調査開始
着いた先はミキの区よりさらに南へ進んだ所だった。
これまで非現実的な物を見てきたお陰で、瞬間移動的な何かでちゃっちゃと済ませてしまう物だと勝手に想像していた。
しかし現実は甘くないわけで。
電車に2時間程揺られるまでは、まあ、よかった。
駅を降りてから、バスの乗り換え三度。さらにそこから2時間以上歩き、ようやくたどり着いた山奥にメイの拠点があった。
「ぜぇ…っ……着いた…?」
久々の長時間運動に足はガタガタだ。
昔話に出てくる様な古民家の前で私は膝に手をついた。
「……はぁ…だから嫌だったんだ…メイの所は…」
珍しく額に汗をかいた白い少年は不満を口にする。
「ご…ごめんなさい……お師匠さまの様に素敵な事務所を構える程、ボクには力が無くて……
それに”ガイ”もここの方が居心地が良いって言うので…」
息切れ一つしていないメイが木の扉に付いた南京錠を外す。
ガタガタと立て付けの悪そうな音を出しながら民家の入り口は開いた。
「どうぞ、中へ。お茶をお出しします」
促され、中へ入ろうとした所で首にかけた勾玉が淡く光る。
「ふあ~…。着いたかのう?」
そう。光の主は稲荷神である。
歩くのは嫌だと言い、自分の力の欠片である、この首飾りの中へと入り一人だけ楽をしてきたわけだ。
夕陽が差し込み、温かい光に包まれた部屋。
畳の藺草の香の中で、自分の経験に無い筈なのに”懐かしい”という感情が生まれる。
縁側に立ち、陽に反射した朱色の髪の毛をなびかせながら色葉は言う。
「ふむ。確かに地は弱っておるようじゃ。
この地の神々に生気を感じられぬ……
亥の云うものの原因はこれじゃろうな」
「わかるの…?」
稲荷神に反射する眩しい光に目を細める。
その中で朱い髪が振り向いて小さく笑ったのが見えた。
「忘れておるようじゃが、我も同じ"神"じゃぞ?
この地におる数多の神々と同じで、人々の信仰心より生れた者同志じゃ。気の流れでわかるわい」
確かに忘れていたかもしれない。
あまりにも身近な存在だった彼女は"稲荷神"である事を。
「やっぱりそうなんだね。この空気。
色葉が言うなら間違いない…か。」
確信を得たと言わんばかりに頷くミキは湯気の立つお茶をすすった。
「そ、そんな…ボクには予想も出来なかったです…神様が弱るなんて……」
「ねえ、色葉さん、どうして神様達は弱っちゃったのかなあ?」
「うむ?……ほうじゃほう…
……我にも、"今は"わはらん」
そのまま縁側に座った色葉はメイが運んできたお茶菓子を頬張りながら、肩を竦めた。
「今…は?」
お茶で流し込むように飲み、大きく頷いた。
「夜になれば、メイの力を借りながらある程度は分かるよ」
湯呑みを片手に言葉を挟んだミキは相変わらず淡々としていた。
「えっ!あっ、はい!ボクに出来ることがあるならいくらでも手伝いますっ!」
お菓子に手が延びていたメイは、師匠からの突然の指名に腕を引っ込めてしまう。
「ま、そういうことじゃ」
こちらに背を向けたまま彼女はヒラヒラと手を振る。
吹かした紫煙が赤い空に消えてく様は美しいものだった。
そうして、時刻は夜十時を回った頃。
月明かりだけが頼りの山の頂へと登るメイと私、眠そうに目を擦るミキ、3人の…いや、3匹の酔っ払いが集まった。
「良い月夜じゃ!!月見酒じゃあっ!」
酒瓶を掲げる一匹目は、稲荷神。
普段隠している筈の白い尾と耳は出ていて、現代の服を着るその姿はまるでコスプレのようだ。
そんなコスプレ狐の肩に乗った二匹目は、白大蛇。
「俺は"ウワバミ"だーっ」と、上機嫌だが朝になれば一変してしなびた抜け殻の様に二日酔となる事は一目瞭然だ。
そして、三匹目は、"ガイ"と呼ばれる豬。
ツチと同じ存在で、メイの力の半身である。
話によれば本来はそれはそれは立派な豬らしい。
メイの力はまだ弱いらしく、今は"ウリボー"そのものだが。
酔い、愉快に歌を唄う所からは立派な豬とやらの影は想像もつかない。
どうしてこうなったかと言えば。
亥の管理人の力の極点が22時から24時とのことで、夕刻にこの場に着いてから時間が開いた。
そして、久々のガイとの再会に盛り上がった3匹は気付いたら酒盛りをしていたのだ。
「ねえ、大丈夫なの…?」
あくびをしていたミキに聞いてみる。
チラリとだけ酔っ払いを見るとまた、大きくあくびをした。
「ま、色葉は大丈夫だからいいよ。
今夜は原因を探すだけだから。僕もツチも、力は使わないし」
本当は寝ててもいいんだけどね、と、呟く少年はいつも異常に気だるそうだった。
き普段は寝ている時間だ。眠さもピークなのだろう。
「ボクも大丈夫ですよ!
ガイがこの場に居てくれれば力は使えるので!」
師匠とは対照的に、メイは元気だった。
この時間が活動するのに適しているからだろう。
暗がりでも、心なしか瞳はキラキラしている。
後ろで騒ぐ酔っ払いには不安しかないが、管理人の二人が言うのなら信じるしかなかった。
「さ、着きましたよ!」
ようやく山頂に辿り着けば、そこには小さな鳥居があった。
木の材質丸出しの、鳥居を型どっているだけと言った印象だ。
「ここは、元々、この地の土地神さまが居た所です!
今はもう場所は移されて立派な社にいますが、この場所もその時の名残で独特の力が少し残ってるんです!」
鳥居を指差しながら話すメイは、なんだか立派に育った子の成長を見守っている気分になる。
「おっ!この場は良い場じゃのう!神聖な気で満ちておる!」
酒臭い狐が鳥居の前にしゃがんだ。
足取りもしっかりしていて、確かに大丈夫らしい。
「お稲荷さま!ボクは何をすれば良いですか!?」
「ふむ。では、この場に詮索の陣を描こう。手軽な枝を持って参れ」
まるで手下が出来た様にニヤリと笑う色葉。
枝なんてこの場にいくらでも落ちているのに。
「なんじゃ衣羽。どんなに枝でも良い訳ではないぞ?
陣を描くにあたって、それなりに"綺麗な"枝でないといかん。
汝では探せぬのじゃよ?」
膝に置いた手で頬杖を着く彼女と、目が合う。
考えが読まれてしまった。
「あっ!これはどうでしょう!?お稲荷さまっ!」
渡された枝をつまみ、先から先まで見ると、認めたように頷く。
歯を見せて笑い、片手でメイの頭に手を置く。
「良い仕事をする奴じゃ。さすが、ミキの弟子じゃのう」
「えっ、えへへ…」
わしゃわしゃとメイの髪の毛をかき混ぜながら笑う色葉にこちらまで微笑ましくなってしまう。
「……いいから早く始めてもらえるかな?」
和んでいたのは私だけだったようだ。
ミキが催促の言葉を投げた。
「カッカッカッ!照れるでない、お師匠さまよ」
枝をミキに向かってくるくると回しながら、色葉は立上がる。
軽く足で地をならすと、カリカリと音を立てながらその枝で描き出した。
暗がりで描いている物はよく見えないが、月明かりに照らされた朱色が揺れ、舞っている様だ。
「ま、こんなもんじゃの」
手を叩いて土埃を払うと満足げに呟いた。
描かれた陣の真ん中と思われる所には枝が突き刺さっている。
そして、月と向き合う様に立つとその後ろにメイが両手を地に着いてしゃがんだ。
少しひんやりとした風が流れる。
それが合図かのように、先に言葉を発したのはメイだった。
「人定・亥の刻、水亥の力召し、金は水を生じる相生の如く、我に与えよ」
水色の光が児童を包み、そのまま地へと流れるように光が広がる。
どうやら陣の形に添って流れているようで、今まで見えなかった姿が明確になる。
そして、その中心に立つのは稲荷神。
空を見上げたその横顔は、メイの力をまるで吸い込むように深呼吸した。
「……大丈夫だね」
ふいに隣で呟いたミキ。
見慣れた橙の光を納めた姿に彼の優しさを感じた。
きっと、愛弟子が上手くいかなかった時、手助けするつもりだったのだろう。
だからこそ眠いながらも着いてきたのだと分かったのだ。
広がる水色が、稲荷神を包んだ頃、彼女は動き出す。
両手を空へ突き上げれば、朱色と水色が混じった物が宙へ拡散する。
散り散りに飛んで行く光がまるで流星群のよう。
「我の詠にみみをかたぶけ。ねたし者の故を告げよ」
色葉は詠うように、呟いた。
一通り光が散り終えると、腕を下ろし肩を回した彼女が陣から出てきた。
「これで、あとは報せを待つだけじゃ。メイよ。見事であったぞ」
地に手をついたままの児童を労うように、また頭を撫でた。
「……っは、お、終わったんだね」
近くの岩に腰を掛けていたミキは居眠りをしてたようだ。
いくら木々が生い茂っているとはいえ、後ろは急な下り坂となっているのに。器用なものだ。
「報せって…いつ頃くるの?」
「ん?そうじゃな。朝方にはここに集まっておるじゃろう」
指差したのは、地面に立てた枝。
なるほど。ただの枝じゃダメなわけだ。
「さて!」
足早にツチとガイの元へ向かった色葉。
「もう一度、飲み直すのじゃ!」
先程までも真面目な顔とはうってかわって、呑兵衛の顔に戻った狐は蛇とウリボーと共に山頂から降りていってしまった。
「メイ君、お疲れ様。酔っ払いをほっといたらこの山でも遭難しそうだし、早く追いかけよっか」
少し疲れた顔をしたメイに声をかける。
眠さの限界のミキの背中も軽く叩きながら、下山を促す。
振り向けば、山頂に刺さった枝に早速、1つの光が戻って来ているのが見えた。