第8話 放課後のデート(?)①
夕暮れが深まると、気温は一層下がってきた。風がかなり冷たいし、日中はともかくナイターは無理だな。これで週末ソフト部は試合というのだからしんどいだろうな。
あの後、舞は果たして寄り道せずに帰っただろうか? まさか河川敷でまた投げたりしていないだろうか? もしも今日投げるようなら、少しお仕置きが要るかもしれないな。
「あいつは本当に無茶するからなあ……」
それでも試合の翌日から即投球再開しないあたりは進歩か。多少は俺の伝えたかったことが伝わっているだけでも僥倖だと思うことにした。スカートで投球練習は止めて欲しいとか、他に伝わって欲しいことはまだまだあるが。
夕暮れの雲を眺めながらどれくらい経ったか。校門に背を預ける俺の顔に、長い影がかかった。長く、太い影はその人物の逞しさを測るには十分だった。
「楓先輩、一緒に帰りませんか?」
ああ。もちろんそのつもりだ。その為にここでこよみを待っていたのだから。
尋ねてきたこよみに俺も「おう」と返し彼女の隣に立った。
「もしかして私のために態々放課後の練習も見て、練習が終わるまで待っててくださったんですか?」
確かにこよみの言う通りなのだが、いつの間に俺がグラウンドでこよみの練習を見ていたことを、こよみは見ていたのだろうか? 少なくとも目が合ったような瞬間はなかったと思うんだけどなあ。
「ああ、まあそんなところ。ちょっとこよみには聞きたいこともあったしな」
「調子が上向かないこと、ですよね」
察しが早すぎる。もう他に俺から話すことなくなったじゃねえか!
「……まあそんなところ」
「そうですか。まあそうですよね……。ねえ楓先輩、折角だし寄り道していきませんか? 私いい店を知ってるんで」
そう言いながらこよみが俺の手を握ってきた。
左手をギュッと握られた瞬間、こよみから殺気を感じたが大丈夫なんだろうか?
「じゃあ制服デートと行きましょうか」
「デッ? デート⁉」
びっくりして思わず訊き返してしまった。そもそもこよみの様な屈強な女傑からそんな単語が出て来る事自体が、俺にとっては驚きだった。
いや、でも舞が突撃していった時「包容力のある年上がタイプ」とか言っていた気がするし、案外こよみも普通の女の子みたいなところがあるのか?
「あれ? デートなんて初めてなわけでもないでしょうに、随分と初々しい反応しますね? 舞先輩とは遊びに行ったりしないんですか?」
「そりゃあ偶に休みや放課後に一緒に遊びに行ったりはするけどさ、なんか違うだろ?」
「それがデートじゃなかったら一体何なんですかね……?」
一体何って言われても、遊びに行くことにそんな特別な用語を当て嵌めて考えたことがないだけだし……。
「……そうか、アレはデートだったのか」
「むしろ楓先輩がどんな認識して、どんな顔して舞先輩の隣を歩いていたのかが気になってきました……」
「どんな顔って言われても……」
意識していなかったのだから、おそらく普段と何も変わらない顔だっただろう。
寧ろどんな顔をしていたら良いのか訊きたいけど、尋ねたらこよみに大爆笑されそうな気がしたのでやめておいた。
「……今初めて舞先輩に同情しました」
そして俺の対応が悪かったのか、舞が同情されてしまった。女の子って難しいな。今の話し相手はゴリラに片足突っ込んでいるけど。
「別にあいつはそんな言い回しの差なんて全く気にも留めていないだろうけどな……。多分俺が何を想っていても、何をしても、いつもみたいに笑ってるだけだと思うし」
あの天真爛な漫野球少女に『男女交際』とか『デート』とか、似合わないにも限度があるだろう。舞の俺を振り回す姿を思い出しても、やっぱり彼女には似合わないと思う。
「楓先輩はもう少し女の子について勉強した方がいいですよ。舞先輩がボーイッシュだからと言って、男の子じゃないんですよ? 女の子は生まれながらにして女の子なんですから」
「そりゃあ舞が女の子なのは分かってるよ。分かってるけどさあ……」
「いいや、楓先輩には女の子に対する理解が足りていませんね。そうやって分かったフリをしているからいつまで経っても楓先輩は進歩がないのです!」
なんで俺は打撃不振の後輩を励まし、復調させるために働きかけに来ただけで、打撃不振の張本人から進歩が無いと駄目だしされているんだろうか? それは快方の見えないこよみ自身に言うべきことなんじゃないだろうか? いや、根本的に別の話なんだけどさ。
それにしても「女の子について勉強した方がいい」か。なんか前にも誰かにそんなこと言われたような気がするな。よく覚えてないけど。
「……やっぱり俺にはよく分からないよ」
「知ってます」
そうピシャリと言われてしまい、それ以上俺は何も言えなかった。
ただ不機嫌そうに俺の手を引き、半ば引き摺るように歩き出したこよみに、リードを付けられた犬のように付いて行くしかなかった。
☆★
少し歩幅の広いこよみを半ば追い掛けるように見慣れた道を歩いて行くと、辿り着いたのは俺も良く知った場所だった。寧ろ、こよみより良く知っているんじゃないだろうかというくらい見知った場所だ。決して喫茶店とかではない。椛の家のバッティングセンターだった。
「……まあこよみだしな」
「楓先輩、口から感想が出てますよ。それに先輩だって知ってるところの方がいいじゃないですか」
だからと言ってバッティングセンターはどうかと思うけどな。それでもこよみに連れられて行くなら、カフェとかに行くよりはこっちの方が似合いか。
「てっきり紅茶でも飲むのかと思ったけどな。この寄り道は予想外だった」
「意表を突けたようで何よりです」
満足そうにこよみは言うが、こんなところで真面目な話なんて出来るのかと不安になってきた。どこで話をしようが校門でのやり取りのように、こよみに振り回されたら一緒だろうけどさ。
ドアを開くとカウンターから入口を見ていた青木コーチと目が合った。何故コーチは妙に得心のいった顔でこっちを見ているのだろうか……?
「そうか、楓がついにソッチ方面に走ったってうちの母さんと椛には伝えておいてやるよ。大丈夫、うちの女どものおかげで俺も耐性が付いてるから……」
「コーチ、恰好を見てください。こんなでも一応戸籍上女性らしいんで」
俺がこよみのスカートを指して説明するが、青木コーチは「分かってるよ。冗談だって」と言ってニヤニヤしていた。
秋人といいなんで俺の周囲の奴は分かりにくくて笑えないジョークを飛ばすのが大好きなんだろうか? 椛はジョークじゃないので別ベクトルでタチが悪いが。
そしてそんな人たちに振り回されたせいで、俺もソッチ方面=男に走ったと取れてしまうのが悔しいところだ。6年もナマモノのネタにされれば仕方ないか……。
「しかし嬉しいもんだな。昔の教え子がこうして来てくれると、本当にバッセンやっててよかったと思うぜ」
「コーチ毎回それ言ってるよな」
「それくらいずっと野球をし続ける人口は多くないってことだ。草野球チームは多いのにな」
哀愁を漂わせるコーチに対して、こよみの方から「まあまあ」と話しかける。
随分と気安い感じだし、挨拶、世間話をするような間柄のようだ。
「青木コーチこんにちは。今日も良い光り具合っすね!」
「おうよ、とくと見よこの禿頭——って誰がハゲやねん!」
「あはは……。は……」
どうしよう、ハゲネタの自虐ギャグは突っ込むに突っ込めない。
何故人は年を取ると笑えないネタを敢えて笑いにしようと頑張ってしまうのか。背中にヒヤリと冷たい汗が流れる。
「コーチの頭なんてずっとそんな感じじゃないっスか」
「一応あの頃はバーコードは嫌だと剃っていたが、今は産毛すら生えなくなったぞ」
「いいじゃないっスか、如何にも輝く男って感じで」
男性の毛根の自虐ネタをぶっこまれても、こよみが平気で対処出来てしまうのは性別の差だろうか? 俺は親父の頭の事情なんて知らないが、自分にもいつか訪れる可能性があるだけに、迂闊な事は言えない。
そんな何も言えない俺は黙って1000円札を一枚、専用のコインに替える作業に勤しむことにした。
☆☆
「ほら、さっさと打って来い」
「じゃあちょっと楓先輩の厚意に甘えて打ってきますね」
そう言って払い出された1000円分のメダルから数枚を握りしめ、自前の長い金属バットをケースから抜き出したこよみは意気揚々と150キロのゲージに入っていった。
俺の捉えられる最速が140キロなんだけどなあ……。
ゲージに眼をやれば、150キロという俺からは白い軌跡にしか見えない白球を、こよみのバットはしっかり捉えているようだ。ピッチングマシンを守る防球ネットが、白球を打ち込まれ撓むのが分かった。打球の速さもあるようだ。
「なんだ、割と普通に打てるじゃねえか。どうして試合で打てないんだ?」
なんか拍子抜けした俺を諫めるように、青木コーチが「いやいや」と被せて先の発言を否定して来る。
どうやらさっきの挨拶といいこよみとコーチはお互いに知り合いみたいだな。
「それでも、本調子ではなさそうだけどな。なんせあの子が本調子なら150キロをネット最奥までかっ飛ばすからな。」
「マジかよ……」
少なくとも青木コーチは野球に於いて嘘を吐く様な人ではない。それは事実なのだろう。
現に不調な今でもこよみは150キロの真っ直ぐを捉える目と、弾き返すスイングを持っているのだ。これで不調なんだから、一体俺とはどれほどの実力の開きがあるんだろうか。
……どうしたらそうなれるんだろうな。俺には近付く筋道すら見えない。
「楓先輩、お待たせしました。先輩も打ってきてくださいよ」
そう言いながらこよみは少しおでこに汗を浮かばせながらも晴れやかな顔でケージから出てきた。満足そうな表情を見るに、本当にバッティングが好きなんだな。
「いきなり私のことジロジロ見てどうしたんですか? もしかして」
「いつも見てて思うけど、長いバットだな。振り難くないか?」
「あーそういうことですか。いーですよ、どーせそんなことだろーと思いましたー」
俺の質問に対して謎の棒読みと膨れ面でこよみが応えてくるが、俺何かした? 別に今回ゴリラとか言ってないよな?
「これは当時の市販品で一番長いモデルでした。手にしたときはこんなもの振れる訳がないと思いましたけど、案外慣れるものですね。今ではこんな棍棒のようなバットが一番体に合う気がします」
こよみはそう言うが、俺が持ったとして正直そんな日が来ることが想像つかないな。
「楓先輩も振ってみてくださいよ」
そうこよみが言いつつグリップを差し出してくる。擦り減ったグリップテープが良く振られていることを示しているあたり、こよみの奴はどれだけこんなバットを振り込んでいるのだろうか。
握ってみると外見と違わない、ずっしりとした感触が左手を襲った。90センチを超える長尺バット。その長さとバランスは単なるグラム数や長さの差異以上に振った時の印象を変える。振り切れるだけのスイングスピードがあれば、相当な長打力を生み出すだろう。
「じゃあ120キロで試してみるよ」
「そこは150キロで行きましょうよ!」
「打てるか! 俺は自前のバットでも140キロまでしか打てないんだよ!」
「貧弱ですね。女の子以下ですか?」
こよみがそう煽って来るが、もしも俺の目の前にいるメスゴリラを女の子と呼ぶのなら、俺の貧弱さは女の子以下であることは否定出来ないだろう。
結局、こよみのヤジを退けて120キロのゲージで試し打ちをしてみたが、こよみとの力量差を実感するだけだった。
「扱い辛過ぎるだろ、これ……」
マシンの投球間隔のさなか、思わず苛立ちが口を突く。
重く、長くこよみのバットを俺は十分に扱う事が出来ていないのは明らかだった。いつも使っているミドルバランスのバットのスイングと比べても、ヘッドの速度が明らかに鈍いのが体感で分かった。
「楓先輩、腰です。腰で打つんです!」
こよみがゲージの外から茶化すように笑ってアドバイスをくれるが、なんで不調のこよみに俺がアドバイスをされているんだろうか? 目的に対して行動が逆行していないか? こよみが楽しそうだから文句は言うまいが……。
「ンッ!」
こよみのアドバイス通り普段より下半身の体重移動や腰の捻転を意識してバットを振るが、それでも豪放に振り抜くこよみのようなヘッドスピードには程遠い。
幾ら力を込めても打球は綺麗に飛ばない。打席の目と鼻の先で跳ね、転々とするだけ。もしも守備が居れば最近のこよみのような内野ゴロだっただろう。
「ヘイヘイヘーイ! ボールしっかり見て振って行けー!」
「もっと腕をしっかり畳まないと内角打てないぞ!」
ゲージの外からこよみと青木コーチが揃って声援をくれるが、青木コーチは仕事良いのか? いや、他に客が来てないから良いのか……。
結局、俺の45本のスイングの内、快音は1本として生まれなかった。




