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第25話 VSちょいワルドラゴンズ 7回表:激戦の果て

7/12 改稿のため新規投稿

 暑苦しい防具を外すため、舞から離れたベンチに腰掛けたところで、何者かにいきなり左肩を抱かれた。秋人かと思って右を向いたら、こよみが隣に座っていた。


「先輩、地味にナイスプレーでしたね」


 こいつ、いきなり何のつもりだ? 訳知り顔で俺の肩を抱くこよみは、完全に男女反対だ。とてもじゃないが後輩の女子が先輩に対してやるようなポーズじゃない。

 少し俺よりも上から俺の頬を擽って来るショートヘアの感触にドキリとさせられ、顔が近すぎる緊張に少し顔が赤くなる。「ただゴリ」だの「メスゴリラ」だのと笑っていても、実際この子も女の子だ。切れ長の眼にスッと通った鼻筋、170台半ばの身長に対して小顔だし、加えて豊かな胸とスタイルも顔も良いのだ。ちゃんとおしゃれをされたら、多分俺は緊張してまともに会話が続かないだろう。


「最後のアレ、かなり曲がりましたよね?」


 なんとまあ鋭い奴だ。サード側からでは右打席のバッターの陰になるし見難かっただろうに、追っ付けた不自然なキャッチングフォームやバッターの腰が砕けた空振りの軌跡だけで察したのだろうか。どちらであってもこよみの大正解だ。


「……ご明察の通りだよ」

「外側に不自然なミット動き方しましたからね。察するにシュートかシンカーですか?」

「ああ、最後の1球だけストレートの速さでバッターの外に逃げるように沈んだ。高速シンカーか、或いはツーシームか……。多分舞も意識せずに投げただろうから何を投げたのか分からないけどな」


 正直曲がった瞬間面食らったし、全く予測していなかった沈みながら逃げて行くボールを追うのは難しいと思った。一発できっちり捕球出来たのは舞との練習でキャッチャーミットでの捕球に慣れたのもあるだろうが、ある程度は運だろう。


「前触れもなくあんなのを投げられて、良くアジャスト出来ましたね。たまーに偉いです。先輩は」

「『たまには』は余計だって」


 そう言いながらこよみが差し出して来た手に俺も右手を軽く打ち合わせ、ハイタッチをする。たまにはという言葉は気にかかるが、そこまで俺の守備は安定感がないのだろうか。


「先輩が偉いのはたまにだけですよ」


 いや、俺がこの子に嫌われているだけなのかもな。理由は知らないけど。


 7回表の【ちょいワルドラゴンズ】は9番から2番までの3人で封じ込められた。しかし、もしも延長まで縺れ込めば、もう一度クリーンナップのおっさん達を迎え撃たなければならない。その頃には舞の球数も110球を超えるだろうし、何としてもここで決めたいな。


「よし、お父さんから何としてもあと1点取るよ! 絶対に勝つんだから!」


 ベンチに座りながらも、舞が気勢を上げる。ただ、気合いの類ではどうしようもない程に素の実力が離れているのだからどうしたものか。


「舞先輩、熱くなってるところ悪いですが、さっきの回は5番の椛先輩で終わっているのでこの回の攻撃は6.7.8番で、ランナーが1人出て舞先輩、トップの楓先輩まで回るにはランナーが2人出る必要があります。……下位打線、ここまで1人も塁に出てないですよね?」


 そう。分かっていたことだが、6~8番までは今日1球もバットにボールが当たっていない組だ。舞にすら出番がなく攻撃が切られてもおかしくない。仮にそうなってしまった場合、3番からの攻撃を果たして俺達は何失点で食い止められるだろうか?


「あはは……。まあ泥船に乗ったつもりで待っててよ」


 ベンチで白井さんがヘルメットを被りながら乾いた笑いを漏らしてそう言った。まあ紛う事無き泥船なのはそうなのだが。


「いや、泥船じゃ駄目だろ、沈んじまうじゃねえか……」

「野球未経験の美術部員に無理言うな。次来てくれないかもしれないよ?」

「すいませんでした!」


 流石に椛と友達合わせて4人のメンバーを喪うのは痛手だ。ちゃんと謝っておこう。ただ、この子って椛の同類なんだよなあ……。ネタにされる身としては複雑な心境だ。


「まあお詫びにカ〇ピスの原液一気飲みしてよ。動画撮るから」

「絶対やらないからな⁉」

「なんでさケチ。別に減る物でもないでしょ」

「擦り減るんだよ! 俺のメンタルと人間としての尊厳が!」


 やっぱり椛とその友達には油断も隙も見せない方が良いだろう。譲歩したが最後、冬の同人誌即売会の新刊の表紙になってしまう。


「はぁ……。本当に大丈夫かな……」

「大丈夫だよ。ボクはもう何も心配してないから」

「舞の度胸はすげえな……。心臓に毛でも生えてるのかよ?」

「そう言う訳じゃないけど、楓が居るから」

「え?」


 一体何の根拠があって、舞は俺なんかをそこまで信じてくれるんだろうか。


「楓が私を勝たせてくれるんでしょ?」

「ああ、俺に任せろ。出てくれればしっかり決めてやるよ」


 勝ちたい。応えたい。熱い身体の奥で熾火のように、一層熱く心が燃える。

 さて、いよいよ7回裏か。最終回の【橘BBG】の攻撃。後は俺が打って勝つだけだ。尤も、俺の前にランナーが出てくれれば、の話だが。


☆★


「ストライク、バッターアウッ!」


 球審のコールが青空に木霊する。

 うん、まあ予想はしていた。そもそも前回と今日と一度もバットにボールが当たっていない下位打線初心者組がここ一番で打てるなどと期待が持てるわけもない。案の定6、7番は2者連続三振に倒れツーアウトランナーなし、延長戦に現実的な勝ち目が見えない以上、ここからサヨナラ勝ちを狙うとなると、8番の白井さんが最低限塁に出なくては始まらない。

 カウントは既に1ボール1ストライクからの第3球目。ボールをリリースした瞬間、おっさんの顔にこの試合始めて見せた表情が浮かんだ。

 シュートか、或いはシンカー気味に打者寄りに食い込む変化球がバッターボックス内で構えていた白井さんの脚を直撃していた。


「んぎゃあッ⁉」


 白井さんは殆ど回避することも出来ず下半身に直撃を食い、支えを失った操り人形のように打席に崩れ落ちた。


「すいません!」


 おっさんが帽子を取って謝罪しつつマウンドを降りて来るが、白井さんは立ち上がる事も出来ないままバッターボックスで悶えたままだ。


「「うわあ、痛そう……」」


 櫻井姉妹の言葉がハモった。だがそう言いたくなるくらい綺麗な当たり方だった。

 おっさんの変化球が直撃したのは白井さんの向う脛だった。流石に軟式のボールということを考慮すれば折れていることはないだろうが、それでも痛い物は痛い。小中学生時代に俺だって散々身を以て体感してきている。

 白井さんが椛と水井さんに肩を貸して貰って、何とかベンチに戻って来た。ユニフォームのズボンを捲り上げ、ソックスを降ろすと、白く細かっただろう脚は早くも真っ赤に腫れだしていた。


「白井さんはちょっと休んでてよ。臨時代走は僕が出ておくから」


 ベンチに座って下がってコールドスプレーを吹いてもらっている白井さんにそう言って、球審に要件を伝え、秋人はさっさとファーストに走って行ってしまった。俺達には控えもいないし、仕方ないか。


「私の友達が身を張ったんだから、よろしくね、舞ちゃん」

「うん……!」


 託された打席。バットをケースから抜き出しながら舞が椛の言葉に頷く。

 舞が右打席に入る。キャッチャーがおっさんと同じくらい身長があるせいで、打席に入る舞が余計に頼りない程小さく見える。それでも、俺たちは彼女に託す。舞のさっきの言葉のおかげだろうか。俺も不安はない。


「星野先輩肩の力抜いて、リラックスしていきましょう」


 向こうのチームのキャッチャーがおっさんを嗜めるが、そんな事では狂い出した歯車は戻らない。一度リズムが狂ったピッチャーに、それを立て直すことがどれだけ難しいか、俺だってよく知っている。

 おっさんの変化球はさっきと打って変わって舞のストライクゾーンを捉えられなくなった。連続ボールでどんどん自身の首を絞めて行く。


「スリーボール、ノーストライク」


 球審の告げるカウントは舞に圧倒的に優位だ。結局次の1球もキャッチャーがサッカーのゴールキーパーか何かのように大跳躍して何とか止められたくらいの、暴投寸前のボールだった。


「ボール、フォア!」


 舞がフォアボールで出塁し、これで2アウトランナー1.2塁。首の皮一枚分希望が繋がった。しかもここに来ておっさんは調子を崩している。

 これには堪らんと言わんばかりにタイムを取り、内野陣がマウンドに集まった。


「わりい、ここまで追い詰められるとはな」

「まあ今の回のランナー2人については、悪い時の先輩のいつものパターンなので僕は気にしてないですよ。この程度平常運転です」

「いつもの言うな! 娘とその友達が見てるんだからさあ!」


 おっさん、意外とメンタル弱いのか? 土壇場で図太さを見せられる舞とは正反対だな。


「それに、俺達も援護出来なくて済まなかったな。女の子だからって油断してたつもりはないんだが……」

「うちの娘すげえだろ?」

「あんなに投げられるならうちのチームでピッチャーやって貰えばよかったのに。ノミの心臓のエース様の代わりによ」

「あーあー何も聞こえないっと。……それで、もう、アレ出していいか?」

「そもそも先輩既にやりたくてうずうずしているのが顔に出ていますよ」

「あの子もスローカーブ投げる前にそんな顔してたしな。やれよ星野」


 マウンド上でのやり取りは、昔馴染みの友人同士でもあるかのような気安く和気藹々としたものだった。とても一打サヨナラの場面のにこやかさではない。さりとて、試合を捨てたような弛緩した空気が漂っている訳ではない。皆好戦的な笑顔のままだ。


「月野、いいか?」

「先輩がやりたいなら、僕は準備出来てますよ」

「じゃあ頼むぜ」


 キャッチャーにそう言ってベンチに戻って行ったおっさんは、荷物の中から何かを取り出してマウンドに戻って来た。

 変化は、身に着けていたグラブが右投げ用から左投げ用になっていること……?


「……おっさん何考えてんだ? いきなり左投げ……?」

「かえでー! お父さんは元々ボクと同じサウスポーだよー!」


 え? つまり利き手と逆の手でさっきまでのスライダーを投げていたのか? 利き手と逆の手で120キロ前後のボールを投げていたのか? 想定していなかったぞ、こんなの。


「待たせたな小僧、最後の勝負と行こうぜ」


 おっさんがニヤリと笑って見せる。野性味はあるが、悪戯っぽいその瞳の輝きは確かにスローカーブお披露目直前の、彼の娘そっくりだった。


「プレイ!」


 俺がバッターボックスに入って、球審がプレイの宣告をし、バッテリーがサインを交わす。

 1つ頷いておっさんが投球モーションに入る。セットポジションからの高い足の振り上げと深いステップ。血は争えないと思わせるくらい、舞そっくりだ。いや、舞がおっさんのフォームを模倣したのか。投じられた第1球は速——⁉


「ボール!」


 少し高い釣り球に手が出かけたが、何とかスイングはせずに耐えた。

 目に残る白球の残像は、かつて俺がライバル視した透のそれに似ている。


「速ぇ……!」


 球速は多分、130キロなんて軽く超えている。透以外でここまで速い投手は初めて見たぞ。まして、サウスポーでは初めてだ。


「よく今の耐えられたね。星野さんが左にスイッチすると大体みんなボール球に手を出しちゃうのに」

「はは……。ノーコン速球派のピッチャーは見飽きてるので」


 下手すれば140キロくらい出ているかもしれない左腕の快速球を前に、背にじんわりと嫌な汗が浮いてくるのを感じる。


「よく見たな小僧、じゃあもっとギア上げて行くぜ」


 そう楽しそうに言いながらおっさんが次の投球モーションに入る。

 もはや見定めているゆとりはない。バットをギリギリまで短く持って何とか速球に食らいついて——


「ストライク、ワン!」


 だがおっさんの投げたボールは俺の振ったバットに掠りもしなかった。

 投じられた一球は、バットに当たる直前で急ブレーキを掛けられたように落ち、ホームベースを直撃した。

 ここでフォークボールかよ……! 完全に手玉に取られている……。


「星野先輩、凄く楽しそうだね。あのピッチャーの子と、君のおかげかな?」


 そう俺に声を掛けてくれるキャッチャーはややお疲れ気味だ。見ればフォークボールがベース上で跳ねて直撃したのか、マスクにボールがはまり込んでいた。


「あの、顔が大変な事になってますよ……?」

「そりゃねえ、こっちはスライダーのサイン出したのにワンバウンドするフォークがあの速度で飛んでくるんだからたまったもんじゃないよ」


 ぼやきながらマスクにハマり込んだボールを抜こうとするキャッチャーの姿はシュールだった。しかし、スローカーブを要求して、変に指に掛かった半速球を股間に投げ込まれたり、前触れもなくシンキングファストボールを投げ込まれたことのある俺には何も言えなかった。


「お互い、あの親子には苦労するね」


 ようやくマスクから外れた軟球を返しながらキャッチャーがにこやかに語りかけて来るが、こちらからは愛想笑いを返すだけで何も言えなかった。面越しにボールは顔を捉えたらしく、キャッチャーの彼の眉間が真っ赤になっていたから……

 おっさんの手元にボールが戻って第3球目。バットを短く持ってコンパクトなスイングで何とか当たったが、ボールは全く前には飛ばなかった。尤も、透を相手に打撃練習していなかったら、当てる事すら困難だっただろう。


「ファール!」


 結構上から叩きに行ったつもりだったが、やはりバットの上っ面に当たったらしい。打球はバックネット後方に高々と飛んで行った。

 ヤバいな、これで1ボール2ストライク。追い込まれた。一度間を置きたいが、俺が頭の中の混乱具合など知ったことかとおっさんが投球モーションに入る。初球のそれより更に速いストレートだったが、高めに外れている。俺のバットは回らずに堪えた。


「ボール」


 多少140キロオーバーの快速球に対する慣れがなかったら、むざむざ振って三振していただろう。ただし、カウントは2ボール2ストライク、まだ向こうには1球遊びに使える余裕がある。


「ナイセン、よく見たね」

「どうも…‥」


 少なくとも、明らかに枠を外すボールなら、多少速くても見定めは利きそうだ。だが、何を狙い撃つ? 来たボールを感じるままに捉えるなんてことが通じる相手だとは思えない。特にあのフォークはバットに当たる気さえしない。

 バッターボックスから外れ1つ深呼吸をする。


「かえで―! 落ち着いていけー!」


 舞が1塁ベース上から檄を飛ばしてくれる。その声援に、幾分か焦燥感が溶ける。


「思い切って行け! 当たれば儲け物だ!」

「楓先輩! どうせ先輩にフォークなんて打てっこないんだから腹括れー!」

「潔く三振してこい!」


 2塁ベースからの秋人が、ベンチからこよみと椛が好き放題言ってくれる。せめてそこは応援してくれよ! ただ、あいつ等の言う事にも理が無い訳ではない。


「ふー…………」


 身体の中を空っぽにするように長く大きく息を吐き、脳の隅々まで酸素が行き渡るよう大きく息を吸う。「何とかしなければ」と靄が張っていたような思考が晴れる。

 迷いを捨てろ。俺に出来る事などたかが知れている。

 バッターボックス入り直し、バットのグリップをいつもより1巻き分短く持つ。狙うは真ん中よりも内寄りの速い球一筋に絞る。もしもフォークが来たら? 迷うことなく1塁まで全力疾走だ!

 おっさんがセットポジションから投球モーションに入る。内角、ベルトの高さ。狙い通りの絶好球——


「……ッ!」


 ——と思ったら、曲った⁉ インコースのストライクゾーンからボールになるカットファストボールだ。バットの根元寄りのカーボン部分で捉えると、ボールが拉げるような感触があった。

 鈍い音と共にボールがハーフライナーなって打ち上がる。何とか全力で振り抜いたが、ボールはショートの頭を超えられるか?

 後方に駆けるショートが片足踏切で跳躍しグラブを伸ばす。グラブの網の先端がボールを捉える。だが、完全捕球には至ってない!


「いけぇぇぇえええ!」


 打球に祈りが効く訳がない。それでも声を挙げずにはいられない。

 ショートのグラブの網がしなり、ボールがグラブの先端からこぼれ落ちた。着地に失敗し肩から落ちるショートと、前に出て来たレフト、センターの中間地点をボールが点々とする。なんとか地面に落ちたものの飛距離は全くない。辛うじてショートの頭を超えたが、長打はないと思っていたのか、外野は揃ってかなり前進守備だ。

 舞が若干怪しい足取りながらセカンドに足から滑り込む。これでホースアウトは避けられた。だが、先行する臨時代走の秋人は本塁まで行けるか? 難しいと言わざるを得ない。少なくとも俺がサードのランナーコーチャーならとても回せない。だが奴はサードベース周囲で一切減速することなく、ベースを踏み、加速した。


「センター、バックホーム!」


 既にキャッチャーはベース上で待機、センターが素手でボールを拾い上げ、大きくステップを踏み込む。秋人のタイミングは傍目にはやや暴走気味だ。


「舐めるな高校生!」


 一喝と共にセンターからの返球は低く真っ直ぐな軌道を描きホームベースに迫って来る。速度は然程だがコースのズレはない。好返球だ。


「秋人! 滑れ!」


 ファーストベース上で叫んだ俺の声に、秋人が応えるように動いた。

 残り3mはあろうかという距離から、半ば飛び蹴りするかのように秋人が跳ぶ。

 マウンド前方でボールが跳ねる——キャッチャーまで残り10m足らず。ミットに吸い込まれていくボールに、全員の目が釘付けになった。

 ホームベース上の一瞬の交錯。足から飛び込みつつ、ホームベースを掠めるように素通りしながら左手一本だけでホームベースの一辺を撫でようとするのが分かった。センターからの返球を掴み取ったキャッチャーのミットは、半回転して秋人をタッチアウトにするにはコンマ数秒遅い——! 

 ホームベースの後方で、球審の手が広がった。

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