第1話 試合寸評
前回のあらすじ:第2章開幕!
初勝利の余韻も残暑もとうに去り、すっかり橘市にも本格的な秋が訪れていた。
もっとも、この辺りは雪も降らず温暖で、台風とナイターさえ避ければ11月半ばくらいまで野球が出来るという環境だ。
プロ野球のシーズンが終わりを迎える球団もある中、俺達【橘BBG】は週末毎に試合を繰り広げていた。
「むぅ……」
俺の席に座っておにぎりを摘み、小さな口に運びながら舞が唸る。
学校の昼休み、隣のクラスのはずの舞が何故ここに居座っているのかは、もはや考えるだけ無駄だろう。舞の父親のチーム【ちょいワルドラゴンズ】との試合に勝った翌週の月曜日から、ずっとこんな感じだ。
1つの座席を2人で分け合う有様に、初めはクラスメイトたちもヒソヒソ話をしながら俺たちのやり取りに耳を聳てていたが、もう飽きたのだろう。誰も舞がここに居ることに疑問を抱かなくなった。
「中々勝ち星が先行しないねぇ……」
「仕方ない部分もあると思うけどな……」
ぼやく舞に俺としては渋い表情で返さざるをえない。
チーム創設初戦の【西橘オジサンズナイン】には舞が盛大に打ち込まれ1-10で大敗を喫したものの、2戦目——舞の親父さんことおっさんが率いる【ちょいワルドラゴンズ】には舞の力投で接戦に持ち込み、俺のサヨナラタイムリーヒットにより2-1で初勝利を収めた。
それ以降、開催出来た3試合では負けたり勝ったりがシーソーのように続いているのだ。
「ここまで2勝3敗か……。舞はこれ以上ないくらいよく頑張ってると思うんだけどなあ」
「これで?」
舞がそんなこと聞いてくるが、俺からしてみればむしろ出来すぎと言ってもいいくらいだ。
単身でチームを引っ張るエースは女の子の舞で、扇の要たるキャッチャーは右肩を負傷したポンコツの俺。他のセンターラインはショートの中学生のちひろちゃん。セカンドはすっかり正式メンバーとして参加してくれている美術部で、野球未経験の白井さんという状況だ。センターの秋人の俊足と強肩で以て不慣れな二塁手と両翼の初心者をフォローするという有様で、よくゲームが成立しているとすら言える。
幾ら三遊間が中学女子ソフトボールで結果を残して来た櫻井姉妹といえど、男子野球のパワーやスピードに勝るというわけにはいかない。一部例外はあるけど。
「間違いなく良くやってると思う」
しなやかな左腕から繰り出される最速120キロ超えのストレート。ほぼフォームが変わらない60~70キロ台のスローカーブ。ボール球を有効に使えるコントロールにピンチを苦にしない持ち前の度胸を併せ持ち、テンポの良く抑えていくスタイルは既に人伝てに認知されつつある。
「ただ、舞が幾ら抑えてくれてもここまで打てないとなあ……」
「打線なら楓も、秋人くんもいるよ? こよみちゃんが最近ちょっと調子崩しているけど、本調子ならあの子だってすごく頼りになるし」
「そのこよみが本格的に調子を崩しているのが問題なんだよなあ……」
ここのところ3試合で20イニングを投げ舞の失点は8点。防御率にして2.80(*1)と決して悪くはない。寧ろバックの守備力を考慮すればよく健闘していると言ってもいい。
しかし、だ。主砲のこよみが本格的に調子を崩した今の【橘BBG】打線にとって、1試合平均約3失点は重い。なんせここ3試合の舞の平均援護率はおよそ1.3点しかないのだ。これが意味するところは2点取られれば厳しく、3点取られれば試合がほぼ決してしまうということだ。
実際【ちょいワルドラゴンズ】戦以降、勝てた1試合も舞が完封して、俺と秋人とちひろちゃんで何とか1点を捥ぎ取った薄氷の勝利だったしな。
「ここ3試合で打点を挙げたのは俺が1打点、秋人が2打点、ちひろちゃんが1打点で、計4点しか取ってやれてない。これがプロ野球なら打線にヤジが飛ぶぞ」
何せスタメン9人の内、3人が野球もソフトボールも未経験の女の子で、加えて舞は打撃には淡泊だ。
直近3試合に於いて打率2割を超えているのは俺と秋人、櫻井姉妹の片割れちひろちゃん、それに現役美術部の椛を含めた4人だ。チーム打率は2割を大きく下回っている。
元々の平均的な攻撃力が低い俺達にとって、主砲であるこよみの低迷は覆しようがない程の戦力ダウンだった。
「舞が頑張ってるから何とか点を取ってやりたいんだけどなあ……」
「楓はもう十分頑張ってくれてるよ」
舞はそう言ってくれるが、俺の打撃成績はこの3試合で13打数4安打。打率こそ3割を超えているが、長打はなく、必然的に1人で得点を挙げる事は出来ない(*2)。キャッチャーが強いチーム相手では単独スチールは容易ではないし、後続が続かなければ得点圏まで進むことさえ難しい。つまり、俺だけでは舞を勝たせられない。
「せめて俺も秋人みたいに一発が打てればなあ……」
「それは言わないの。楓に足らない部分はみんなで補えばいいんだから」
柔らかそうな頬を綻ばせ、可愛らしくも格好付けたキメ顔を見せ付けながら、舞が励ましてくれる。
確かにそれもそうか。俺は1人で野球をやっている訳じゃないんだ。
「それに問題なのは楓じゃないからね」
「そうだな……」
舞が紙束の中から1人の個人成績表を抜き出す。凡ゴロ、凡フライが並んだそのスコアは、現在絶賛絶不調故に、ついにクリーンナップから外された少女の物だった。
「12打数1安打、それもシングルヒット1本かあ。こよみちゃんらしくないね」
「ああ、そうだな……」
こよみらしくないという舞の言葉には俺も大いに賛同する。
この3試合で櫻井姉妹の姉、こよみちゃんは本格的に打撃を崩していた。元々豪快なフルスイングをしていたハズなのに、そのバットは【ちょいワルドラゴンズ】との戦いの後、鳴りを潜めていた。
どこか痛めたのか、消極的に当てに行って、なお当てられずに空振りしたり、甘い球を振り抜く事さえ出来ずに内野ゴロに倒れたりと、彼女らしくない。
「正直、勝つためにはこよみの復調が最大の補強かもな……」
俺がそう認めざるをえないほどに、こよみの好調時の打撃は水際立っている。
男の俺よりも力強く、ボールを彼方まで飛ばす技術を持ち合わせた彼女のバッティングは、ツボにはまれば芯で捉えてフルスイングした秋人の会心の一打さえ超える飛距離を叩き出す。それだけの火力を有する彼女が不調のままなのは勿体ないだろう。
それに、俺個人としても、あの子のフルスイングが見たいと思うしな。
「ボクもそう思うよ。あの子が復調してくれれば、得点効率はグッと変わって来ると思う」
「問題はどうやったら復調してくれるかってことだよな……。別にこの間の試合も体が重そうとかそういう感じではなかったし、仮に心理的な問題だったりするとすぐに解消するのは難しいだろうな」
「心理的かぁ……」
舞が難問を目の前にしたかのようにそう呟くが、俺もそう呟きたい気分だ。何せあの子が何かに苦悩し、パフォーマンスを落とすという事自体が想像出来ない。
背も高く、中学時代のソフトボールでも実績を残し、高校1年にして既に橘南高校ソフトボール部のレギュラーになっているという話も既知から聞いた。学業が不振とかそんな話も聞かなかったし、外からは順風満帆なように見える。そんな彼女がメンタルへのダメージでパフォーマンスを落としているようなら、体格にも実績にも恵まれなかった俺や舞はどうなるのだろうか……?
「考えたところで、才能に恵まれた奴の悩む事は、俺には分からないよ……」
「そう言う不貞腐れた事言わないの」
「そうは言ってもさぁ……」
「駄目だよ」
窓の外を見下ろしながら、思わず口を突いた自嘲混じりの俺の言葉を、舞が語勢を強めて諫めた。
言葉を受け止めた俺が舞の方に向き直ろうとしたら、いきなり両頬を挟まれ、半ば強制的に舞の方に向き直らされた。瞬間的に少しぼやけていた視界が順応し、直ぐ間近で俺の顔を挟みながら可愛い顔に不機嫌をありありと浮かべた舞がドアップに映り込んで来た。
「……え? な、何……?」
「楓が情けない事言うから。次情けない事言ったらビンタだよ?」
「え? なんで⁉」
「相棒がヘタレたら、相棒として叩き直してあげるのが務めだからね!」
ああそうか。多分、これは俺を慮ってくれたんだな……。
「……そうか。ならその時は頼むよ」
真っ直ぐ舞を見詰め返して、そう投げ返す。分かっている。俺は弱いのだ。根が悲観的で感情に振り回され易く、周りが見えず、暴走し失敗する。今も微かに疼く右肩の痛みがその代償だ。日常生活から強くなれるよう心掛けないとな。また同じ過ちを犯さないように。
教室の周囲から「それでいいんだ……」とか「翠川ってもしかしてそう言う性癖が……」とか聞こえて来るが、そんなもの無視だ。無視。
「ボクがヘタレた時は楓がやるんだからね? 楓はボクの相棒なんだから」
「いや、そんな舞がヘタレる事なんて……」
思わず「無いだろう」と言おうとしたが、あったな。しかもつい先月の話だ。
舞のお父さんのチーム【ちょいワルドラゴンズ】を相手にした日の試合前、付いて来てくれるチームメイトに不甲斐ないところを見せるんじゃないかと不安になり、投球練習時点ではパフォーマンスを落としていたっけ。
でも、あの時は確か俺はビンタなんてしていなくて……。
「まあ、この間みたいにギュッとしてくれてもいいんだけどね。楓だったら嫌じゃないし」
思い出さないよう努めていたのに、舞の言葉で、抱き締めた舞の肩の細さや、指の交わるこそばゆさを思い出してしまう。と言うか昼間の教室で口にするにはセンシティブ過ぎないか⁉
「なあ舞。この話もう辞めない……?」
周囲でヒソヒソと話をしていた奴らが、舞の発言に微かに色めき立ったのが分かった。「翠川ってもしかしてそう言う性癖が……」と言う奴の言葉が、先程とは別の意味合いを帯びていることも感じ取れる。
舞は俺の焦りや周囲の色めき立つ様子を全く理解出来ていないように首を傾げているが、爆弾発言を投げ込んだのは舞だからな⁉
「……? まあ楓が言うならいいや。それで、こよみちゃんが不調をきたしている原因って何だろう?」
「何だろうな。察してやりたいのは山々だけど、俺はこよみの事を良く知らないしなぁ……」
正直、同じ高校の後輩、同じ草野球チームのメンバーではあるが、俺はあの子の事を良く知らないのだ。
なんかたまに凄いおちょくって来るし、たまにそこまでされる謂れはないような凄い殺意を見せて来るし、よく分からない事ばかりだ。努力家なところとかは凄く好感が持てるんだけどなあ。
「なんか分からないの? こよみちゃんは楓に懐いてるっぽいんだけどなあ……」
「そうかぁ……?」
「うん。ボクには少し他人行儀な感じがするけど、楓にはもっと打ち解けてる感じがする」
舞はそう言うが、懐いているというよりは大型犬から見たお気に入りの音の出る玩具だろう。こよみに噛み付かれて、俺がピーピー抗議している図式も含めてさ。
実際、なんで俺が目を付けられたんだろうな? 同じチームには俺の幼馴染の赤木秋人だっているのだ。認めるのも非常に悔しい話ではあるが、アイツの方が俺よりも顔が良いし、身長もある。女の子が標的にするなら俺ではなく秋人というのは、中学の頃実際に体験した話だ。名前も知らない女の子から、秋人へのラブレターの中継を頼まれたこともある。2回な……。
あれ、何故だろう。思い出したら視界が滲んで来た……。
「はあ……。懐かれてるというより、大型犬にマウンティングされてる気分だよ……」
「まあまあ。ワンちゃんがマウンティングするのは飼い主の気を惹きたいからだっていう説もあるし、きっと楓に構って欲しいんだよ」
舞が最大限好意的な解釈をしてくれるが、俺にはやっぱりそうは思えないな。
こよみが俺なんかの気を惹こうとして、一体彼女に何のメリットがあるというのか。
*1 1試合を7イニングスとして算出
*2 OPS:0.615




