モテる者とモテない者
前回のあらすじ:舞とこよみの対決は舞が勝ちましたが遺恨が残りました
俺とこよみだけが取り残された紅い空の下で、こよみが先の対戦を顧みるように口を開いた。
「……舞先輩のツーシーム凄かったですね。アレが先月まで変化球が投げられなかったピッチャーの球ですか?」
「正直俺もびっくりしてるよ。やっぱりアイツのセンスは並みじゃない。もしもアイツが男で、体格さえあれば透にも負けない投手になってたと思うよ」
お世辞でもなく、舞の吸収力は半端ではない。スローカーブ、ツーシームと立て続けに新たな持ち球を完成させながらストレートの質、精度に全く影響がないなんて漫画の登場人物だ。
俺はスローカーブを多投していたらストレートの質が悪くなって打たれまくった嫌な思い出がある。
「俺の周りには凄い奴ばっかりだ。秋人だって『坊主やだ』とか言って野球部辞めてなかったら今頃レギュラーだっただろうし、透の奴はもう説明不要だ。舞も野球のコーチに恵まれなかっただけで体力も潜在能力も良いものを持ってる」
「私はどうなんでしょうね。楓先輩には、私はどう見えてるんですか……?」
「もちろん、驚異的な後輩だよ。圧倒的な打撃センスにパワー、俺には無い立派な体格も持ってる。舞はさっき誤魔化そうとしたけど、俺も本音で言えばお前が羨ましいよ。俺も舞も、お前や透のような立派な体格は持ち合わせてないからな」
誤魔化しなしに正直に言えば、目障りに思えることもあるくらい凄い後輩だ。
多分ピロがこよみに抱く感情と、舞が透に持ち続けている感情と似たモノを、俺も抱いている。こんな奴が近くにいて立つ瀬がない。
俺はこよみとポジションが違うからある程度冷静にいられるという面さえあるだろう。
「驚異的、ですか……」
「勿論良い意味でな」
そうは言ったが、その驚異の一言に集約される全てが肯定的とは言えない。
たとえそれを持たぬものの僻みと言われても、恵まれた体格や馬力を持つこよみが小さくまとまって悩んでいることに苛立ちを覚える気持ちが微かにある。それだけのモノがあれば『俺たち』はきっと悩まなかっただろうから。
「先輩……」
「なんだ?」
応える俺の袖を、こよみの太い指が摘んだ。ギュッと力を入れて手を引かれた瞬間、俺の腕が後方に引っ張られた。……なんかこのまま左肘が通常曲がらない方向に無理やり曲げられそうで怖いんだけど。
「こうして夕方のグラウンドにいると……。いえ、すいません。やっぱりなんでもないです」
「こよみにしてはなんかはっきりしないこと言うなぁ……」
「別に私にも気の迷いくらいありますよ」
「知ってるよ。現状のこれが気の迷いじゃなかったらなんなんだよ? 老いか?」
ブランクではなく肉体のパフォーマンスが下がることで成果が出せなくなるのは老いだが、こよみの肉体は今日も俺くらいなら軽く組み伏せられそうな屈強さを全身から放っている。
「老い……。そうかも知れませんね——ってそんなわけないじゃないですか! なんで先輩おいて私だけおばあちゃんになっちゃうんですか!?」
「言ったのはお前だろ!」
「……もしも、1個だけ歳を取れるなら大歓迎なんですけどね」
真意を測りかねる言葉をこぼしながら、こよみはただ西日を真っすぐに見据えて目を細めていた。今にも泣き出しそうなこよみの表情が、俺には妙に幼く見えた。
☆☆
夕日は少しずつ空の彼方へ沈んでいく。辺りは暗く、もうボールを使った練習は出来ないだろう。
今日はもう打ち切って帰った方がいいかもしれないな。結局舞の強硬策も空振りだったし、明日からどう介入したらいいんだろう?
「先輩にちょっと訊いてもいいですか?」
今まで遠くをぼうっと見ていたが急に神妙な目つきに変わって、真剣な表情でこよみは俺に質問を投げかけてきた。野球に関わることかもしれないし、はぐらかすのは失礼か。
「ああ、俺に答えられることなら」
俺はそう答え軽く息を吐いた。果たして俺がこよみに教えられることがあるのかは分からないが、一応先輩だし、応えられることくらいは——
「……先輩の目から見ても、舞先輩は可愛いですよね?」
——訳が分からなかった。
「……は? ぇ? どうして今舞の話が……?」
「楓先輩の偽らざる感想を教えてください。舞先輩は可愛いですよね?」
顔を近付け、すごい剣幕でこよみはそんな大凡どうでもいいことを訊いてくる。
何これ? 新手の辱めですか?
「あ、ああ。俺はそう思うよ」
少なくとも今の舞をお世辞にも『美人』とは言えない。だが桃色の頬に快活な笑顔、小さな背丈に細い肩は庇護欲を誘う容姿をしていると思う。可愛いにも2種類あると言うが、小動物っぽい可愛さだ。本人が聞いたらほっぺたを膨らませて怒るかもしれないけどさ。
「こよみの言う通り、舞は可愛いと思うよ。コロコロ変わる表情とか、頑張り屋なところとか、よく笑うところとか、まあ俺の主観も入ってるけどさ」
「チッ、惚気ですか……!」
「お前の言い出した質問に答えただけだろ⁉」
「ではそんなロリコンの先輩に訊きます。これは身内の欲目かもしれないですけど、ちひろも可愛いですよね?」
この後輩は喧嘩を売ってるのだろうか?
下手したら攻めた瞬間俺が組み敷かれていたとかいうことにもなりかねないから買わないけどさ。
「誰がロリコンだ!」
「まあ先輩がロリコンでもシスコンでもショタコンでもいいですけど、質問に答えてください」
「全部違う上に俺には姉も妹もいないからな?」
とてつもなく腑に落ちないが、投げるだけ質問を投げ付けて、まともに聴く気がない今のこよみ相手に押し問答するだけ無駄だろう。
俺を嘲笑するような笑みは、その下にある触れたら木っ端微塵になりそうなヒビだらけの心を覆っているだけのような気がしてならなかった。
「ちひろちゃんねえ……。不純な意味はなく可愛いと思うよ」
「先輩ならそう言うでしょうね。なんせ小さい子が大好きですから!」
「お前が訊くから答えてやったっていうのに、誤解を招くようなこと言わないでくれ! それからお前みたいなのを基準にしたら世の中の女の子の9割以上が小さいからな⁉」
こよみの身長が秋人と同じと仮定して176センチ前後。バレーボールの女子代表にも匹敵する、1000人に1人レベルの稀有な身体だ。それを基準にされたら俺や舞は生きていけないだろう。
「じゃあ誤解がないように言い直しますねこのロリコン先輩!」
「それが既に誤解だよ! どこからお前はその結論に至ったんだよ!」
「全部ですよ、ぜ! ん! ぶ!」
「全部って何の全部だよ⁉」
「まあ楓先輩に変な性癖押し付けるのも可哀そうなんで、ショタコンだけは私が貰いましょう!」
「ならショタコンなのはお前じゃねえか!」
もう突っ込み過ぎて疲れて来た。何でこよみはこんなしょうもない問答を仕掛けて、俺に不名誉な渾名を付けながら、自爆までするような真似をしてきたのだろう。
「記憶の中の少年を愛でるくらい、いいじゃないですか! どうせ当人はもういないんですから!」
「誰かに迷惑を掛けるわけじゃないなら俺の知ったことじゃないけどさ……。椛みたいに実在人物に風評被害が及ぶような創作とかしないようにな……?」
生憎と俺の周りには俺や秋人をそう言った漫画の題材にする変態が既にいるのだ。まあ脳内で勝手にやるだけなら自由だが、実在人物に迷惑を掛けてしまうようなら、椛と同じカテゴリーだな……。
「はぁ……。しかしまあ何というか、私の周りには可愛い女の子が多過ぎます」
「それは異性に縁のない俺への嫌味か……?」
どうせ俺は高校2年生にもなって異性との交際経験がないですよ! 悪かったなモテない男で!
「まあ多少はそれもありますが、一番は悲観ですね」
「悲観? 何を?」
「私を応援してくれる女の子たちも、私にラブレターをくれた子も、私の妹も、私の先輩も、皆可愛いのに、私だけがそうじゃないんです……」
確かに可愛いというよりはカッコいいけどさ、こよみは。モテない俺はともかくとして、秋人よりも女の子にモテるだろ。まあノーマルさんだったら困惑するだけだろうけど。
「そんなことを言うってことは、こよみは可愛くなりたいのか?」
「……正直、そう言った感じに憧れもあります。小さくて、可愛くて、庇護欲を誘う女の子が嫌いな男性なんていないと思いませんか?」
「それはこよみのタイプなのか?」
そう言った感じの女の子が俺は嫌いなわけではないが、一緒にいるなら俺は舞のような快活な子の方がいいけどな。常時儚げな女の子とかどうやって接したらいいか分からないし。
「私の——というか、一般論ですね」
色々偏見のある一般論だと思ったが、こよみのタイプがそれならそれでいいか。現実のこよみは彼女の描く理想の女の子像の180度真逆にいるが。流石にそれを言えばメンタルが崖っぷちのこよみの背中を突き落とすことにもなりかねないので黙る事にした。
日の沈み行く中、しばらく2人して黙っていたが、唐突にこよみが口を開いた。
「そういえば先輩。この度、妹に彼氏が出来ました。お相手は私よりも年上らしいです」
「お、おう……?」
いきなり何の話だと思ったが、話の腰を折るのは控えた。
西日に照らされた陰影の中で、こよみが無理に作ろうとした笑顔が紙細工のようにくしゃりと歪むのが見えてしまったからだ。
「妹って、ちひろちゃんだよな?」
「今のところ他に妹はいませんよ。先輩が妹になってくれるなら話は別ですが」
こよみは一体俺をどうしたいのだろうか? 一時は社会的に死ねと言ってきたり、妹になってくれるならと言ってみたり、考えているところが読めない。
「勉強も、ソフトボールも出来る可愛い可愛い自慢の妹のことです。素直に祝福してあげたいです。でも、何故か祝ってあげたいのに胸がモヤモヤするんです。あの子が恋をして、可愛くなっていくのを間近で見ていて、私はどうしてこんな……」
「こよみにもそんなところがあるんだな。思ってもいなかった」
「……私だって女の子ですから」
「あの子に無邪気に叶った恋の話をされる度に、自分が凄く惨めに思えるんです。あの子は今私が欲しい全部を持ってます。チームメイトに慕われて、チームの中核として大会でもいい成績を収め部を勇退。彼氏も出来て色んな事が凄く巧く行っています。それに比べて、ちょっとデカくて長打力があったばっかりに身勝手だ贔屓器用だと先輩方に白い目で見られる私と、どこで差が付いたんでしょうね……?」
「こよみ……。お前あの噂知っていたのか?」
「野球部の姫とか言われてた自分に対する噂も退部するまで知らなかった鈍感野郎と一緒にしないでください。私、一応そういうところは女の子なので」
……いや、なんでソフトボール部のこよみが俺の渾名のことまで知ってるんだよ。
「……まあいいです。とりあえず楓先輩よりは敏感だということさえ理解いただければ、それでいいです」
普通の女の子たちの中でプレーする中において、こよみは完全に出過ぎた杭だ。ゲームのコンセプトすら歪めてしまうバグと言ってもいい。多少チームバッティングやバントといった細かいプレーや守備が下手であっても、あの飛ばす力だけで監督が使いたくなる気持ちは俺だって多少は理解出来てしまう。
そして監督やチームが掲げる『one for all all for one』の理念に基づいて練習を重ねてきた上級生がぽっと出のスタンドプレーヤーを疎ましく思う気持ちも、俺は同時に理解出来てしまっている。
「ええ、そうですよ。ソフト部の先輩方の言う通りです。私はチームバッティングもバントも出来ません。守備も田中先輩には及びません。ただ中学でサードしかやったことが無かったからコンバートもせずにサードを守らせて貰ってるだけです。……田中先輩を押し出して」
「まあ相も変わらず力任せにそんなバットを振り続けたゴリラが私ですけどね。その癖今は自分のバッティングの意識と先輩に言われたことの間でごちゃごちゃになってバッティングを崩していて、ソフトボールにも野球にも対応出来ていない。チームを裏切ることしか出来ない身勝手なバッターです」
そんなことはない、そう否定してやりたかった。それでも中途半端なバッティングで凡打三振の山を築いている今のこよみが、背信バッターであることを否定するのは難しかった。
言葉を失い黙っているとこよみが焦れたように噴き出した。
「いや、そこはせめて『そんなことないよ』って否定してくださいよ」
「ああ、そうだな、そんなことないよ」
「取って付けた感じが凄いですね……。まあしょうがないですけど」
こよみ当人もいい加減に擁護できないレベルの成績であることは自覚しているんだろう。先日の【常葉スパイダース】との練習試合での1三振2併殺を含めかれこれ18打数1安打。打率がほぼ5分という歩く負け運状態だ。
酷いときの俺でも打率1割前後はあったことを思えば、今のこよみのバッティングがどこまで悲惨な有様なのかは考えるまでもない。
『恵まれた身体能力にモノを言わせてレギュラーを奪われることの悔しさはアンタだって知ってるでしょ?』
ソフトボール部の元サードレギュラー、ピロの言葉が胸に突き刺さったまま、今も頭にスピーカーを埋められたかのように近く生々しく響き続ける。その悲痛な叫びに橘南高校のエース、笠寺透の圧倒的な馬力や圧倒的な剛速球を前に勝ち目がないことを知ってしまった時の自分の姿がフラッシュバックする。
「……無理に変わらなくてもありのままでいいんじゃないのか? お前が信じたお前を信じれば、結果はついてくると思うぞ」
こよみは、俺やピロとは違うんだから。きっと自分を信じてその恵まれた力を開放するだけで勝ててしまう側のプレイヤーだろうから。
「本当にそう思いますか?」
「ああ、そう思うよ」
恵まれなかった側にはきっと知ることのないだろう世界。それを知る権利がこよみや透にはあって俺にはない。それが今でもささくれのように疎ましくて、こよみには少しだけ適当なことを言った。
「そういえば今日もそのバットなんだな。いつも使ってた長いバットはどうしたんだ?」
こよみの手にあるバットはいつもの鬼の金棒のようなそれとは全く違う、よくあるバットだった。一昨日も昨日もそれを使って練習していたが、フォーム改造と一緒にバットも変えることにしたのか?
軽い気持ちで俺は訊いたつもりだったが、その言葉が届いたであろう瞬間、こよみの表情から色が消えるのが分かった。
「……………あのバットは、無くなってしまいました。小学校から使い続けた思い出のバットでしたが、いい加減に私に変わることを覚えろという神様の思し召しなんだと思うことにしました。新しい相棒を選んで、私も変わります」
それをこよみが許容出来たようにはとても見えないけどな。
それにしても人の道具を隠すことまでやるとは、本当に女子ソフトボール部は敗北者の群れに成り下がったみたいだな。部外者だけどイライラしてくるぞ。
苛立ちが口を突きそうだったので唇を噛んで喉元までせり上がってきた言葉を飲み下す。
こよみが大きく左足を踏み込む。風を切る弱弱しい音は本来のこよみのモノとは程遠い、スイングの力のなさを如実に表していた。
「今のスイング、どうでした?」
今のこよみは憔悴しきった表情を、とてもよく出来た儚い笑顔で取り繕っているのが分かった。
こよみの一振りは、振り切ったつもりなのだろうが、何かを引き摺るような重く鈍いスイングだった。




