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第9話 強さの形

2024/6/6 全体改稿

 昼休みのピロティに座しスコアブックを読み返しながら舞を待つこと数分。俺が後から覚えている範囲で付けた記録では歯抜けの箇所はあるが、総括するならまあ酷い内容だ。

 具体的には6回の1イニングだけで10失点。多少のエラーやフォアボールこそあれど、ほぼ打たれた失点だ。プロでそんなことになれば客が帰り出すだろう。


「せめて俺が投げられたらよかったのにな……」


 俺の絶対に為されない言葉がピロティにぼんやりと反響した。

 そもそも投げられないから野球部を辞めたのだ。急に投げられるようになる奇跡なんてものはあるはずもない。ただそんな理由で半ば晒し投げ状態だった舞を想えば、それもまた俺を落ち込ませる要因だった。

 俺がそんなことを考えている間にコツコツとコンクリートの床を跳ねるような足取りが駆けてくる。ピロティに響く快活そうな足音だけで、その主が分かる。


「かえでー! お待たせー!」


 もう足音の主は分かっていたのに、わざわざ階段上から舞が大声で呼んでくる。コンクリートで蓋をしたような作りのピロティにその声はガンガン響いた。


「ごめんね楓、先生にちょっと呼び出されてた」


 わざわざ最後の階段までダッシュで降りて駆け寄ってくる姿は仔犬みたいだ。揺れるスカートに尻尾が見えた気がした。とはいえそんなことを想っている時間もない。


「別にそんなに待ってないから問題ない。それより昼休みも後40分ないし、早速本題に入るぞ。多少歯抜けはあるけど、事後記載だからそこは勘弁してくれ」

「う、うん……」


 見るからに舞の気が進まなそうなのは、多分気のせいではないだろう。負け試合の反省会、それもバッテリーのそれは長いし重いし胃が痛くなる。実質ゲームメイクをするポジション故の必然だ。


「まず被安打と失点な。6回を投げて被安打21、被本塁打2、失点は10。どう思う?」

「酷い」


 舞の回答は簡潔だった。尤もそれで問題その物が簡潔明瞭に解決出来る訳でもない。


「どうしてこうなったと思う?」

「…………ボクが打たれたから」

「それは結果であってどうしてではない」

「……ボクの力が足らなかったから。球速が遅いし、厳しいコースを攻められなかった」

「後リードした俺からの意見だけど、変化球が一切無いから危ないところで勝負一辺倒しかなかったのが痛かった。最速でも120キロあるかどうかの舞のストレートだけだと、試合終盤に球速が落ちたら確実に捕まるというのが良く分かった」

 事実は往々にして耳に痛いものだ。明るかった舞の表情に影が落ちる。

 ただその120キロに近いサウスポーというのも、女の子にしては既に規格外の域に踏み込んだ速さだろう。それでも男ならその辺の普通のおっさんでも、多少トレーニングを積めば、舞と同じくらいは出せる。舞の努力も根本的な男女の身体能力差を引っくり返すには至っていない。


「……やっぱりボクが男の人に野球で勝つなんて無理だったのかな?」

「……正直に言えば単純な球速だとかそう言うものでは無理だと思う。どうしても筋力とかの差が決定的に出る。舞の体格で男をストレートオンリーでなぎ倒すようなピッチングは無理だろうと思う」


 舞には悪いがこれが現実だ。今日まで女性のNPB選手が誕生していないことを思えば、仕方ないこととも言える。それは男女の性差に起因する馬力の差だ。舞に限った話ではない。


「……そうだよね」


 俯いた舞がそう溢す。泣いているかのようにも見えたが、それは杞憂だったらしい。

 ギュッと拳を握って顔を上げ、こちらを見据える舞の視線は力強かった。


「でも、ボクは負けたくない。あのおじさん達も、女の子に野球なんて出来るわけが無いって言った奴らも、みんな捻じ伏せられるピッチャーになりたい」

「その気持ちはよく分かるけどさ……」


 その気持ちは分かるけど、到底無謀なことにしか思えない。

 既に舞の力が女子としては規格外に練り上げられているのは分かるが、それは同時に馬力方面での伸び代の乏しさを物語っている。最速140キロや150キロの領域には届かない——俺と同じように。


「でもさ、ピッチングはボールが速いから抑えられる訳でもないだろ? 笠寺——この学校の野球部のエースみたくノーコンの140キロで連続フォアボールを出してれば世話はないだろ? 山なりの60キロだろうが抑えた者勝ちだ」

「そんなことは分かってるけどさ……」


 そう応える舞の言葉は歯切れが悪い。多分、頭では理解はしているんだろう。


「それでも……!」


 反論が浮かばなくても、やっぱり納得はいかないらしい。自分の限界を超えて行く人間に対する羨望や自身の無力感。やり場のない感情を抱く事は仕方ないだろう。俺だって涙しながら投げ込みをしていた事がある。

 確かに舞は背の低さの割に投げているボールは相当速い。120キロ前後という最高球速は女の子で、小中学生並みの体格の舞のことを考えれば既に規格外だ。だが決して草野球の界隈全体で見たときに圧倒的かといえばそうでもない。少し球速が落ちれば打ち頃でしかない。

 せめて舞に俺よりも大きな上背があればボールの質も変わったかもしれないが、無い物強請りをして次の試合を待つわけにもいかない。


「それでも、ボクは力で勝負したいし、なんとしても勝つ」


 悪条件を並べてもそう言い切る舞の負けず嫌いはたいしたものだ。尤も、それは理屈に基づいているわけではない。ただの子供染みた執着と意地だ。


「軟式草野球で快速球と言えば130キロ以上からと言われてる——らしい。俺も秋人から聞いた。それで、130キロと言えば今の舞の球速から更に10キロ程度のアップだ。既に舞は相当頑張って今の球速に至っているくらいだし、これ以上は正直厳しい気がしてる」

「それは……」


 言い淀む舞を前に、俺も言い過ぎた感はある。女子で130キロ以上投げられたなら、女性投手として世界最速の冠を手に入れることだって出来るかもしれない(*1)。今の舞の居る場所から先はそんな次元だ。これ以上劇的な球速アップは現実的じゃない。


「……無理でもやる」


 もう言っていることが支離滅裂だ。自分の伸び代についてはある程度理解しているらしいが、理想と今の自分の力の間で板ばさみになっているのだろう。

 ここまで来ると少しばかり強引な話の軌道修正が必要だろう。段々男女の体力差の話に引きずられて、舞が意固地になって来てしまっているからな。


「……少し落ち着こう。そもそも俺の言いたかったことから大分ズレて来てる」

「……どういう事? 楓もアイツみたいに私の力の無さを嗤いたいんじゃないの?」


 舞にそんなことを言わせるアイツが誰だか知らないが、それは別に大事な事でもない。

 ただ、舞が心の中にいるイマジナリーエネミーにはご退場願いたいところだ。


「舞を嗤う? なんで? 俺より舞の方が投げられるのに?」

「ぁ……」

「とりあえず落ち着いて、俺のことを見てくれ。俺は舞がどんな野球をしてきたのか知らないけど、そこで舞にとやかく言ってきた奴らはここには居ない。俺だけだ」

「……そうだね。ごめん楓」


 そう言いながら頭を下げて来た舞の旋毛が俺の胸を打った。不意打ちの頭突きに仰け反りそうになるが、何とか椅子の上で堪えた。


「強さが身体能力と体格だけに依存してたら、俺はとっくに野球なんて辞めてるよ。だけど強さというのはそうじゃないから面白い。確かに身体能力が1つの強さの形である事は否定出来ないけど、器用さや精神面も全て合わせて強さだ」


 舞の頭が頭突きをしたまま俺の胸にぐりぐりと抉り込んで来る。制服のネクタイピンが食い込んで痛いのだが、彼女はお構いなしだ。彼女だって額辺りにネクタイピンが食い込んで痛いだろうに。

 そんな舞の頭を軽くぽん、と撫でる。俺とは大違いのふわりと柔らかな髪の感触が手に心地良い。


「そういう意味では、舞は既に強いと俺は思うよ」

「……あんなにボロボロに打たれたのに?」


 あ、やっぱりまだ引き摺っては居たんだな。それでも『勝つ』と無理を通そうとする姿勢は凄い。その向こう見ずと言ってもいい前向きさ、進み続ける意思は彼女の『強さ』だろう。

 俺の手を頭に乗せたまま舞が上目遣いで見上げてくる。別に舞には何の他意も無いのだろうが、微かに潤んだ艶のあるその瞳に思わず鼓動がトクンと跳ねた。

 やっぱり元気なときとしょんぼりしたときのギャップは中々来るものがある。


「結果は結果であって、その結果が今の舞の強さを否定するものじゃない。それにこれから幾らでも強くなればいいんだから、だからそんな顔するな」


 少し弱った舞の視線を避けるようにそっぽを向きながらも、舞の頭に置いた手は止まらず、わしゃわしゃと彼女の頭を撫で続ける。

 無抵抗でただ撫でられるままの舞は、本当に仔犬のようだった。出来るならずっとその柔らかな髪を撫で回したいくらいだが、時間はそれを許してはくれない。本当の本題はここからだ。


「舞にはもう力はある。後は活かし方の問題だ」

「活かし方?」


 そんなことで首を傾げる舞は、本当に何のことを言っているのか分かっていないのだろう。

 よくもまあ考えずに真っ向勝負を挑もうなどと思ったものだ——逆に言えば分かっていないから躊躇いもなく真っ向なんてことが出来たのかもしれないが。


「たとえば舞は今変化球が投げられないだろ?」

「う、うん……」

「だからどうしてもストレートを狙われるし、そうするとバッターにも迷いが無くなる。舞も打席に入ったら直球か変化球か迷うだろ?」


 こちらの問いに舞も素直に頷く。

 実際この間の【オジサンズナイン】もタイミングの取り方を見た感じ、2回から変化球の線は捨てていただろう。それだけで舞は大きなディスアドバンテージを強いられていたと言ってもいい。


「この間の試合前に確認したけど、舞は全く変化球が使えなかったな。そこで次の試合までに変化球を投げられるように練習しないか?」

「変化球かあ……」

「選択肢としての変化球だ。1つあるだけでストレートの活かし方は大分変わるからな」


 昔から日本のプロ野球には数多の名投手達がいた。しかし彼らとてストレートだけでその成績を残したわけではない。みんな何かしらストレートを最大限に生かす武器を持っていた。


「ストレートを活かす変化球……」


 どうやら腑に落ちたらしい。繰り返して呟く舞の瞳にはもう光が戻ってきていた。


「とりあえず何から試す? 無難にスライダーやカーブ辺りか?」

「楓は何を投げてたの?」

「何でそんなことを?」

「楓が投げてたボールなら、ノウハウがあるでしょ?」


 確かに舞の言うとおりだ。指導者になれるほどではないが、俺自身の実体験や試行錯誤から得たノウハウもある。それは舞1人に親しんだ変化球を教えるくらいなら十分だろう。


「俺は……」


 舞の言葉に促されて、自分のピッチングを思い出す。今の橘南高校のエース、笠寺透に比べればずっと威力の弱いストレートを誤魔化すためのツーシーム。多投しなかったフォーク。結局最後までモノにならなかったスライダー。そして。


「スローカーブ……。かな?」

「スローカーブ? フォークとかじゃなくて?」

「ああ、スローカーブが一番の決め球だった。ちなみにフォークは数を投げると握力に影響するからお勧めしないぞ。それに加えて軟式じゃあんまり落ちないって秋人に聞いた」


 軟式については中学卒業以来およそ1年遠ざかってずっと硬式ばかり触っていた俺よりも、軟式の知識しかない秋人のほうが詳しかったりする。実際硬式と軟式の差異なんかは、自身が体感したもの以外はほとんど秋人の入れ知恵だ。


「じゃあスローカーブ、ボクに教えてね?」


 既にうずうずして肩のストレッチをしているあたり、試合が終わっても野球への飢えは収まっていないようだ。どこまでも舞らしいと言えば舞らしい。


「ああ」

「早速今日からよろしくね! コーチ」


 返す俺にそう言いながらも既におなじみの左の投手用グローブを持ち出している辺り、ちゃっかりしているものだ。しかし、キャッチボールの準備とは用意とは別に俺には気になっていることがあった。キャッチボールをするのもそれを聞いた後だ。


「そう言えば舞、ちゃんと昨日はボールを投げずに過ごしたんだよな?」


 何の気のないことを聞いたそんな一瞬。舞との間で空気が凍り付いたのが分かった。


「えっ? あ、う、うん! もちろんだよ!」


 こちらが放った疑問に、あからさま過ぎるほどに舞がうろたえていた。

 本当に隠す気が一切無いのではないかと思わせるくらい、目線が揺らぎまくっている。視線が左右に反復横跳びしている時点で、もう嘘が下手とかそんなレベルですらない。ポーカーフェイスという単語が彼女の辞書には無いらしい。


「なあ舞。日曜日は投げるなって言ったよな? 痛みが無くても肩の筋肉は傷んでるから、休養を取れって、ちゃんと言ったよな?」

「う、うん。言いました……」

「それで? どれくらい投げたんだ?」

「えっと、壁当てで80くらい……」


 舞はそう言うが、彼女の投げることへの拘りからして、控えめに言うことはあっても、盛ることはないだろう。となれば実際の投球数は80から100球と言ったところか? どちらにせよ試合後のオフにしては投げすぎだ。


「今日から早速練習しようかと思ったけど、やっぱなしな」

「え? なんで?」


 俺が言ったことの真意が全く分かっていないのか、完全に疑問顔でこちらを見上げてくる舞の素直な目に思わず苛立つ。


「何でもなにも、お前が肩を休めろって言ったのに休めないからだぞ? 日曜日は休めって言っただろ」


 意図せず語勢が強くなる。俺の怪我は自分のオーバーユースが原因であって、そこに舞は関係ない。それでも俺が課した制限を無視して練習していた舞に苛立ってしまう。


「150球近く試合で投げて、まともな休養も取らずにまた練習。お前は俺みたいになりたいのか?」


 舞の体は所詮舞の体だ。俺のものでもないし、それを大事にしても既に壊してしまった俺の肩にご利益なんてものは何もない。それでも言ってしまうのは単なる自己満足だ。


「でも……。あんなボロ負けをさせて、じっとしてられなくて……」

「それは分かる。でもな、大事なのは勝ち負けよりもまずはお前の体だろ?」


 嫌に怪我に敏感になってしまうのも自分が怪我をしたことで意識が変わったためだろうか? 今までの俺だったら誰かのオーバーユースにそこまで過敏にはならなかったはずだ。

 そっと触れた舞の肩は適度な筋肉こそあっても、そこは女の子。俺や秋人に比べたらやっぱり細い。いっそ頼りないか細さと言っても過言ではなかった。


「ごめん、楓……」


 舞の小さな肩が震えていた。突然の強い語勢で驚かせてしまったらしい。


「いや、俺も強く言いすぎた。悪い」


 思わずハッとして肩を掴んでいた手を放す。舞の左肩を掴んでいた右手に残る震えの感触に罪悪感が沸いてくる。たとえ幾ら舞が強くてもそればっかりはどうしようもないくらい『女の子』だった。


「あーあ、じゃあ今日の帰りの練習は無しかぁ……」


 舞がぼやくが、その言葉を必死で意識から押しのける。聞いてしまったらアウトだ。先のお説教は何の意味も持たなくなってしまう。


「ノースローでよければ付き合うけど、それじゃ嫌だろ?」

「うん! ノースローノーライフだよ!」


 多分舞は本気でそう思っているんだろう。実際150球以上投げた翌日にボールを思いっ切り投げ込む方が大変だ。筋肉の疲労だって一晩寝れば治るとかいう類のものではない。


「そう言うなら今日は完全オフだ! 何と言っても絶対に投げさせないからな」


 甲子園に出場するような超強豪校ですら、100球投げた投手を翌日も登板させるようなことをするのは夏の大会くらいだ。それくらい肩を『消耗』させることは奨励されていない。


「うーん……。それなら今日はボクの家でゲームでもする? ゲームの対戦相手がお父さんしかいなくて退屈してたんだ」

「え……?」


 舞の言葉に対する理解が追いつかず、頭の回転が止まりそうになる。そもそも異性に免疫の無い奴に、いきなりのお誘いに驚くなという方が無理だ。


「いや、俺が行っても大丈夫なのか?」

「何か問題があった?」

「舞が抵抗ないならいいけど……」

「へんな楓」


 そんなことを言いながら俺の左腕を抱き込み、けらけらと笑う舞からしたら、俺は本当にただの野球友達らしい。信頼されているのはいいとしても、外見の平たさに反して柔らかい感触にどぎまぎさせられる俺としては、そこはかとなく微妙な気持ちだった。

 実際のところ意識されていたらいたで、舞との関わり方に困るのも俺なんだけどさ。


「あのさあ……。舞はもう少し危機感を持ってくれ……」

「危機感って、何の?」


 衒いもなくきょとんとした顔の舞にそう返されては、俺には気恥ずかしさで追求も出来ない。

 椛の好きな漫画みたいに『俺だって男なんだぞ?』とでも言ってやろうかと思ったが、無駄な男アピールをして舞を一歩引かせることも出来なかった。

 多分舞の意識を変革しようと思ったら、かなり直接的な方法しかないのだろうが、残念ながら俺にそんな直接的な手段を実行するだけの度胸はなかった。コレばっかりはマウンド度胸とかとは別物だ。


(*1)女子野球世界最速はサラ・ハデク投手の137km/h

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