第14話 昼休みのグラウンドで①
2024/6/6 全体改稿
2週間後の土曜におっさんのチーム『ちょいワルドラゴンズ』との試合が決定して2日。
昼休みの野球部のマウンドを野球部に無断で拝借して、2人でピッチング練習に勤しむ舞はすこぶる気合が入っていた。
試合までの今後2週間の目標は低めへの制球力の強化と、新しい武器であるスローカーブの習得だったのだが、生憎変化球を交えた練習初日の感触で言えば前者はともかく、後者は辛そうだというのが俺の感想だった。
「楓、行くよ!」
マウンドに立つ舞が大きく足を振り上げ、スカートを翻して投げる。ほんの一瞬のタイムラグを伴い、叩き込まれたストレートが俺のミットを揺らした。
「オッケイ、ナイスボール!」
相変わらずだがストレートの速さは女の子離れしている。
男から見たらたかが120キロかもしれないが、それを投げるのが女の子なら日本中を探してもそうそういないだろう。舞が鍛え上げた武器はそれ程の物だ。
「次はカーブな」
「よし! カーブ行くよ!」
威勢よく一声出して、舞が振り被る。
投じられたボールは「カーブ」と前宣言されておきながらも。ピクリとも曲がらず真っ直ぐホームベースに直撃し、バウンドしたボールが止めきれずに俺の右脇腹を掠めた。
球筋は辛うじて見えたが、ミットを着けた左手からは遠い逆サイドだ。咄嗟に反応し動かしたキャッチャーミットはボールの通過に間に合わず空を切った。
「ボールですね。しかも止める気配もなくパスボール。もし今のプレーが試合だったらキャッチャー懲罰交代モノですよ?」
「いきなり誰だよ!」
唐突に浴びせられた辛辣な言葉に、声のする方に振り向く。
目に付くのは今日日の女子高生にしてはややスカートに金属バット。そして女子にしてはかなりの長身。夏の間の部活の日焼けで男前にこんがり焼けた浅黒い肌が特徴的な女子生徒だった。もう少しスカートが長かったら昭和のスケバンだったな。
「誰だよとは随分なご挨拶ですね、先輩」
「何だ、櫻井姉か……」
何故か野球部のグラウンドのネクストバッターズサークルで素振りをしている櫻井姉妹の姉——櫻井こよみがそこにいた。
「何だって結構失礼ですね! それと、名前知ってるんだから名前で呼んでくださいよ!」
「悪かったな。こよみちゃん。ただ前触れもなく人を貶めるのは失礼じゃないのか?」
「楓先輩になら失礼に当たりませんよ。本当は止められるんですから、アレは怠慢守備だと言われたらそれまでですよね?」
「確かに試合だったら止めたけどさあ……」
まだ俺はキャッチャーミットでどんなバウンドのボールも自在に捌ける訳ではない。
それでもこよみの言う通り、本気で止めにいけば止められないことはなかった。ただし体ごと壁にしてボールを押さえ込むという手段を使えば、だ。
間違っても制服で躊躇いもなくやるようなプレーではない。
「練習で出来ない事が、試合で出来る訳が無いですよ! ……とまあ今の怠慢守備のことはこの辺にしておきましょう。改めましてこんにちは、昼休みまでお疲れ様です」
「ああこんにちは、本当にお疲れだよ」
実際疲れているし、顔とか凄い痛い。
こよみが舞に対して「お疲れさんっス」と軽く会釈する。何で舞には普通なのに俺にだけあんな辛辣なんだよ……。
「しかしまあ、こんな時間にわざわざ2人きりで練習なんて、お熱いですね」
「熱いのは舞であって、俺はただ付き合いで受けてる壁役だよ」
実際壁役が他にいれば、俺はマウンドで舞に付きっ切りで教えてもいいんだけどな。壁役に秋人でもいてくれればいいのに、生憎と奴は不在だ。
「やっぱ熱いですね」
そんなことを言うこよみの口調は冷淡だ。にこやかな口元の笑みと、それとは対照的な目の奥の射る様な視線がアンバランス過ぎて、思わず俺は目を逸らした。何だろう? 俺この子に睨まれるような事したっけ?
その一方でこよみに寄ってきたのは舞だった。
「バット持ってるけど、こよみちゃんも練習?」
「ええ、この間の試合で打つ方であまり活躍出来なかったので、次の試合こそと思いまして」
「2安打なら十分だろ」
そう言う俺はシングルヒット1本。それも小フライのテキサスヒット1本だ。3打数1安打と言えば聞こえは良いが、内容は冴えていない。
「楓先輩より打たないと気が済まないんで」
やっぱり俺に対しては何か物言いがやたらと辛辣だ。俺、この子に何かした?
「……何かトゲのある言い方だな」
俺の呟きにこよみは「楓先輩ですから」と言ってきたが、それと原因不明の辛辣さと何か関連があるのかは分からない。少なくとも俺はこよみと直接面識はなかったはずだが。
「ボクはノーヒットだったけどね……」
「舞先輩はいいんですよ。打つ方は私に任せてください」
「俺もバッティングは得意じゃないんだけどな……」
「ま、実際のところ楓先輩も舞先輩をしっかりリードしてくれればいいんですよ。打つのは私たちの仕事で、バッテリーの先輩たちは守備の要です。適材適所といきましょうよ」
だったら何でそんな辛辣なのか教えてくれよ。そう思ったけど、流石に後輩、それも女の子の辛辣さに頭を痛めているとは、とてもじゃないが言えない。羞恥心が勝る。
「それで、楓先輩は何で顔に絆創膏が貼られてるんですかね? 1箇所や2箇所じゃないですし。しかも何か陰背負うくらい疲れてません?」
「そりゃあ連日こんな感じだからな……。その間何回顔にボールを食らったと思う?」
「4発くらいですか?」
「残念、もっと多い」
詳しい数は覚えてないが、その答えは多分1ダースじゃ足らないくらいだ。
ひたすらスローカーブを『曲げよう』とした舞のボールは、捕る側のことなど全く考慮せずにベース近辺で好き放題跳ね廻ってくれた。
「ボディの方は?」
「そっちはもっと多い」
不規則なバウンドのボールをミットで全てを抑えるのも、まだまだ新米キャッチャーの俺にとって楽なことではない。学校帰りにプロテクターなんて持っている訳もなく、制服のワイシャツは汗と砂でドロドロに汚れてしまったくらいだ。
「よくそれで練習に付き合いますね……。ドMなんですか?」
「イレギュラーでも何でも、捕ってやるのがキャッチャーの仕事だしな。頭の上を飛んでいくような暴投でもない限り、捕球できないのは俺が全面的に悪い」
それは小中高と、バッテリーを組んだ全てのキャッチャー達から学んだことだ。
ショートバウンドを平然と逸らすキャッチャーを信じて落ちるボールや厳しい低めへの攻めは出来ない。俺は舞にとって信頼出来ない捕手では居たくないのだ。
「さっきのこよみちゃんの言ってたことだって、理はあると思ったよ——この後授業が無ければな」
「それを気にするくらいなら昼休みにやらなければいいのでは……?」
「マウンド使えるタイミングは貴重だからな。機会を逃したくない」
そう応えつつ、とりあえず練習再開。もう2週間も残ってない以上、マウンドを使って投げ込める時間というのは貴重だ。とにかく数を投げなければ始まらない。
素晴らしいストレートと、ストレートに対して残念すぎる変化球の織り交ざった投球練習を眺めていたこよみが口を開いた。
「舞先輩は変化球が苦手なんですね。この間の試合も使ってませんでしたし」
「苦手どころか現状では投げられないって言った方が正確だ。何せカーブを投げようとして、ボールを後ろに放り投げるくらいだしな」
「そう言えばそんなことしてましたね。アキ先輩の頭で跳ねるボールを見たときは何で遊んでるんだろう思いましたけど」
思えばこよみはあの時直滑降に落ちたボールが秋人の頭を直撃したとき、一番近くにいたっけ。アレは誰がどう見てもギャグの域だったが。
「だから今変化球の練習をしてるんだよ。『ちょいワルドラゴンズ』戦には間に合わせるつもりだ。俺も舞もな」
「はあ、お熱いですね」
「仕方ないだろ、勝ちたいんだから」
そうでもなければ遊びのために練習なんかしない。
勝利至上主義とは言わないが、勝ちたいことに変わりはないし、その為に手は尽くしたい。
「じゃあ、バッターが着いた方が臨場感あるんじゃないですか?」
「えっ、こよみが打席に立ってくれるの?」
「ええ、それに、せっかくの機会なんで勝負しませんか?」
「オッケー! その勝負乗ったぁ!」
舞の方は超が付くほどノリノリだった。
 




