第11話 舞の家にて①
2024/6/6 全体改稿
いつもの河川敷から徒歩10分、たどり着いたのは普通の一軒家だった。
「ただいまー」
「お、お邪魔します……」
女の子の家にお邪魔するのは初めてではないが、やっぱり緊張するものだ。そもそも幼馴染で父親と直接知り合いだった椛の家とは単純に比べられるものでもない。
玄関でにこやかに柔らかい笑みで出迎えてくれた舞のお母さんは、舞のお姉さんと紹介されても信じてしまいそうなほど若々しく、可愛い系の舞とは違う系統の美人だった。いつも草臥れてるうちの母さんとは大違いだな。
「へえ、ちゃんと片付いてるんだな」
「女の子の部屋に入って第一声がそれ?」
俺の言葉に気を悪くしたか、ちょっとだけ舞がむくれて見せる。
舞の先導の元たどり着いた舞の部屋はよく整頓されていて、部屋全体からどきりとさせられるようないい匂いがした。
「いや、俺の知ってる女子の部屋ってもっと本『とか』散らかってて大変だったから……。椛の家にお呼ばれされるたびに毎回片付けは俺の仕事だったし……」
あえて『とか』を強調しなくてはならない女の子の部屋というのは、当然ながら幼馴染の椛の部屋のことだ。あそこには俺の少年時代の苦い思い出の半分くらいがある。多分少年野球の敗戦で泣いた回数より、椛の部屋で泣かされたほうが多いだろう。
「椛ちゃんと昔から仲良かったんだね」
「家も結構近所だったしな。仲は悪くなかったと思うけど、俺はちょっと苦手意識が……」
「そうなの? パッと見、仲良さそうだったのに……」
舞は無垢な疑問符を浮かべている。出来れば俺だって椛の奇行など全く知らずにぽかんと疑問符を浮かべていたかったが、運悪くも小学生の俺にその悲劇は回避出来なかった。
「別に仲は悪くないんだよ、なんだかんだ言っても付き合いは長いしな。ただ、たまに奇行に走るだけだ。舞も椛の奇行には一応気をつけておけよ」
「う、うん」
思い出すだけでもぞわっと寒気のするほどのインパクトは、おそらくどんな奇行にも勝るだろう。被害者になったことのある俺にしてみれば被害に逢わないことこそ最良だが。
とりあえず今いるここは同じ女の子の部屋だが椛の部屋ではない。それでもまだかなり緊張はするが、気を取り直して舞に尋ねる。
「それで、何をやるんだ?」
「ボクと楓のゲームだよ? 何をやるかなんて決まってるよ」
そう言って舞が持ってきたのは、デフォルメキャラで楽しむ国民的野球ゲームだった。
「もちろん、野球ゲームでしょ」
別に決まっているというほどのことでもないだろうが、舞は既にゲーム機本体へディスクを挿入していた。どうやらもう2人で野球ゲームは決定事項らしい。
★★
『ストライーク、バッターアウッ!』
画面の中で舞の操作する選手が、チェンジアップに1球も擦ることなく空振り三振に倒れた。これでこちら側の奪三振は3回の表までで5つ。ここまでの9つのアウトカウントの実に半分が三振によるものだ。
「遅いっ! 遅すぎてタイミング合わないよ!」
「チェンジアップだからな。遅いのは当然だろ?」
「そんなことは分かってるけどさぁ……!」
攻守交替。今度は舞の方が守備側になる。
正直な感想として、舞のゲームの腕は大したことないな。これなら秋人の方が大分強敵だ。
「甘いっ!」
画面の中でカキーンという快音を立ててボールがスタンドまで飛ぶ。舞のチームはこれで4回表までに3被弾。ヒットコミコミで11失点という炎上ぶりだ。この間の舞より酷いな。
「うぅ……。またホームラン……」
「そりゃ舞はタイミング外して来ないからな」
実際タイミングを外されなければ幾らでも強気で攻められる。
現実の打席では脅威に感じる150キロのストレートの威力とて、ゲームの中では知れている。
「接待プレイはなしだ。このままコールドゲームで終わらせるぞ」
「なんの、まだまだゲームはこれからだよ」
舞は強気だったが、その意気も5分と続かなかった。10点差が着いたらコールドゲームという設定にしてあった以上、取り返さなければゲームセットだ。
ここまで延々と変化球に遊ばれ放題だった舞がそこから僅か1イニングでタイミングを完璧に修正して——なんていう展開になるはずもない。試合は結局そのまま4回コールド11対0という大差で俺の勝ちになった。
少なからずやりすぎた気もするが、これも真剣勝負の結果だ。受け止めてもらおう。
「俺の勝ちだな」
「むぅ……。えいっ!」
リザルト画面を前にしての俺のドヤ顔は2秒と続かなかった。舞の方に向き直った瞬間、俺の顔面に撃ち込まれたのは舞の左腕から放たれた高速の枕投げだった。
しかもただの枕じゃない。長さ100センチはあろう抱き枕だ。微かに鼻先を擽るバニラのような甘い匂いは入浴剤の物だろうか? 思わず嗅いでしまう自分の変態っぽさが嫌になるが、身体は正直だった。
「もうちょっとくらい手加減してくれたっていいじゃん!」
「いや、だって接待プレイなんて嫌だろ?」
「当然だよ!」
「じゃあ諦めろよ、これが俺の本気だ」
「うぅ……」
まだおむずがりなのか、唇を尖らせて今しがた投げつけてきた枕でバッタンバッタン俺のことを叩いてくる。全く痛くない攻撃だったので軽く流していたら、膝立ちで大上段に枕を振り被った舞の、体重を掛けた一撃が俺の顔面を直撃した。
枕は柔らかいから良いが、流石に突っ込んで来た舞の体重までは受け止められない。鈍い音を立て、俺の後頭部はカーペットに突き刺さっていた。
「痛っ!」
幾らカーペットが敷いてあっても、後頭部から結構な勢いで落ちれば当然痛い。星が舞ったな。目がチカチカする。
「あっ、ごめん……」
流石にやりすぎたと思ったのか舞が謝っていたが、流石に部屋の中でグラウンドのテンションを持ち出したらこうもなるだろう。反省はして欲しいところだ。
目をパチパチと瞬きながら体を起こす。仰向けから肘を立てて起き上がろうとすると、すぐ目の前に舞の顔があった。
見れば前のめりで覗き込んで来た舞の大きな瞳の中に、自分の姿を見られるほどの距離。どんな体勢なのかを自覚した瞬間、一気に頭が沸騰しそうなほど顔が暑くなった。気恥ずかしくなって咄嗟に目を背けるも、腹辺りを押さえつけている軽いなりに柔らかい感触だけは誤魔化せない。それどころか目を背けた分だけ感触に鋭敏になっている気さえする……。
「楓、大丈夫?」
「大丈夫は大丈夫……。それより降りてくれると助かるといいますか……」
既に俺の方は気恥ずかしさで舞の顔を見られないのに、舞の方は特に意識した風もなく平常運転もいいところだ。こうなっては殊更に意識している自分が情けない気もしてくる。
目を背けた俺を追撃するように、舞が更に覗き込んでくる。逃げ場を失くした俺に出来るのはせいぜいギュッと目を瞑ることくらいだった。
——耳に届いたカチャリという小さな音は、どう間違っても俺への助け舟ではなかった。
「あ……!」
小さく開いたドアの開き目を挟んで、向こうの誰に向けた視線がバッチリ合った。
更に少し開いた扉の向こうで、得心がいったかのように慈愛の篭った笑みを浮かべて舞のお母さんが頷くが、それは確実に事実と違う納得に結びついているだろう。
「ちょっと待ってください! これは誤解なんです!」
「5回なんてないよ! 楓が打ちまくるせいで4回コールドだよ!」
咄嗟にドアの向こうの舞のお母さんを引きとめようと手を伸ばしたら、舞にその手を思いっ切り叩き潰された。舞には自分のお母さんが見えてないのだろうか⁉
「ゴカイ違いだから! 舞のお母さん、さっきのは誤解なんです!」
階段を下りていく音が聞こえてもまだ諦めない。遠ざかって行く足音に訴えるも、足音は止まらず玄関を出て行ってしまう。ガチャンと音を立て閉まる玄関のドアは否応なく俺の不安を煽っていった。
「だから、5回も6回もないって言ってるじゃん」
「今はゲームの話はしてねえからな⁉」
今家から出て行った自分の母親さえ見ていない舞のマイペースぶりは、ある意味で最強の武器かもしれない。
ピッチングは直球ゴリ押しなのに、私生活では俺を思いがけない接触という直球で振り回し、時々見せる女の子の表情という変化球でまた惹きつけてくるという緩急自在ぶりだ。振り回される俺の心臓が辛い。ほとんど俺自身のせいだけど。
「かーえで、もう次の試合始めるよ? 今度はストレート縛りでね!」
邪気も飾り気もない笑顔でそういいながら、舞はようやく俺から降りてくれた。あのまま試合開始していたら、試合終了よりも早く俺が息絶えていたかもしれない。
「舞だから仕方ないか……」
そう呟いて自分を落ち着かせる。心の中で般若心経を唱えても効果は無かった。
舞が望んだ第2試合、審判の『プレイボール』というコールとほぼ同時の第1球、俺が操作する投手の投じたインコース低めへの165キロのストレートは瞬間芸か何かのようにレフトスタンドに突き刺さっていた。




