンチ前で最後の調整をしているところだった。1塁ベンチ側のブルペンに立つ舞もすっかり気合充分といったところだ。
俺も気合を入れ、初めて身に着ける防具やキャッチャーミットの最後のチェックをしていく。そしてバッテリー間には1つ大事な決め事もあったことを、今更思い出した。
「そう言えば舞、変化球のサインはどうする?」
「え? 変化球?」
「え?」
全く想定もしていなかった舞の反応に、思わず俺も硬直する。
「ボク、変化球なんて投げたことないよ?」
ケロリとした顔で舞はそう言うあたり、冗談ではないのだろう。
試合前の昂揚感とは全く違う悪寒が走る。勝って是非とも今後の活動に弾みを付けたい初試合だというのに、急激に自信が萎んでいくのが分かった。
「だってお父さんが変化球は肩や肘に悪いって言ってたし」
「それは確かに事実かもしれないけどさ……。変化球なしって少年野球かよ!」
「少女野球だよ!」
「確かにそうだけどさ!」
舞の突っ込みのキレがいくら良くても、そんなものは彼女が変化球を投げられない事実に何の影響も及ぼしはしない。
「じゃあ今から何か投げてみろ。まだ試合開始まで少し時間あるから!」
「それならカーブで行くよ!」
威勢よくそう言い、舞が投げたボールは、俺の構えたキャッチャーミットに入らなかった。
それ以前に届いてすらいない。もっと極端なことを言えば、こちらに飛んで来てすらいなかった。
「へぶっ⁉」
舞の左手からすっぽ抜けたボールは長い長―い滞空時間を経て、ベンチ前で素振りをしていた秋人の頭頂部を直撃した。ちなみに秋人が立っていたのは俺から見て舞のずっと後方だ。
「なんでボールが真後ろに飛んで行く⁉」
「ボクの手を離れたら後はどこに行くかはボールに聞いてよ」
「ピッチャーがそれじゃ困るんだけど……」
「それより僕の心配は……?」
「ちょっと一大事だ、黙ってろ!」
秋人が何か言ったが今聞いている余裕はない。そもそもゴム製の軟式ボールだ。目にでも当たらなければそうそう怪我にはならないだろう。
「まあなんとかするって」
何か企んでいるような笑みで舞はそう言うが、おそらくあの有様ではナチュラルに曲がる物を除けば変化球は全滅だろう。さっきのぶきっちょ極まりない後方投げからしてチェンジアップもまともに出来なさそうだ。
「はぁ、なんとかなればいいな……」
呟きを掻き消すように、皆がベンチ前に集まって行く。どうやらそろそろ定刻か。
俺は手の中にあるこちら側のスターティングラインナップにもう一度目を通した。右も左も分からない、新人チームの所詮だ。とにかくぶつかって、そこから始めるしかないのだ
1、捕 翠川 楓
2、遊 櫻井 ちひろ
3、一 青木 椛
4、三 櫻井 こよみ
5、右 波野 ゆい(助っ人)
6、左 水井 文乃(助っ人)
7、二 白井 カヲル(助っ人)
8、中 赤城 秋人
9、投 星野 舞
椛が連れて来てくれた助っ人3人のおかげで何とか試合が出来るのは感謝するしかない。
打順をくじ引きで決めた事だけは心残りであったのだが。球審から整列の号令が出てしまった以上は仕方ない。考えるのは後にしよう。
☆☆
両チームが整列した瞬間に分かる彼我戦力差というものもある。
高校野球でもそうだったが強いチームはまず体格が違う。そもそも相手チームは当然だが全員男で、上背も厚みもある。一方でこちらのチームの170センチ以上のプレイヤーは秋人とこよみの2人だけだ。厚みも含めれば拮抗しているのは秋人だけだろう。櫻井姉妹の姉、こよみも身長はあるが、流石におっさんたちに比べれば身体の線は細い。
「「お願いします!」」
片や女の子ばかりの高い声、片や男の響く野太い声が交錯して試合が始まる。
なお、整列から一礼、守備に着くまでの間、俺と秋人はずっと相手チーム面々の複雑な思いのこもった視線を受け止める羽目になっていた。
いよいよ試合開始か。相手の1番バッターがベンチから出てくる。その体格は最近まで高校球児だった俺よりも上背があるし厚みもある。まあ厚みに関してはビールの影響もあるかもしれないけどさ。
「おたくのチームはどこ見ても可愛い子ばっかりだな。うちのチームに花を分けて貰いたいわ」
「ははは……。まあ美しい薔薇には棘があるってね。棘に手を貫かれないようにご用心を」
打席の外から気さくに話してくる打者相手に、俺からも気さくに毒を吐いておく。
そもそも【橘BBG】に女の子ばかりが揃ったのも、このチーム以外が女の子のプレイヤーの道を絶やしたからだ。それを思えばただにこやかに返すことは出来なかった。
「可愛い兄ちゃんも面白いこと言うな」
「女の子だと思って侮ってるなら、頭には気を付けてくださいね? うちのエース結構速いんで」
キャッチャーマスクを被っていて相手から表情が見えなかったのは、円滑に試合を進める上で丁度良かったのかもしれない。多分、今表情が上手く作れていないから。
そうこうしている内に、イニング前の投球練習が終わる。本当ならキャッチャーから2塁への送球したいところだが、ただ俺の肩の故障を露呈させるだけなのでやめておいた。
相手の1番バッターが右のバッターボックスに入る。さあ行こうか。
「プレイボール!」
それを確認した主審の宣言の下、試合が始まる。
さて、変化球が選択肢に入れられない以上、指定は大まかなコースだけだ。その初球。舞が大きく振りかぶった。マウンドに立つ儚いほど細い舞の体は、女の子ばかりのこのチームの中にあってなお小柄だ。それでも決して彼女に力がないわけでないことは受けてきた俺が一番良く分かっている。
思い切り良く腕を振って投げられたのは、真ん中少し高めに力のあるストレートだった。若干甘く入ったコースだったが、バッターは手を出さなかった。
「ストライーク!」
「オッケー、ナイスボール!」
計測機器がないのであくまで俺の目算でしかないが、初球の球速は110km/h程度と言ったところか。マウンドに立って投げたところを見ても、少なくとも調子は悪くなさそうだ。
このくらいのストレート1本では強豪どころ相手では通用しないだろうが、おじさん達の道楽チーム相手ならなんとかなるかもしれない。
「へえ、女の子の割にはいいボールを投げるな」
俺が立ち上がって山なりに緩い返球をする間に、バッターが呟いた。
一応褒められてはいるのだろうが『女の子の割には』という言葉が嫌に鬱陶しく耳に障る。
「ええ、うちのエースですからね」
少しだけイラっとして強い言葉調子で返して、また座って構える。こっちのやり取りなんて露も知らないだろう。舞が見ているのは俺の構えるキャッチャーミットだけだ。
2球目、細い腕から投げられたストレートは初球に比べると少しスピードこそ落ちるが、コースは的確に、バッターの外角低めを射抜いていた。
「ストライーク、ツー!」
バッターから一番遠いアウトコースの低め。少なくともワンストライクから積極的に打ちたいボールではない。見逃しでツーストライクだ。
「オッケー、遊び球は要らないぞ。3球勝負だ」
「うん」
頷く舞にボールを返して再度構える。ノーボール、ツーストライクからの3球目に俺が選んだのは内角高め、バッターの胸元よりも若干上の釣り球だ。
舞が1つ頷いて投球モーションに入る。
流れるように綺麗な投球フォームから放たれた一投は、初球のストレート以上に速く。
「ストライーク! バッターアウト!」
コースこそ指示より少し高めに浮いたが、力のあるボールは追い込まれて打ち気にはやっていたバッターのスイングを誘った。トップバッターは高めのボール球にバットを止められず空振り三振に倒れた。
「ナイスピッチ!」
グラウンド中のチームメイトが舞に声を掛けてくれる。背に受けてまたゆっくりと投球モーションに入る彼女は弾けるほどの笑顔だった。
2番を同じようにストレートだけで三振に、3番をワンストライクから真ん中低めのボール球を引っ掛けさせてピッチャーゴロに抑え、初回の橘オジサンズナインの攻撃は無得点に終わった。
ストレートか、腕の振りまで遅くなるスローボールしか投げるボールがないとはいえ、初回の舞の立ち上がりは上々と言ってもいいだろう。
「ナイスピッチ、この調子で行けよ」
「ふふん。ボクに任せなさい!」
ベンチに戻ってきた舞はふふん、と1つ満足そうに笑って、偉そうにぺったんこの胸を反らした。上体を反らして尚起伏が無いぺったんこだ。
そんな舞の頭を後ろからこよみが小さい子にするように撫でる。
「頼みますよ、ちっちゃいエース」
「そのちっちゃいは余計だよ!」
まだ知らない者同士の集まりでしかないが、椛が呼んで来てくれた助っ人を合わせ9人が揃ったベンチは、少しずつだが纏まって行きそうな空気が生まれていた。
なおその裏の【橘BBG】の攻撃は酷く淡々としたものだった。
先頭の俺から始まる好打順にも関わらず、その俺が初球からアウトコースの遅いストレートをバットの先端で捉えてピッチャーライナーに倒れてしまった。続く2番のちひろちゃん、3番の椛が緩いストレートとそれ以上に遅い山なり軌道のカーブの緩急に完全に体制を崩されて凡打に倒れた
「ずいぶんと早い攻撃だったな」
「「「打たない楓(先輩)が悪い(です)」」」
俺の率直な感想に返って来たのは秋人と、自分も凡退した椛と、下級生のはずの櫻井姉妹の姉、こよみのとても率直な事実だった。いや、俺だけ責められるのは理不尽じゃね? 中学生のちひろちゃんはともかく、椛も一緒に責められろよ。
「打線は水物ってね。打てないものは仕方ない。1点もあげないように守るよ!」
まだプロテクターもマスクもしていないキャッチャーをおいて、舞はマウンドまで走って行ってしまう。まだ試合は始まったばっかりだ。