それは、「悪」
「……てことで、土地神はこの地を治める、地位の高い神なんだ。だからこそ今回の原因が土地神からならば、そこを解決出来れば力の安定も取れてくるわけ」
ようやく暖かくなってきた風が吹く中、私達は北西へと向かう。
その間色葉とミキが土地神について交互に説明をしてくれた。
「あとは、その弱らせておるものが何か…じゃのう。
こればかりは実際に見て、肌に感じねばわからぬ」
土地神のお社はさほど遠くはないと聞いた稲荷神は、今日は自分の足で歩いている。
短いショートパンツを履き、足を露にした姿は誰も神様とは思えないだろう。
「あっ!おはようございます!キヨおばさま!」
メイはと言えば先程からすれ違う地元の人達に度々話し掛けられ、それを嬉しそうに返している。
「あらあら、めい君。今朝は早いねえ」
農作業中のお婆ちゃんやお爺ちゃん達はまるで孫のように接している。
もちろんメイも、そんな人達一人一人の名前を呼び、まさにこの地へ馴染んでいるようだ。
なにより、そんなメイの後ろを歩く、私達にまで暖かな視線を送ってくれている事に驚きだった。
過度な露出をした朱い痴女や、真っ白い気だるそうな少年は端から見れば奇っ怪な姿なのだが。
ここは本当に良い所なのかもしれない。
田畑を抜け、木々が生い茂り人の姿も無くなってきた程に進めば、山の麓に目的地が見えてきた。
注連縄の架かる鳥居を入り口に、石畳の階段が奥へと続いている。そこを登れば、きっと社があるのだろう。
「…ここです!」
不安そうな顔で振り向いたメイ。
そして全員で鳥居の先を見上げれば、奥から吹く風がなんだか冷たく感じた。
「……。良い風ではないのう」
「そうだね」
どうやら私が感じた感覚は気のせいではなかったらしい。
ここに、何かがある。
ミキが入り口へ手を伸ばせば、そこが水面の様に揺れる。
前に一度見たことがある。どうやら結界が張られているらしい。
「…流行ってるの?こういうの」
少し皮肉を込めた口調でミキは色葉へ言葉を投げる。
結界を破る準備は万端で手のひらにいつもの橙色の光を纏っていた。
「相変わらず失礼な奴じゃのう!己を守る為の防衛策じゃというのに」
彼女はぷっくりと頬を膨らませるも、特に本気で怒っている訳ではないようだ。
そんなやり取りをしながら、結界はいとも簡単に破れる。
そして、なんの躊躇いも無く中へと進む二人。私とメイは顔を見合せ、お互いに緊張していることを確認しながらもその後を追った。
少し急な石畳の階段。周囲の空気はとても冷たい。
昨晩の山頂の様な冷たさではない。身体の芯に直接響くような、経験したことのない寒気。
一段一段登る事にそれは増していく。足の感覚も麻痺していくようで。
「……衣羽…」
ふいに名前を呼ばれ、視界が朱に染まった。
ハッとして見上げれば色葉が覗き込んでいた。
「衣羽、気をしっかり持つのじゃ」
いつの間にか遠くにあったらしい意識が戻ってくる。
私は抱きかかえられる様に稲荷神の腕の中に居た。
「えっ…い、いろは…さん…?」
「済まぬのう。衣羽。力を持たぬ汝には、ちと辛い場かもしれぬ」
よく見れば、自分の身体は階段を無視し、後ろへと倒れかけていたようで。色葉の腕が背中を支えてくれている。
「"人払いの術"がかけられておる。その影響じゃろう。着いてこれるか…?」
優しく心配する言葉に私は力無く頷く。
私は助手だ。何も出来ないけれど、なんでもいいから彼らの役に立ちたい。ここで足を引っ張るわけにはいかない。
もう何もない私の存在理由を失いたくはない。
「さて、我の手を握るのじゃ」
そんな私を分かっているかのように差し伸べられた手に自分の手を重ねる。
強く握られれば、力強く引っ張られた。
ゆっくりと、一段ずつまた歩みだす。重なった手からは凍った芯を溶かすように暖かい何かが流れ込んでくる。
最後の一段に足を掛け、なんだか長く感じた階段がようやく終わる。
先に到着していた管理人の二人と目が合う。
「ご、ごめんなさい…」
心配そうなメイ。ミキは何も言わず背中を向けてしまった。
申し訳ない気持ちでいれば、色葉の顔が接近し、耳打ちをされた。
「衣羽に流していた力じゃが、ミキが渡してくれた"気"じゃよ」
「………えっ?」
シシシと笑う稲荷神?
「……大丈夫なら、行くよ」
こちらを向かないままに話す少年。
一気に心はホッとし、ここに居て良いのだと安堵した。
「………それにしても、なんじゃ。この空気は」
視線を社に移した彼女がぼやく。
確かに、この先からなんだか嫌な空気が流れているのが私にも感じ取れる。
大きな社でもないが、定期的に手入れがされているようなこの神社。
新緑に囲まれ、陽当たりも良いこの場は本来ならば静かで落ち着く場所のはずだが。
「ボ、ボクの力の知覚が弱いばかりに……
こんな状態になっていたなんて…土地神さま…早く気づけなくてごめんなさい……」
メイのは泣きそうになりながらも声を掛けるが、反応は何も無い。
色葉はメイの頭をくしゃくしゃと撫でながら前へと出た。
「…我が話してみようではないか」
朱い髪を揺らす後ろ姿はとても凛々しい。隠しているはずの耳と尾もいつの間にか出ている。
そうして、言葉を発しようと息を吸い込んだと同時。
ゆっくりと、まるでスローモーションのように、社の扉が開く。この場の空気も動いた。
突然の出来事に全員が身構える。
"何かくる"と、言葉にはしないが、全員が思っているのがわかる。
静まり返ったこの場に、社の中からわずかだが木の軋む音が響く。扉の奥は暗闇で、その音だけが頼りである。
音のテンポや重さから二足歩行の動物が歩いているとわかる。多分、"人"だ。
誰かが生唾を飲み込む。そうして、ようやくそれが足元から光の下へ現れた。
「……やあ!」
それはそれは軽快なトーンで。
「ずいぶん、懐かしい顔が揃ってるね」
と。言い終えると同時に見えたその顔に私達は言葉を失った。
感情の読み取れない、ただ貼り付いてるだけの笑顔は全員が知っている。
私はその姿に、心臓が飛び出るほど脈を打つ。
「……あ………ぁ……」
五月蠅い鼓動に邪魔をされながらも、ようやく口にしたその名前は。
「み……壬影……さん……?」
かつて、私の"お父さん"だった人。