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第22話 VSちょいワルドラゴンズ 6回表:苦境・逆境

2024/6/6改稿

 6回表の【ちょいワルドラゴンズ】の攻撃は4番のおっさんからだった。


「いいゲームだな。ばっちり仕上げて来たじゃねえか。あの不器用だった娘が、こんなにしっかり変化球を繰って来るなんて思ってもいなかったぞ」


 打席に入って来るおっさんが屈託のない笑顔でそう褒めてくれた。

 褒めてくれるのは嬉しいのだが……。


「その仕上げて来た自分の娘を固め打ちしてる人が何言ってんだか」


 当のおっさんは今日ここまで2打数2安打と、舞を完璧に捉えている。

 2回はセンターオーバーでフェンス直撃のツーベースヒット、4回の第2打席にも左中間を深く破るツーベースヒットを放っているのだ。どちらもセンターを守る秋人の俊足・強肩無しではそのままランニングホームランも在り得た。

 そして、後続をぶった切る舞の気迫の投球がなかったら、とうに試合の均衡は崩壊していたはずだ。


「白ける事言うなよ。せっかく坊主という心強い味方のおかげで、あの野球娘がグラウンドに戻って来られたんだ。こちらも全力を出すのが礼儀だろ」

「投げる方は手加減してくれてもいいだろうが。俺やあの大きい女の子はともかく、女子中学生や美術部の女の子にまであのスライダーは大人気ないぞ」

「生憎だが坊主、俺はまだ最終形態への変身を残しているぜ? アレくらいは打ってくれなきゃな」


 最終形態への変身って、いつから橘市の草野球は超次元草野球になったんだろうな。

 第一その変身とやらをしていないおっさんを相手に【橘BBG】はここまで5イニングでたったの1点しか取れていない上に、加えて今後も中々取れる見通しがない。ここは何としてもおっさんを抑えて逃げ切りたい。


「プレイ!」


 球審のコールに頭を切り替えて、舞にサインを出す。正直、ランナーがいるなら勝負を避けることも一考に挙がっていただけに、トップバッターだったのは僥倖だろう。右打席のおっさんの体寄り、インコースにストレートだ。

 振り被った舞の指先からボールがリリースされた瞬間、俺の眼前で風が吹いた。そして火の出るような強烈な当たりが、サードのランナーコーチを直撃した!


「星野ぉ! 前に打ってくれぇぇぇえええ!」


 あーあ、と思った瞬間、サードのランナーコーチの悲痛な悲鳴がグラウンドに木霊した。それも止むなしか。サードを守るこよみが打球の速さに全く反応出来ていなかったし、相当痛かっただろうな。


「足が、足がぁぁぁあああ!」


 バッタンバッタンと砂地で死に掛けのトドみたいに悶えながら、ランナーコーチの彼が抑えているのは向う脛。ボールが当たる位置としては嫌なところだ。とりあえず向こうのベンチにコールドスプレーが有る事を祈っておこう。


「危なかったな……」


 犠牲者は出たが、カウントは1ストライクだ。こちらとしては『危なかった』で済む。

 だが問題はどうやって勝負するか。第2球、サインは外角低めギリギリを狙ったストレート。おっさんは体格が良くリーチもある。多少甘く入れば前2打席と同様にガツンとやられるだろう。

 俺が構えた外角低めに、舞は首を横に振らなかった。投じられたボールがアウトコース目一杯、おっさんの膝の高さギリギリを射抜くが、おっさんは手を出す素振りも見せなかった。


「ボール」


 いいコースではあったが、どうやら少し外れたらしい。ストライクゾーンの枠を広く取る審判だったらおそらく取ってくれただけに、これは運が悪かったな。

 際どい判定では有ったが、特に舞の表情は変わらない。ストライク程度いつでも取れると言う事か、全く頼もしいピッチャーだ。


「楓、ボールちょうだい!」


 前言撤回。投げて一呼吸も置かずに返球を要求する辺り、結構不満らしい。

 第3球。今度は打って変わって真ん中高めギリギリのコースに、おっさんのバットが伸びた。だが伸びのある舞のストレートを前にジャストミートとはいかない。

 チッという擦れた音を残して、ボールが俺の頭の上を超えた。


「ファブッ⁉」


 バットの上面を擦ったボールは俺の構えたミットの上を通過し、今度はどうやら球審を直撃したらしい。背中越しに、何かがバタリと倒れる音がした。この親子の戦い、第三者への被害が酷いな。とはいえ、追い詰めた。

 1ボール2ストライク、こちら優位のカウントだ。ここで切ろう。

 ストレートに全く振り負けていないおっさんを切るには、これが最善手だろう。俺のサインに舞が1つ頷き、投球モーションに入る。

 リリースした指先からふわりと一瞬浮き上がるようなボールに、既に踏み込んでいるおっさんが大きな空振りを——しなかった。


「んんんッ!!」


 スイングを崩され、完全に泳ぎながら左手1本の片手打ちになりながらも、下半身で粘って辛うじて当ててファールにしやがった。なんて体幹と下半身してんだ。


「これでも切れないのかよ……!」

「お父さんさ、まだ娘には負けたくないのよ。さあ来い!」


 カウントは変わらず1ボール2ストライク。

 サインはどうする。もう一度スローカーブを行くか。直前のファールボールを見る限り、あまりタイミングが合っているような感じではなかった。

 瞬きする間の短い黙考。俺は舞にもう一度スローカーブのサインを出した。構えるコースは真ん中低め一杯。最悪枠を外してもいい。

 頷きを返して投球モーションに入った舞の指先から、ふわりとボールが浮き上がる。

 おっさんのバットが動き出した瞬間、俺は勝ったと思った。

 しかし、おっさんのバットは、回らなかった。スイングの一連のモーションが止まり、構えのトップ位置が崩れない。ベルトよりもボール1つ分下に入って来た緩いカーブを、しっかりと右足に重心を残して巧く捌いていた。

 鈍い音と共に白球がセカンドの頭上を鋭く抜き、右中間でボールが跳ねる。速い球足は芝を物ともせず右中間奥まで転がっていく。


「秋人! ボールセカンド!」

「分かってるよ!」


 秋人が右中間最奥でフェンスに当たったボールを拾い、セカンドベースに入ったちひろちゃんのところまでノーバウンドの大遠投で返して来る。しかしバッターランナーのおっさんは既に滑り込むこともなく2塁上に立っていた。

 今の1球、俺も攻め方が少し安易だったか? いや、そんなことは今考えるべきことではない。ノーアウト2塁。同点のランナーがスコアリングポジションにいるのだ。どうやってこの局面を凌ぐ。


「楓ゴメン、少し浮いた」


 マウンド上で渋面を作りつつもペロッと舌を見せて舞がそう言った。どうやら自覚はあるらしい。今のスローカーブ、おっさん相手に決めに行くならあの高さは甘過ぎた。最悪ボールでも良かったが、カウント有利故にストライクを欲張ったか。


「仕方ない。切り替えて行くぞ!」


 打たれないピッチャーなんて物はいない。世界では170キロを投げる投手ですら時には打ち込まれるのだ。俺達に至っては言うに及ばないだろう。

 ボールを受け取った舞がマウンド上で1つ大きく息を吐いた。俺もそれを見て深呼吸をする。焦るな。万全を期せ。

 5番打者が右打席に入って来る。キャッチャーを務めている彼も、ここまで2打数1安打。その1安打が不格好なヒットならともかく、4回の第2打席がセンター前にクリーンヒット過ぎたせいで、おっさんが本塁まで走れなかったくらいだ。

 見た感じ、スイングスピードはこのチームでおっさんに次ぐ。安易にカウントを取りに行けば、やられるだろう。それこそ今のおっさんのツーベースヒットと同じくらいには。


「ボールフォア!」


 1ストライク3ボールからの5球目に投じられたストレートは低めに外れ、ショートバウンドして俺のミットに収まっていた。

 意識はしていたが、今度は少し慎重になり過ぎたな。舞とピッチングについて意思疎通が出来ていなかった訳ではない。寧ろ舞もこのバッターの危険度をしかと認識していたからこそ、甘く入るくらいなら歩かせてしまえというスタンスで臨んでいたのだろう。

 続く6番は1ボール0ストライクから、低めのストレートをファーストストライクで送りバントをしてきた。ここまで2打席連続三振だったが、ここはピッチャー前に上手く転がされて1アウトランナー2塁3塁に形勢が変わった。

 6回表、1対0、1アウトランナー2塁3塁。抑えれば勝利がグッと近付き、ヒット1本でその相対距離が丸々入れ替わる可能性もある。まだこの回打たれたヒットは1本。だが2塁には逆転のランナーも居る。

 この局面、申告敬遠で塁を埋めてしまうことも一考か……?


「いや、無しだな……」


 一呼吸も置かず、脳内で立てた自分の作戦を否定する。

 仮に満塁策で塁を埋めたところで、ホームゲッツーを取ろうにも俺がファーストに転送出来ない。サードやショートにゴロが転がっても、セカンドは野球初心者で現美術部の白井さんでは到底併殺の成立を望めないだろう。

 おそらくこの内野陣で併殺を成立させられるとしたら、ファーストの椛が最初の打球を処理し、セカンドベースにちひろちゃんが入る3-6-1の形くらいだろうが、その為に打たれた際のリスクを積み増しするのはやはり愚策だろう。

 本来有効な策を愚策に貶める俺の肩に苛立ちが募るが、そんなことは後で考えろ。


 7番打者が打席に入った、その初球だった。

 セットポジションから投じられた少し緩い回転の高めのストレートに対して、綺麗にバットが合わせられた。鈍い音と主に、ボールは左中間の空に高く舞い上がるが、大丈夫だ。左中間やや深いところだが、フェンスまでは到底届かない。

 ボールの行方、守備の動きを等分に見ている俺の視界の隅で、おっさんが3塁に帰塁したのが見えた。タッチアップには十分な飛距離か。後は秋人の守備力と肩に賭けるしかない。今の俺には無理だがあいつになら或いは。


「秋人ぉッ!」

「あいよぉッ!」


 空気抵抗に帽子が吹き飛び、長い茶髪を靡かせながら秋人が左中間を駆ける。

 飛距離は目測で70m。本来レフトが動くべき守備範囲だが、脚自慢の秋人が快足を飛ばして追い付き、その飛球を掴み取る。しかしプレイはそこで終わらない。秋人がこちらを見たのが分かった。

3塁の塁上に居たおっさんが、秋人の完全捕球を確認してスタートを切る。


「楓ぇッ!」


 槍投げを彷彿させるような大きなモーションから投じられた秋人の送球は、低い軌道で中継に入ったちひろちゃんを一瞬で横切り、ワンバウンドで俺の元まで届いた——


「ひええ、あのセンターおっかねえ肩してるなぁ」


 ——ボールが俺のミットを叩く感触と、スライディングから立ち上がってきたおっさんの声は、ほぼ同じタイミングだった。


「セーフ!」


 秋人の速く正確なスローイングもタイミングは無情だった。

 捕球こそ出来たが、タッチプレーまで持ち込む事も出来ずにおっさんは生還。これで1―1の同点だ。ここで追い付かれたか。不味いな。


「先輩、次!」


 サードから聞こえた声にハッと我に返る。

 そもそもまだインプレー中だ! 試合が終わる以前にプレイが完結してすらいない。

フィールドに眼をやれば、秋人の中継無し本塁送球を確認して、2塁ランナーが3塁に向けてスタートを切っていた。まだ2、3塁間6割程度のところ。この走力なら刺せる。


「サードッ!」

「ちょッ! 楓先輩⁉」


 ワンステップ入れた俺からサードベース上のこよみへ矢のようなスローイングは無かった。ここで終わらせたい。死力を尽くす舞を楽にしてやりたいと思ったが、今の俺にはそれだけの力すらなかった。

 腕を振り上げた瞬間、右腕全体の痺れるような痛みと共に足元にボールが力なく点々と転がった。そもそも投げられないポンコツだから、俺はここにいるのだ。


「痛ッ!」


 痛む右肩を圧してボールを拾い上げるが、既にランナーは3塁に到達している。またしても俺の肩が取れただろうアウトカウントを1つふいにしてしまった。


「楓大丈夫⁉」


 バックネット前でカバーリングに入っていた舞が駆け寄ってくる。もう舞だって俺のこんな姿なんて何度も見ただろうに、目を白黒させて本当に慌てているらしい。

 身を案じてくれることが嬉しい反面、案じられる自分の不出来さに苛立った。


「……悪い、刺してやれなかった」

「そんなこといいから! 楓のケガの方が一大事でしょ!」

「そんなの、もうやっちまったことだから仕方ないだろ」


 舞は頑張っているのに、俺が足を引っ張っている。

 もし秋人がキャッチャーをやっていればあんなもの余裕で刺せただろうと思うと、募る歯痒さに思わず態度が固くなってしまった。


「……次は自制する。すまなかった」


 自分の身体的欠陥への苛立ちを舞に転嫁しても仕方ない。捨て鉢な返答を仕掛けたことを謝っておく。

俺のケガは派手に動かせばすぐに痛みが再発する。だが、先に希望が持てなかったばかりに、積極的治療を選択しなかったのは俺だ。それを今になって後悔し、他人に苛立つのはお門違いだ。

 吹っ切れようとする俺を背中から押すように舞の声が耳に届く。


「大丈夫だって。そんな一々世界が終わりそうな顔しなくていいんだよ。試合は終ってないんだから、前向くよ! ほら、楓も声出して」


 マウンドに戻る最中、舞が俺の左肩をぽんと叩いていった。

 舞は白い歯を見せさも楽しそうに笑って見せるが、手の届きそうな勝ちが消え、その上送球難のキャッチャーのせいで断ち切れたハズの相手の攻撃が続いている。おそらく心中は穏やかじゃないだろう。


「ボク達は、まだ負けてないよ」


 舞がグラブを着けた右手で、自身の無いに等しいぺったんこな胸を叩いた。まだ彼女の目には闘志がある。嫌なムードが漂い出したところを、舞がピシャリと〆てくれた。


「ああ、そうだな」


 まだ負けていない。まだ同点だ。勝ちが遠ざかり、手繰り寄せ事が厳しいと思えるバックグラウンドがあったところで、目の前の勝負にはまだ負けていない。きちんと分けて考えろ。

 2アウトランナー3塁で打順は8番。ここまで2打数2三振。スローカーブに全くタイミングが合っていなかった印象があるとはいえ、勝ち越しのランナーが3塁に居るのだ。内野ゴロ1つにも恐怖を覚える場面だ。

 さっきのおっさんに綺麗に捉えられたスローカーブのイメージが嫌に残るが、そのイメージを脳から追い出す。切り替えろ。目の前の相手に集中しろ。

 舞に出すサインはスローカーブ。俺と同じことを思っていたのか、舞も少し渋そうな表情を見せたが、首を縦に振った。

 舞の投じた初球のスローカーブは、大きな弧を描き外角低めを射貫こうとしたところで、バットに遮られた。バットのカーボン部分で捉えた鈍い音と共に、3塁方向のファールグラウンドに小フライが上がる。

 マスクを取っ払い、ボールを追う。ガチャガチャと音を立てるレガースが脚の可動を妨げる。胸の前で微かに揺れるプロテクターが邪魔くさい。

 ボールは既に頂点を過ぎ、落下し始めている。


「……ッ!」


 スライディングキャッチ? いや、無理だ。この速度で足から滑っても届かない。目の前のそこに落ちる事が見えているに、その10歩に満たない距離が、遠い。

 これが捕れないようなら、俺はここに居たら駄目だ。アウト1つでも、チームに貢献したい。

 1歩、もう1歩踏み込む。ベンチに居並ぶおっさんたちの顔に驚愕の色が浮かぶのが周辺視野でぼんやりと見えたが、そんなことはどうでもいい。ボールを追い掛け、ふわりと身体が宙を舞った。キャッチャーミットが歪な回転を孕む打球を受け止め、掴み取る。目の前には緑の——


「ッ——⁉」


 ——防球フェンスの存在を認識するよりも先に、俺の身体は滑り込んだ余剰速度を殺し切れず、身体ごとベンチ前の防球フェンスに突っ込んでいた。フェンスに身体がぶち当たり、衝撃で変な声が出た。

 だが、土埃の中、俺は左手を掲げる。大丈夫だ。完全捕球している。


「アウト!」


 チェンジを告げる球審のコールに安堵する。ファールフライをダイビングキャッチで掴み取ったとは言え、距離も速度もギリギリのプレイだった。今もボールはキャッチャーミットの網の中で引っ掛かっているような状態だ。もう少し変な回転をしていたら、弾けてしまって片手1本では捕球出来なかったかもしれない。


「いてて……。ちょっと深追いし過ぎたかな……」


 ぶつかった先が壁ではなく金網でまだ良かったな。斜めに突っ込んだせいでフェンスに衝突した左半身が全体的に痛いが、少なくとも右腕のように痺れたり病的な痛みはない。それどころか、身体の痛みよりも心理的な安心感の方が強かった。

 俺は至らない事ばかりだが、俺も少しくらいは舞やチームの力になれただろうか?

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