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第9話 放課後のデート(?)②

「いっけえ!」


 気合と共に、俺の目にはもはや白い残像にしか映らない速球をこよみのバットが捉えた。

 火の出るような強力な打球が、マシンを保護するネットを撓ませ、弾ける。こんなピッチャー返し頭にぶち当てられたらピッチャー死ぬぞ。冗談抜きで……。


「いやあ、やっぱりバッセンは最高ですね! 先輩の奢りだから尚更っス!」

「こよみが楽しそうで何よりだ」


 ゲージから出て来たこよみの表情は晴れやかだった。残っていたコイン全てを使い、果たしてどれだけの時間打っていたのだろうか。

 俺は途中で豆を潰して休憩していたが、その間もこよみはずっと高笑いしながらバットを振っていた。どんだけ打撃が好きなんだよ。


「それに、後半調子良かったじゃねえか。ちょっと安心したよ」

「楓先輩の奢りだからですかね!」

「なんだその理由」


 大口を開けて快活に笑うこよみが嘘を言っているようには見えないが、明らかに理由としておかしいだろ。

 明らかに変なスイングをしてソフト部のシートバッティングや草野球の試合でショボい内野ゴロを打ってゲッツーになっていた事が改善したことに対して、俺の奢りでマシンバッティング出来たからって……。


「……本当に、ここの支払い全部先輩に任せちゃってよかったんですか?」

「別に気にするなって。どうせ残ってた回数券も期限が来月末までだったことだしな」

「アキさんや舞先輩と一緒に来たりはしないんですか?」

「秋人は最近妙に忙しそうだし、俺も舞もバッティングがそんなに好きな訳じゃないからなあ……」


 その妙に忙しそうな秋人と何故か今日はソフト部のグラウンドで遭ったのだが、まあいいかそんなことは。おそらく新聞部の友人からの頼まれごとの事だろう。


「じゃあなんで回数券なんて買ったんですか……」

「だってコーチが回数券の方がお得だって言ってたから……」


 普段なら1000円で5ゲームのところを、2000円で15ゲーム出来るなら、そりゃあまとめ買いするだろ?

 今年の春前に、手元にあったお小遣い全部を回数券に注ぎ込んで、その日に何枚か使ったきりだけどな。結局その後そう時を置かずに俺は本格的に右肩を壊し、半年近くここに来なかったのだ。


「先輩、いつか貧乏性で大損するタイプですね」

「うっ…………」


 今年の苦い記憶にこよみの言葉が重なって、ボディブローのようにズンと響いた。

 ネット通販とかで割引率だけ見て大して安くも無いし必要でもないものを買って持て余したり、医者に掛かる時間やお金を厭って、肩の痛みを市販されているジクロフェナクの塗り薬だけで対応して無理やり投げ続けた末路がこれだ。


「まあでも、今回はありがたく使わせていただきます。ありがとうございました」

「それでこよみが調子を取り戻せるなら、回数券になった諭吉さんも本望だろうさ……」

「いや、どんだけ買ったんですか……」


 こよみが呆れたような表情を隠さずこちらを見て来るが、なんかその場の流れでお年玉の残り全部はたいて買っちゃったからね……。その反応も郁子なるかなだ。


「仕方ない。バッセンにお金を使い過ぎて無一文の先輩のために、私がジュースを奢ってあげましょう!」

「いや、今は現金の持ち合わせもあるから大丈夫だぞ。回数券を買ったのもう半年くらい前の話だし。つーかもう飲むもの買っちゃったし……」


 財布を持ちだして奢る気満々のこよみには悪いが、こよみが打っているのを見守っている間にもうスポーツドリンク飲み始めている。


「お、良い物持ってますね。一口貰います」


 言うが早いか、こよみが俺の制服のポケットに入っていたスポーツドリンクをさっと抜き出し、キャップを開けてグイっと呷った。

 一歩近付かれた瞬間、俺が至近距離のこよみを見上げた一瞬の動作を、彼女には完璧に盗み取られていた。


「飲んでいいか訊く事すらしないのかよ⁉ というか財布まで持ち出したなら自分の分は自分で買えよ!」

「先輩が隙だらけなのが悪いんですよ」


 そう言って口の端をニッと吊り上げてこよみが笑うが、その笑みも男前だ。多分俺が女の子だったら、心を奪われてしまっただろう。


「…………つーか、それ飲みかけ」

「ん? 何か問題ですか?」


 ボソッと言ったつもりだったが、こよみの耳は俺の呟きを逃しはしなかったようだ。

 ただ、何が問題とこよみはあっけらかんとして言うが、気にしちゃうだろ。


「その……。間接的なちゅーとか……」


 こよみの屈強な身体に対して『ただゴリじゃない』なんて言ったりしたこともあったが、実際こよみが年下の女の子であるという事を覚えてはいる。そんな彼女と間接キスをしてしまうのは、あまりよろしい事ではないだろう。少なくともこよみにとっては。

 一応俺はこよみに配慮したつもりだったが、こよみは俺の心配などどこ吹く風でペットボトルの蓋を締めていた。顔色も全く変わらないし、こよみは俺の事を何だと思っているんだろうか?


「ご馳走様でした。返しますね」


 そう言ってこよみがふわっと下手投げでペットボトルを放って来た。左手で掴み取ると中で水の跳ねる音と感触が伝わってきた。こよみの奴、全部飲まなかったのかよ。

 掌の上でちゃぷちゃぷと音を立てるボトルを目の前にして、どうしたらいいのか考えてしまう。こよみは表情1つ変えず俺が口を着けたボトルから飲んでいたが、そうしてこよみが口を着けたボトルを俺は飲めるのか?


「…………残りもあげるよ」


 ——少なくとも、俺にはこよみのように何も気にせず異性と間接キスをするなんて事は無理だ。白旗を掲げ、捧げものとして残りのスポーツドリンクをこよみに渡す。


「そうですか。先輩がくれるというなら、ありがたくいただきますね」


 そう言ってこよみが俺の手から半ば引っ手繰るようにスポーツドリンクを受け取り、グビグビと喉を鳴らして一息に飲み干した。そんなに喉が渇いているなら最初から自分で買えば良かったし、別に一度返さなくても良かったのに。

 結局、その日のデートは現地解散で帰路に着いたが、結局、何がこよみの復調の足枷になっているかは聞けずじまいだったことに俺が気付いたのは翌朝目が覚めた時だった。


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