白い少年3
少年の後を追うと人影の無い通りから、さらに何も無いような裏路地へ入って行く。両側にそびえ立つビルに遮られ陽もあまり届かず薄暗い。
(この子は…何者なんだろう…どこに向かってるんだろう…)
春だというのに、冷たい風が路地を通り抜け、目の前の白い少年の髪も揺れた。薄く甘い香りが流れてきた。
先程の死の危機は今になって身体に現れ、手足が少し震えが出てきた。そのせいで、なんだか地に足がついていない感覚だ。片腕でトラックを止めるという魔法のような場面も見てしまった。
実際は、本当に死んでいて、天使である少年にあの世に案内されているのでは?なんて考えてしまう。
現実味の無い状態に、頬をつねってみるが、ばっちり痛みはあり、死んでもいないし、夢でもないんだなと実感する。
路地を進み、とある扉の前で立ち止まる。無機質なコンクリートの壁に鉄の扉で、何かの裏口といった様な出で立ちだった。
ただ、そんな扉に木で出来た掛け看板がついていた。筆記体の英字で"office・MIKI"と書かれている。
「オフィス…ミキ…?」
一気に怪しくなる。だが、そんなことは気にも止めず、彼は慣れた手つきで鍵を開けた。
「キィ…」と古臭い音を立てて開いた所に少年は入って行く。
「なにしてんの?早く入りなよ」
入って良いものかと躊躇していると、少年はスリッパを出しながら促した。
そして案内されるがままに真っ直ぐ伸びた廊下を進み、突き当りの部屋へ案内される。
入り口をくぐると甘い香りに包まれた。鼻の奥に残るのに、なんだか心地いい香り。
あの子からした匂いだ。
匂いの正体はすぐ左側にあった。腰程の高さの棚にカラフルな陶器が置いてあり、そこからゆらゆらと香煙がのぼっている。
内は10畳ほどの広さで窓からのわずかな光をガラスのテーブルが反射させている。そしてそれを挟むように黒いソファがあった。
室内は光と香煙が混ざり幻想的だった。
この部屋の空気が心地よく、手足の震えが治まっていく気がした。
カラフルな陶器に合わせたカラフルなのれんが入口のすぐ右側にある。その先はキッチンとなっているようで、白い少年がマグカップを両手に持って出てきた。
「何してるの?そこに座りなよ。」
上の空でボーっとしていた私は声を掛けられ、少年へ意識を移す。テーブルにマグカップを置く姿があった。
静かにソファへ近づくが座ることに少し躊躇っているとすでに向かい側に座っていた少年が「どうぞ。」と、手で促した。
黒いソファには皮のひんやりとした感触と下半身が埋まってしまいそうなくらいの柔らかさがあり、座るだけで緊張がほどけて行く気がした。
「まあ、飲みなよ」
マグカップはカラフルなかわいらしいコースターに乗っていた。勧められるままに少年の淹れたコーヒーを口にする。
カップを置いたところで先に言葉を発したのは少年だった。
「で、君には聞きたいことが沢山あるんだけど」
少年の薄い色の真っ直ぐな瞳がこちらを見る。
「わっ…わたくしっ…たたたたから いはねとっ…ももも申しますっ」
まだ特に質問はされてないが、反射的に自己紹介をしてしまった。
「さ、先程は……助けて頂いて、ありがとうございます…」
早く言わねばと思っていた言葉も口にできた。
少し驚いたような眼をした少年は少しの間の後、口を開く。
「たからい はね?字はどう書くの?」
そう言って膝に肘を置いた前傾姿勢になる。真っ直ぐな瞳は相変わらずだ。
「よ、よく間違えられるのですが、たから・いはね でして…宝石の宝と書いて、名前が衣に羽で衣羽と読みます」
「ふーん、めでたい名前だね」
「へへ…よく、言われます」
「まあ、目出度いのは名前だけってとこでしょ」
「……えっ…あっ…まあ…」
今まで言われ続けてきた事を初対面の少年に言われる。
そんなに幸薄そうに見えるのだろうか……。
「あぁ、僕の自己紹介がまだだったね」
少年の上半身が起き上がり、今度は背もたれに深く背中を預ける。
「僕の名前は巳己。このオフィスの主さ」
入り口に掛かっていた看板を思い出す。
「こ…こんな子供が……」
驚きを隠せなかった。
”子供”と言った事に少し不快な表情をしながら彼の言葉は続く。
「まあ、こんな姿だから最初はみんな信じてくれないんだけどね」
シニカルに笑うミキの表情はどこか大人びていた。
「ここは、簡単に言えば”運の無い者を助ける場所”」
その言葉にこの地に足を運んだ理由を思い出す。
「あっ!こっ、これ!」
ぐしゃぐしゃになった地図をポケットから取り出す。
「わ、私、ここを探してたんです!!!」
地図を見た途端、少年の表情は曇った。
「その地図、どこで手に入れた?」
「え、施設の倉庫に…」
「施設?」
「あっ、私の居た養護施設です!もうなくなっちゃったんですけど……」
「……ふうん。聞きたいんだけど、さっき”壬影”って言葉を口にしてたけど、詳しく教えてくれる?」
「壬影さんですか?その施設の施設長です。今は居なくなっちゃったんですけど…」
「……その、身に付けている赤いピアスは……」
「あっ、これですか?その壬影さんにもらいました!すごく優しい方で……」
思い出が蘇り、少し涙が出そうになる。
一方、ミキはその話を聞けば聞くほど眉間のシワが深くなる。
そして少し悩むような素振りをした後大きく息を吐いた。
「……やっぱり、僕の知ってる”壬影”と同じか…何を考えているんだ…君のような存在を手元に置いて……」
「私の…存在…?」
「君は何も知らないんだね。しょうがないから説明してあげるよ」
そういったミキの顔は困ったような、少し面倒くさそうな表情が浮いていた。