妖狐襲来6
「彼女の名は、宝 衣羽」
憑依を解き始めた稲荷神に僕は言う。
「……ふむ。美しい名じゃ」
狐は脱け殻の様に意識の無いままの少女を抱え、元の黒髪に戻ったおかっぱ頭を撫でる。
「衣羽よ…。汝も不幸な女子よのう…」
そして僕に視線が移る。
「儀式に必要な神酒じゃが、我のとっておきがある。
ほれ、衣羽を持っておれ」
まるで"物"の受け渡しをするかの様に少女を差し出された。
ツチに手伝ってもらいつつ、僕より少し背丈のある彼女を支える。
狐は足取り軽く、神社の本堂へ足を向けた。
すでに半分以上を失った建物の中へ入っていく。
「どこじゃったかのう……」
バキバキと大きな音を立てて漁る狐。
本堂を形成していた木々が折られ、宙を舞う。
油断していると僕に当たりそうだ。
なんだか、クレーン車で壊された筈だが
本当はこうして狐も壊しているんじゃないかと思えてきた。
(なんて雑な……)
これから契約と言う"神降しの儀式"を行う緊張感は微塵も無かった。
「おお!あったあった!
こんな所にあったんじゃな!」
ようやく見つけた先は当初、狐が座っていた賽銭箱の中だった。
(絶対自分が呑んでたんじゃ……)
「絶対てめーが呑んでたんだろ…!」
僕が思うと同時にツチが声に出してくれた。
「まあ、まあ、細かい事は気にするでない。
……さて、始めるかのう」
艶やかな着物を翻した姿に、つい魅入ってしまうのであった。
「さて、蛇の童よ。汝の力も借りるぞ」
そうだ。この稲荷神は力が弱っていたんだっけ。
「神降ろしの儀式は器に"舞"を舞ってもらわねばならぬが…
此度は特例じゃ。我の言霊と、童の力で儀式を執り行う」
「舞わない神降ろし……か。初めてだな。
具体的にどうすればいいの?」
「衣羽が入るくらいの陣を地に描け。
"舞"と同等の力を衣羽に纏わせるんだ」
答えたのはツチだった。
ツチも元々はカミサマの力の一部。
知識は持っていて当然か。
「なるほど。……わかった」
僕は身体に巻き付いてるツチを尾を掴む。
そして引き摺るように砂の地面にいつもの陣を描き始めた。
「おい、ミキ、てめえ何してやがる」
「え、何って…言われた通りに陣を描いてるよ」
ズルズルと、砂の擦れる音が響く。
「ふざけんな!この俺様の尾をそんな使い方していいと…」
「うん、すごく上質な筆のようだよ。さすがだよツチ」
「………棒読みなんだよてめえ…」
だってすぐ手に取れる場所にあるんだもの。
手、汚れるの嫌だし。
そんなやり取りをする横で狐が大きく笑い出す。
「カッカッ!白蛇よ、随分と今の主人とは仲が良いのう!
昔の汝はもっと尖っておったぞ!カッカッカッ!」
しかし、ツチは睨み返すだけだった。
そうこうしてる間に陣が出来上がる。
スケッチブックに描いている物より数段大きなもの。
狐は満足したように頷く。
「うむ。上出来じゃ」
そして陣の中央に衣羽を置くと、一升瓶蓋を開けた。
「……ふむ。そういえば盃が無いのう…
……ま、良いか。」
片手で少女の口を開けると、ダイレクトに瓶を突っ込んだ。
(やっぱり雑だなあ……)
口からは漏れた神酒が溢れる。
心なしか彼女は苦しそうだ。
ある程度の所で瓶に蓋をし、陣の外に出す。
「よし、これなら1滴程は飲んだじゃろう」
(いや、もっと飲んでると思うけど…)
盃なんかで飲むよりはずっと。
しかし狐は何も気にしていないようで、雑に口から垂れた酒を手で拭う。
そのまま地面に寝かせると、狐は身に付けた首飾りを、衣羽の首元に着けた。
翡翠の勾玉だった。
それには力が宿ると云うし、きっと足りない分を補う為だろう。
稲荷神が僕に目配せをする。
準備完了らしい。
時刻は10時。僕の力のピークはまだ続く。
「隅中・巳の刻、巳土の力召し、火は土を生じる相生の如く我に与えよ」
僕の力を最大限に引き出す祝詞。
それに合わせ、橙色の光が陣より出でる。
光に包まれる衣羽。
神酒で濡れた所に光が反射してキラキラとしている。
僕も稲荷神に視線を移す。
朱色の光を纏いもうすでに始めていた。
一息、静かに吐いたのがわかった。
「あそぶ雅楽、まがう縁。
我が狐暁・花京院色葉、契りを交わせし、汝"宝衣羽"に永劫の誓ひを立てん」
稲荷神の言霊に反応し、翡翠の勾玉からも朱色が漏れだした。
「宿いし心身清め、汝、器となりて我を崇めよ」
漏れた朱色が静かに少女の身体に沈んで行く。
しかし、それでも絶えずに溢れる朱色。
(ツチ、あれはどれくらい出続けるもんなの?)
相棒に問う。
((あれは狐の力"そのもの"だ。直接身に付けた首飾りを介して衣羽に狐を入れているわけだ。
舞えば器として開くからあんな面倒なことしなくていいんだけどな))
(じゃあ今は閉じたままの箱に隙間から無理矢理入れているようなもんなんだね)
((そうだ。まあ、その隙間を作っているのが俺達の力だな。
元を辿れば俺達と狐の根源は"神"から与えられたもんだ。
あんな女狐とは癪だが…相性は良いってわけだ))
僅かだが僕にも稲荷神の力が流れ込んでくる。
ツチはそれが少し気に食わないらしい。
((まあ、幸い、衣羽は空っぽだからな。
邪魔するもんが無えから、隙間からでも素直に入ってくれんだよ))
なるほど…。
ひたすら溢れる光は少しずつ衣羽に埋まる。
稲荷神は苦悶の表情を浮かべている。
どうやら、この儀式には少しコツがいるらしい。
「………ふう。弱っていてる我も捨てたもんじゃあないのう。
なかなか力が絶えぬのう……」
まだまだ光の洪水は止まりそうに無かった。