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白衣に銃弾  作者: 狗山黒
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 沈海さんから情報は提供されたが、それでも探しようがなかった。トカゲがどこの研究所に所属していたのか、その情報はないのだ。

 何か手掛かりはないかとトカゲの病院を訪れる。そういえばアザレアはどうしているのか。

 病院には「クローズ」の札がかかっており、確かに人の気配はなかった。表の扉には鍵がかかっていて入れなかったから、裏に回るが勝手口などなく、結果窓を割ることにした。

 手近にあった大きな石を思い切り投げ、ガラスを割る。ガシャン、と音が響くがこの都市の住人は硝子が割れるくらいじゃ動じないから誰からの反応はなかった。

 刺々しい穴に手をつっこみ手探りで窓の鍵を開ける。トカゲだってこの都市の住人だろうに、用心深いなと思う。無法地帯の都市だが、防犯に気を使う人間はなぜか少ない。犯罪者とマフィアの集まりだからかもしれない。トカゲは犯罪者でもマフィアでもないし薬を取り扱ってるから、用心深いのかもな。そう思いつつ、窓を開け侵入する。

 俺は犯罪者じゃない。家系は泥棒とマフィアのそれだが、この都市ではそれくらいでは犯罪者のレッテルは貼られない。けれど他人の家に侵入するくらいで良心の呵責を感じはしない。図太くなったな、と自分に感心する。

 入り込んだところは診察室だった。そこはトカゲの姿がないだけで、それ以外はいつもと変わらなかった。不揃いの椅子と硬いベッド、机の上もいつも通りだ。

 人の気配がした。おそらくアザレアだろうが、俺は机の裏に隠れた。すぐに診察室の扉が開く音がする。隠れたまま窺うと、やはりアザレアだった。

「アイフか?」

 アザレアはどこを見るでもなく、そう聞いてきた。窓の割れる音から誰かが侵入したのは分かるだろうが、俺だとなぜ分かったのだろうか。慎重を重ね、俺は机の影に隠れたまま、アザレアの次の言葉を待つ。

「トカゲのことを調べに来たんだろう? あるいは双子が誘拐されたことか」

 図星だ。しかし、それが分かっているのが怪しい。

「いつまで隠れてるんだ? アイフに手を出すつもりはないぞ。俺も研究所に用がある。おそらくそこに双子もいるだろうから、一緒に行かないか」

 俺がいるのは確実にばれてる。これ以上隠れたって無駄だ。

「どうしてそこに双子がいるって分かる?」

 机の影から出て、アザレアに聞く。相変わらず貧乏くさい格好をしていた。

「俺は研究所から逃げてきたんだ。それにこの年まで研究所にいるのは珍しい、大体早死にするからな。だから研究所同士の力関係もなんとなく分かってる。研究所のコミュニティで一番力があるのはうちの研究所だ。うちは元々ズッパイングレーゼに属する研究所だ、ウーリヒもうちでネガティウスの研究をしてた。ズッパイングレーゼが潰れた後、うちの権力を買ったのはレオンカヴァルロじゃない。カルヴァドスだ」

 カルヴァドスはどちらかというと、ドミヌス反対派のマフィアだ。表だってはないが、レオンカヴァルロの対立マフィアにあたる。

「カルヴァドスはレオンカヴァルロの対立マフィアだろ。本来なら研究所はレオンカヴァルロに帰属するはずだ。それが、どうしてカルヴァドスの手に」

「それは分からない。けれど今、俺がいた研究所は最も力を持っているし研究も一番進んでる。ネガティウスの流通に一役買ってるのもうちだ。多分カルヴァドスより上で力が働いてる、そうでなきゃこんなに急速に研究が進むはずない」

 カルヴァドスよりレオンカヴァルロより上、となると世界政府に連なる連中の仕業だろう。それならこの急速な進歩にも納得がいく。

「あんたはどうして逃げてきたんだ?」

「聖の遺産は神に近づく道具で、怖の遺産は戦争の道具でしかない。俺達は人間じゃない。ずっと前から逃げ出そうとは思っていたんだ。研究所がネガティウスの開発に湧き、ドミヌス捕獲に勤しんで隙ができたから逃げてきたんだ」

 人権なんて概念はとうの昔に廃れた、でなきゃ人体実験なんてしない。だが、道具扱いされて喜ぶ人間は少ない。アザレアも普通の人間なのだ。

「俺は研究所に用がある。トカゲの居場所は分からないが、双子を助けに行くんだろ。俺が案内する」

 アザレアはそう提案する。一つの道が俺の前に示される。俺はそれを信じてもいいんだろうか。アザレアが研究所やトカゲと繋がっている可能性はある。俺を誘拐したり殺す利点は、悲しいかなないと思うが、万が一ってこともある。俺は死にたくない。弟達は大切だが、俺の命だって大事だ。慎重にもなる。

「あんたに手を出しはしない。この都市にいる奴は、俺のような被験者だって知ってる、あんたはレオンカヴァルロの親族だ。わざわざあそこに喧嘩を売る奴はどうかしてる」

「今まで研究所にいたお前がどうして俺がレオンカヴァルロの親戚だと知ってる? 確かにそのことは有名だけど」

「知らないのか、あんたの顔は完全にレオンカヴァルロのそれだ。色素こそ違うものの、吊り上った眉と垂れた目、鼻の形や輪郭はレオンカヴァルロ特有のものだ。レオンカヴァルロのボスもあんたの両親どっちかも同じ顔をしてるだろう」

 確かにそうだ。俺はヴェロニカさんや父親と違って、鈍色の髪と銀の目をしていて挙句サングラスを常用しているから分かりにくいが、俺の顔のつくりは間違いなくレオンカヴァルロのものだ。

 これが聖の遺産の力か、と妙に納得する。眉と目の形はともかく俺は鼻の形や輪郭まで把握してない。

「行くんならすぐ行こう。早くしないと双子が実験材料にされるかもしれない、そうなると厄介だぞ」

 俺を殺す利点のなさが証明されたため、アザレアについて行くことにした。信頼してるといえば嘘になるが、信頼してはいけないと感じるほどの根拠もなかった。



 研究所は元ズッパイングレーゼ領内、現カルヴァドス領内にあった。寂れて誰もいない商店街。昼間だと言うのにどの店も閉まっており、人影は俺達以外にない。シャッターが閉じられ、スプレーで落書きされている。傍目には潰れてしまった店にしか見えない。

 アザレアは警戒しつつシャッターをあげた。

「研究所の出口の一つがここに通じてる」

 アザレアは小声でそう言う。

「見張りはいないのか」

「俺が造りだされた頃には既に使用不可とされていた。凄惨なことにはなってるが通れないことはなかったから、ここを通って出てきた。あっちもまさかここを通るとは思わないだろう」

 シャッターが完全に上がると、昔の名残だろう、使われなくなった認証機器達に蜘蛛の巣がかかっていた。

 その向こう側は真っ暗で、何も見えないに等しい。ここからどうやって進むのか、アザレアはどうやってここに辿り着いたんだろう。

 アザレアに従い、慎重に踏み出す。外の薄い明かりで多少は床の存在が確認できるが、いつ暗闇に突っ込むか知れず慎重にならざるを得ない。

 アザレアが止まる。何かと思えば、そこから先に道はなかった。おそらく地下に続くのだろう穴が広がっている。

「昔はエレベータが通ってたんだ」

 アザレアがそう言う。確かにぼんやりと滑車と切れたワイヤーが見える。

「どうやって下がるんだ。飛び降りるのは無理だぞ、俺はドミヌスでもなんでもない、一般人だからな」

「心配しなくても梯子がかかってる。暗くて見にくいから気をつけろ」

 そう言ってアザレアは穴に潜っていった。梯子に足をかける音が暗闇に響く。

 俺もアザレアに倣い梯子を下りる。殆ど見えてないに等しいが、どうにか手を伝えば梯子は分かるし、梯子自体はしっかりしているらしく足下もおぼつきはしない。

 それより気になるのは、酷い匂いだった。上部の方だからきつくないのだろうが、これは腐臭だ。人の死体の腐った匂いがする。

 数時間かけて穴を下れば、さすがに疲労困憊といった様子だった、俺だけが。アザレアはさすがドミヌスの遺伝子が入っているだけある。

 奥底は、鼻をつまむような、それ以上の腐臭だった。この都市にいれば嫌でも慣れる匂いだが、それでも好きになれる匂いではない。本当に一般人なら嘔吐するだろう。

 腐臭の正体はやはり死体だった。殆どが白骨化していた。大量に積み重なったそれらは、骨格からしてまだ子供のものばかりだ。

「俺よりひどい失敗作や実験の最中に死んだのは、ここに捨てられる。ここの通路が封鎖されてからずっとここが死体捨て場だ」

 聖の遺産は、体が弱く長生きができないことが欠点だ。だから大量の子供が死んでいくことになる。

「誘拐されたドミヌスも実験中に死ぬとここに捨てられる。その中のいくつかはドミヌスだ」

 ここはまさに実験中に出た死体(ゴミ)の捨て場なのだ。

 鼻が曲がるほどの死臭をぬけると、堅そうな扉の前に着いた。こちら側にこんな白骨の海が広がるとは信じられないくらいに白い扉だ。機械的で冷たい印象の。

「この扉はこちら側は開かなくなってる。だが、今に死体捨ての時間だ。その時に研究員を殺して、研究員に化けて入ろう」

「ああ、分かった。ところで、あんたは、どうやってここに来たんだ」

「死体に紛れた。毎日相当な量の死体が出るからな、ばれなかった」

 さすがに未だに精子と卵子を造りだせはしないらしい。だが精子と卵子さえあれば、子宮はいらない。試験管で人間は培養できる。数だって卵子や受精卵を分裂させてしまえばいい。人間は造れるのだ。

 アザレアの言った通り、しばらくで重そうな見た目に反して扉は軽く開いた。機械音と共にアザレアは研究員を殴る。研究員達はただの人間らしく、半ドミヌスであるアザレアには敵わない。首を折られてお陀仏。そのまま自分が運んできた死体の仲間となった。

 研究員の来ていた白衣を剥ぎ、注射針が仕舞われたままのそれを身に纏う。神経質そうな薬品の匂いが鼻につく。おそらく個人認証に使われるだろうカード類もすべて抜き取り、正直嫌だが虹彩認証もあるので目玉もくり抜き、指紋のために手を切り落とす。声帯認証だけは諦めた。

 冷たそうなリノリウムの床に足音が響く。誰ともすれ違わない。

「ここは最上層だ。地上との行き来に使うのが主な階だから人はあまり来ない。だが研究員に会ったら殺すつもりだ。後々面倒だからな」

 半ドミヌスのせいなのかずいぶん物騒な思考である。ペシミムスを服用しないから度を過ぎて好戦的な思考になっているのか、それとも複合実験の被験者はみなこんななのだろうか。

「彼らは多分最下層にいる。異常者達を監禁する牢や独房があるから、そこで一緒に閉じ込められてるだろう」

 アザレアに従い、進んでいくとエレベータが現れた。機械的かつ金属的な建物に反してエレベータだけはえらく古風だ。おそらく木製だろう箱、とりつけられたハンドルと蛇腹の扉。今時映画でだって見ないエレベータだ。

 エレベータの操作はアザレアに任せ、俺達は下へと下がっていく。機械の稼働音が不穏だ。年季の入った音が響くが、このエレベータ途中で止まったりしないだろうか。

 俺の心配を裏切り、エレベータは無事最下層に着いた。

 蛇腹の扉の先には、入ってきたところと同じような扉がある。

 アザレアは慣れた手つきで暗証番号を入力し、盗んできた目玉と手で生体認証を行う。幸い音声認証はなかった。

 生体認証をするような家には住んでいないし、馴染みの店にもそんなものは着いてない。最近は面倒で盗みに入った場所なんかでは認証機器を壊すことが殆どだから、機械独特の音を聞くのは新鮮だった。

 開いた先は今までの輝くばかりの白い背景とは違い、牢特有の薄暗さがあった。壁や床もリノリウムではなくコンクリートむき出しだ。

 連なる鉄格子の中には、様々な人間がいた。人間といっても、およそ人間らしくないのが殆どだ。目をぎらつかせ、口からは荒い息と涎を垂らしている。

「複合実験ではドミヌスの好戦的性格が勝ってしまうのが殆どだ。ペシミムスで抑えても、体が弱すぎて薬に勝てなかったり、そもそも実験でこうなったりするんだ。うち以外でも珍しくないそうだ」

 アザレアは、奴らの様子をものともせず進んでいく。人間の姿をしているのに、一切の理性を感じさせないその光景はどうしたって異様なのに、それを普通とするアザレアの方がよほど異様だ。

 双子はかなり奥の方の檻の中で、鎖に繋がれたまま寝ていた。寝姿は家で見るものと寸分違わず、神経の太い奴らだなと感心した。

 俺の鋏で鉄格子を切る。金属同士が擦れあう嫌な音がしたが、双子は起きなかった。代わりに周りの獣が反応した。

「あまり騒がせるな、研究員がくるかもしれない」

 アザレアに忠告されるが、来たって殺すんだから別にどうでもいいと思う。

 切りたての鉄格子をくぐり、牢の中の鎖を切る。軽そうな音だった。双子も舐められたものだ。

 双子を叩き起こそうとしたが、まったくだめだった。かなり強力な薬を飲まされたようだ。

 二人で一人ずつ背負い牢の中をぬける。同じドミヌスの血を感じたのか獣は来たより、目を剣呑に光らせていた。

 エレベータに乗り込もうとしたが、どうしてだろう、そこにはトカゲがいた。

「どうして、あんたが?」

 少しの憎悪を孕んだ声で、アザレアが聞く。彼の姿は白衣だ。だが、いつもの黄ばんで汚れ擦り切れた白衣じゃない。新品同様の、眩しい白の白衣だ。さっき殺した研究員と同じ型の。

「元、研究員だからな」

 トカゲが言う。沈海さんの情報は、やはり信頼に足る。

「何をしに来た」

「自分の息子に会いに、か」

 薄ら笑いを浮かべながらトカゲは言う。爬虫類顔と同時に悪役顔でもある彼には、似合う笑みだ。

「息子?」

「俺は複合実験のチームの中でも、上の方にいた。必然、実験の重要な部分にも関わっている。ここにいる被験者のうち何割かは俺が造りだしたも同然。アザレア、お前も俺が造った」

 アザレア達被験者は確かに人造人間だ。だが、目の前で「お前は造られた人間だから人間とは違う」なんて言われて喜ぶ奴はいないだろう。アザレアも例には漏れず。

「お前の好きなヴィオラだって」

 怒りで肩を震わせるアザレアに、トカゲは告げる。トカゲの口調には憂いがわずかに感じられたが、アザレアには分からなかったらしく。ヴィオラの名に反応して、アンを落とした。アンが床にぶつかるが、彼は起きない。

 殴りかかろうとするアザレアに、トカゲは注射針を刺す。一瞬で透明な液がアザレアの腕に注がれる。アザレアは勢いよく離れるが、体に力が入らず、その場に崩れ落ちた。

「待てよ!」

 力もなく、アザレアは叫ぶが、トカゲの手は既にハンドルをひいていた。

「せいぜい、上まで上がって来い」

 追おうとする俺を後目に、トカゲはエレベータで去っていく。

 アザレアは呼吸も荒く、顔色も悪い。

「早くあいつを追わないと、何をされるか」

 息も絶え絶えにアザレアは言う。

「何をされた」

 と俺が聞けば

「ネガティウスを直接いれられた」

 かすれた声で、途切れがちにアザレアは答えた。本来は気体状であるそれを、血液に注がれたのだ。おそらく濃度も高められていただろう。

「階段があるはずだ」

 アザレアの言葉に、悪刀を下ろしてから探せば確かにあった。だが最上階からエレベータで下りてきた時間を考えれば、相当な長さだ。俺一人ならまだしも、三人も背負っているのは普通に走るのだってきつい。結局そこで寝ている双子を起こすことにした。

 一人ずつに思い切り頭突きをする。俺は石頭だが、双子は違うので痛かろう。

「おい、いい加減起きろ!」

 寝ぼけ眼で世界を点滅させてる双子をゆすってやると、双子はようやく目覚めた。

「ここ、どこだよ」

 寝起きで不機嫌そうなアンが、噛みつくように聞いてくる。悪刀はぼんやりと辺りを見回す。

「後で説明する。早くトカゲを」

 アザレアの息は先程より荒くなっていた。

「は? トカゲがなんだよ」

「いいから行けって。お前ら誘拐した奴らに恩返ししたいだろ?」

 俺の言葉に双子は渋々走り出した。俺はアザレアを背負い、後を追う。

 しかし、早々に双子も息を上がらせた。二人はドミヌスだ。そんな簡単に疲れはしない。

「薬の影響か」

 アザレアが呟く。

「お前ら、オプティムスは」

「持ってねえよ。武器も全部抜かれてる」

 息切れしつつ、ゆっくり歩むアンが答える。双子は手すりによりかかりながらでしかないと歩けていない。

「どこの階でもいい。薬品庫があるはずだ」

 アザレアに首をつかませ、両手で双子を抱え、直近の階に入る。いくら研究員に成りすましているとはいえ、同じ研究員を背負い、息も絶え絶えな男二人を抱えてる奴は明らかに不審だろう。戦わざるをえなくなったので、三人をその場に落とし、鋏で応戦した。各々「痛い」と声を上げたが気にしてる場合じゃない。

 白衣も壁も床も赤く染めあげた。非常ボタンやなんやらを押される前に切り刻んだから誰も来なかった。

 薬品庫と書かれた扉を開くと、ありとあらゆる錠剤が並べられていた。手当たり次第に薬瓶をあさり、オプティムスをなんとか見つける。見つけたオプティムスの瓶を全て掴み、血溜まりに倒れたままの三人のところへ向かう。

 顔色の悪い三人に血飛沫がかかっている様子は、まるで彼らが怪我をしたようだ。

 靴に血を飛び散らせつつ三人の下に座り込む。ひったくった白衣が真っ赤に浸る。

 瓶を開け、順々に薬を飲ませる。通常は一回三錠程度だが、面倒だし過剰摂取(オーバードーズ)覚悟で口の中に瓶ごと開ける。水をとってこなかったから、死んで間もない連中を掻っ捌き、その血で薬を飲みこませた。気持ち悪いだろうが、死にはしないだろう。

 血溜まりに放られた薬瓶に血が入り込むように、三人の血液にオプティムスが染み込む。どう考えたって過剰摂取だ、三人の肌はみるみるうちに血色を取り戻す。

 虚ろだった目は充血し始め、獣が餌を狙う時独特のぎらつきを得る。涎こそ垂らさないが、今までとは別の意味で息が荒い。口の周りを赤く染めた姿は、恐怖以外の何物でもない。

 聖の遺伝子のせいか、アザレアは効きが弱い。反面純粋なドミヌスの双子は勝手に研究を破壊し始めた。ただのペンだって、人間の体だって、奴らの手にかかれば凶器でしかない。

 過剰摂取のドミヌスは、まさに触らぬ神に祟りなしとやらで、放っておくに尽きる。動物としての本能で放置しておいても帰ってくるから大丈夫だろう。

 周囲が目に入らなくなるのは半ドミヌスのアザレアも同じらしく、俺のことなど歯牙にもかけず駆け出す。少しは感謝してくれてもいいんだけど。

 俺はアザレアを追って階段を上っていく。

 最上階についたとき、アザレアは涼しい顔をしていたが、俺の息は上がっていた。当然だ、俺はドミヌスではないし三人と違いもう二十代半ばだ。体力が違う。

 下の階よりは人がいるが、それでも最上階だというのに人は少ない。この研究所は実は廃墟なんじゃないかと疑ってしまう。

 ときおり通る研究員達は、階段を占領するように突っ立ている俺達を訝しげに眺める。白い空間に真っ赤な白衣だし、死臭がするのかもしれない。

 下での騒ぎはまだ伝わっていないらしい。双子相手じゃ情報を与える暇さえ与えてもらえない。

 アザレアが歩き出した。足ぶりからするに、どこかへ向かっているというよりは何かを探している感じだ。「どこに向かうんだ」と聞いても返事はない。お兄さんは悲しい。

 人が少なくなったところで、向こうから女が歩いてきた。おそらく被験体だろう子供達に囲まれている。

「ヴィオラ!」

 アザレアは駆け寄る。ヴィオラ、と呼ばれた女はアザレアを見て微笑み、子供の輪から抜け出した。

 アザレアはヴィオラに惚れてる。初見の勘だが、多分当たっている。先程とは別の熱を感じた。

「久しぶりね、アザレア」

 だが、ヴィオラは人間ではない。人造人間でもない。確証はないが、あれは人工知能だ。声音が、少し、ほんの少し機械的だ。微笑みは優しげだが、青銀の目から感情は読み取れない。

 アザレアは抱きつかんばかりの勢いで、ヴィオラに話しかける。彼女も彼の様子を穏やかに受け止めている。

「ヴィオラ、一緒に逃げよう」

 アザレアの用事は彼女を連れ出すことなのだろう。必死で説得しようとしているが、彼女は取りあわない。彼女の後ろで子供達がヴィオラの名を呼ぶ。

 階段の方から足音が響く。悲鳴がついてくるから、双子が上ってきたのだろう。

 ヴィオラは子供達を逃がし始めた。奥の方へ押しやるところへ、アザレアがすがるように追う。天井から警告ランプが顔をだし、赤く照る。紅の白衣が目立たなくなる。

「おい、アザレア」

 どこまでもヴィオラを追おうとするアザレアを止めようとしたが、そこへ双子が到着した。過剰摂取で気が昂っている双子は、よほどの顔見知りでない限り、全てを獲物と認識する。アザレアとの仲は深くない。

 アンがアザレアに、悪刀がヴィオラに向かう。

「アザレア!」

 俺が呼ぶと同時に、渇いた銃声音。音の大きさからして銃は二つ。それぞれアンと悪刀に向けられたようだが、二人は避けていた。双子は焦点を外し、子供達が逃げていった方に視線をやる。

「長い散歩だったわね、ナンバーA」

 ヴィオラによく顔の似た女が現れる。女はヴィオラを庇うようにアザレアとの間に割って入る。

「所長」

 アザレアの声が示したのは、憎悪と絶望。双子の誘拐を指示したのは、この女だろうか。ならば俺にも()がある。

「お外は楽しかったかしら」

 嘲りより慈愛さえ感じる声音。所長というくらいだ、被験体の母だとでもいうのだろう。

 アザレアが言葉につまる間に、標的を変えた双子が女に襲いかかった。所長は慈悲の笑みのまま銃を構え弾を撃ちだすが、双子は自在に避け所長を襲う。しかし所長もドミヌスの相手くらいしたことがあるのだろう、慣れた手つきで凶器を避ける。

 ヴィオラが巻き込まれることを心配したのだろう、アザレアは彼女の手をひき、こちらに寄せる。本当なら双子に加勢したいが、俺では足手纏いになるだけだ。

「ヴィオラ」

 所長がヴィオラを呼ぶ。彼女が機械的に振り向く。

「おやすみなさい(オルヴォワール)」

 スイッチの入る音。

 人工知能だろうヴィオラからその音が聞こえたところで不思議ではない。しかしその音が意味するものは、俺の予想通り大変物騒なもののようだ。

 ヴィオラは音もなく直立姿勢になる。慈愛に満ちた優しい微笑みはそのまま、子を迎え入れるように両腕を広げた。アザレアの手は振り払われる。救いを仰ぐようにヴィオラは天に顔を向けた。彼女の爪先から、光の筋が網状に広がる。

「自動情報保護システムを作動します」

 人間らしさを捨てた、女の機械音。

 情報保護とは名ばかり、研究員や被験体もろとも研究所を爆破しようというのだろう。所長だろう女は慈悲を捨てた、深い笑みを浮かべて奥に消えていく。

 双子は女を追おうとする。しかし今大切なのは、逃げて生きのびること以外にない。

「アン! 悪刀!」

 ヴィオラとアザレアを抜け、双子を捕まえる。鋏の刀身を掴み、持ち手の部分で双子の頭を殴れば、二人とも俺を見た。

「何するんだよ!」

 苛立ちを隠さずアンが怒鳴る。

「馬鹿! そんな女放っとけ! 逃げるぞ!」

「みすみす逃がせっていうのか!」

「死んだら追えないだろ! 生きるのが先だ!」

「この都市から出られたらどうするんだよ!」

悪刀も吠える。だが足の裏で地鳴りを聞く。下層で爆破が始まっている。

「ぐずぐず言ってんじゃねえぞ!」

 殺した研究員から抜き取った注射針を二人に刺す。ラベルにはご丁寧にネガティウスと書いてある。血管に刺した自信はないが、双子には効いたらしく、涎を垂らしながら崩れ落ちる。

 俺は双子を抱えて逃げようとするが、アザレアが動かない。機械として研究所と同化した彼女の名を叫び続け、しがみついている。声音は悲痛で、目から涙がこぼれている。

「アザレア! おい!」

 放っておくわけにもいかず、暴れる元気もない(奪ったのは俺だが)双子を抱えたまま、アザレアを呼ぶが、彼の耳には届かない。

 地響きが大きくなる。逃げ遅れた人間達の悲鳴が聞こえる。いっそ双子に殺されていれば怖くなかったろうに。

 悪刀を肩にかつぎ、アザレアを抱えようとするが、アザレアの力は強くヴィオラから離れようとしない。

 ヴィオラの青銀の目が、黄みを帯びる。なびく濃紺の髪が、爆風の近さを物語る。

「てめえ、この野郎!」

 アザレアを罵倒するが、彼はヴィオラと共に研究所に同化したかのようだ。

「いい加減にしろ、この馬鹿!」

 一瞬俺の声かと勘違いするほど、俺の言いたかったことを言う声。トカゲの声だ。

 真っ白だった白衣は黒く汚れている。トカゲは鬼の形相でこちらに走り寄る。

「お前……!」

「言いたいことがあるのは、分かる。だが、まずはここを出ないと」

 トカゲの言葉は尤もだ。

「だが、アザレアが」

 俺の言葉に、トカゲは力ずくでアザレアを引きはがす。それでもアザレアは、子供が駄々をこねるようにヴィオラを求める。

「ついて来い!」

 トカゲだって死にたくはないだろうから、大人しく従う。

 トカゲに着いて走るうちに出口が見えた。地上と繋がる通路の一つだ。

 トカゲの手が緩んだのか、アザレアが来た方へと戻ろうとする。

 トカゲが彼の襟をすんでで掴んだ瞬間、爆破音。

 トカゲがアザレアを通路へ投げ捨て、双子を抱えた俺が通路へ入り、トカゲが滑り込む。全てが同時に起き、スローモーションのよう。

「ヴィオラ!」

 枯れるほどの、大きな声でアザレアが叫んだ。悲痛で、悲愴な、痛ましい調べ。

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