表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/101

VS常葉スパイダース 中

こよみの絶不調は相当深刻なようです。

 ヘッドスライディングすることも叶わずセカンドでアウトになった俺と一二塁間に頭から突っ伏した秋人に、舞は餌を目の前にお預けを何度も食らった子犬のような何とも言い難い悲しそうな顔をしていた。


「悪い舞、俺の作戦が悪かった」


 こよみとエンドランの相性の悪さはちょい悪Dドラゴンズとの試合でも発揮されていた。空振り以上に打ち上げる危険性も危惧して作戦を組むべきではあっただろう。


「ううん、楓のせいじゃない。誰のせいでもない。ボクだってここでこよみちゃんに送りバントはさせなかったと思う。こよみちゃんの一打もピッチャーの足元さえ撃ち抜けていればセンター前で1点取れた。全部ツキがなかっただけなんだから、切り替えるよ!」


 そう俺と、ベンチメンバーに告げながらも舞の表情には疲れが窺える。負け慣れているわけではないが、4回裏の先頭から始まる打順でチャンスを作りながら三重殺だ。

 下位打線はほぼバットにボールが当たれば運がいい方という初心者ラインナップである以上、次に機があるとすれば7回か? それまで果たして舞はこのスコアレスゲームを維持出来るか?


「大丈夫、ボクは負けない。みんなを勝たせるから!」


 舞は1人気炎を上げるが、もう見るからに心に体がついて行ってないのは明らかだった。口先だけ勇ましくても足取りは重く、既に肩を上下させて荒い息を整えようとしている。

 後半戦はこれからなのに、この間のおっさんたちとやり合った後のような疲れ方だ。責任の一端は俺にもあるのに、肉体的な責め苦は全て舞に向かう。チームの勝敗の重圧と重い肉体的疲労を抱えて彼女はまたマウンドに立つのだ。


「舞、きつかったらペース落として一球一球しっかり間を取っていけ」

「ペースは……。落とさないでこのまま行くよ。折角相手の投手も待球策で追い詰めてるんだから、ボクがペースを落としたら意味ないからね」

「……本当に大丈夫なのか?」

「ははっ、楓は過保護だって。透の奴だって一試合140球とか投げてるんでしょ? だったらボクだってそれくらいはへーきだって」

「そりゃアイツは男だし……。男の中でも際立って屈強だし……」


 男女差がある以上に、アイツは男の中でさえ飛び抜けている。俺もやっぱり100球過ぎると試合では思い通りのパフォーマンスが出来なくなってくるタイプだったしな。

 舞が女子の中で突出した投手だといっても、馬力も持久力も男子には勝てないのが現実だ。焼けるほどに熱い細い肩。叩けば折れてしまいそうな小さな背中でチームを引っ張って、いつ壊れてしまうか俺が心配になるのはおかしなことじゃないはずだ。


「ありがとう楓。……ほんの少しだけどキツイかも」


 舞はそう言うが傍目には『ほんの少し』どころか、ほとんど限界スレスレのところにいるように見えるけどな。とても余力があるようには見えない。


「ちょっとだけ楓分を補充していい?」


 それだけ言って舞はキャップを取り俺の胸に頭を預けて来た。いや、勢い的にはヘッドバットされたような感じだったけど、俺は何とかよろめかず彼女を受け止めることが出来た。慣れって怖いな。


「……楓にだけは言うけど、結構疲れた。今日も無援護で完封負けするんじゃないかって嫌な予感が胸の中にぶわーって噴き出してきて、すっごい嫌な感じがしてる」

「……やっぱり舞も感じるよな。ピッチャーだもんな」


 俺は今は投手ではないが、元ピッチャーだ。舞の気持ちは分かる。負けが込んでいるときほど身近に感じる敗北の臭いを俺も知っている。

 理屈で説明は出来ないが『打たれる気がする』『負ける気がする』という嫌な予感が付きまとい、幻視した敗北を引き寄せるようなあの感覚。逃げようとするほどに背中を掴んで来るあの魔物に、かつての俺と同じように舞も怯えていた。


「俺が絶対に点を挙げてやるよ。だから、気楽に投げろ」

「楓がそう言ってくれるなら、ボクは1点たりとも与えるわけにはいかないね」


 不安げに揺れていた舞の瞳の焦点は、今はもうマウンドだけを見据えていた。大したタフさだ。体力切れ掛けの5イニングす目、球数は間違いなく100球を超える。肉体の疲労を強い心でカバーしきれはしないが、それでも舞は止まる気を見せない。


「楓分を補充したから大丈夫。負ける気がしないよ!」


 『楓分』ってなんだよ

 そう言い残して舞は身を翻し、グラブを手にマウンドへ駆けていく。舞が止まらないなら俺もそれに付いて行こう。ベンチに歩き出した俺を、防具を持って嫌に暖かい笑顔を向ける秋人が待っていた。


☆☆


 おそらくあれは舞のマインドリセット方法だったんだろう。ノーアウト、或いはワンアウト2塁3塁なら1点、2点くらいは望める状況だったはずだが、現実はまさかの三重殺で攻守交替となっている。舞自身が打撃を不得手とした自援護が出来ない投手だけに、当てにしていた援護点がなかったことはそれなりにメンタルにキたらしい。

 何か言いたそうな秋人を無視して俺が防具を着ける間、マウンド上で大きく深呼吸をしているし、多少焦りがあるんだろう。負けが先行している場面でのスコアレスゲームのチャンスで無得点。野球はどこまで行っても人対人の勝負だ。こんな形でチャンスを逃せば、好い流れは相手に味方するだろう。だがそんな流れにも舞は真っすぐに立ち向かい続ける。


 5回表、相手の打順は1番からの好打順だ。球数はかなり嵩んでいるが、今日の舞の球威で迂闊な攻め方は出来ない。初球の外角ストレートでファーストストライクは取れたが、隅ギリギリばかり構える俺のリードはその後も立て続けに無情なほど舞に無駄なボール球を投げさせた。


「……悪い、舞」


 舞には聞こえていないだろうが小さく謝っておく。攻め方が組み立てられず、結局先行ストライクを取りながら、結局フルカウントまで縺れ込んだ。だがこの局面でどうすれば球数を減らせるかが浮かんでこない。


「楓、試合中!」


 フルカウントになってしまい自分の組み立て方の悪手をどうすべきか悩んで手が止まるが、マウンド上の舞はそんなことお構いなしだ。舞は俺を信用して投げてくれているが、俺自身がその自分を信用出来ていない……。どうしたらいいんだ……?

 とりあえず半信半疑のままスローカーブのサインを出し、舞は頷いた。投げ込まれたその一球はこれまでの90数球に劣らない美しい弧を描き俺のミットに落ちた。はやった打ち気を逆手に取られたバッターはつんのめって打席に膝から崩れていた。


「ストライク、バッターアウト!」

「っしゃあ!」


 主審のコールに呼応するかのように、マウンド上で小さなエースが吼える。俺とは違う空に吸い込まれるソプラノボイスが可愛らしく響いた。


 5回の表の【常葉スパイダース】の攻撃は舞の力投で何とか無失点に抑えたが、スローカーブの抜け球も増えているし、ストレートも100キロギリギリ程度まで球速が落ちてきている。流石に舞が幾ら頑張っても100球超えればこんなものか……!


「球数、多いね」

「悪いな舞。これは俺の力量不足だ」


 今日の舞のストレートの最速は110キロといったところだった。

 【常葉スパイダース】の面々はそこまで筋骨隆々と言った感じではないが、バットは軟式野球ボールに絶大な威力を発揮するビヨンドマックスを使いまわしているし、スイングスピードだって決して鈍くはない。迂闊に真ん中付近に集めれば軽々飛ばされるだろうことは見れば分かるのでとにかく低めを左右に散らしてみたが、結果としてボール球が嵩み、フォアボールが増え、更に球数が増えるループに陥っていた。


「5回終わって100球超えたかぁ……。楓の失策だね、これは」

「すまん」


 秋人の攻めるような口調が防具を脱いだ俺を襲ってくる。舞に謝った通り、俺にも自覚はあるが、どうしたらいいかまでは今の俺には分からなかった。


「謝るべきは僕じゃなくて舞ちゃんに、だけどね――舞ちゃんに負けさせたくないって意識が強すぎだって。慎重な攻めも行き過ぎたら単なる臆病だよ。ほとんどのバッター相手に3ボールまで投げさせて、そんなヘボリードするからフォアボールも増えるんだよ」

「……悪い秋人、お前の言う通りだ。状況が読めてないヘボリードだった」

「楓の気持ちは正直僕も分かるから本当はこんなこと言いたくないんだけどね」


 さっきの突き放すような口調とは一変して秋人の口調が優しくなる。まさかとは思うけど女の子落とすときにこんなことしてないだろうな、この2枚目は?


「舞ちゃんはここのところ負けが先行してて気分良く投げられてない。どうしても先取点のアドバンテージが取れるまでは失点しないことが最優先で慎重になるのは仕方ない。多分楓と組んでた時の僕にも同じことがあったから」


 確かに思い返せばそんなことあったな。当時の俺は舞よりもコントロールがイマイチで秋人が悪くしたカウントでフォアボール量産して自滅したっけ? いつからか秋人もそんなリードを使わなくなったけど。


「……読まれてるなぁ、お前には」

「そりゃキャッチャーやりだして2か月足らずの楓と小学校からキャッチャーやってる僕じゃ経験が違うからね。技術的にはどうであれ、気持ちはわかるよ」


 確かに秋人はいろんな草野球チームで助っ人などなどでいろんなポジションをやったって言ってたな。当然キャッチャーも相当やっていたということか。やっぱりお前が正捕手やれや。


「あの時は楓の後ろに控えの投手がいたけど、僕らには舞ちゃんしかいないからね。ちょっと釘刺しておこうと思ったんだ。あんまり酷使したら、楓みたいに舞ちゃんが壊れるよ?」


 秋人の言葉に背筋の毛が逆立った気がする。そんなことは絶対に許せない。そんなことを許してしまえば、俺は多分俺が許せなくなる。


「大丈夫、倒れても抑えて見せるから!」


 舞はそんなことあり得ないかのように笑うが、俺だって壊れる前はそんな調子だったんだ。実際おっさんたちとの試合で試合後に芝生に半ば倒れるように座り込んだ舞が言うと、もはやネタにもし辛い。


「……倒れたらまた俺が運ばなきゃいけないだろうが。程々で立ち止まってくれよ」

「楓は、ボクのこと運んでくれないの? あの時みたいに」


 ……うちのエースはやっぱり奇人だな。知ってたけど。

 もしもまた舞が力尽きてみんなの面前で舞をお姫様抱っこすることを考えると、顔面から火を噴けそうな気がしてきた。


「……もしもの時は頼むわ、秋人」

「「ヘタレェ!」」


 秋人からの返事は「可」でも「不可」でもなく単なる罵倒だった。つーか便乗してきたもみじはいつから秋人の背後にいたんだよ!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ