Ⅰ
第四次世界大戦以降活発になった人体実験は、今も密かに続いていると専ら囁かれている。第四次世界大戦は少なくとも千年は前の話だ。息の長い実験だと思う。
現代までの人体実験の中で、最も優れているとされるのが二つある。一つは負、怖の遺産。単純にいえば人間兵器だ。不死身とは言わないが、とんでもない自己治癒能力を誇り、人外の力(物理)を持つ。彼らは戦争中に量産され、今もその子孫達が生きている。狂気じみた肉体の影響で彼らの大概は戦闘狂だ。双子の弟分、アンと悪刀もこれに該当する。
彼らは古語で「主人」を意味するドミヌスと呼ばれる。一方ただの人間である俺達はデウス、同じく古語で「神」だ。
「空の主人は、空の奴隷」
ドミヌスが完成した当時に遺された詩の一説だ。ドミヌスは人間の代わりに戦うように創られた奴隷であるという思想も、既に完成されていた。
しかし怖の遺産は兵器でしかない。最後の世界大戦以後、人体実験そのものが禁止され、ドミヌスはその血族のみとなった。
怖の遺産に対して、もう一方は正、聖の遺産の呼ばれる。聖の遺産は、怖の遺産と違い肉体ではなく脳をいじる人体実験だった。
聖と呼ばれるのには、理由がある。神を造ろう、という実験だったからだ。
異常な記憶量、異様な再現率。分かりやすく言うなら何でも知っている状態だ。知識があるなら応用すれば、大概のことは理解できるし想定できる。まさに神のようだと謳われたらしい。
しかし彼らはどんなに実験を重ねても、薬漬けにしても、長くて二十数年しか命がもたなかった。脳のキャパシティを越えたのか。その上生殖機能もなかったから、これ以上は無駄だとして実験は打ち切られた。
ドミヌスは完成品であり、これ以上手を加えようという動きはない。だから今でも続く地下実験は聖の遺産を継ぐものなのだ。
不思議なのは、今再び活発になっていることだ。なぜ今なのか。細々と続いていたらしいことは耳にしたことがあるが、レオンカヴァルロに注意を促されるくらいだから、かなりのことになっているのだろう。
別の日に沈海さん宅へ伺うと、やはりヴェロニカさんがいた。マフィアのボスは思ったより暇な職業なのかもしれない。
「地下実験が今、再興を始めたのはね、ウーリヒが関係しているのよ」
なんで今なんだよ、俺が死んだあととかにしてくれよ。そういう旨の話をするとヴェロニカさんはそう答えた。
ウーリヒはズッパイングレーゼ襲撃事件の元凶の一人であり、双子の実父だ。よく分からないが、エドゥアルダとか言う双子の実母をどうにかするための実験をしていた博士だ。
ドミヌスは生粋の戦闘狂だ。だから普段は抑えていないと生活できない。そのために開発された薬がペシミムス、精神安定剤だ。想像には難くないが、対の薬がある。こちらはオプティムス、情緒不安定を副作用にもつ筋力活性剤だ。ドミヌスは通常、ペシミムスのみ、あるいは二つの薬を服用して生活している。
だが、ウーリヒは第三の薬の開発に成功した。それがネガティウスだ。ウーリヒが創ったのだからウーリヒに説明願いたいが、彼はレオンカヴァルロに喧嘩を売り、息子である双子を敵に回したせいで口には言えないようなことをされたので、この世にいない。その代わり、レオンカヴァルロお抱えの研究員達が、どんなものかを突き止めたらしい。ネガティウスは気体による神経毒である。強いていうなら、オプティムスの逆作用か。
ただの神経毒なら、いくらでもある。ただ強靭な肉体をもつドミヌスには効かない。毒が効かないとなると、ドミヌスを倒すには物理攻撃しかないがそれこそ無謀な話だ。だからドミヌスに効き、その上デウスに害がない神経毒の開発はすごいことなのだ。
ウーリヒが関係しているということは、おそらくネガティウスにも関係しているのだろう。
「地下実験の奴らは常々、聖の遺産と怖の遺産の合体を望んできたわ。それには生きたドミヌスが必要らしいの。けれど今下手に彼らを作り出せば、研究者自体が危ないからね。彼らはドミヌスを安全に捕縛する方法を模索していた。そこへネガティウスの登場よ。彼らは喜びに沸いたでしょうね。ドミヌスを生け捕りにできるのだから」
ウーリヒは死んでなお、自身の息子達を危険にさらしているのだ。恐ろしい奴である。
ネガティウスの流布についてはレオンカヴァルロが睨みを効かせているらしい。レオンカヴァルロはドミヌス保護派であるから、彼らを危険にさらすようなことは基本しない。だが、どこまでいってもレオンカヴァルロもマフィアである。マフィア同士の付き合いというのもあるし、万一の時のためにネガティウスを保持していたいというのもあるだろう。だからそこまで強くは出られない。結果、ネガティウスは裏ではそこそこ流通しているようだ。
オプティムスは法外の薬だから法外な手段――たとえばマフィアから盗むとか――でないと手に入らない。ネガティウスと同じで正規で入手するのは困難だ。
ペシミムスけは正規入手が可能だ。医者の処方箋として手に入れられる。ただし、値段がキチガイじみてる。ドミヌスはペシミムスを服用しなければ、どの道死んでしまう。まともな職につけない彼らに高値で売るということは、彼らを殺すに等しい。ドミヌス反対派によるものだった。
そうするとペシミムスを安く手に入れる方法は限られてくる。マフィアの下につくか、裏ルートで仕入れてくる奴を見つけるかだ。俺達は後者だ。双子を拾った後、明らかにおかしかったから闇医者に見せたら、そいつが裏ルートで薬を仕入れてる奴だった。無論金はとられるが、それでも正規の十分の一もしない。
二ヶ月に一度薬をもらいに、正確には買いに行く。戦闘狂のドミヌスは無意識に体を酷使していることがある。いくら自己治癒能力が著しくとびぬけていても、たまに体がついてこないときがある。その上、痛みに強いというか麻痺してるため、病気に気付かなかったりする。そのため、薬ついでに診察もしてもらう。
「おっさん」
双子は医者先生のことを「おっさん」と呼ぶ。決して「先生」とは呼ばない。尤も、双子は年上の男性の殆どを「おっさん」と呼ぶ。おっさん、もといトカゲもそれを気にしていない。それどころか敬称はこそばゆいから呼び捨てにしろと言われた。俺はお言葉に甘えているが、それでも先生と呼ぶ人はいるそうだ。
「ほれ、座れ」
トカゲは椅子をもう一つ用意し、双子の触診を始めた。科学技術はあるのに、人間の手の方が信頼できるらしい。
俺には椅子は用意されず、ベッドに腰掛ける。とりあえず病院のベッドだというのに硬くて座り心地が悪い。
双子の触診をぼんやり眺めていると、見覚えのない少年、否双子と同じくらいだから少年じゃないが、男が視界に入った。スキンヘッドで眉毛がない。少なくとも堅気ではなさそうだ。
「ああ、そいつは」
視界の端にそいつが映ったらしく、トカゲはそうきりだした。
「この前、拾ったんだ」
俺も人のことを言えたくちじゃないが、ほいほいと人間を拾い過ぎである。人間はペットじゃないんだぞ。俺が言っても、真実味に欠けるな。
「地下実験から逃げてきたらしい。耳にタグの跡があるだろ」
そいつの耳を見れば、なるほど確かに千切られたタグが付いたままになっていた。その傍には縫った跡がある。
「発信機やなんやらが埋められていたからな、取り除いたんだ。おい、アザレア、こっちこいよ」
トカゲは男にそう呼びかけた。アザレアと呼ばれた男は少し離れてこちらを見ていたが、トカゲの言葉にこちらへ来た。
彼は色白い、黄色人種系の色白さの肌をしていた。例えるなら象牙か。スキンヘッドのせいで、その薄い色の肌の下から青く静脈が浮いて見え、青筋がたっているようにも見える。眉毛がなく感情が読めないせいで、余計そう感じる。多少筋肉はあるようだが、痩せ細っており、薄汚れたタンクトップが余計みすぼらしく見せる。
特徴的なのはその目だ。サーモンピンクの虹彩とワインレッドの瞳孔。そこまでならそう珍しくはない。だが彼の白目、専門的にいうなら強膜の部分が深い赤、殆ど黒の赤だった。こいつが如何に普通でないかを物語っている。
「アザレア・アプリコットだ」
彼はそう手を差し向けてきたから、握手する。人の手とは思えないほど冷たい。普段、子供体温の双子を相手にしているから、相対的にそう感じただけかもしれない。
「俺はIphone=Apfel。周りはアイフって呼ぶ。赤毛がアンで白髪が悪刀だ」
そう自己紹介する。
「アンじゃねえ! アンドリューだ!」
とアンが吠えてきたけど無視しておく。いつものことだ。
トカゲとアザレアの顔は対照的だ。トカゲは彫りが深い爬虫類顔をしている。反対にアザレアは彫りが浅く、わりと平らな顔をしている。おそらく沈海さんと同じアジア系統の顔だろう。こんなに違う顔なのに、どことなく面影がある。気のせいだろうか。
「アザレアは聖の遺産と怖の遺産の結合実験の失敗作だ。遺伝子をいじられた聖の卵子と、怖の精子を受精させた試験管ベビーだ。まあ、こいつらの仲間みたいなもんだな」
トカゲは双子を見ながら言う。怖の遺産の遺伝子が入ってるということは、少なくとも俺より強くて、聖の遺産なのだから俺達より頭もいいのだろう。敵には回したくないな。
「俺らより強いのか」
アンがトカゲに聞く。やはり戦闘狂にとって、自分より強いか弱いかは重要なのだろう。
「いや、失敗作だからな。さすがにお前らよりは弱いよ。でも、まあアイフよりは強いだろう」
やっぱり。でも一般人代表の俺より弱かったらそれはそれで問題だ。とにかく、双子ちゃん対アザレアを見なくてすむことに安心した。間違いなく俺が巻き込まれるから。
「俺らより弱いにしたって、普通より強くて、普通より異常に頭がいいんだろ。それでも失敗作なのか」
悪刀が聞く。
「聖の遺産特有の体の弱さは克服できただろうが、生殖能力がない。結合実験の最大の目的は生殖能力の付与だからな。それに怖の遺産が混じったせいで精神不安定だし、それが脳に影響して少し記憶力が落ちてる」
「やけに詳しいな」
「拾ったときに調べたからな」
話はそれで終わり、薬の売買をして俺達は帰った。
アザレアはトカゲの手伝いをする代わり、食事と寝床を提供してもらっているそうだ。少し親近感が湧いた。
帰りに沈海さんのとこへ寄る。新たに仕事がきてないか確認だ。
期待通り仕事はきてなかった。その代わり、やはりヴェロニカさんは来ていた。仕事はどうしたんだ、とボディガードのおっさんに目を向けるが、切なそうな顔をして首を左右に振られた。なんとなく察した。
「薬くさいわね」
沈海さんにくっついて座っていたヴェロニカさんが鼻を匂わせて、そう言った。トカゲの病院の匂いが染みついていたようだ。
「トカゲのとこか」
煙草を並べながら沈海さんが言う。実はドミヌスだった沈海さんも前からトカゲの世話になっていたらしい。あまり病院で鉢合ったことはない。トカゲが嫌煙家で、沈海さんが愛煙家だからそりが合わないそうだ。さっと行ってさっと帰ってくるらしい。
「確か、被験者の子を囲っているそうね」
ヴェロニカさんが聞いてくるから頷いて
「囲っているわけじゃないけど」
と訂正しておく。
「似たようなものよ」
ヴェロニカさんはそう言うが「囲っている」ではいかがわしい雰囲気しかしない。
ヴェロニカさんはトカゲに用事はないだろうけど、シフォンの実質トップなだけあって本当に耳の早い人だ。情報屋の沈海さんと一緒だからだろうか。
「気を付けた方がいいわよ。ただでさえ奴らは生きた、それも若いドミヌスを狙ってる。おそらくその彼も回収にくるでしょう。ばったり会ってそのまま誘拐なんてのもあり得るわ。悪いけど、うちは手を出さないから自分の身は自分で守ってね」
そのまま誘拐はないだろう、と言いたかった。しかしネガティウスが流通している今、ないとは言い切れない。その場に俺がいたらまだしも、双子二人だけだったら手足が出せない可能性も大きい。
双子は有名人だ。ドミヌスは聖の遺産と違い生殖能力があるが、遺伝子操作が影響したのか、子供を産みにくくなってる。精子の量自体は一般人達と変わらないが、役立たずの精子が多かったり、女の場合は排卵が少なかったりする。その中で双子というのは珍しい。その上、双子は飛んだり跳ねたりマフィアに喧嘩を売ったりと忙しい。この都市はマフィアの支配下にある。そのマフィアに喧嘩を売り続けるのだから有名にもなる。
地下実験の裏にいるマフィアがレオンカヴァルロと対立していた場合、より積極的に狙いにくるだろう。
悪い予感ほど当たる。
何でも屋の仕事は基本的に三人一緒にやる。そもそも分かれてやるほど仕事がこない。
その日は珍しく、双子と俺に分かれて仕事をしていた。双子は子犬探し、俺はセールに戦いに出掛けた。
仕事が終わり次第、各自家に帰ることになっていた。
ドミヌスは自己治癒能力は勿論、五感も一般人より遥かに優れている。野生の動物には負けるだろうが、子犬くらいは匂いで探し出せる。それにしては帰りが遅かった。
朝帰りだって有り得ないことはない。行先は娼館とかでなく、喧嘩して疲労回復のため休んでいたとかなのだが。
探しに行くのは面倒だし、どうせすぐ帰ってくるだろう。結局その日は家族水入らずで過ごすことになった。
しかし翌日になっても双子は帰ってこなかった。よほど酷い怪我をしていなければ一晩あれば十分回復する。それなのに帰ってこないということは、何かあったということだ。
ようやっと俺は重い腰をあげ、双子を探し始めた。
戦闘用の巨大鋏を携え、家を後にする。
迷子探しは――主に動物相手だが――何度もやっているから、コツは分かっている。
しかし双子は見つからなかった。だから情報を求めて沈海さんのところへ行くことにした。
珍しくヴェロニカさんはいなかった。レオンカヴァルロにも何かあったのだろうか。
沈海さんに双子のことを聞くが、昨日は見てないと言う。何か知らないかと聞いても、特には知らないらしい。
そこにヴェロニカさんが現れた。結局今日も来るのか、と心の中で溜め息を吐く。顔に出そうものなら殺されるような気がするので、我慢した。
「アンと悪刀が消えたのね」
普段のヴェロニカさんなら、まずは沈海さんに話しかける。遠縁の奴より婚約者の方が大事なんだから、当然だ。だが今日は違った、開口一番俺に話しかけてきた。その事実と発言内容に面食らっていささか思考停止したが、すぐに戻り肯定の意を示す。
「地下に誘拐されたらしいわ、うちの者がそれらしき現場を見たというの」
誘拐されるかもしれない。それは有り得ないだろうと根拠もなく信じていたが、易々と打ち砕かれた。
「探しに行くつもりでしょうけど、うちは協力できないわよ。分かってるわね」
ヴェロニカさんはそう言うが、だからといって弟達を放っておくわけにもいかない。勿論一人で探しに行く。
両親に頼めばいいかもしれないが、例によって父はいないし母は放任主義なので俺の頼みはあまり聞いてくれない。
ところが困ったことに、地下実験を行っているのは一つではなかった。しらみつぶしというのもいいが、この都市のマフィアの数はおそらくコンビニより多い。運が悪ければ探している間に双子が死ぬ可能性もある。
「どこのマフィアのか分かってます?」
「いいえ、分からないわ。黒いマントの連中が二人をさらったとしか報告を受けてないの」
それでは探しようがないじゃないか、と顔をしかめる。
「けれど、一つ興味深い情報があるわ」
もったいぶってヴェロニカさんが話し始める。
「トカゲ・ハインリッヒの姿も昨日からないそうよ」
トカゲ・ハインリッヒはあの闇医者トカゲのことだ。
まだ決まったわけじゃない。だが可能性としてはゼロではない。
「トカゲについての情報ならいくらかあるぞ」
沈海さんが、意地の悪そうな顔をして笑う。
「こんなときまで」
俺がそう悪態をついても、彼はつきだした手を引っ込めない。舌打ちをしてジッポを人質に出す。
「帰ってきたら払うよ」
「楽しみにしてる。安心しろ、いつもよりまけてやる」
「それで、情報は」
「ああ。あいつは、元研究員だ。聖と怖の結合実験のな」
ますます怪しくなった。