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第2話 チーム作り②

2018/7/10 一人称変更 改稿を行いました

2021/10/24 全体改稿なう

2024/6/6 全体改稿しました

 オレンジに染まる夕暮れ空が目に痛かった。しかしそれ以上に放課後の夕焼けを背に通学路を歩くのは不思議な気分だった。

 これまでずっとグラウンドで走って、投げ込んでばかりだった時間帯に、甘酸っぱい仲とは言えないものの紛いなりにも女の子と並んで歩くというのは殊更に。


「なんか、変な感じ。男の子と一緒に帰るなんて小学校以来かな?」


 そう言ってクスっと笑うあたり、隣を歩く舞にとってもこの状況は少し特殊なことらしい。

 ポスターのほうは放課後に2人がかりで色を塗って、コンビニでコピーしたものが数枚舞の手の中にある。マスターは舞の鞄の中だ。


「変な感じと言えば変な感じだな。ずっと部活ばっかりだったから、俺もこんなの初めてだ」


 そんな雑談をしながら小学生時代から通い慣れた、バッティングセンターの入口の扉を開ける。

 流れ出る冷えた空気と共に、カランカランともう何年も相変わらずなカウベルの音がした。思えばここに来るのも久しぶりだな。


「へいらっしゃい! って、楓か」

「こんにちは、コーチ」


 カウンターに現れたのは少年野球時代にお世話になった——そのあとも結構な頻度でお世話になっているコーチだった。


「コーチをしていたのはお前らの代までだって。何回目だよ、このやり取り」

「それでもコーチはコーチなんで。今更他の呼び方なんて考え付かないですよ」

「相変わらずだなあ。それで、どうしたんだ? 椛の奴からは怪我して野球部にも出てないって聞いたぞ」

「……野球部は退部しました。高校在学中の復帰は望めないし、それで残るのはやっぱり辛いので」


 どうしてもそれを言葉にすると自嘲的になってしまうが、コーチはそんな態度について何も言わなかった。これも大人の度量か。今の俺には一番ありがたい対応だった。


「そうか。まあ『気を落とすな』なんて無理なことは言わねえよ。ただお前にはまだ大学や社会人野球での可能性もあることだし、大事にして早く治せよ」

「……はい」


 そう答えたものの、未来はあまりに不鮮明だ。

 ずっと先での完全復活のためにメスを入れたいという思いはあるが、甲子園予選には間に合いそうにないから部をやめてしまった今、もう今更感もある。

 大学や社会人か……。高校野球の先の野球なんて、今まで真面目に考えたこともない。


「こんにちは!」


 暗くなりかけた俺の背中からひょっこりと顔を出した舞に、コーチの表情が緩んだ。


「はいこんにちは。お嬢ちゃんはこいつの『コレ』か?」

「ん?」


 ニヤリと笑うコーチのピンと立てた小指を見て、舞が首を傾げる。

 下世話な意味合いの込められたコーチの笑みも、俺以上かもしれない野球馬鹿の舞には通じなかったらしい。とすればやることは1つだ。


「おーい星野さーん、ここのコインあげるから、今から打ってきていいぞ」


 即ち、細かに解説されるよりも先に舞をコーチから遠ざける。これは断じて逃げじゃない、戦略的撤退だ。


「え? 楓のおごりでいいの⁉」

「ああ、いいから行ってこいよ」


 舞の小さな手にバッティングセンターのゲージを利用するためのコインを数枚握らせ、背中を押してさっさと行ってもらうことにする。

 とはいえ、実際は舞がポスターとカバンを俺に押し付け、颯爽と駆け出して行ったので、俺から背中を押してやる必要なんてなかったが。


「わーい!」


 喜色満面で舞はさっさと行ってしまい、むさくるしい男2人だけがこの場に残った。そう仕向けたのは俺なのだが。


「コーチ……。あいつに変なこと教えないでください」


 【120km/h】の札が掛かったゲージへためらいもなく走っていく小さな背中を見ながら、俺の方から釘を刺しておくことにする。


「いいじゃねえか。たまに遊びに来たときくらい遊ばれろよ」

「それコーチが遊びたいだけですよね?」

「それくらいは許せ。他の奴等はみんなさっさと野球をやめて、バッティングセンターになんか寄り付きもしないんだから」


 そう言うコーチの言葉には、既に涼しくなって久しい彼の頭頂部と比類せんばかりの哀愁が込められていた。

 言われてみれば確かに草野球が盛んなこの街で、バッティングセンターを利用する客は多い。それでも俺の少年野球時代の昔馴染みが打っている光景を見たことがない。

 いくら客が来ても、野球から離れていった自らの教え子たちを思い出すのは仕方ないのかもしれないな。


「ふう。しかしあのへっぽこエースにも彼女が出来るなんて、月日が過ぎるのは早いもんだな……。俺も年を取る訳だ」

「あいつと俺はそんな関係じゃないし、コーチは俺が小学校のころからそんなに外見変わってないですよね?」

「おいおい、よく見てくれよ? もう産毛一本生えなくなったんだ……」

「それは……。ご、ご愁傷さま……。です……?」

「……望むと望むまいと、楓にもいつか分かる。いつそれと向き合うかの差だ」


 見事にツルツルになった頭の汗をタオルで擦りながら、そう言ってコーチはただ重々しく頷いた。その顔は少年野球のコーチをしてくれていた頃に比べればシワが増えたが、まだまだ若々しく見えるんだけどなあ。……荒廃した毛根以外。


「しっかし、よくあんな子を連れて顔を出してくれたわ。これでもうちの嫁さんも椛も揃って心配してたんだぞ?」

「ありがとうございます。ご心配おかけしました」


 どうやら怪我をしたことについてはかなり心配をかけたらしい。その心配については俺も本当に有難く思う。心遣いで怪我が改善する訳じゃないが、それでも有難いことに変わりはない。


「お前が男を好きになるんじゃないかと」

「やっぱ前言撤回だ! あんたら一家の心配はどこに向かってんだ⁉」

「いや、だからお前がいつ男に走るかなって心配をだな……」

「そんな心配要らないからな⁉ 第一何が原因でそんな心配ごとを⁉」


 考えもしなかった言葉に敬語すら投げ捨てて俺が大声で否定するが、悪乗りする当の本人は至極楽しそうだ。


「いやー、お前が野球馬鹿過ぎてあまりに異性に興味を示さないから、椛が『もしかしたら男色趣味に走ったんじゃないか』って心配してな。それに若干変な趣味のあるうちの母さんも悪乗りしたらこうなっていたというわけだ」

「いやいや、そんなのおかしいだろ!」


 あまりに突拍子もない言葉に思わず声も荒くなるわ! 何で俺のいないところでそんな話になっているんだよ!


「諦めろ。お前に女っ気が無いのが悪い。いや、女っ気なら足りるかもな。服だけ変えれば」

「椛みたいな事言うのは止めてくださいよ……」

「まあまあ。ボクも楓なら似合うと思うよ?」


 俺とコーチの会話にさらりと入って来る聴き馴染んだ声に、思わず背筋が硬直した。


「えっと、星野さん……。いつからここに?」


 その場の空気が氷ついた。ただし俺だけ。

 舞は全くそんなこと気に止める様子もなくスカートのポケットから財布を取り出した。


「つい今だよ? あ、おじちゃんコーヒー牛乳1本」

「あいよ」


 舞がカウンターに置いた120円と引き換えに、差し出されたビンのコーヒー牛乳が差し出される。彼女はプルトップを開けると、腰に手を当てて一気に半分ほど空けた。


「ぷはぁ!」

「お、お嬢ちゃん豪快だな」


 小さな桜色の口の端からつつとコーヒー牛乳が滴りそうだが、舞はそんなことを気にする素振りも見せない。なんて漢らしい飲み方なんだ。


「それで? お嬢ちゃんから見てこいつは女の子の友達と同カテゴリって事でいいのか?」

「うん、そんな感じ」


 舞の言葉にコーチがカウンターの向こうに夕日さながらに沈む。おそらく声を殺して、腹を抱えて笑っているのだろう。失礼極まりないと思うが、舞も向こうの肩を持つ以上、返せる言葉が俺の手元にはない。

 何と返せばいいか分からない状況に悶々としていると、入り口のカウベルが鳴り、誰かが店内入って来るのが分かった。


「ただいまー」


 カウベルを鳴らして入ってきた人物の声も今の俺にとっては救いだった。

 コーチが帰ってきた彼の娘におかえりと返す。正直、俺からすると苦手な幼馴染ではあるが、この状況ではこんなやつにも頼らざるを得ない。


「……おかえり椛。お邪魔してる」


 青木椛——秋人と同じ俺の少年野球時代からの腐れ縁の女の子だ。

 ……まあこいつの場合、縁が腐っていれば頭も性癖も腐っている困った奴な訳だが。


「あれ? 楓じゃない。こんな時間にあんたが来るなんて珍しいこともあるわね。……悲惨な目にあったような顔してなんかあったの?」

「自尊心が著しく傷つけられたんだよ……」


 カウンター横のベンチの上で項垂れながらそう返す。多分俺の背後でコーチは相当ニヤニヤしていることだろう。


「お父さん、楓に何言ったの?」

「いやいや止めを刺したのはこっちのお嬢ちゃんだから」

「楓に何を言ったの?」


 思った以上に機敏な動きで、椛が舞の方を見た。


「え、えっと……。正直楓ってあんまり『男の子』って感じがしないなって……」


 少し圧されたように言う舞の言葉に、椛はあっさりと頷いた。


「うん、それには私も賛成かな!」


 ようやく現れたと思った味方は一瞬で俺の敵に回ってしまった。


「女顔だし、声も男子にしてはだいぶ高いし、身長低いし筋肉付かないし」

「もうやめて! あんたらそんなに俺をいじめてたのしい⁉ 筋肉がないのも背が伸びないのも体質だから!」

「大丈夫だって、そう言うのも薄い本的に需要あるから!」

「現実の人間をそういう漫画の題材にするなって、俺もう6年言ってるよな⁉」


 白旗を掲げてもまだ止まぬ攻撃にベンチの上で膝を抱えて俯く。

 弄る3人は楽しそうだが、弄られる側はたまったものではない。


「それで、あんた結局何しに来たの? いくら野球馬鹿のあんたでもまさか女の子連れてバッティング練習だけをしに来たわけじゃないんでしょ?」

「あ、そうだ忘れてた。ほら舞」


 先ほど印刷したポスターを舞に返して促す。

 あくまで俺は舞のサポートだ。実際に頼むのは彼女でなくてはならない。俺に出来るのは隣に立って、一緒に頭を下げる事だけだ。


「今度新しく草野球のチームを作ろうとしているのですが、メンバー募集のポスターを貼らしてもらってもいいですか?」

「ああ、いいよ。譲り合って貼ってくれ」


 コーチの答えは2つ返事で可だった。


「楓、いいって!」

「はいはい、その前に言うことがあるだろ?」


 テンションが上がってはしゃぐ舞を諌め、小さな頭を押さえて頭を下げさせる。だがそれでも舞のテンションは天井知らずのように高かった。


「「ありがとうございます!」」


 礼は俺も頭を下げて2人分。その2人にコーチは豪放に笑っていた。


「いいってことよ。この店なんか地域の野球やってる奴らみんなのたまり場みたいなものだからな。チーム勧誘のポスターなんか何枚あるか数えられない。まあもう稼働してないチームもあるけどな」


 その言葉通り、今まで注視していなかっただけで、写真入りのポスターなんかは結構な枚数貼られていた。ホームラン賞を出した人の写真入りリストの横にはポスターを貼るためのコルクボードまで備えてあった。

 尤も、今まで何年も通い詰めていたのにホームラン賞を出したことのない俺はまずホームラン賞のリストも、その隣のコルクボードも見た事なかったが……。


「草野球チーム作りね、それあんたも同伴でやってるの? 野球部の男子にはあんたが肩を壊して部を辞めたって聞いたんだけど……」

「ああ、だから俺は手伝いだけな。主役はこっち」


 ほんのちょっと怪訝そうな目をした椛の前に舞を立たせる。鳶色のショートヘア、快活な目をした舞と、背まで流れる黒髪に瓶底の様な分厚い眼鏡を掛け、少し眠そうな表情をした椛は対照的だ。こうしてみると椛も容姿は悪くないんだけどな。

 身長は椛の方が掌1つ分くらいは高いと言ったところか。さして大柄でもない椛と比べると更に舞の小ささが際立つ。

 少し舞を見て、椛が考えるような仕草を見せる。俺としてはこいつが舞について考えている事が、俺に向けるようなもので無い事を祈るのみだ。


「……私も入ろうか? ちょっとダイエットしたかったところだし」

「え、いいのか?」

「いいよ。中学高校と美術部だし、ちょうど体を動かしたいなって思ってたところ」

「おいおい大丈夫か? 不動の8番バッターさん。大ブレーキになるんじゃないのか?」

「お父さんは黙って!」


 ちょっと拗ねた顔をする椛と、大笑いするコーチ。そしてそれを見て笑う舞の間で、当時椛以下の成績で不動の9番打者に居座り続けていた俺は居たたまれず黙っていた。


☆☆


 バッティング用のゲージ前に1枚、コルクボードに1枚貼り、更には思いがけもしなかった椛の加入で2人目のメンバーが確定した。

 順調な滑り出しに目に見えてウキウキする舞に少しだけ俺も嬉しくなる。


「人、いっぱい集まるといいね」

「ああ」


 そうだな。たくさん集まればいい。舞のために今俺に出来ることはそう願うだけだ。

 そんなことを思っていたら「あ、そうだ」と舞が不意に何かを思い出したように呟いた。なんだか嫌な気がするのは気のせいかな?


「さっき『新台入荷! 100マイルマシン登場!』とかいうゲージがあったんだ。せっかくだし楓が打ってよ」

「え……?」


 思い出したように言う舞の言葉に、思わず硬直する。


「そうだね。せっかくだから先日まで現役だった高校球児の実力を見せてよ」


 引き下がろうとした時には、既に椛に背後に回られていた。

 舞と椛が2人して背中をグイグイ押してくる。ニヤニヤするコーチを尻目に立たされた100マイル——161キロのゲージで俺は全力で醜態を晒すハメになった。

 ホップアップしてくるとしか言い表せない異常な球速のストレートを前に20球全て空振り。バットをいくら短く持ったところでファウルチップの1球すらない。完璧な全球空振りだった。

 そもそも100マイルなんて捉える以前に見えねえよ、舞と椛のばーかばーか!

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