妖狐襲来1
オフィスに戻った私は三木谷家と全く違うこの光景を目にし、重要な事を思い出す。
「ああ…そうだ…掃除の途中だった…」
一気に現実に引き戻された気分だった。
僕はお昼寝してくるね、と。自室に籠ってしまった彼を横目に新しいマスクを装着して自分の任務を続行する。
掃除が一段落したら、牛乳を買ってこよう。終わったら洋子さんに貰った紅茶でミルクティーを飲むんだ。
自分にご褒美を用意して、また気合いを入れ直すのであった。
少年が自室から出てきたのは、陽が傾いてきた頃。目を擦りながらソファに座った。
掃除も一通り終わり、マイルームも形になってきていた。
「衣羽、コーヒー飲みたい」
「あ、はあい。今淹れるね」
まだ彼の疲れは取れていないのか、声に元気がなかった。まあ元より元気良く話す彼ではないのだが。
キッチンへ入り、お湯を沸かす間中身を確認するために冷蔵庫を開けてみる。意外と物は入っていたが…。
「あ、牛乳あるじゃん。
………げっ!賞味期限…2ヶ月前…!?」
綺麗だと思っていたキッチンも問題があるようだ。
とりあえず、少し中身の入った牛乳を捨てる。変な塊がドロドロと出てきた。もちろん息は止めている。
他にも冷蔵庫にはインスタントの物や、手がつけられているような物が入っていたが生活感はあまり無かった。
ミキは料理はしなさそうだし、ちゃんとしたご飯を食べているのかと心配になってしまった。
よし、助手としてこれからご飯を作ってあげようと、心に決める。施設では料理担当だった為に自信はあるのだ。
お湯が沸き、コーヒーを淹れ、少年の元へと持っていく。
ボーッとテレビを眺めるミキに声を掛ける。
「ねえ、ミキ君、これから私がご飯作ろうかなって思うんだけど…どうかな…?」
そんな言葉に予想以上に反応したのは、まさかのツチだった。
((そりゃあいい!衣羽!こいつ、ロクなもん喰わんから!俺はうまい飯が喰いたい!))
「え、ツチ君、ご飯食べるの?」
蛇って何を食べるのだろう。
((俺をその辺にいる蛇と一緒にするんじゃねえぞ。人間と同じように白米が好きだ!))
「そ、そうなんだ。ミキ君は…どうかな?」
ミキは少し考えた後、頷いた。
「僕、野菜嫌いだからね」
逆にヤル気が湧いた。この細い少年に食わせてやろうと。
そして買い物に出ると言えば、あっさりと、多いくらいのお金を出してくれた。
このオフィスを探してさ迷っていた時にスーパーを見つけたのを覚えている。
桜も散り、緑が生い茂った木々に赤い夕陽が差している。時々スーパーの袋を下げた主婦とすれ違う。
なんだか、昨日今日とすごく濃い中身だったせいか、穏やかなこの時間と空気にソワソワした気分だった。
買い物を終え、オフィスに帰ろうという所でふと思い立つ。この周辺を知っておきたい。ちょっと違う道通って見よう、と。
同じことを言うようだが、この周辺はうろうろ歩き回ったので、なんとなくだが土地勘とやらが芽生え始めていたのだ。
そうして、来た時とは違う道を通ることにした。
ふと、とある工事現場が目に入る。何かを取り壊しているような感じだ。
神社だろうか。組まれた鉄骨の奥に朱色の鳥居が見えた。
もう今日の作業は終えたのか、人は居ない。
真っ赤な夕陽も差し、無機質な鉄骨の中は朱一色だ。
「綺麗……」
つい、声に出さずにはいられない程に。
ブワッ…と。
一瞬だが、強い風が奥から吹き付けた。息が止まるほどの強い風。
それにハッとして、景色に見とれボーッとしていた事に気づく。早く帰って、夕飯を作らなくてはいけない。
カメラがあれば撮りたかったな、と思いつつ小走りでその場を去る。
「壊されちゃうのかな…勿体無い……」
なんて事を呟きながら。
「衣羽。お前、何を憑けてきた?」
帰宅早々に少年に投げられたセリフ。
「えっ?つ、着けてきたって?」
もしかしてスーパーで試食した物が着いたままだったのだろうか。慌てて口を拭う。
「違う。それ、そこだよ」
彼がジェスチャーで首筋を差した。何を言っているのだろうと思いつつ触ると。
まるでそこだけ熱を持っているかの様な感覚を手に覚えた。
「えっ!?」
気づかないうちに虫にでも刺されたのだろうか。
不思議に思い、姿見に自分の姿を映す。
私が出掛けてる間に、ツチの胃袋から出したらしい、洋子さんのものだった姿見。もちろん、ヒビは入ったままだ。
首筋に当てた手を避けると。
そこには全く心当たりの無い"歯形"が着いていた。
「なに…これ……?」
私の後ろに映る少年がまた口を開く。
「もう一度聞くけど、衣羽、何を"憑けて"きた?」
真っ先に思い浮かんだのは、あの朱い神社だった。
しかし、ただ 見ていただけだ。噛まれた記憶は全くない。
「…何も無かったけど……」
疑いの眼差しで少年に睨まれる。
「でも…ほんとに…買い物に行っただけ…だよ?」
歯形には全くの覚えがない。
白い手が真っ直ぐ私の首筋に触れた。
「…っ」
チリッとした痛みが走る。
「ふむ…まあ…衣羽だからこそ影響は無かったみたいだけど」
彼の手にはいつもの橙色の光が出ていた。
そして光は蛇の形となる。いい加減見慣れた光景だ。
「ツチ、とりあえず、呑んでて?」
「はあ!?まじかよ…こんな得体の知れないもん…衣羽にゃ影響無いんだろ?ほっときゃあいいだろ~!」
「何が起こるかわからないし、ツチの胃の中なら大丈夫だよ」
すごく嫌々とこちらを向いたツチはため息を吐いた。
「ったくよ~、鏡吐き出してすっきりしたと思ったのに…」
ブツブツと文句を垂れていたと思ったら。大きく口を開け、首筋めがけて飛んできた。
「ぎゃあっ…!!」
さすがにこれには驚いた。避ける間もなく噛みつかれるが、痛みは全く無かった。むしろ、首筋に感じていた熱が引いてゆく。
そしてツチがミキのもとに戻るとすぐに姿を消した。
((おえー、なんだよこれ、不味いなあ))
不機嫌そうな呟きだけを残して。
もう一度鏡を覗くと、歯形は消えていた。
「み、ミキ君…あれはなんだったの…?」
「詳しく調べた方がいいかもね。でも今日は疲れたから明日でいいや」
そんな適当でいいのだろうか。
まあ、確かに自分の体調には何の変化もない。
「衣羽、早くご飯つくってよ」
「…あっ!そうだった!」
買い物してきた物をすべてそのままだった。夕飯を作るという大事な任務があったのだ。
初の夕飯は少年のリクエストである、オムライスでした。




