第17話 怪童と少女
2024/6/6 全体改稿
「もうこれで分かっただろ? 女の子が野球なんかやってもあまりに報われねえよ」
「うるさい……。笠寺だけには負けない」
「今のホームランを見てよくまだそんなことを言えるな」
確かに、どう贔屓目に見ても舞の——いや、俺たちの完敗だ。
インハイギリギリに投げ込まれたあの一投にコントロールのミスは無く、アレは本日最速のストレートだった。しかし、それでも透を止めるには至らなかった。
「なあ星野、何度も言ったが、プレイヤーだけが野球じゃないだろ……?」
「そんな言葉聞きたくない!」
「あっ、舞⁉」
舞がマウンドからこちらに降りて来て、右手に着けたグラブを素早く抜き取った。彼女の小さな左手がそのグラブを掴み、こちらに投げつけてきた。
透が慌てて飛んで来たグラブを受け止めようとしたが、その手は空を掻き、舞のグラブは俺の胸元に飛び込んで来た。
涙目の舞の視線がグラブを受け止めた俺のところに止まった。
「ごめん楓……」
それだけ言い残して、舞は踵を返した。夕日の中に消えそうな彼女の背中はいつも以上に小さく見えた。
背中越しに舞が透に尋ねる。それは俺が聞いたことのない、舞の弱々しい声だった。
「ねえ……。透はなんで私の野球を邪魔するの?」
「女の子が野球なんかして、どうするんだ?」
「おい透!」
思わず俺も大きな声が出てしまった。それでも、幾ら何でも言っていいことと悪いことがあるはずだ。
「だってそうだろ? 大会も、まともな試合も組めないのに何で練習するんだ?」
「……ッ!」
透の冷たい一言に、舞は呻きこそしたが何も言い返さなかった。
舞の精一杯の抵抗は、精々出来るだけ早くこの場を離れることだったらしい。グラウンドから脱兎の如く駆け出した舞の背を、俺も透も追いかけることが出来なかった。
「透、どうしてあんな事を言った?」
グラウンドに残された透に、どうしても詰問するような口調になってしまうくらい、自制が利かなかった。そんな俺に透はバツの悪そうな態度で語りだした。
「正直、俺はあいつに野球を続けて欲しくない。別に野球が好きならマネージャーでいいじゃねえか。何でお前と草野球してるんだ?」
「舞は俺たちのチームのエースだ」
「草野球だろ?」
「だったら何だ?」
舞台に貴賎はない、とは胸を張って言えない。
確かに毎年数十万人の高校球児の夢の舞台である大会を要する高校野球は、高校スポーツでもっとも華やかな舞台の1つだ。少し前まで透と共に目指していたからこそ、共にそれを追いたくなる——追って欲しいと思う心理に理解は示せる。
それでも、今の俺と舞には、そんなことは関係ない事だ。
「プレイヤーじゃなきゃゲームの舞台には上がれない。マネージャーではどこまで行っても選手じゃない。そうなりたくないから舞はプレイヤーに拘り続けるし、俺も舞と一緒にチームを作ろうと思ったんだよ」
マネージャーや監督、コーチなどいろんな人を敵に回す言葉だろう。それでも、それが今の俺の、そしておそらくは舞の本心だった。その根幹にあるのはただ一心な『プレイヤーでありたい』という願望だけだ。
「そうかよ」
「そうだよ。つーか、そう言う透は何でわざわざ舞に喧嘩売りに来たんだ? 舞が俺と草野球やっていようが、草野球が所詮レクリエーションの延長でしか無かろうが、お前に関係ないだろ?」
「そりゃあさっき言っただろ。女の子がプレイヤーにしがみ付いても報われないって。橘南のマネージャーにでもなってくれれば、後は俺がアイツを甲子園でも神宮でも連れて行ってやる。その為にも目の出ないプレイヤーの道を諦めて欲しかったんだが——って、何だよ楓、その何か言いたげな目は?」
どうやら、俺がライバル視していた橘南高校のエース、笠寺透は相当に残念な男だったらしい。俺とて女心に強い訳ではないが、力に物を言わせて他人の意思を圧し折り自分を見させようとするって、かなり危ういな。というかそれ以前の話として。
「お前、舞の事好きだったの?」
「は? 楓お前バカじゃねえの⁉ なんで俺があんな貧乳チビの事を好きだって⁉ そりゃあ確かに顔は可愛いし、笑ってるところとかすげー可愛いし、頑張り屋なところは良いと思うけど……」
透が顔を真っ赤にして否定にもなっていない否定を繰り広げるが、190センチ近い巨漢のツンデレなんて誰に需要があるんだよ。ああ、椛辺りにはあるか。
つーか舞の笑顔が可愛いのは同意するが、お前が来てからずっと舞はしかめ面だったぞ。
「完全に落ちてるじゃねえか……。ご馳走様」
「はあ⁉ 落ちてねえよ! だってあの貧乳チビだぞ⁉」
舞の外見の事を貶そうとしているが、本人もコンプレックスにしていそうな身長のこと以外無い辺り、ベタ惚れだな。
とはいえ、人を引き付ける笑顔とその人間性、努力家なところに惹かれるのは俺にも分かる。人としての強さと魅力が、舞にはある。
「貶すところそこしかねえのかよ。あと見た目ぺったんこだけど、意外とあるぞ」
「は? お前触ったの? 触らせて貰ったの? 返答によっては楓でもタダじゃ……」
透が俺の左肩を握って揺さ振って来るが、その眼が据わっているのが分かった。リンゴでも握り潰せそうな握力に左肩が変な軋み音を立てている気がしてくる。
「舞に腕掴まれた時に当たったんだよ!」
「あいつの距離の詰め方えげつないからなあ……。あんなん意識しないとか無理だろ……」
話の端々から予想はしていたが、舞と透は結構古い馴染みらしいな。
そんな舞があんな壁を作ったコミュニケーションになるまで、昔の透は何をやらかしたんだろうな。さっきの様子を見ていると相当な物だろうと思うが。
「大体、お前にはファンの女の子いるじゃねえか。舞に拘らなくても……」
「正直興味ない。他人を応援している時間があるなら自分の事に邁進すべきだと思う」
「それでも舞には自分の道を諦めて付いて来て欲しいって、完全に舞にベタ惚れしてんじゃねえか。好きな子に意地悪しちゃうってお前何歳だよ?」
「だーかーら! 俺はあいつの事なんて!」
もう今更何を言ったところで誤魔化しの効きそうにない透の事は脇に置いておいて、ホームベース周囲の整地を始めよう。舞が走り去ってしまった今、ここに残る理由もあまりない。
普段秋人や椛に弄られている分まで透を弄んでやろうかとも思ったが、まあ自分がされたくない事は他人にすること無かれ、だ。
それ以上深く突っ込むことはせず、しばらく2人揃って無言でグラウンドの穴を埋めていたが、粗方終わった辺りで透の方から口を開いてきた。
「なあ楓、散々ネタにしてくれたけど、お前は舞の事どう想ってるんだ?」
どう思っているか、か。突き詰めれば色々な感情はあるが、1つだけ確実に言えることがあるとすれば。
「好きだよ」
「なんで?」
なんでと来たか。難しいな。他人を嫌いになることに明確な理由はあるかもしれないが、好きになることにそんなに難しい理由なんて要るだろうか?
舞の事は好きだが、理由を問われるとこれが難しい。確かに透が言っていたように外見は少し幼さが勝り、容姿端麗と言えない。それでも可憐と評して良いだろう。ただ、俺が舞に魅かれたのはそこじゃない。
「…………この間の草野球での舞の初戦だけどさ、6回で10点取られたよ。試合が終わった後、舞は声を殺して泣いてた。それでも、泣き腫らした目のまま舞は立ったんだよ」
「ざまあねえな……。アイツらしいって言えばアイツらしいけど」
透が悼むようにそう呟く。透は舞がプレイヤーの道を歩み続けることでこうなる事は分かっていたのだろう。強硬でもプレイヤーを諦めて、自分に付いて来て一緒に勝って欲しかった。想っていたことはそんなところか——その感情の出力方法は赤点並みだったが。
「あんまりそういうことを言って欲しくないな」
「悪かった。別に貶める意図は無かった。ただ俺の忠告を無視してボロボロに打たれて、それで泣いて、何してるんだろうなって」
透は舞がプレイヤーとして苦しみ続けない事を望んでいる。それは察せる。
それでも、俺は悔しさに涙しようとも、立ち上がり、進み続けようとする舞だからこそ、共に戦いたい。一緒に居たい。自分もその在り方に近付きたいと思ったのだ。
「……俺はさ、舞みたいに潔くないんだ。負けた時、力が及ばなかった時、涙と共に前を向けるあの子の強さに、俺は惚れた」
それは壁に直面する度、ただ消沈し、立ち止まってばっかりの俺には無い強さだった。
勿論最良の答えなんて導き出せず七転八倒して、1人ではベクトルのズレた努力をしてしまうことだってあっただろう。それでも立ち上がるその姿に、俺は惹かれた。
「単なる考えなしの部分もあるだろ?」
「それな。それでも俺は眩しいと思ったし、ああなりたい、近付きたいって思った」
「……お前も割とベタ惚れじゃねえか。まあ男女のそれってより、人として好きかどうかって話になってる気がするけど」
「それじゃいけないのか? 透が知りたいのはそういう事だろ?」
「……なんか頭痛くなって来た」
少なくとも問われたことには十分答えたはずだ。透から舞がどんな風に見えているのか分からないが、そんなものは観測者の立場、角度で如何様にも変わる以上、同じ像を共有出来ない事は仕方ないのかもしれない。
「……グラ整の残りは俺がやっておいてやるよ。星野のところに行ってやってくれ。今俺が行っても逃げられるのがオチだしな……」
「悪いな。明日試合のエース様にこんな事させて」
「構わねえって。頭を冷やすには適度な時間だ」
自嘲するような苦笑いを見せつつ透はそう言った。
実際俺としては頭を冷やして、どれだけ舞に残酷な事を言い、暴力的な振る舞いをしたのかしっかり反省して欲しいところだ。まあ反省を促したところで、前提条件が違う俺達の言葉が透の腑に落ちる事は中々無いのだろうが。
謝辞を述べ、舞が投げ付けて来たグラブからグラウンドに放置していった通学鞄に至るまで、2人分の荷物の全てを持って俺はグラウンドを後にした。




