束の間。
心地よい狐の背中に揺られ、気づいたら自分の部屋のベットで目が覚めた。
随分と寝ていた様で、部屋は暗く、時計は真夜中の1時を指していた。
目を擦りながら、応接室へ足を向ける。
部屋に入ると、月明かりに照らされた
白い少年と朱い稲荷神が話し込んでいた。
「ミキくん…色葉さん……?」
色葉がこの場に居ることにも違和感があるが、
いつも朝早いミキがこんな時間まで起きていることも珍しかった。
「疲れは取れたかの?衣羽よ」
ソファに深く座り、煙管を吹かした色葉は
昼間までの和服とは違い、見たことのあるブラウスを着ていた。
「ああ、正装は動きづらくてのう。
汝の召し物を拝借しておるぞ」
とても窮屈そうで、胸元は大きく開いていて
まるで自分の服には見えなかった。
「…は、はあ。
………ところで、何をしているんですか?」
「見張り。」
一言呟いて窓の外へ目を向けてしまった。
「…みはり?」
こんな夜中に何を見ているというのだろう。
それ以上口を開かない少年の代わりに、言葉を発したのは稲荷神だった。
「可能性は低いが。
"子鼠"が来ないように、じゃ。」
「……えっ?」
「汝が着けておった耳飾りは、我が壊してしもうたからのう…」
ハッとして耳を触ると、いつもある筈の感触が無い。
「彼奴の力の籠るそれを外した事で、勘づいておるやもしれん。
何をしてくるか分からんからの。その為の見張りじゃ」
壬影さんが沢山悪いことをしてきたのはミキにも色葉にも聞いた。
しかし、心のどこかで信じたく無いと思っている所もあった。
「そんな悲しい顔をするでない…。
そうじゃのう、汝の大切な物を勝手に壊してしまった事は謝ろう。
しかしの、あれは持っておらん方が良い品物じゃ…」
そうは言われても、やはり、受け入れるには時間が掛かりそうだ。
「…衣羽」
ミキがようやく口を開く。
「悪いけど、僕もこればかりは色葉と同じ意見だ。
多分、あのピアスの"つがい"を壬影は持ってる。
衣羽がどこにいても監視しているようなもんなんだ」
「そうじゃ。彼奴が何を考えているか全く分からんが、
"悪"であることは確かなんじゃ」
そして色葉が手を伸ばし、私の首もとに触れた。
自分の首に掛かっていたらしい物を掬い上げる。
綺麗な色をした勾玉だった。
「次からは我が衣羽を守る。
この翡翠を通して見守っておるからの」
頭を撫で、優しい笑顔を向けられる。
その手が頬に移ったと思うと、片方の手も伸び
力強く頬を挟まれた。
「……!?」
ニカッと歯を見せ、気さくな笑顔になる。
「まあ…今は難しく考えんで良いと言うたじゃろ?
そのままで良いのじゃ、衣羽は」
両頬は固定され、頷くのがやっとだった。
さて。
そんなわけで、周囲の運が食い荒らされていた件はこうして解決したのだが。
すでに運を喰われた人達はまだまだ居て、
かれこれその後2週間程はその対応に追われた。
ようやく、ほんの3日前くらいから落ち着いてきていて
私は昨日にお休みなんかを貰えた。
今朝もまだ依頼の電話は来ていない。
「衣羽よ!!我は今朝もとーすとを食べたいぞ!」
そうそう。
結局あの後この稲荷神は、居候する形でこのオフィスに住み着いてしまった。
彼女はトーストをすっかり気に入り、毎朝キッチンに立つと必ずこう声を掛けてくるのだ。
「この茶色い塊はなんじゃ!!
こんなものを喰えと言うのか!
愚弄しおって!我を誰と思っておるのじゃ!」
と、初めて目にした時は物凄く怒っていた。
イチゴジャムを塗り、なんとか説得して口に入れさせた途端。
まるで豹変して今ではこんな感じでトーストの虜のようだ。
(今度、何種類かジャムを揃えてあげよう)
段々とオフィスに馴染む稲荷神。
もちろん、ただの居候ではない。
住み処を分けてもらっている礼として
ミキの仕事を手伝っている。
その際にミキが抜き取った運や気を、
影響が出ない程度の量を分けてもらいつつ
弱っている力を蓄えているらしい。
チンッと、回想をしていたらトースターに呼ばれる。
このトースターは沢山のガラクタから出てきた物だ。
「おおお…今朝もうまそうじゃのう…」
いつの間にか後ろに稲荷神が立っていた。
「あとはじゃむ、じゃな?」
キラキラと目を輝かせている。
私が頷くとジャムを置く戸棚に手を伸ばした狐。
しかし。
「大変じゃ、衣羽」
深刻そうな声を出す。
「………?」
「無いのじゃ…」
「……えっ?」
色葉が手にした瓶の中身はほぼ空だった。
「本当だ…それじゃあ、今日はハムチー…」
「嫌じゃ!!!」
打開策を提案したが食いぎみに否定された。
「はむとちーずも美味じゃが…
我はジャムな気分じゃ。イチゴジャムが良いのじゃ」
まるで駄々をこねる子供のようだ。
これが神様とは…。
「じ、じゃあ、折角だし…
一緒に買いに行こう?マーマレードとか…何種類か買いましょ」
「ふむ?ジャムというのはイチゴ以外もあると言うことかの?」
「そうですよ?オレンジとか…リンゴとか…」
効果音を着けるなら「パアッ」がぴったりな程
表情を輝かせた事で、買い物に行くのは確定となったのだった。
「ミキ君、先に食べてて?
私と色葉さんでジャム買ってくるね」
ハムチーズトーストとコーヒーをテーブルに並べ、
テレビを眺める少年に言う。
無言は肯定の意味。
そろそろミキの考えが読めるようになってきた。
エプロンを外し、私と色葉はオフィスを出たのだった。
この時までだ。
てっきり今日は何も無いと全員が思っていた。




