初仕事1
かくして、この"オフィス"に住み込みで働くようになった。雇用契約書も給与についての説明も何も無い、超個人事業所。
そもそも身元がはっきりしない自分が正規の所で働けるかどうかもわからないわけで、職もあって、住む場所もあるのだからありがたいものだ。
「よし。"ツチ"を紹介するよ」
そう言ってミキは手のひらを私の目の前に出す。
「……?」
そしてもう見慣れてきた橙色の光が漏れ出す。
次は何が起こるのだろうと疑問に思っているとその光は蛇の姿を形成してゆく。
「さあ、"巳土"、出てきなよ」
その言葉で命を吹き込まれるように動き出した橙色は手のひらにとぐろを巻いた形になる。
そして先程も見た、白い蛇の姿へと変化する。
「ひぃっ…!!」
蛇は怖いというのが世間の定石なわけで、つい腰が引けてしまう。
鱗が擦れる音をたててミキの手から降りた白蛇は、テーブル上を移動し目の前にくる。
「ツチは僕の力の半分なんだ。普通の蛇とは違って噛みついたりしないさ」
とは言うものの恐怖心が無くなるはずはなかった。
"ツチ"と呼ばれているらしい白蛇はなめるように私を見る。
「女、名は?」
これも先程も聞いたものと同じ低い声。
「た、宝 衣羽です…」
「かーっ!目出度い名前だな!」
どうやらこの名前は誰が聞いてもそう思うらしい。
そして、まばたきをした一瞬、気づいたら肩の上にいた。
「うぎゃっっ!?!?」
可愛いげのない叫びが漏れた。全身に鳥肌が立つ。
「みみみみみ、ミキ君!!」
助けを求めるも、彼は面白いものでも見るかのように眺めているだけだった。
「ふんっ!食べやしねえよ!こんな"からっぽ"の人間、旨いわけがない!」
耳元で低い声が響き、恐怖心が煽られるようだ。
「あんまり意地悪しないであげてよ、ツチ。本当は女の子がきて嬉しいんだろ?」
「ふんっ!」
これまた一瞬だった。光が弾けたと思えば、肩に感じていた重さは無くなった。
「あーあ、照れちゃって~」
ミキは笑っているが、白蛇が消える瞬間に残したセリフを私は聞き逃さなかった。
「もっと巨乳がよかった」って言われた……。
吐いた息は安堵の為なのかショックの為なのかは自分でもわからなかった。
((おい、衣羽、こいつの見た目にだまされんなよ))
「……へっ?」
消えたはずのツチの声。姿は見えないが話すことはできるらしい。正直、この方が安心かもしれないと思う。
((実年齢30手前だぞ))
「っぇえ!?!?」
そういえば、そんな様な事を言っていたのを思い出す。
「ああ、説明するの忘れてたね。でも、管理人の中じゃ全然ひよっこなんだよ」
目の前で笑う姿は少年そのものだ。なんだか何を信じて良いのか分からなくなってきた。
「こればっかりは証明するものがないからなあ…。カミサマに力を与えられてからは普通の人間と違って、身体に刻まれる時間の感覚が変わるんだ。身体も心も17歳でも、実年齢は30手前ってわけ。
"器"になる人間が産まれてくるのは滅多にないからね。普通に歳をとってしまうと後継者が居なくなっちゃうんだ」
「な、なるほど……?」
なんとなく、理屈が分かったような、分からないような。
「まあだいたい、普通の人の10年で僕達は1歳、年を取るって感じかな。
あんまり気にしないでいいよ。長生きになると、年齢ってどうでもよくなるんだ。今さらミキ様と呼べっても言わないし」
"ミキ様"と自分で言ってしまうのですねと思いつつ、納得するしかなかった。
そもそも、これまで様々な不可思議を目の当たりにし、今更疑うほうが可笑しいのかもしれない。
「よし。あとは衣羽の部屋に案内したあげるよ」
生き生きと、少年が立ち上がる。
なんとなく、ここのソファで寝泊まりをするビジョンが浮かんでいた。
私の部屋まであるなんて……。白い後ろ姿に仏の影を見るようだった。
「ここだよ」
玄関を入ってすぐ右手の扉の前に立つ。
「衣羽、手を出して?」
ミキは軽快に指を鳴らすと開いた手のひらにアンティーク調の鍵が現れた。
「ちゃんと鍵付き。プライバシーは大事だからね」
「……!!」
ただただ感動するばかりで声は出なかった。
(産まれて初めての…私のお部屋……)
嬉しさで胸が高鳴る中、扉に鍵をはめる。
カチャン、と開錠される音を聞き顔が綻びる。ドアノブに手をかけ、ゆっくり開けると。
「……ん?」
違和感を抱き少し深く息を吸う。
なんだろう。カビのような、埃臭いような。異臭と共にジメジメした空気が漂ってくる。
なにかの間違いかと静かに振り向く。
そこには目を丸くした少年が立っていた。まるで何が起こっているかわからないという様な、そんな顔で。
もう大分陽が落ちたようで室内は薄暗い。恐る恐る電気を点けるとその光景に絶句した。
「……ぅ、わ……げほっ、なん、何だこれ!」
阿弥陀如来の像、紐で閉じてある古そうな文献、見た事の無い動物の剥製、チープなぬいぐるみから衣類まで、室内には千差万別の品々が無造作に積まれ散乱していた。
目の前に広がる混沌にぽかんと口を開けたままで居ると、ようやくミキは言葉を発した。
「おっかしいな~、もっと綺麗だと思ったんだけどなあ~…」
ペロッと舌を出し茶目っ気を見せるが、それどころではない。
「ど、どうやってここで寝泊まりをしろと言うのでしょう…」
「そ、そうだ。衣羽ちゃん、君の初仕事は"お掃除"だね」
たった今決まった雇い主の提案に溜め息を吐く。
しかし、確かにどうにかしないと夢のマイルームは手に入りそうにない。
やれやれと首を振ると、キッと目の前の有象無象を睨み付ける。
「ミキ君、このガラ…じゃなくて、この素敵なコレクション達はどこに片付ければいいですか?」
危うくガラクタと言いそうになりながら腕捲りをする。
「あ、えー、えっとね、収納がこっちにあるんだ」
そして案内されたのは隣の扉の。そこは鍵のついてない引き戸だった。
ミキが勢いよく開けると。
まるでデジャブ。そこもガラクタで満室だった。
何事もなかったかのように静かに扉を閉めると少年は振り向いた。
「衣羽ちゃん、今日は応接室のソファで寝ていいよ。明日から作業をしてくれたまえ」
私に与えられた最初の仕事はさっそく骨が折れそうなものだった。