第26話 試合の後①
「2対1で橘BGの勝利です。お疲れ様でした!」
「「ありがとうございました!」」
球審の号令で居並んだ全選手が一斉に礼をする。
俺の放った、打ち損じ同然のセンター前ヒットと秋人の好走塁でサヨナラを決め、試合こそ俺達【橘BBG】が勝ったものの、俺は今一つスッキリしない気分だった。
グラウンドの整地を終え、勝鬨を挙げる少女たちから少し離れたところで、浮かない表情をしていただろう俺におっさんが左手を差し出して来た。
「坊主、ナイスバッティングだったな」
「ありがとうございます。最後のアレは完全にラッキーパンチだったけど……」
結果論としては勝ったものの、結局俺はおっさんの投球相手に完璧に打ち負けていて、あのサヨナラタイムリーヒットだってただ単に落下地点が良かっただけだ。
加えて臨時代走の秋人の、足のスペシャリスト顔負けの巧走塁なしでは勝つことは出来なかった。それ以前に、右投げのスライダーに全く合っていなかったのだから、右投げでそのまま攻めていれば俺なんて軽く捻れただろう。全て運が良かったに過ぎない。
「何を湿気たツラしてんだよ。最後のヒットだってしっかり振り切らなきゃショートへの小フライで終わってたんだ。ツキも実力だぜ?」
「それはそうだけど……」
確かにそうかもしれないが、テキサスヒットで相手ピッチャーに勝ったなんて、俺にはとても思えなかった。運も実力の内かもしれないが、同時に運は運でしかないだろう。
「ったく、ガキの癖に一丁前に形なんかに気を使いやがって……。ほら坊主、良い物やるから元気出せ」
そう言って握手する俺の手におっさんがもう一方の手で何かを握り込ませてくる。
開いてその紙片を広げれば『たけくらべ』とか『にごりえ』などの著を残した女流作家の肖像が描かれていた。
「いや、おっさん。これは何だよ?」
「あれ? お前樋口さんを見たことないのか? こいつは5000円札だぜ」
「そんなことは知ってるよ!」
「声がでかい。押さえろ。そしてこれを持っていけ」
どうやら俺のツッコミは無視らしい。いっそ清々しいスルーでこちらに2人の樋口さんを押し付け来たおっさんに、俺が抗う術はなかった。
「なんで俺に渡すんだよ……」
「そりゃあ坊主に渡しておいた方がいいかと考えたからだ」
「なんで?」
「祝勝会の予算だ。俺はちょっとこの後用事があってな」
「用事?」
その用事というのは娘の祝勝会よりも大事な事なのだろうか? いや、おっさんおっさんと気安く呼びはするが、相手は良い大人だ。きっと俺なんかには想像出来ないような用事があるんだろう。
だとしても1万円は貰い過ぎだろうし、おっさんから舞に渡せばいい物であって、間に俺を挟む必要はないだろう。とりあえず返さないと——
「舞、譲二さんお疲れ様です。翠川さんもナイスバッティングでしたよ」
「お母さんっ⁉」
——唐突に、不意打ちのように掛けられた声に背筋が伸びる。横を見れば俺のすぐ隣で舞の小さな背が跳ねるように伸びるのが見えた。
声を掛けて来た彩夏さんはいつから俺とおっさんの背後にいたんだろう? そして舞もいつの間に俺の隣にいたんだろうか? 気配を全く感じなかったぞ?
「彩夏さんはどうしてここに?」
「どうしてと言われましても、今日は初回からいましたよ? センターのフェンスの向こうでビデオを回していただけですけど」
彩夏さんはどうやらビデオの撮影係として来ていたらしい。夫婦揃って野球好きなのか? はたまたおっさんが無理を言って連れてきたのかは分からないが。
「譲二さん、今日は私の出番が回ってこなかったみたいですね。素振りしながらいつ呼んでもらえるかワクワクしていましたのに」
「そりゃあれだけ拮抗したいい試合をしてたのに、彩夏を投入したらワンサイドゲームになっちまうからな。それは流石に舞が可哀そうだろ?」
「確かに水を差すのは可哀想ですよね。でも本当は私も舞のボールを打ってみたかったんですよ?」
この夫婦は一体何を言っているんだろう? 今日3打数3安打で舞を固め打ちしたおっさんよりも彩夏さんの方が更に打つとでも言いたげだ。
俺の疑うような表情に気付いたのか、おっさんが口を開いた。
「坊主、お前彩夏の言ってることが冗談だと思ってるだろ? こいつがうちの本当の4番だぜ? その内こっちのチームの本当の全力を見せてやるよ」
言われてよく見れば彩夏さんの手元には右手のビデオカメラとそれを戴いた三脚があり、左手には黒いバッティンググローブが嵌められ、幾つもの打球痕が残る使い込まれた木製バットが握られていた。
なるほど、言葉通りだとすれば【ちょいワルドラゴンズ】はまだまだその選手層の全てを見せてはいなかったということか。よく考えてみれば、おっさんが初めから本来のサウスポーで投げていれば、こちらは1点も取れていなかっただろうし、アレでも大分手加減はされていたんだな。
「そんなわけで、お呼びが掛からなかったお母さんはセンターから1人寂しく舞と譲二さんのピッチングを撮影していたんですよ。舞の投げていたところもしっかり映っているから、後で見返しましょうね。ちょっとこの後は譲二さんとデエトなので夜にでも」
「分かった。私も門限までには帰るね」
舞が普通に了承しているが、普通の家、普通の夫婦って、この場面でデート行ってくると言い残して、娘を置いて行くものなのか? もしかしたら俺が知っている世間の夫婦の常識って、本当は世間の常識では無かったのかもしれない。
「じゃ、俺たちは行くからな。坊主たちも楽しんで来いよ」
「あ、おっさん! こんな大金受け取れねえよ!」
「良いから受け取っておけ。必要になる金だ」
押し付けられた2枚の5000円札を返そうとするが、止める間もなく、背を向け走り出すおっさんの背が遠ざかる。その屈強な両腕で彩夏さんをお姫様抱っこの要領で抱き上げ、猛烈な勢いでグラウンドを駆けて行く。
「坊主どもまたな! 行くぞ彩夏!」
「もう、譲二さんったらせっかちなんですから」
そして抱き上げられながら相も変わらぬほわほわ笑顔の彩夏さんの胆力も相当だろう。
向こうのベンチで【ちょいワルドラゴンズ】の面々が「またいつものアレか」とか「爆発しろバカップル」とか言われているが、彼らの言わんとすることは分からないでもない。やっていることがそのまんま10代のバカップルなのだ、あの2人。
いや、10代のカップルでもやらないな。あんなこと。
「楓、ボク達もアレやろう!」
そしてなんであの異常夫婦のやり取りに目を輝かせているんですかね、うちのエースは。あの夫婦の子だから当然の帰結なんですかね?
「やれるか恥ずかしい! それに幾ら舞が軽いと言っても、お姫様抱っこなんてしながら走れるか!」
「じゃあ背中に乗るもん!」
そう言うなり舞の小さな手が俺の首に回されるのが分かった。近づく舞の汗の匂いと背中に触れる名状しがたい微かな柔らかさで心臓が拍動しすぎて早死にしそうだ。
だがこんな所で死んでもいられない。おっさんはもうグラウンドから出て行ってしまうところだ。
「あー、もう! 落ちないように掴まってろよ!」
ヤケクソで舞を背負ったままおっさんたちを追って行ったものの、グラウンドを出た時にはあっさりおっさんの脚力に振り切られてしまっていた。
舞と違って彩夏さんの体躯は成人女性の平均よりは上背も体重もありそうだが、そんな彼女をお姫様抱っこしながら現役高校生を容易く撒くって、あのおっさんどんな脚力しているんだろうか?
「やっぱりお父さん速いなあ」
「速すぎだろ、陸上選手か何かか?」
いや、仮に相手が陸上選手だったとしても、女性をお姫様抱っこしながら全力疾走する競技はない以上、あそこまで出鱈目な速さで振り切られることはないだろう。こうなれば追跡は諦める他ないか。
おっさんは気にするなと言っていたが、同級生のお父さんに1万円なんて大金をポンと渡されて気にしないなんて無理だろ。どうしよう、このお金。舞に返して貰うか?




