妖狐襲来4
「稲荷…神……?」
一般的に聞く、お稲荷さまと言うものだろうか。
朱い髪の隙間に見える、尖った白い耳やその尻尾を見る限り、狐という認識で間違いは無いらしい。
「…で、後ろに立つ女子は名乗らぬのか」
「……へ?」
てっきり、私のような非戦闘員には興味が無いのかと思っていた。不意に話を振られしどろもどろになる。
「自分の名すら名乗れんのか、最近の童は」
「あっ、えっと、た ぁごっ」
名字を言おうとした瞬間にミキの手に口を塞がれる。
「名前だけでいいから」
小さく、私だけが聞こえる程の声で呟く。塞いでいた手が離れる。
「……い、衣羽です」
私の答えに白狐は苦い顔をする。
「ふんっ、蛇の童に口添えされたか。無礼な奴じゃのう」
黄金色の瞳がさらに刺さるようだった。
「この子は何も知らない普通の人間なんだ。勘弁してあげてよ」
彼はすでに両手に橙色の光を纏い臨戦態勢だった。
「せっかく我が其奴に憑いてやろうと思うたのにのう」
カカカと笑う稲荷神。
「まさか、神様を相手にするとはね」
ミキはポツリと独り言のように言葉を吐いた。
疲れたように再び賽銭箱に腰をかけた狐。尻尾はゆらゆら揺らしたままである。
「まあ…ここに来た理由は大方予想はつくがのう。
しかしまあ証拠は残さぬようやっておったつもりじゃったが。
かんぜんはんざい という訳にはいかなかったようだのう」
釈然としない様子で頬を掻く。
「どうして貴女ともあろう者が人間の気を奪ってたの?」
「さあて、どうしてじゃろうのう?」
「軟弱な結界なんか張って、人に影響与えるなんて、よっぽど力に余裕ないんじゃないの?」
「さあ?それもどうじゃろうかのう?」
まるで相手になどしていないかのような受け答えをする狐にミキは少しの苛つきを隠せないでいた。
「生温い返事してんじゃねえぞ、ふざけた真似しやがって」
ミキよりも先に感情を吐き出したのはツチだった。蛇独特の威嚇で彼女に牙を向く。
「お~、怖や怖や。
こんなか弱い女子を威嚇するなど、まっこと恐ろしい。
……のう? いはねちゃん」
それは一瞬だった。
ミキの先に居た筈の狐は気づけば背後にいた。
それはもう空気すら動かぬ程静かだった。
「…………!?」
自分の身体は硬直してしまい動けなかった。
静かに振り向いたミキは小さく舌打ちをした。
「そうじゃのう、ここは一つ見逃してもらえんかの?
我もちいと、喰べすぎていたかもしれん。
そろそろ だいえっと しようと思っていた処なんじゃよ」
狐の白い手が自分の肩に乗る。
「見逃す?そんな事すると思う?
僕は"管理人"だよ。少しでも秩序が乱れるなら、見過ごせない」
ミキの言葉は静かだが力強い口調だった。
「……どうしてもかの?」
「どうしても、だ」
肩に乗った手に力が入ったのを感じた瞬間、強い力で引き寄せられる。
狐の豊満な胸元が後頭部に押し付けられるほど抱き寄せられる。
「では仕方ない。…この女子を少しばかり頂こうかの」
振り解く事は出来ない強さで抱かれ、抵抗する暇も無く。
がぶり。と、首元に牙を立てられた。
その部分が熱を持つのを感じる。
まさに「噛まれた」のだ。
「………ん?」
「………え?」
「………。」
しかし、何が起きたか理解出来ないまま。
狐はもう一度噛む。
噛まれた所に熱は感じるが、何も起きない。
それともすでに何かは起きていて、私が分からないだけなのだろうか。
だが、目の前に立つ少年の表情に変化は無い。
「………汝よ」
耳元をくすぐる狐の声。
「………はい?」
白く長い指が私の顎を掴む。
そして噛まれた部分をペロリと、一舐めされる。
「ひゃうっ…!」
「おかしい、やはり無味じゃ。汝は普通の人間じゃろ?
何者だ?一寸たりとも"気"が無いではないか……」
そこでようやくミキの口元が緩む。
ニヤリと。いつもの、少年そのものな顔。
「残念だったね。彼女は"空っぽ"なんだよ」
「ほう……」
顎に触れている長い指が輪郭をなぞる。
抵抗も何もできず、されるがままだ。
「本来ならば汝は"器"じゃったわけか…
力を貰えなかった器か…なんとも数奇な運命に巻き込まれたものよのう」
「ああ、憐れ憐れ…」と漏らしながら狐の頬が髪を撫でる。
長い指は輪郭から耳へと触れる。
こそばゆい様な、ゾワゾワとした感覚に身震いする。
「…………うむ?」
耳たぶに触れた時、指が止まる。
いや、触れたのは赤いピアスだった。
「…はて汝よ。これまた特異な耳飾りじゃ。
しかもこの気……微かじゃが"子鼠"の気じゃ」
ピアスに触れた手に力が入る。
(は、外される……っ)
ミキの二度目の舌打ちが聞こえたのと同時だった。
地面に落ちた赤い粒。
今の今まで身に付けていたもの。
また顎を掴まれ、顔の向きを強制的に変えられる。
狐の顔が目に飛び込む。
朱い髪の毛と真っ白な肌、黄金色の瞳、すべての吸い込まれそうな程に綺麗だった。
「なるほどのう……さっぱり空っぽになってしまったのう
これは良い"依代"じゃ…」
黄金色の瞳が更に近づいたと思うと。
わけもわからぬまま、唇が重なった。
紫煙の香りが鼻に抜けたのが最後の記憶。
私の意識は途切れた。