2月14日
キッチンに並べられたチョコマフィン。形を崩さないように袋に詰めた。10年間たった一人のために毎年作った。けど、それは形を持った、私の心に潜んだ真っ黒な嘘。大好きな人に嘘を渡し続けた。今年こそは終止符を打とう。そんな思いを込めてリボンを結んだ。
2月14日。街中のお菓子屋さんがハートで装飾されて、にぎやかになる。街中の女の子の家のキッチンが甘いにおいで満たされる。私の家だって例外じゃない。オーブンから出したのはチョコチップ入りのマフィン。ずっと作り続けてきたから作り方もバッチリだし、焼き加減だって味だって完璧。料理が全然できない私でもこれだけは誇ることができる。料理なんてからっきしなくせに、たった一人のために10年間作り続けた。「好き」って気持ちだけで自分がここまでやれるなんて思ってもいなかった。周りの女の子たちは希望とか、期待とかをこめて大好きな人への贈り物を作るのに。私にあるのは妙な落ち着きと諦めだけ。
「何を毎年こんなに頑張って作ってるんだろうな・・・。」
自分でつぶやいた言葉に思わず失笑した。
私には好きな人がいる。出会ったのは小学1年生の時。彼・・中村裕貴は私の家の隣に引っ越してきた。第一印象は私よりちっちゃくてかわいい、けれどどこか魅力的な男の子。弟みたいな印象だった。よく、姉御肌だねって言われる私と、人を惹きつける裕貴。なんだか知らないけど馬が合って毎日のように一緒にいた。あのころはよかったなっていつも思う。純粋に裕貴といるのが楽しくって。なんにも考えずに一緒にいた。私の気持ちに変化があったのは小学校4年生、10歳のとき。何が原因だったかは忘れたけれど、私がお母さんとケンカをして家を飛び出して、近所の公園のトンネルに隠れていた。寒くて寂しくて。けれど意地を張って帰れなくって。そんな私を裕貴は探しにきて、
「奈子、帰ろ。僕と一緒に奈子のお母さんに謝りに行こう」
って言って私の手を引っ張ってくれた。その手の温かさに安心して。きっとその日からだったんだと思う。裕貴を男の子として見るようになったのは。それから10年。ずっとずっと裕貴のことが好きで。当たり前のようにずっと一緒にいれると思ってた。けれど裕貴は中学に入ってから身長がグングン伸びて、もともと整った顔立ちだからすごくモテ始めた。毎年のバレンタインは必ず告白されて。いつも違う彼女がいて。かわいくデコレーションされたカップチョコとか、おしゃれなトリュフとか、きれいに焼かれたガトーショコラとか、私には絶対に作れないものをもらっていた。キラキラしたチョコレートたちは裕貴の彼女達そっくりだった。私に作れるのは味気ないマフィンだけ。可愛げのない私みたい。それでも、毎年私の家に上がり込んで
「奈子―。今年のマフィンは?」
って勝手に取りに来る。最初の頃なんか失敗しすぎて食べれるようなものじゃなかったのに、受け取って「おいしい。」って全部食べてくれた。そんな裕貴の優しさにさらに惹かれて。裕貴の笑顔が見たくて。バカみたいに練習した。そのたびに裕貴への気持ちは募って、けれど、どうしても「好き」って二文字が絞り出せなかった。怖かった。ただの幼馴染なら、友達ならそばにいれる。毎日話せる。けれどこれで何かが変わってしまったら。口もきいてくれなかったら。そう考えるとそこから一歩も動くことができなくて。「友チョコ」なんていう「嘘」を私は裕貴に渡し続けている。
「これでよしっと。」
予熱したオーブンにマフィンの種を入れてからエプロンを外してソファーに座った。
「かれこれ10年か・・・。アホらしい」
思わずそんな言葉が漏れてくる。二十歳にもなって処女はおろか、異性と付き合ったことだってない。そもそも初恋を引きずって、ここまできてしまったんだから救いようがない。
「・・・いつまでこんなことしてるんだろう。大好きな人にいつまで嘘をつき続けるのよ・・・。」
それは今まで見ようとしなかった現実。目を背け続けてきたこと。私と裕貴は確実に年をとって、別々の道を歩いて行く。いつまでも一緒にいれるわけじゃない。時間はすすんでいく。
「『嘘』を渡すのはもう終わりにしなきゃ。」
そう決意した瞬間、オーブンの音が鳴った。
「奈子!」
そう声を張り上げて裕貴が私の家に飛び込んできたのは午後7時。夕食を食べ終えてお皿を片付けていたころだった。
「ピンポンくらい押したらどうなの。」
「いいじゃんか、俺たちの仲だろ!」
かわいくない反応の私に柔らかい笑顔を向ける裕貴。ずるいなと思う。この笑顔ひとつで私はまた好きになっているっていうのに。
「で?お目当てはこれですか?」
わかっているのに、少しでも時間を引き延ばしたくて、勿体ぶったようにマフィンを取り出して裕貴の前に持っていく。
「もちろん!今年もいただきます!」
そう言って私の方に手をのばす裕貴。いつもはここであっさりと渡して、あっさりと裕貴は帰っていく。けれど今年は違う。終止符を打つって決めたから。うるさい心臓に打ち勝つように、大きく息を吸い込んだ。
「あのね、裕貴。」「あのな、奈子。」
声が重なった。目があって同時に吹き出す。
「なんだよ、これ。俺ら最強かよ。」
ふわっとした空気。私たちにしか作ることのできない空気が流れる。今なら素直に言えると思った。伝えられる、そう思った。
「いいよ、先に裕貴が話して。」
こんなことを言わなきゃよかったなんて後で後悔するなんて知らずに私は言った。
「え、いいの?悪いな。っ・・・実はさ。」
裕貴の話を聞いたらちゃんと私の気持ちを伝えよう。
「俺さ。」
ずっと抱えてきた私の気持ちを伝えたい。
「・・・初めて好きな子ができた。」
「・・・・え?」
目の前が真っ暗になった。耳を疑った。何も言葉が出てこなかった。
「改まって奈子に言うの恥ずかしいんだけどさ。」
頭の整理が追いつかない。息が苦しい。
「今までの彼女ってさ、向こうから好きだって言ってくれて付き合ってたじゃん。だから、今まで自分から好きになるとかなくて、続かなかった。」
そうだね。だからバレンタインごとに彼女変わってたもんね。
「けどさ、今俺が好きな子・・・麻倉さんっていうんだけどさ、彼女は違ってさ。」
嫌だよ。聞きたくないよ。
「今まで知らなかったんだよ、こんなかんじ。だからさ、今から告白しに行こうと思って。」
なんでわざわざそんなこと言いに来るの。
「俺さ、奈子の作ったマフィン大好きなんだよな。これ食うと元気になるし、なんでもできる気がするんだよな。やる気と勇気がでるっつうか。」
勇気なんて出さなくていいよ。
「俺にとってお守りみたいなもんだから、これもらって食ってから行こうと思ってさ。」
私、今どんな表情してるんだろう。
「もし、付き合えたらめちゃくちゃ大事にしたいんだ。大事にしてずっと一緒にいたいなって思ってる」
そのセリフ、私が言ってほしかったよ。入り込む余地ないじゃん。あれだけ一緒にいたのに。私なんかどこにも入れないじゃない。
「いつも、ありがとうな。」
そんな笑顔見せないでよ。
「で?奈子の話は?」
・・・・どうせなら全て壊してしまおうか。
「あのね、」
「うん?」
「・・・・・なんでもないよ。頑張ってね。応援してる。」
そう言って私は裕貴にマフィンを押し付けた。とびっきりの笑顔を繕って。
「ありがとな。じゃあ、いってくる」
そう言って私の家を出て行った裕貴は悔しいほどカッコよかった。
「今年もダメだったなぁ・・・。」
いつのまにか私の目の前は霞んで見えなくなっていた。
10年間、嘘を渡し続けた。大好きな人に嘘をつき続けた。
今年の2月14日は今までで一番大きい、とびっきりの嘘を大好きな人に送った。