特殊な体質2
向かった先はそう遠くないビルの一角。
少年と出会った路地も通ったが、もう何も無くいつもの静けさを取り戻していた。
特に迷う事もなく手動のドアを開けてすぐの階段を登る。
「ここは定期的にくるんだ。特殊な人でね。僕が診てあげないと死んじゃうかもだから」
「…まるでお医者さんみたいですね」
二階、三階と上がっていく。
「早くエレベーター着けろって言ってるんだけどねえ、ふう…」
三階を登った先の踊り場で立ち止まる。体力はさほど無いらしい。
一息ついている所に気になっていた事を聞いてみる。
「あ、あの…私…着いてきて良かったんですか…?」
「むしろ衣羽も来ないとダメなんだよ。そのピアス、割れたでしょ?」
「は、はい…」
ソッと耳についたピアスに触れる。
「それはチカラを持ってない、空っぽの衣羽を守ってきた物だから。さっきトラックに突っ込まれたのもソレの中の力が尽きてきたからだと思う。
だからそれを直さないと衣羽ちゃん、死んじゃうかも。
壬影のものを直すのは癪に触るけど…そうも言ってられないし…それまで、僕と一緒に行動してくれないと、助けてあげられないから」
「えっ……」
サラッと恐ろしい事を言われたがミキは無邪気そうに笑い、その顔はどこにでもいる少年そのものだった。
ようやく階段をのぼり終え、目的地は5階の一室。
「ここだよ」
少し息の上がった、ミキが指をさした扉には。
「く…楠木組……」
初めて聞く名前だが、雰囲気でなんとなくわかる。ヤのつく人達がいる所だ。
「み…ミキ君…?」
何かの冗談であってくれと思ったが、少年の笑顔は輝きを増した。
「ここだよ。依頼主は楠木組の若頭さんなんだ」
ツイてない。と、心の中で呟いた。
腰の引けた私をよそに、彼はなんの躊躇いもなく扉を開けると、その先に居る人物に低く掠れた声で迎え入れられた。
「お~!よく来てくれたよ!久々だねえ。ん?どうした、今日はずいぶん可愛い子連れてるねえ」
声の主は黒塗りのソファに深く腰をかけ、白い煙を吐きなら手を上げた。片手でタバコの火を灰皿に擦り付け、鎮火する。
鼻の奥に残っていた甘い匂いはその煙の臭いで更新されてしまった。
「こんにちは。高嶺さん。この子は衣羽。僕の助手なんだ」
"助手"という言葉に多少驚いたが、それを問いただせる心情ではなかった。
「ほ~!助手か!ミキも偉くなったもんだなあ!まあ、座ってくれ!」
言われずともすでに座ろうとしていたミキを追うように自分も恐る恐る座る。ミキのオフィスのソファと似た座り心地。
「早く茶ぁ持って来んかい!!」
高嶺が後ろを向き、怒号をあげると、奥から食器のぶつかる音が聞こえた。
ガタガタとお盆を揺らして、黒いスーツを着たこれまた怖そうな人が出てきた。
テーブルにお茶が並べられている中、高嶺は話始めた。
「衣羽ちゃんか!これまた可愛い子を見つけたなあミキ!
俺ぁ高嶺 隆司。この楠木組の若頭だ!まあー、こいつにゃあ昔から世話になってんだ。よろしくな!」
ガハハと笑う高嶺の眼はサングラスで遮られてはいるが、気前の良さそうな人だった。
「よ、よろしくお願いします!」
恐縮しながらも答える。
そんな自分を特に気にせず、隣の少年はいつの間にか出していたスケッチブックに何かを描き始めていた。
そして手は止めずに淡々と話し始める。
「高嶺さん、また集まってきちゃったんだよね?」
「そうなんだよ~!困ったもんだよほんとに!」
サングラスを外した優しそうな眼が身体を強張らせた私を捕らえる。
状況を理解できていない事を察して高嶺は話し出す。
「俺は幸運を集めてしまう体質らしくてねえ!ガハハ!ミキに会うまではそんなの知らんから、調子乗ってたんだわ!」
なんと応えていいかわからないが、私の反応を待つような間に、必死で言葉を探す。
「……で、でも少し羨ましいと思います…」
不幸しかなかった自分の本音だった。そんな言葉に高嶺はまたガハハと笑いながら、唐突にテーブルに右足をあげた。
「そうだねえ。俺もそれまで失敗なんてしなかったし、何もかも上手くいってた。どんな仕事をしても成功するもんだしな!」
話ながら上質そうなスラックスの裾を捲ると、そこにあったのは人肌ではなかった。
「えっ……?ぎ…義足…?」
初めて実物を目にし、生唾を飲み込む。
「そう。"天罰"が下ってな!右足持ってかれちまってこの通りさ!」
まるで面白い話をするかのように笑う高嶺は義足を左右に揺らした。
ミキはスケッチブックのページを切り取った。ようやく何かを書き終えたようだ。
「割り振られた運は均等だけど、その後は人によって変化しちゃうんだ。大体の人は一定の量を持ってるけど、中にはひたすら無くなっていく人とか、持っているのに使えない人とか。
そして高嶺さんはまわりから吸収してしまう人なんだ」
ミキは話ながらも手際よく作業を続ける。
テーブルへ置いた用紙には五角形と星が重なりあった様な模様が描かれている。
「まっ、足渡したら吸収する量もちょっとだけ減ったらしいんだけどな!こりゃあ、死なんとどうにもならん体質らしいんだわ!ガハハ!」
「準備できたよ高嶺さん。で、今回なんだけど一応高嶺さんに許可を貰っておきたい事があるんだ」
ミキは右手の二本の指を立て唇の前へ持ってくる。ぼんやりと、淡い光が紙の上に浮く。
なにかが始まると素人目にもわかり自然と背筋が伸びた。
「許可ぁ?おう!なんだ?」
「今日、高嶺さんから採る"運"をこの子にあげていい?」
空いた左手で差され、突然の指名に驚く。
高嶺はチラッと視線を私に移すと即答した。
「なんだ、そんなことか。お安い御用だね!いくらでも分けてやりな!」
その言葉に、ニヤリと笑う事で無言の返事をすると、そのまま呪文のような台詞を唱え始めた。
淡い光が動き出す。
その光が対象の前へ移動すると弾け、光の粒が高嶺の身体に撒き散らされる。
そして、その光はまるで蛇のように全身に巻き付き出した。
「汝の名、高嶺 隆司。陰火の力召し、神の命のもと、その"運"我が頂く」
巻き付いている光が一瞬、強く輝くと音もなく高嶺の体からほどけ、元の所に集まった。そのまま小さくまとまると、水面に雫が落ちるように光は紙の中へと消えた。
静かになった空間を壊したのは高嶺だった。
「ふう~。毎回この瞬間は人間に戻った感じがするよ」
肩を回しながら大きく息を吐いた。
ミキは広げていた紙を綺麗に折り畳むと手の平で握り潰す。再度手を広げるとそこには何も無く、まるで手品を見ているようだ。
「これでまた暫くは大丈夫だよ」
「どうもな!どれ、依頼料だな!」
先程、お茶を持ってきたスーツの男性が封筒を持ってきた。
それが目の前に置かれると高嶺は自分の財布を取り出し、中から諭吉を数十枚取り出すと封筒の中に追加するように入れた。
「ちょっと"気持ち"をに入れとくから、新しい助手ちゃんに何か買ってやりな!ガハハ」
ウインクを飛ばされ、緊張の糸が切れて、ハッとする。
「えっ?……えっ!?」
「ありがとう、高嶺さん」
あたふたする私をよそに、涼しい顔で封筒を受け取ったミキは大きなパーカーのポケットへ入れた。
「衣羽、帰るよ」
「えっ!?あっ!?でも…!!た、高嶺さんっ、ありがとうございます!!」
ミキはすでに部屋を出ようと扉の前に立っていた。
「いいのいいの!あいつはあんな感じだから大変だろうけど、世話してやってな!」
高嶺の腕が頭に伸び、大きな手が乗った。すごく温かい手で心まで温かくなるようだ。
「ありがとうございます、高嶺さん」
もう一度感謝の言葉を伝えると、その大きな手は優しく頭を撫でた。
慌ててミキの後を追うと高嶺も扉の外まで見送りに来てくれた。
ここに到着した際に見た「楠木組」の名前に、ここはヤクザの事務所だと思い出したが、もう恐怖は無かった。
私達は笑顔で手を振る高嶺を背にして、五階分の階段を降りた。