白い少年2
(…ああ、ツイてない。)
路側帯で膝をついた私は自分の運の無さに呆然としていた。
たった今、人生初のひったくりにあった。
いや、もうあれはひったくりなんて可愛いもんじゃなく、"ぶんだくり"と言っていいかもしれない。
とある場所を探しながら、地図を見る為に立ち止まった瞬間の事。隣に止まった車からマスクをした、いかにも怪しい人物が降りてきて。
かと思ったら持っていたキャリーバックを力ずくで奪われ、吸い込まれるように車の中へ。そしてそのまま物凄い速さで走り去ってしまった。
視界に入るその車はどんどん小さくなっていく。
ぶんだくられる際に反射的に抵抗したせいで荷物を持っていた腕が痛む。反動でアスファルトに倒れた為に身体にも痛みが残る。
空を仰ぐと自分の心とは別世界のように広がる真っ青。瞳に写る青が涙で滲む。
追っても、追い付けるはずもない。諦めを込めて大きなため息を吐き、ゆっくり腰を上げた。
ぶんだくりは初めてだが、こういった不運は日常茶飯事だった。
自分にはまるで「運」というものが無い。いつもの事だ。いつもの事だが、通常運転の自分にだんだん腹が立ってきた。
「…やっと…やっと希望が見えたのに…」
運の無い者を助けてくれる所がある。という噂を聞いてこの街に出てきた。
私の名は"宝 衣羽"
めでたそうなのは名前だけで昔から苦労ばかりだった。
記憶すら曖昧な程幼い頃に両親は目の前で事故死。その後親戚の世話になるがそこが間もなく破産。自分1人を置いて夜逃げしてしまった。
その後も引き取られる先々でその家庭が不幸に合い、貧乏神と呼ばれるようになったかと思えば、そのうち誰も引き取ってくれなくなってしまった。
最終的には今にもつぶれそうな児童養護施設に辿り着いた。そこでは貧相ではあったが人並みに幸せな時間を過ごせた。
だがしかし、ここでもその"貧乏神"としての力を発揮したかのように…。
ついに17歳の春、施設は実質解散となった。施設長が突然居なくなってしまったのだ。
行き場を失いこの先どうしようかと考えていた矢先、施設の倉庫からこの場が示された地図を見つけた。
藁にもすがる想いでお祓いでも何でもいいからこの自分の運の無さを軽減しなければ一人で生きて行くことは出来ないと思った。少ない荷物を詰め込み、こうして出てきた訳だ。
しかし、実際に来てみれば、地図は曖昧だし人に聞いても誰も知らなくて。
挙げ句の果てには全財産をぶんだくられて。
立ち上がって空を仰ぐ事しか出来なかった。
人の気配もなく、静まり返ったこの場は大都市の真ん中とは思えなかった。
「これからどうしよう……」
脳裏に河川敷で段ボールハウスに住む自分の姿が浮かぶ。ボロボロの服を着て、髪の毛もバサバサで。
ゴミ捨て場を漁る姿まで想像した所で、後ろから轟音が近づいているのに気づく。
ハッとして振り返ると、広くないこの道路いっぱいいっぱいに幅を取った、大きなトラックが迫ってきていた。
「う…ウソだ……」
何があってこんな狭い路地に入ってきたかは不明だが、そんなことを考えている場合ではない。
「「逃げなきゃ」」
そう思うが身体が動かない。足がすくむとはまさにこの事だろう。
でも、焦る心のどこかでこうなる事を受け入れている自分が居た。
ああ、きっとこれも不運の延長なのかもしれない…――。
「…ねえ、あんた、何?」
轟音の中、突然の聞こえた声に「へっ…?」と、情けない音が漏れた。
トラックが向かってくる方向とは反対側に、遠目にだが自分より小さいだろう背丈の人影が見えた。
「あんた、何?」
再度問われた同じ質問。声色は少年のようだった。
「えっ、えっ、えっ?」
しかし今はそんな状況じゃない。幸い、不意に話しかけられた事により脳の緊急信号が身体に行き渡ったようで、すくんでいた足は動くようになっていた。
迫ってくる轟音を背に走り出す。
ぶんだくられたお陰で荷物なんて無く、迷い無く足が動く。
「にっ、逃げないと危ないよおおおお!!」
走る先に居る少年に必死で訴える。
自分の不運に巻き込んでしまったと思った。
近づくにつれ、少年の姿が鮮明になってくる。
一言で表現するならば白かった。髪も肌も白い。身体に似合わぬ大きなパーカーを羽織っている。
少年にも見えてるはずの大きなトラック。訴える声が聞こえていないかのように私の眼だけを見ていた。
もしかして…怖くて動けないのかな…?
そう判断した瞬間、少年を脇に抱えていた。
「ま、巻き込んでごめんね!!逃げよう!!」
火事場の馬鹿力というもので少年を抱えると、必死で走った。
しかし、人間の足がトラックに勝てるはずも無く、無情にも距離はどんどん縮まるだけだった。
「ハア…ごめんね…ごめんなさい…ゼェ…ごめんねえええ…」
何に謝っているか良くわからないまま。
「も、もう…ダメだ……」
少年を抱えた腕に力が入る。
ホームレスの未来ではなく、今度は走馬灯が走った。しかし浮かぶ思い出はあまり良い物はない。
自分への視線がどんどん冷たくなる親戚の眼ばかりだが。
きつく閉じた瞼の裏に唯一の恩人である消えた施設長の笑顔が映った。
「壬影さん…っ…助けてっ」
――……ついにたった17年の人生が終わった。
命が尽きるという、衝撃は感じなかった。死ぬと痛みって感じないんだな…。なんて思っていた。
「おい」
少年の声が聞こえた気がした。
あぁ、あの少年は助かったかなあ…一緒に死んじゃってないかなあ
「おい、お前」
もしかして巻き込んじゃったかなあ…そしたらあの世で謝らないとなあ…
暗い視界は、瞼を閉じているからだと気づく。薄く開いて隙間を覗く。
「お前に聞きたいことが沢山ある。早く立ってくれる?」
……あれ…?
もう少し大きく眼を開けば、白い少年の冷ややかな視線が刺さっていた。
何より眼を疑ったのは、彼の後ろに、先程まで命を奪った犯人である、トラックが止まっていた。
「え…?トラックまで一緒…?」
意識は混乱しているが、肌に触れたアスファルトやトラックのエンジン臭、所々ついた擦り傷のヒリヒリとした痛みが意識を鮮明にしていく。
もしかして、死んでない…?
「えっ…?」
しかも目の前に映る光景で一番理解できないのが、トラックは止まったのではなく"止められている"様子だったからだ。
しかも少年の白く細い片腕によって。
もう片方の空いた腕が私に伸びる。
「ほら、早く立って」
訳がわからないままその腕に摑まり、立ち上がる。触れた手は人間そのものの感触だった。
私の腕が離れたその腕はトラックに添えるように触れると、ずっとお腹の底に響いていたエンジン音が消えた。
辺りに静けさが戻る。
パンパンと手の汚れを払うと少年は色素の薄い瞳で私を見る。
「…僕についてきて」
この白い少年との出会いが私の人生の転機だった。