第1話 チーム作り①
2018/1/9 一人称修正しました。台詞と地の文を少し離してみました。
2018/7/10 一部改稿しました
2024/6/6 全面的に改稿しました
4限終わりのチャイムよりも早く授業が終わった。思いがけず始まった昼休みに、俺のいる2年2組の教室の中はざわめいていた。まあ昼飯時だし仕方ないか。
喧噪の中で俺は必要最低限にも満たないことしか書いていない紙を目の前に黙考していた。いや、本当にどうしたらいいのだろうか? このポスター用紙。
「よう楓!」
「ッ⁉」
唐突に背後から叩かれた肩の衝撃に、思わず椅子から落ちそうな勢いで驚いた。
飛び跳ねんばかりにびっくりして、振り返った先にいた見知ったイケメンの面に溜息が出そうになる。小中高とずっとつるんでいる悪友の赤城秋人がそこに白い歯を輝かせて立っていた。
「何だ秋人かよ……。驚かせるな」
「何だとは何だよぉ。昨日のお前は『明日には死んでるんじゃないか』と思わせるくらいだったから気にしてやったんだぞ。これでも」
秋人の言う『昨日の俺』とは、丁度教官室に野球部の退部届を出しに行く前のことだろう。あの時の自分の顔は見ていないが、コイツがそう言うのなら相当な顔色だったのだろう。
実際のところ、昨日はいろいろあり過ぎて、まだ全てに完全な心の整理はついていない。それでも野球が好きだと改めて気付けたのは昨日の収穫だった。
「嘆いて肩が治るわけじゃないからな。俺も少しは前を向く努力をしないと」
「そうだね。大変だろうけどいつまでも引きずるわけにもいかないしね」
そしてとりあえずは前を向くことの第一歩として、俺はこの紙——草野球のメンバー募集ポスターを書き上げなければならないのだ。
「しかしあの野球馬鹿だった楓もこれで野球納めか……。まあまたガキの頃みたいに一緒に放課後つるんで遊べるのは悪くないけどさ」
「そうでもないさ。野球部は辞めたけど、野球納めとは言ってない」
「え、そうなの?」
聞き返してくる秋人に「ああ」と小さく頷く。
昨日舞とキャッチボールしているときに感じたのは、目標がどうと言うのでもなく、ただ俺が野球というものが好きであるということだった。
やっぱり、プレイヤーとして先や発展性がないからと言って、簡単に切り捨てられる物ではなかった。
「それで、さっきから熱心に描いてるそれは、部活を辞めても野球に関係あるものなの?」
「まあな」
そう言いながら紙面に鉛筆を走らせる。書き終わったのはまだ半分程度だというのに、横合いから伸びて来た手にポスター用紙を奪い取られる。
「どれどれ?」
「あっ、返せ。まだ書き終わってないんだよ」
秋人に横合いから取られた紙をすぐに取り返す。
折角話しかけてくれる秋人には生憎だが、現状こいつに構っていられるほど進捗が良い訳ではないのだ。
「草野球のメンバー募集? 何でまたそんなこと?」
「多分それはすぐ分かる」
一瞬で文面を読みとって、疑問を呈して来る秋人に俺はそう返す。
チャイムが鳴ったし、他のクラスも昼休みがそろそろ始まる頃か。廊下から跳ねるように駆ける足音が聞こえてくる。
「かえでー! いるー?」
教室の後ろ側の扉から響く可愛らしいソプラノボイスに、食事中のクラスメイトたちが一斉に振り返った。なお、俺を見つめる秋人の目は完全に点になっていた。
「こういうことだ。ごめん秋人、少し行ってくる」
「あ、ああ……」
呆然としながらも硬直する秋人を他所に俺は席を立った。
教室の後ろ側の出入り口で手を上げて舞は俺を呼んでいた。
「か・え・で! は・や・く!」
「今行くって」
「は・や・く!」
教室を出たところで急かしてくる舞に手を引かれた。左手を握られてまだ昼飯も食べていないのにいきなり全力で走らされる。
「——!」
何故か自分の席の方から人にあらざるモノの叫び声が聞こえた気がしたが、既に舞に引かれて走り出していた俺はそれを無視することにした。
☆☆
小走りの舞に手を引かれながら走って、連れてこられたのは野球部でもよく使っていた体育館下のピロティだった。一息吐いて、期待に満ちた顔で舞が見上げてくる。
「昨日楓は何か策がありそうな感じだったけど、どんな作戦なの?」
「とりあえず勧誘のポスターを作って、知り合いのバッティングセンターとかに貼らせてもらおうかと思って書いたんだけど……」
尻窄みな言葉と共に舞に差し出す小さめのポスターには『女の子も可』『初心者歓迎』などの俺たちのチームの求める選手の要項と、舞から渡された彼女のメールアドレスが書いてあるだけだった。肝要となるチーム名の欄さえ空欄だった。
「書き上げようにもまだ決まってないことが多すぎるんだよ。チーム名くらいは昨日決めておいてもよかったかもな」
「チーム名かぁ……」
小さな頭を抱えるように考え込む彼女の姿はなぜかハムスターを連想させた。有り体にいって小動物ぽかった。
「うーん、例えばだけど橘BBGは?」
「え、俺もう解雇⁉」
そのチーム名だと俺は解雇じゃねえか! まさかの始まる前から戦力外通告⁉
「俺の立場は⁉」
「それはまあ……。楓は可愛いからセーフってことで?」
舞はそう言って契約更改してくれたが、これ誉め言葉と受け取っていいのかな?
少しの迷い。考え直したくなりはするが、女の子だからと舞を選手として受け入れなかった橘市の全てのチームに対する宣戦布告の表明には丁度いいのかもしれない。名は体を表すと言うことだしな。
「……まあ、クビじゃないならいいや。後はイラストでも付けるか? その方が見栄えがいいだろ?」
「う……。ボク絵はちょっと……」
そう言って頭をぶんぶん振り回すあたり、本当に絵は苦手なのだろう。
そして当然といえば当然かもしれないが、野球馬鹿だった俺にとっても絵や美術など縁遠いもの以外の何物でもない。中学で美術だけ内申点下がるくらい苦手だ。
お互い顔を見合わせて完全沈黙すること5秒。2人揃ってため息をついた。
一瞬美術部に所属している昔馴染みの顔が脳裏を過ったが、出来ればアイツに借りを作りたくはないしなあ。やっぱりこのまま俺たちだけで頑張ろう。
「……じゃあ字だけでいいな。なんか勧誘文句を考えるか」
「そうだね」
そう言いながらも舞は取り出したシャーペンで、ポスターに意外と女の子らしい可愛い文字で下書きをしていく。
チーム名を入れ、あれこれする内に見る見る内に空白が埋まっていった。あとはこちらでカラーの油性ペンでも使って文字のフチ取りをして軽く色を塗れば完成か。
「それじゃあこいつは帰りにコンビニでカラーコピーして、知り合いのやってるバッティングセンターにでも貼らしてもらうか?」
「うん、そうしよ!」
「決まりだな。じゃあ俺は教室に戻るよ。そもそもなんで外に出る必要があったんだ?」
教室に足を向けようとした瞬間、強烈に袖を引かれる感覚があった。振り返った先には当然舞しかいない。
顔中にニコニコ満面の笑顔を湛えながら、舞が無言で差し出してくるのはやっぱり野球のボールだった。少しだけ嫌な予感がした。
「なあ舞、お前弁当は……?」
「そんなのとっくに食べたよ? お昼も楓が相手をしてくれるかなって思ったから」
舞の肩の上で揺れる髪に、幻の尻尾が見えた気がした。全力で尻尾を振っている小型犬だ。
「悪いが、俺はまだ昼飯食べてないんだよ」
「残念……」
そう言って小さく肩を落とすあたり、本当にこちらの都合はぶっ飛ばして期待していたらしい。とはいえこれだけしょんぼりされると流石に俺も良心が咎める。
「代わりってわけじゃないけど、後でバッティングセンターに行こうぜ。行く用事もあることだし丁度いいだろ?」
「うん!」
そう言って舞は首を縦に大きく振った。追従して揺れる髪に子犬や子猫の尻尾が見えた気がして、少しだけ心が和んだのはここだけの話だ。
なお舞が書き加えた勧誘文句はチーム名よりも大きな『野球しようよ!』だった。野球したくないやつがバッティングセンターに行ってそのポスターを目にする機会があるのかは、俺にも分からなかった。
☆☆
「ただいま。秋人」
「おかえり……」
教室の自分の席に戻ると、秋人が弁当箱を枕にして机に突っ伏していた。「よよよ」とか言っているが、今時「よよよ」なんて言う奴いるんだな。
なおクラスメイトの男の席で伏して、さめざめと泣くような素振りを見せる姿に周囲の女子生徒が完全にドン引きしていた。秋人は気にしていないようだったが。
顔が良いのにプライベートに女っ気がないのも多分こういうところのせいだな。
「わざわざ昼飯待ってもらったみたいで悪いな」
「ああ、別に飯くらい待つさ。でもなあ、楓……。いつから彼女が?」
「はあ? 何言ってんだ?」
「あれだけ見せ付けてくれておいて誤魔化せると思ってるのか……? お前僕の事を少し舐め過ぎちゃいないか?」
俺の左肩を凄まじい力で掴みかかってくる秋人の目は思いっきり血走っていた。
万力か何かに握られたように左肩の骨が痛むんだが、こいつまさか握力だけで俺の左肩まで破壊する気じゃないだろうな⁉
「俺とあいつはそんな仲じゃねえよ! ただの、野球仲間だ」
「そうか……。楓、お前はまたこうして男同士の友情よりも女を取るんだな?」
「そんなもの天秤に掛けたことないからな⁉」
「——ま、マジな話、どうせそんなことだろうと思ったけどね。楓の言うことだし、本当にただの野球仲間なんでしょ?」
「あ、ああ……。つーか急に冷静になるな」
血走った目まで演技とは恐れ入るわ。加えてこんなあっさり俺の言い分を信じてくれるなら、握られた俺の左肩は痛み損じゃないか?
「僕はいつだって冷静だよ。第一お前を知ってる奴に『楓に彼女が出来ました』って言って信用されるわけがないだろ? 彼氏が出来る方がまだ説得力がある」
「よし、一発殴らせろ」
ニッコリ笑ってそんなことを言ってくる秋人に、とりあえず報復に左手で肩にパンチを放ってやったが、秋人の左の掌で軽く受け止められた。流石は元キャッチャーだな。
「俺にだっていつかは彼女の1人や2人は出来る。……うん、いつかは」
時期は明言しない。可能性は可能性として残っていればそれでいい。
そう返した言葉に秋人は声を殺して笑っていたが、残念ながらそれ以上俺の手元に強く出られるだけの根拠がなかった。