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女王伝  作者: 桜ノ宮
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   その二

 エルファーナは両手で耳を押さえるとリゼの胸に、顔をうずめた。リゼの温もり以外を遠ざけるかのように。

 そんなエルファーナを愛おしげに見下ろしたリゼは、きな臭さに気づいて眼差しを厳しくした。だれかが火を放ったのだ。あっという間に火は中に忍び込み、激しく燃え上がった。

 エルファーナに煙を吸わせないよう胸元に引き寄せる。彼女も異変を感じているようだが、安心しきったようにリゼに身を任せていた。

 その信頼感が嬉しくて、こんな緊迫した場面だというのに、リゼは頬を緩ませた。

 しかしすぐに顔を引き締めると扉から出て行こうとした。

 だが、案の定というべきか押しても引いてもびくともしなかった。なにかで塞いであるのだろう。


「私たちを殺すおつもりですか? 村長」


 リゼは声を張り上げた。村長が外にいるであろうことは勘づいていた。先導者であり、この村の絶対神というべき村長の命なくして火を放たないだろう。


「旅のお方、警告したはずですぞ。忌み子には近づくなと。あなたは孫娘の婿にと考えていたが……、だが掟を破った以上、あなたにも罰を与えなければならん。忌々しい忌み子ともども闇の国をさすらうがいい」


 その声に対面したときの朗らかさは微塵もなかった。愉悦と憎しみに満ちあふれた声音には、人の命を奪うことにためらいなどないかのような非道さがうかがえた。

 迫り来る炎の波に、しかしリゼは動じた素振りもみせず、淡々と呟いた。


「――凍てついた大気よ、今、汝の力をここに示せ」


 その瞬間、周囲に冷気が漂い、今まさにリゼの衣服を焼こうとしていた火は縮こまるかのように引き、鎮火した。


「炎が消えたわ……」

「だれが消した!」

「忌み子の仕業よ! やっぱり悪魔の子だわ」


 常人には手に余る不可思議な現象に、さすがに驚いたらしい。外からは、戸惑いと驚愕が入り交じった声が聞こえてくる。

 もう一度唱えると、扉に向かって手をかざした。すると焼けこげた扉がものすごい風圧を受けたかのように外に吹っ飛んだ。


「な……っ」


 さすがに絶句したらしい村人たちを尻目に、リゼたちが生きていることを知って憤怒の形相となった村長が立ちはだかった。

 笑顔のない村長は、もはや対面したときの好々爺ぶりが嘘のような顔つきであった。おそらくこちらが本性なのだろう。

 厳めしい顔は、どこか逆らいがたい威厳があったが、リゼは平然とした顔で向かい合った。


「化け物がっ。貴様らは生かしてこの村からだすものかっ」


 気色ばんだ様子にも動じることなく、リゼは一笑に付した。


「なにがおかしい」


 さすがにカンに触ったようだ。


「憐れ、ですね。女王がいらっしゃらない世の中は、人の心さえも蝕んでいくのでしょうか」

「はっ、女王だと? そんなもんはいない。わしが王だ! わしが支配者だ。わしの言葉に逆らう者は何人たりとも許さぬ」

 

 女王の存在を軽んじられ、さすがにリゼも笑みを浮かべているだけにはいかなかった。


「我らの女王を侮辱なさるおつもりですか?」


 ひんやりとした空気。先ほどの炎を消し去った冷気が静かに周辺を覆っていく。

 朝方の芯の冷える寒さとは違う、どこか肌が粟立つような(れい)(かん)に、威勢のよかった村人たちは首を竦めた。


「女王なんぞ必要ない! そもそも大陸を統治するのが女であることが間違っているんだ! 女など男の道楽にすぎんっ。だいたい女王がなにをした? 平和だと? いたときからわしらの暮らしはかわらん。作物を育てるには不向きな土壌を女王とやらが癒したか? はっ、女王の力なんざ、天候を少しばかり操ることしかできないのだろ。わしは知ってるぞ。これまでの女王が虐げられた民の上の胡座かいて豪勢な生活を送って――」

「女王に対する愚弄は、すなわち私への非礼にあたります」


 感情をぶつけるかのように滅裂に口走っていた村長の言葉を遮ったリゼの濃い双眸は、薄氷のように薄まっていた。静かな熱情が瞳の奥にくすぶる。


「本来ならば、口頭による警告ですませたいところですが、あなたの残虐な行いは目に余るものがあります。今後女王に仇をなさないとは考えにくい。よって、あなたを謀反と見なします」


 雨はやんでいたが、まだ空には灰色の雲がかかっていた。太陽が隠れてしまえば、大地は冷え、大気の温度はぐっと低くなる。吐く息は白くないものの、防寒対策をしている村人は蒼白となって歯を鳴らしていた。

 しだいに渦を巻いていく雲は、まるでリゼの感情を表すかのようであった。

 それまで微風だったというのに、雲と呼応するように吹き立った風は、容赦なく寒さで震える住人に襲いかかった。

 森はざわめき、葉を枯らした枝が重なり合ってかさかさと音を出した。

 そんな中、リゼの周りだけが静かであった。無風というべきか、髪一筋すら乱れず、怯える村人を白眼視した。

 整いすぎた顔から笑みが消え失せれば、近寄りがたい雰囲気に包まれる。触れたら指先が切れるのではないかと思わせるほど全身から絶対零度の気が放たれていた。エルファーナを抱いたまま嵐の中平然と立つ姿は、人在らざるもののようで、ひぃっと村人の口から情けない悲鳴が漏れた。

 底知れぬ威圧感に息を呑んでいた村長は、統制の乱れに舌打ちして、強風を跳ね返すかのような怒声を轟かせた。


「はっ、たかだか吟遊詩人ではないか!」


 叫んでから、村長は、その言葉に改めて感じ入ったように、貴様は吟遊詩人だと呟いた。

 自分の正当性を疑わない様子の彼は、リゼに圧されていたのが嘘のような苛立った顔でずっと側に立っていた忠実な部下に命じた。


「ガーロ、あいつらを殺してしまえっ」


 槍を構えたこの村の警備人は、畏敬する村長の命令を受けて乾いた唇をぺろっと舌で舐めた。ちょっと強ばった顔は、リゼに対して(おそ)れを抱いているようだったが、体格の差を見て取って気を大きくした。


「そのおきれいな(つら)を切り刻んでやる」


 にやっと笑った男がリゼに襲いかかった。長い柄を握り、剣先のように鋭く尖った穂先をリゼの顔面目がけて突き出した。

 それを白い目で見ていたリゼは、優雅な所作で避けると柄を握る手を蹴り上げた。重い一撃に、リゼの倍ほどもある手から槍が落ちた。それを寸前で拾うと、ためらいなく彼の手に刺した。


「ぐ……うぁぁぁぁぁぁっ」


 分厚い肉を破った穂先は、勢いあまって地面に突き刺さる。手の甲を貫通しているのは感嘆に折れそうにない柄の部分であった。激痛にのたうつ巨体。きっと骨も折れていることだろう。右手は使えなくなるかもしれない。


「ガーロ! まさかガーロがやられるとは……。えぇい、だれでもよいっ。あいらつを殺せ!」

「許さない! そいつを選ぶなんて許さないわ!」


 村長の声に被さるように、少女が飛び出してきた。ヒーリア、と叫んでいるのは母親だろう。よく似た面立ちの女が、絶望に悲鳴をあげた。


「あたしが忌み子を殺してやるっ。スライト、あなたはあたしの奴隷としてそばに置いてあげるわ」


 母親や止める村人の手を振り切って敢然と立ちはだかったヒーリアに、昨日のような可憐な姿はなかった。

 風にあおられ乱れた髪はぐしゃぐしゃで、衣服も地面の泥水のせいで汚れていた。飾りもはじけ飛び、槍を構えた姿は、美しい戦女神というよりも、精神を病んだ狂女にしか見えない。爛々と輝く双眸は、正気を失っていた。

 しかしリゼの関心は腕の中のエルファーナにしかなかった。どうやら眠ってしまったようで、リゼの変化にも気づかなかったようだ。それに安堵の息を漏らす。安心しきった様子でリゼに身を任せているエルファーナがますます愛おしく感じられ、リゼの双眸が甘く細まった。

 それを目の当たりにしたヒーリアは、カッと頬を紅潮とさせ、村長の制止もきかずに走り出した。彼女の目には、憎らしいエルファーナしか映っていなかった。


「あんたがいなければ……っ。スライトはあたしのモノよっ」


 ガーロが持っていたよりもずっと短い槍を振り下ろした。

 けれど戦うことに慣れていない、甘やかされて育ったヒーリアが、しっかりと戦闘の訓練を受けてきたリゼに敵うはずもなかった。

 あっさりと穂先を避け、柄を握ったリゼは、「女性に手を挙げるのは、私の信条に反しますが……」と困ったように言ったが、目に迷う様子はなかった。

 リゼの顔が間近に迫って歓喜に頬を染めたヒーリアを一瞥したリゼは、躊躇なくヒーリアの腹に膝を入れた。


「手は使っていませんよ」


 悪びれずに呟いたリゼは、地に倒れ込んだヒーリアの緩んだ手から槍を引き抜き、放った。

 手を離れた槍は宙を舞い、村長の目の前に刺さった。もう少し手前に立っていたら串刺しとなっていただろう。

 ヒーリアに駆け寄ろうしていた村長の顔から血の気が引いた。


「私も手荒な真似はしたくありません。あなた方の過去の暴虐ぶりも私には関係のないことです。裏でどのような取引があろうとも、それはあなた方の問題と目を瞑るつもりでした。けれど、女王に対する謀反ととれる言動に加え、この子に対する残酷な仕打ちは見過ごすわけにはいきません。私が裁いてもよいのですが……ここは、暁の領主に任せましょう」

「ぎ、吟遊詩人の言葉などだれが信じるものか!」


 村長が、吠える。

 しかし、先ほどまでと違ってどこか弱々しかった。リゼの堂々とした様にようやく畏れを抱いたのだろう。

 村人たちも敏感に察知して、強風に耐えながら声を潜めて成り行きを見守っていた。


「あぁ、申し遅れました。私の正式な名はスライト・ファクトーナ・ベルベスク・リゼ・イーシスト。今生(こんじょう)(リ・)(レイ)騎士(ハス)がひとり、藍玉の騎士リゼ。以後お見知りおきを」


 八聖騎士とは、女王を守る直属の近衛兵のようなものだ。

 女王が不在の今は、八人の騎士が主要となって大陸の平静を保っている。それゆえに、女王に次いで高い地位にいる。彼らの言葉に、領主はおろか大臣並びに次官でさえ逆らうことはできないだろう。


(リ・)(レイ)騎士(ハス)……!」


 村長はその場にへたり込んだ。

 さすがに閉鎖された村といえど、村長である彼には、多少の知識があった。今回ばかりは周防司官に泣きついても取りなしてもらえないだろう。なんといっても、喧嘩をふっかけてしまった相手は八聖騎士の一人なのだから。

 実直で清廉とした心根の持ち主とみせかけで、裏では別の面をみせている周防司官と村長は、長年の友人でもあった。友人といえど、多額の賄賂を渡し、領主や教主の耳に入るのを未然に防いでもらった村長であったが、八聖騎士にばれてしまったならもう未来はないだろう。

 聖職者に対する乱暴やその他の犯罪行為が白日のもとにさらされることとなるかもしれないと悟った村長は、絶望感に頭を抱えた。


「あぁ、終わりだ……! わしらは破滅だっ。やはり忌み子は、破滅をもたらす使者よ!」


 戸惑った色が広がる。

 八聖騎士の存在を知らない村人たちには、村長の嘆きなど理解できるはずもなかった。

 手に武器を持っていた者たちは、リゼの鋭い視線にひっと息を呑んで武器を手放した。人数で勝っていても彼に勝てないことを本能的に悟ったのだろう。三百人余りの村人たちが次々に道を譲っていく。

 すでに強風は収まっていた。渦の消えた灰色の空は、穏やかな風に流されてたゆたっていた。

 水気をたっぷり含んだ滑りやすい地面をしっかりとした足取りで歩いていく途中で、エルファーナが身じろぎをした。目を覚ましたのだろうかと覗き込んだリゼは、寝ていてもちゃんと約束を守っているエルファーナに、相好を崩した。

 エルファーナが寝やすいようにと抱きかかえ直したリゼは、複雑な道中を思い出して繋いであった馬を勝手に拝借した。借りるだけであって、盗みではないので、良心の呵責などなかった。ベルーの村で返すつもりなのだが、あえてその先を考えなかった。

 ベルー村のベルッセに対する反応を知ってるリゼは、だれかに頼んでも持ち主に馬が戻ることはないとわかっていた。

 だが、それはリゼの責任ではなく、頼んだ人物に責任が転嫁されるので、問題はなかった。

 馬のほかにぼろい馬車もあったのが、馬だけのほうが楽でいいし、なによりもエルファーナが目を覚ましたときに真っ先に気づくことができる。

 吟遊詩人には馬など必要ないと思っていたが、これからエルファーナを連れて歩くとなると乗り物も重要だろう。馬の購入も検討に入れ始めたリゼは、色あせていた現実が急激に鮮やかな色彩を取り戻したかのような心地を覚えた。

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