第20話 VSちょいワルドラゴンズ 1回:待望
2024/6/10 全体改稿
先攻は【ちょいワルドラゴンズ】舞の投球練習の終わりに合わせて右のバッターボックスに入ってくる顎鬚の男性に、俺は見覚えがあった。おそらく舞も同じだろう。
「久しぶりですね。今日もお手柔らかにお願いします」
「こちらこそ、お手柔らかに頼むよ」
バッターボックスに立った顎鬚の男は、先の【オジサンズナイン】との試合の際にも、トップバッターだった相手だ。助っ人か、或いは向こうでの出場が助っ人だったのか。
まあいい。舞が手にした新たな手札の検証には丁度いい試金石だろう。
「しかし、君もあの子も、この前【オジサンズナイン】にアレだけやられて、よくまた直ぐに試合する気になったな。しかも今日の相手は去年の県内の草野球大会で上位入賞チームだよ? 何か秘策でも持って来たの?」
「秘策なんて大層な物はないですけど、野球はそういう競技じゃないんで」
そう応えながら、マウンドに立つ舞の表情を見る。さっき間近で見たほど詳細には見えないが大丈夫だ。舞も十分落ち着いている。
相手の前評判から考えれば、かなり分の悪い戦いだろう。それでもしっかりと抑え、きっちりとチャンスメイクして1点ずつ取って行けば、決して勝てないゲームではない。そう自分に言い聞かせる。マウンド上の舞も俺と同じように大きく1つ息を吐いた。
「1つずつきっちり抑える。それだけです」
口で抗戦しながらサインも交わす。頷いて投げ始める舞のフォームは、小さな体に宿る大きな力を十分に感じさせてくれる。
舞の指先から離れたボールが俺のミットを叩く。初球は甘々と言ってもいいほどの絶好球だったが、彼は打つ素振りさえ見せなかった。
「この間よりボールが走ってるな」
「仕上げてきましたからね。
返球しサインの交換を行い、一呼吸分の僅かな時間。振り被った舞の指先から放たれる速球が、打者の胸元、ストライクゾーンの高めいっぱいを射抜いた。
ボール気味だったそれにも一瞬躊躇ったように振られたバットは、完全に降り遅れて空を切っていた。
「ストライクツー!」
「ナイスボール! ここで決めるぞ!」
ここで俺から出すサインは、ついさっき決めたばかりの新造のサイン——スローカーブのサイン。早速の実戦投入だ。
さっき秋人の頭を直撃したあの一投がフラッシュバックするが、使うなら有利な状況、0ボール2ストライクの今を置いてあるまい。
スローカーブのサインに対して、舞が口元を綻ばせた。全く、ポーカーフェイスも何もあった物じゃないな。顔が「これから何かします」と言っているようなものだ。それでも、彼女の勝気な笑顔に、俺の胸は微かに弾んだ。
サインに頷いた舞が大きく振り被り、大きく右足が上がる。小さな足が大きく踏み込み、ほっそりとした腕が力強く振りぬかれる——だがボールが来ない。
「……ッ!」
マスクで狭い視野の端で、顎鬚の横顔が驚愕に歪んでいた。俺だって驚いている。
まるで一瞬時間が止まったように錯覚するほどに、舞の投げたボールは遅かった。リリース位置から山なりに浮き上がり、そして大きな弧を描き、俺のミットに落ちてくる。
文句のつけようもない完璧なスローカーブに、打者は完全に体制を崩して、無様にホームベースに頭から突っ伏していた。
「ストライク! バッターアウッ!」
秋晴れのグラウンドに審判のコールが響いた。
「最高だ! ナイスピッチング!」
俺からも100点をあげていいほどに、完璧なスローカーブだった。もしかしたら既に教えた俺すら超えたかもしれないな。
トップバッターを三振に切って取り、舞は試合開始早々フルスロットルだった。2番をインコースのストレートで完全に詰まらせたサードゴロに切り、3番は対1番の焼き増しの如きスローカーブで三球三振を奪った。俺からコメントするような事は何もない、まさしく完璧な立ち上がりだった。
「舞先輩絶好調ですね。おかげでバックは退屈ですよ」
ベンチに戻ったこよみはそういうが、サードゴロが一本飛んできたこよみはまだマシなほうだ。さっきの1イニングでボールに触れたのはピッチャーの舞とキャッチャーの俺と、サードゴロを処理したこよみとファーストの椛の4人だけ。ほかの5人に至ってはボールに触れる機会さえなかったのだ。
「楓先輩、舞先輩に何かしたんですか? ちょっと舞先輩をハッスルさせるようなことを」
そんなことを耳打ちするこよみだが、どうして表情が下種っぽくなるのだろうか。少なくとも妹のちひろちゃんからはそんなことは伺えないんだけどなあ。
「なんもしてねえよ。人聞きの悪い」
「本当ですかぁ? たとえばこの試合勝ったら楓先輩から特別なご褒美が——とか?」
「特別なご褒美ってなんだよ……? そんなものはねえよ。ただ1球だけ、俺のスローカーブを見せただけだ」
「本当にそれだけですか?」
「ああ、俺はあんまり関係ない。変わったのは舞の努力の結果だよ」
こよみが一体どんな返事を期待したのかは知らないが、今日の好調もやっと投げられた変化球も、すべて舞の努力の結実だ。第一マウンドに立つためにずっと1人で練習に勤しんでいた舞が、俺の『ご褒美』程度に調子を左右されるわけがない。ただ——
「ご褒美か、考えてもいいかもな……」
「じゃあ私ポ○リでお願いします!」
「いや、こよみには言ってないからな?」
こよみはこよみで、何をさらっと便乗しようとしているんだか……。人をおちょくるわ、人に集るわ、油断も隙もないな。
「じゃあ僕はチェリ〇で頼むわ」
秋人よ、お前にも言ってない。
もう突っ込むのも面倒なので放っておいたら、秋人はベンチの隅に蹲って地面にお絵かきをし出した。もういいや、気にするまい。
「だいたい、いくら舞が抑えたって、点が取れなきゃ勝てないからな。頼むぜ4番さん」
「任せてください。その代り、打ったら私にもご褒美くださいね」
「考えとくよ」
そう言いながらプロテクターを脱ぎ、レガースを外していく。やっぱりキャッチャー2試合目程度じゃなかなか慣れるものじゃないな。留め具が砂を噛んで全然外れない。
「バッター早く」
「楓、呼ばれてるぞ」
球審からの呼びかけに、早くも復活した秋人が俺の背を叩いた。キャッチャーのレガースやプロテクターの着脱も面倒だし、もっと打順下げればよかったな。
「プレイ!」
打席に俺が入るのを待って、球審のコールでプレイが始まる。
マウンド上に立った舞のお父さん——おっさんがセットポジションから早く小さなフォームで第一投を投じてくる。足を上げる時間が小さくてタイミングが微妙に取りにくいな。
投げられたボールは外角高め、初球打ちするには厳しめのコースだが、十分ストライクゾーン内だった。
「ストライーク!」
キレのある球審のコールとは裏腹に、俺としてはなんとなく腑に落ちない気分にさせられる——予想以上に球が来ない。
おっさんの身長は見たところ180台半ば程だ。俺や舞は勿論、170台半ばの秋人よりも更に高く、マウンドの高さも相まってかなり高く見える。ただ今の1球、球速は120キロ程度といったところか。舞とそう大差がない。遅い訳ではないが、体格から思っていた程の脅威はない。
確かに橘BGには初心者が複数いて強力打線とは言い難いが、それでも上位打線のこよみや秋人ならこのくらいの速度、十分対応してくれるだろう。そして俺だって。
続く2球目、真ん中高めに浮いた初球と同程度の球速のストレートを俺は叩いた。秋人から借りたビヨンドマックスが鈍い音を立てながら、ボールをセンターへと弾き返した。
「ナイスバッティング!」
久し振りに綺麗なヒットが出たな。ボールに力があるおかげで芯に当てれば楽に飛んでくれた。さて、後は何とか得点圏に進んで——
「楓バック!」
「は——っ⁉」
——ランナーコーチの舞の声に反応して咄嗟にファーストベースに手から戻る。
タッチしてきたファーストのミットにはきっちりボールが収まっていた。後半歩反応が遅れていたら余裕の牽制死だった。
「あぶねえ……!」
舞の一喝が無ければ、確実にアウトだった。
おっさん牽制上手すぎだろ。明らかに俺や透よりも上手いぞ。
「ランナー気を付けて、まだやってくるよ!」
「打って終わりじゃないっスよー、マヌケせんぱーい!」
「櫻井姉は黙ってろ!」
こよみにそう返しながらも、おっさんの動きを注視しながら慎重にリードを取る。あれだけ牽制が早いと大きなリードは取りにくい。キャッチャーの肩も投球練習終わりのスローイングを見るにそれなりに良いし、このバッテリーから単独スチールは厳しいだろう。
「楓さん!」
塁上で隙を伺っていた俺をバッターボックスから呼ぶ声がした。ちひろちゃんがヘルメットの鍔を触った。このサインは。
おっさんの2球目の投球に対して、ちひろちゃんがバントの構えを取る。足を止めて確実に転がし、ランナーを進行させるためのバントだ。
コツンと微かな音を立ててボールがピッチャーとチャージを掛けて来たファーストの前を点々とする。勢いを完全に殺した絶妙なバントだ。俺はセカンドに滑り込まず、オーバーランしたところで止まる。
おっさんのフィールディングによりバッターランナーのちひろちゃんはアウトになったものの、完璧な送りバントで1アウトランナー2塁。スコアリングポジションだ。
追い打ちを掛けてやりたいところだったが、3番の秋人は初球から外のスライダーを強打して火の出るようなピッチャーライナーに倒れた。
打った瞬間、センター前を確信して飛び出すほど当たりは良かったが、こればっかりは痛烈なピッチャー返しを平然と捌いたおっさんが1枚上手だったな。全力で頭から帰塁して何とかダブルプレーにはならずに済んだのは幸いだった。
秋人こそ倒れたが、クリーンナップはまだ継続だ。2死2塁の得点圏で続いて4番のこよみが打席に入る。
「ッシャ来いや!」
うん、打席に立つ前の掛け声が既に女の子止めてるよね……。俺の相棒よりも長い、物干し竿の様な金属バットを携え、ドカッとこよみが構える。威圧感あるなあ。
セットポジションからおっさんがこよみに投じた初球は外へのスライダー。明らかに外れたボール球にこよみのバットはピクリとも動かなかった。
1ボール0ストライクからの第2球。セットポジションからおっさんが足を上げる。今度はクイックではないバッター集中の投げ方だろうか、投じられたストレートの球速はさっきの楓やちひろちゃんへ投じたストレートよりは多少早いか。尤も、こよみにとってはさして問題にはならなかったらしい。
アウトロー少し厳しいコースに投じられたストレートに、こよみが踏み込み、一閃——
澄んだ金属音と共に強烈なライナーが右中間を襲った。【オジサンズナイン】よりもライトとセンターの守備は上手だが、それでもこれなら行ける。
俺が三塁をまわって本塁に向かうも、ボールは中継に入った二塁手までしか返って来なかった。先制のホームを踏みまずは1点。【橘BBG】が先取点を挙げた。
「どーよ! 楓先輩、ポ○リ1本お願いしますよ!」
「分かったよ、ナイスバッチ!」
ここまで期待通りの1打をされたら、まあジュースの一本くらい仕方ないか。
出来ればこのままつるべ打ちで追加点を取って舞を楽にしてやりたいところだったが【橘BBG】の打線は言ってはなんだがここから下り坂だ。5番の椛はクイックモーションから投じられたストレートにタイミングを取れず、どん詰まりのセカンドフライに倒れた。
とはいえ待望の先制点だ。これで舞も多少楽になるだろう。
 




