第5話 年上の色香とか包容力とか③
一体どれくらいそうしていたか俺にはよく分からなかったが、舞がこよみの頭を撫でる手を止めたので、俺もそれに倣って手を止めた。
わしゃわしゃと犬の様に撫でられ、こよみの髪はぼっさぼさに荒れていた。どうしよう。教室に戻らないとヘアブラシとか無いぞ。
「どう? 元気になった?」
「ええ、お気遣いありがとうございます……」
舞の問にそう答えるこよみが、半ば舞の押しの強さに呆れているんだろうなとは思う。同行してきた俺が驚いたほどだ。
やっぱりこういうのもマウンドから持ってきた強心臓由来なのかな。
「やったね楓、ボクの言った通りでしょ? こよみちゃんは年上に弱いって!」
果たしてそれについてはどうだったのか答えかねる。俺の視点では、舞の強引な押し付けにこよみが折れたような感じに見えて仕方なかった。
「まあそうですね。恋人にするにしても年上の方がいいです」
こよみからそんなことを今言われても、俺には何も返すことが出来なかった。これ下手な返しをしたらセクハラ事案だよね?
「ちなみにこよみちゃんはなんで年上がいいの? 好きなタイプとかあるの?」
「その……。えっと……。私みたいなのでも、甘えさせてくれそうじゃないですか。……まあ、私にそんな人がいればの話ですけどね!」
「大丈夫だって、こよみちゃんはモデルさんみたいに背が高くてカッコいいんだから、男の子たちだって放っておかないよ。ね、楓!」
そこで俺に振って来るってどんなキラーパスだよ、舞! 年上の男を腕力で捻じ伏せられそうなほど上腕が盛り上がった女の子なんて男たちは普通遠巻きに見ているよ!
ただ現にこよみのクラスメイトの男子が少し安心したような顔をしていて、それには俺も若干腹が立ったけどさ。
「お、おう。そうだな……」
「楓先輩、口では同意しながら目が遠くに行ってるのは分かってますよ」
俺なりには表情に出ないよう隠したつもりだったが、どうやら簡単に察しがつくくらいには思っていたことが顔に出ていたらしい。
「分かってるんでいいですよ。自分があんまり女の子らしくないってことくらい」
「そんなことないよ! むしろ『このたゆんたゆん』が女の子じゃなかったらなんなのさ!」
そう叫びながら舞が飛びついたのは、こよみの胸にぶら下がった、その辺が平原な舞にはない二房の小山だった。えっと、セクハラって女の子が女の子にしても適用されるよね……?
こよみに対しても、俺に対しても、周囲対しても、攻撃力満点の絵面を晒して、こよみはこの後この空間でまともに授業が受けられるのか、俺の方が心配になってきたぞ。
「ちょっ! 舞先輩止めてください。ここ教室ですよ! 楓先輩も窓の外なんか見てないで舞先輩を止めてください!」
「ごめんこよみ、俺には無理だ。とてもその状況に突っ込んでいく勇気はない……」
第一舞を止めるといって俺に何をさせる気だ? とてもじゃないが2人の間に入るのは、最悪揉みくちゃにされる覚悟が必要だ。生憎そんな覚悟は完了しそうにないので動きたくはない。教室の窓から空を見上げ、ほうっと大きく息を吐く。
ああ、暑すぎず良く晴れていて、今日は本当に野球日和だなあ……。
「舞先輩に無いものだっていうのは分かりますけど、そろそろ離れてくれないなら力ずくで引き剥がしますよ?」
「はあい……」
そこまで言われて渋々と言った感じで舞がこよみの胸を揉んでいた手を離した。
平素から明るく振る舞っている舞にもコンプレックスはあるんだな。男子には決して勝てない身長と馬力の事は前から知っていたが、ぺったんこのことなんて気にしていると思っていなかった。
「舞先輩もそう言う外見のコンプレックスとかあったんですね。野球の事以外頭から抜け落ちてるのかと思っていました」
「こよみちゃん、流石にそれは酷くない……?」
こよみの言葉に舞が抗議するが、一緒にいる時間の長い俺ですらそう思っていたのだから、こよみの感想も郁子なるかな。実際、こよみがそう感じるであろうくらいには舞の顔の作りは整っている。
勝気な光を湛えたくりくりとした大きな眼に、桃色のぷにぷにほっぺ、少し色素の薄い鳶色の髪、小さく細くもよく鍛え上げられ均整の取れた身体。見ようによっては二次性徴前の少年にも見えるが、俺だって文句なしに可愛いと思う。
「まあとにかく、私に可愛げが足りていないのは事実です。世の男性が望むような小さく可愛らしいという女性像からは隔絶してると言ってもいいでしょう」
「こよみちゃんそれ言ってて悲しくならない?」
「……もういいんです、割り切りましたから」
傷ついたような表情の舞と、何か理不尽を呑み込もうとするような苦い表情のこよみ。両者を等分に見ている俺は微妙な表情にならざるをえなかった。
こよみの表情、とても割り切れたようには思えないんだけどなあ……。
「正直この筋肉も疎ましいことが多いですけど、こんなバットを振りたいと思ったのも私ですし、バッターとして一番になりたいのも私ですから。……まあ夢のためです。女の子らしさが犠牲になるのは仕方ないです」
机に立てかけられた長さ90センチを超える物干し竿バットのグリップエンドを撫でながらこよみはそう零す。
彼女の太い上腕が嫌でも目を引いてきて、俺としては自分の貧弱さが辛かった。
「その点舞先輩はチョー可愛いですよね。何ですかこのピンクのぷにぷにほっぺは? 本当に天然モノなんですか? 毎日きゅうりパックでもしてるんですか?」
ちなみにこよみの言うそのきゅうりパック、今ではシミの原因になるからやめた方がいいと巷で言われる程度には情報が古い。思いがけずこよみの残念な女子力が見えてしまうのが悲しいところだ。
「ボクは特に何もしてないよ?」
「ほんと小さくて、可愛くて、ほっぺがぷにぷにで、なのに女の子離れした力があって……。どうしたらこんな奇跡的な容姿になるんでしょうね」
こよみが相変わらず浮かない表情で舞を抱き寄せ、その頬をそっと挟むように触れた。舞とこよみは女の子同士のはずなのに、こよみがイケメンなこともあって、絵になってしまう。
ハブられた俺はまた空を見上げるだけ——ああ、今日は本当に野球日和だ。
「ボクはこよみちゃんが羨ましいけどね……。体格なんて、ピッチャーにとって——いや、スポーツをする人間にとって最高の宝なんだからさ」
一瞬窓の外に意識を完全に持って行かれそうだったが、舞の言葉が横っ面を張るように現実に引き戻してきた。きっとこよみも知っているだろう。俺だって知っているし、舞なんて俺以上に実感しているだろう。
舞の無邪気とは言えない口元だけで作った笑みは、きっと今俺の顔にも張り付いているのだろう。
「そうだな。それだけのガタイを持ってない奴には到達しえないところにだって行ける可能性を持った宝なんだから、大事にしろよ。……俺や舞には無いものなんだから」
思いがけず声が震えてしまった。自分は自分でしかない以上、持っている武器で勝負せざるを得ないことを知っていても、それでも持たざる故の餓えは消えない。
「そうでしたね……。舞先輩には失礼でしたね」
なんでそこで舞限定なんだよ。俺にもそれなりに思うところはあったのだが、スルーされてしまった。まあそれでも良——
「それに楓先輩なんてその辺の女の子より貧弱じゃないですか」
——全く良くなかった。
「お前何なの⁉ 慰めて欲しいの⁉ 俺に嫌味を言いたいの⁉ それに馬力に関してはお前や舞が規格外なだけだからな? 身長だって女子の平均よりはあるからな?」
「女の子の平均よりはありますね。平均よりは、ですが」
「それだけじゃ駄目なの? そんなに人のこといじめて楽しい?」
「はっはっは! かなり楽しいッス!」
そう言いながら今までにないくらい屈託なくニッコリ笑って見せるあたり、本当に俺のことをいじめて楽しんでいるようだ。
後輩の女の子にいじめられる俺の立場って何なんだろうな……?
「くっ……。この人でなし!」
「そりゃゴリラは人じゃないッスよ、楓先輩」
「一本取られちゃったね。でも、楓もたぶんその内大きくなるよ。男の子だもん」
舞から細めた目に慈愛を湛えてそんなこと言われても、実際のところほぼ追い打ちみたいなものだ。俺の成長期は終わっている。
「……去年1年で2センチしか伸びてないけどな」
「ボクは去年からマイナス2ミリだったけど、2センチ伸びて何かいけないの?」
それでももっと完全に成長期が終わってしまった舞の手前、まだ伸びていることに一縷の望みを賭けて俺は黙ることにした。
★★
そろそろ教室に戻るか。休み時間ももう5分も残っていないしな。
舞に一声「そろそろ帰るぞ」と声を掛け1年の教室を出ようとするが、舞が動かなかった。振り返ってみれば舞はその場から動かず、またもこよみの頭を撫でていた。
「こよみちゃん、どうして泣いてるの?」
舞に指摘されこよみをよく見れば、目元に一筋、流れ落ちた涙の痕があった。
「ああ、多分あくびのせいですよ。さっき頭を撫でられたのがあんまりに気持ちいいんで眠くなっちゃいました」
こよみの奴、いつ欠伸なんかしてたっけ……? そんなことを思いながら俺はこよみの目元を軽く擦って涙液を払った。特別に何かしたわけでもないと思ったのだが、こよみは非難がましい目でこっちを睨んでいた。……いや、俺が何をした?
「楓先輩も舞先輩に負けず劣らず距離感おかしいですよね。後輩の女の子に普通そんなことします? いや、男の子だったらするって物でも無いですけど……」
「それは、つい、なんとなく……」
実際、何故俺もそうしたのか説明は出来ない。
そしてなんでこよみは椛の描いている漫画みたいな話を例に出したのだろうか。もしかして【橘BBG】の活動の中で椛から悪い影響を受けていないだろうか……?
「と、とにかく、私は大丈夫なんで先輩方はそろそろ教室に帰ってください。今週の土曜日、生まれ変わった私のバッティングを見せてあげますよ」
そう言って舞と俺の背中を押して半ば無理やり教室から押し出したこよみだったが、去り際彼女の元気が何となく空元気のように感じたのは俺の気のせいだったんだろうか……?




