持てる者と持てない者
前回のあらすじ:試合には負けるし秋人にはからかわれるし散々でした
俺たちが【常葉スパイダース】に敗れた翌日、橘南高校のソフトボール部はついに部創設以来初となる4回戦を突破したらしい。しかし、やはりこよみのバットは湿気ったままだったらしい。
週半ばの昼下がりの教室からグラウンドを見下ろしてみると、こよみは一昨日、昨日に引き続き今日もみんなが昼ご飯を食べている時間に1人でバットを振っていた。今のこよみの荒れ方は俺程度が見ても分かるほどにスイングが崩れ、荒れていた。
「俺も秋人も調子は悪いけど、こよみに至っては更に酷くなったな……」
「楓にも分かる?」
「流石にあそこまで手だけでスイングしてたら俺にも分かるよ」
どう傍目に見ても肩や腰、下半身全体の動作がかみ合っていないのは明らかだった。
「とりあえず、楓が成果を挙げられていないみたいなので、改めてボクの力でこよみちゃんを立て直してみようとおもいます!」
「どうやってだよ……」
月、火と2日連続で舞との練習を固辞してこよみと部活後にティーバッティングをしてみたりしたが、今のこよみはティーでさえスイングが緩慢に感じるほどの不調っぷりを見せていた。
「ボクは外堀を埋めるような粘り強いやり方は苦手なんだ!」
「うん、知ってるよ」
「俺も知ってる」
俺と秋人が揃って答えるくらいには正直今更だろ? 最初にこよみを励ますために1年の教室に特攻した時点で分かってたよそんなこと。とはいえ、俺のアプローチが功を奏していないことは俺の目から見ても明らかだった。もうこうなったら舞の正面突破がカンフル剤になることを期待しよう。
「楓も付き合ってね。ボクだけじゃ出来ないことだから」
「言われなくても付いて行くよ。お前1人にしておいたら何をしでかすか心配だからな」
「またそうやってボクのこと馬鹿にしてぇ……」
別に馬鹿にしたつもりはないんだけどな。ただ舞とこよみを2人にしておいたらまた舞の方から頭撫でるとか勝負挑むとかの奇行でこよみに迷惑を掛ける恐れがあるからな。俺が付いて行かないわけにはいかないだろ。
☆☆
今日のソフトボールはミーティングだけだとピロは言っていたが、やはりこよみは1人でグラウンドに立ち、素振りを繰り返していた。やはりスイングが鈍い。素振りのし過ぎで腰や背中でも痛めたかのように全身の力が嚙み合わない。これでは今の俺のボールでさえ打てないかもしれないほどに、こよみのスイングは崩れていた。
俺たちを見つけつつも、しばらく言葉もなくこよみはそっぽを向いて素振りを続けていたが、舞の方から重苦しい沈黙を割って口を開いた。
「ソフト部の子に聞いたけど、向こうでもバッティング崩れてるんだってね」
「今に始まったことじゃないです」
そんなことは言われなくても知ってる。俺も舞もまさか気付いてないわけねえじゃねえか。チームメイトのことだぞ?
「大丈夫? 練習なら付き合うし、何か困ってることがあるならボクが相談に乗るよ?」
「舞先輩はいい人ですね——私は大丈夫です。打撃が不調なのも歯車が狂っているだけで修正中なんで、その内戻ります」
「その内っていつ? 一人じゃ解決出来ないことでもボクたちが協力すればその内なんて言わず今からでも解決出来るかもしれないよ?」
「……えっと、その……」
おそらくはこよみが感じているのは焦りだろう。口はモゴモゴと小さく動いているが、言葉は俺にも舞にも届かない。
「……よし、こよみちゃん、勝負しよう。1打席勝負!」
まさか俺が昼間に思った不安が的中するとはな。舞に付き合い過ぎて舞の思考を先回り出来るようになってしまったのは良いことなのか……?
「なあ舞、そこはティーバッティングやトスバッティングじゃなくて?」
「多分今のこよみちゃんのバッティングはティーバッティングでも自分のスイングが出来ないんでしょ? だったらもう勝負するしかないよね?」
「その理屈はおかしいだろ!?」
確かに素振りのレベルからおかしくなっている状況を鑑みれば、人と勝負するくらいの荒療治でもなければ刺激としては確かに薄いかもしれないけどさ!
「そうですね。トスやマシンと人の投げるボールでは全然感覚は違います。でもいいんですか? せっかくのお2人の練習時間なのに」
「こよみちゃんが調子を取り戻すことの方が大事だから、その為だったら幾らでも投げるよ!」
「そうだな、だけど本当に幾らでもは投げさせないからな?」
「むぅ……」
「そんな表情しても駄目な物は駄目だ」
舞の言う「幾らでも」は文字通りの幾らでもだ。下手したら日が落ち切っても投げている可能性すらあるから先手を打っておいた。予想通り舞は少しだけむくれ面でこっちを見ていたが、悪いのは平気で球数無制限のオーバーユースを敢行しようとした舞だからな?
「全部ノーサインで行くからよろしくね」
そう言って舞は笑うが、笑ったところで無制限には投げさせないからな?
☆☆
久しぶりのこよみとの勝負に、見るからに舞はノッている。表情も何か企んでいるようにニコニコとしており自信に満ちていた。対するこよみは暗澹たる有様だ。覇気はないし構えにも力が窺えない。意図的に抜いているわけではなく勝負に集中しきれていないような感じだ。
「行くよ、こよみちゃん!」
舞が大きく振りかぶる。結局今日も制服なんだな。上着のブレザーは脱いでるけど俺の言ったことは今日も無視されている。振り上げた脚がスカートを捲り上げると、肉付きの良い太ももが露わになる。結局今日もスカートの下に短パンとか履いてないんだな! あのバカ娘!
そんな俺の思いなど知らずに舞は投げ込んでくる。初球をリリースした瞬間、振り出そうとしていたこよみのバットがピタリと止まる。俺も速球を待って鋭敏になっていた速度感覚の中で世界が静止したように思える遅球だった。
「遅っ……!」
こよみはバットさえ止まったが残した重心からスイングが再始動出来ないような中途半端な形で見送っていた。舞のスローカーブは見るからに余裕でストライクゾーンの内を射抜いていた。
「入ってるよな?」
「ええ、むしろ少し甘いくらいですね」
そうは言いつつも見逃し方に余裕がない気がするのは俺の気のせいか? いや、実際余裕がないんだろう。
2球目を投げようと舞が振りかぶり、足を振り上げる。出来れば俺にとって目の毒なので着替えてきてくれないかな……。
一瞬注意が散り掛けた俺を諫めるかのように、舞の投じた2球目は俺のミットから逃げるようにこよみから見て外側へ、ほぼストレートの速さで逃げて行った。
「っ……!?」
咄嗟に左腕を体全身で伸ばしてキャッチャーミットの捕球面で止められたが、掴み取ることまでは出来なかった。シュートっぽいが若干沈んだ。今のボールは……?
「ごめん楓、新しく覚えたツーシームだったけどちょっと抜けた!」
やっぱりツーシームだったか。
「なあ舞、お前いつの間にこんなものを……?」
「ボクも楓がリードしやすいようにちょっとだけ勉強したんだよ! 秋人くんがいい資料をくれたからね!」
秋人が何を渡したか知らないが、舞の投げたツーシームは速度、変化幅共に既に完成と言っていいボールに仕上がっていた。後は制球力だけだろう。
……砂漠の砂が水を吸い込むような吸収力だな。1つを為せば1つが崩れかけるを繰り返していた俺の投手人生とは全く別物だ。
「せめて新球種があることは先に言っておいてくれよ……」
舞の親父さんがいるちょいワルドラゴンズと対戦した時も1球だけ投げたツーシームファストボールだったが、あの時とは違って意図的に投げたのか。ぶっつけで捕らされる身にもなって欲しいぜ。
「ごめんごめん、次からは先に言ってから投げるから」
むしろまだ新しい変化球を手にする気なのかよ。というか絶対俺の言った投球禁止守ってねえよな、このバカ娘は! これだけの完成度にするために何十球、何百球投げたか分からないが、絶対休んでないだろ!
「今のツーシームでしたね。この間の奴はまぐれじゃなかったんですね」
「秋人に資料貰って投げ方研究したんだとさ。確かに俺も打たせて球数を減らすボールは欲しいと思ってたけどさ」
特殊材質のよく飛ぶバットとはいえ、ボール一個分芯を外してバットの下面に当てさせるだけで捕球はかなり容易になる――というかまともに芯食って飛ばされたら真正面ですら捌くのが怖いぐらいの打球速度が出る以上、舞の考えは多分間違ってないと俺も思う。
「実際バンバン三振狙いに行けばそれだけ球数も嵩みますからね。良い考えだと私は思いますよ」
「舞1人しかピッチャーいないからな、このチーム」
「楓先輩が早く肩を治してあげればいいんですけどね」
「それを言うな、悲しくなる」
「ほんと、悲しくなりますね……」
柄にもなくこよみが同情するようなしんみりとした言い方をしてくる。どうせおちょくられると思っていたのに、こんな反応だと調子が狂うな。
3球目は混じりっけなしの、伸びのある真っ直ぐだった。綺麗なバックスピンの掛かったストレートがインコース、臍の高さを穿った。引っ張りに強いプルヒッターのこよみにとってはむしろ好機だったはずだ。
「厳しいところ来ますね……。手が出ませんでした」
そうは言うが、いつものこよみならフルスイングでぶっ叩いて遥か彼方までかっ飛ばしていただろう。妙に弱腰な見送りはこよみの不調を如実に示していた。
1ボール2ストライク。ここまで不調で打撃が崩れたバッターには遊び球の1球すら勿体ない。舞の決め球はおそらくツーシームだろう。根拠はないけど何発もぶつけられた体がそんな気がすると言っている。おそらくは右打者の外へ逃げる軌道で振らせる気か。
こよみの足が地面を擦る。頭の位置を変えずコマのように腰を回転させ、それに付随するようにバットのヘッドが回る。綺麗に回っているつもりだろうが、いつものこよみの豪快なヘッドスピードとは比較にならない。頬を撫でるようなそよ風を起こしたバットは逃げていく舞のツーシームを捉えることなく空を掻いた。
「ボクの勝ちだね。本格的に調子が崩れてるみたいだけど、本当に大丈夫なの?」
マウンドから降りてきた舞が心配そうに言うがそれももっともだ。最後のツーシームはおそらく105キロくらいだったが、元来その程度の球速に振り遅れるこよみではない。スローカーブを警戒したこともあったのかもしれないが勝負勘も集中力も冴えている状態ならおそらく当てることくらいは出来たはずだ。
そして何より、体重移動が完全におかしくなっていた。
「やっぱりスイングがおかしいな。変にコンパクトを意識しすぎてヘッドのスピードが落ちてる。足もこの間勝負した時は摺り足じゃなくて一本足だっただろ?」
「一本足打法じゃ速球に対処できなかったので変えました。まだ不慣れで体重移動が上手く行ってないですけど、もう少し時間を貰えばしっかり合わせられると思います」
こよみは毅然とした表情でそんなことを言ってのけるが、俺も舞その言葉が一から十まで嘘だということを知っている。
「嘘はつかなくてもいいよ。楓とのでぇとでは前のフォームで150キロバンバン打ってたことも知ってるから」
なんでそんなにデートをねっとりと発音するのか分からなかったが、舞の言う通り、こよみの一本足打法はたとえノーモーションのマシンでさえ当たり負けはしない強いスイングをしていたはずだ。
つまりそれ自体が別の目的で始めた打撃改造の言い訳でしかないだろうということだ。狭い輪の中にいる学生部活動においての同調圧力は回避しにくい。ピロが語ったようにこよみも取り込まれているということだ。
「すいません。全然当てることも出来なかったです。やっぱり舞先輩は凄いですね」
「別に打てない球じゃないでしょ」
「いやいや、あの緩急はキツイっす」
「でも、いつものこよみちゃんなら打てるよね?」
明らかにおどけて見せたこよみに対して舞は嫌にぐいぐいと攻めていた。確かに俺も完璧に捉えられるかは別として甘い球を簡単に見逃したり、簡単に緩急に翻弄される素人のような打撃を本調子でもするとは思えない。
「……打てない、とは言わないです」
「そうだよね……。体格にも運動能力にも恵まれてるんだから、こよみちゃんなら楽な物でしょ?」
「舞先輩……?」
いつになく挑戦的な舞の言葉に、俺とこよみと、舞の間の空気が凍り付いたようだった。 もっとも当の舞もその言葉の固さを瞬時に自覚したらしい。明らかに表情が『あ、やっちゃった』と言わんばかりに青くなって赤くなってコロコロ変わる。
「ごめん、こよみちゃん。なんでもないから今の言葉は聞かなかったことにして……! こんなこと、言うつもりなかったのに……」
「舞……」
混じりっ気なしの本気のトーンで放たれた言葉だけに、俺には何となくだが舞の真意が読めてしまった。
舞のそれは苛立ちだ。自分よりも遥かに競技に対して有利なものを持っている相手が、それを十全に発揮出来ず燻っていることへの苛立ち。自分が相手であればもっと上手くやれるはずだという悔しさが同居したものだろう。俺が透や秋人を相手に思っていたものと似た自分の能力へのコンプレックスの裏返しだ。
「……ごめん楓、ボクは先に帰るね。ちょっと落ち着かないとダメみたい……」
そそくさとマウンドの土を均して、舞は足早に去って行った。
去り際の笑顔がいつもの能天気に見える舞の底のない笑顔と違って、勝てないことへの苛立ちや理想とのギャップによるプレッシャーなどが澱のように底にたまっているのが見えたようだ。取り残された俺には声をかけることすらできなかった。




