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女王伝  作者: 桜ノ宮
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   その五

「こっち来るな!」

「忌み子が大通りを通るんじゃねぇよ」


 容赦ない言葉の暴力に、とうとう耐えられなくなったのか、少女の体が傾いだ。


「駄目よッ」


 さすがに見捨てておけぬと思って駆け寄ろうとしたリゼを、ヒーリアが爪を立てて引き留める。つり上がった目は怒りと憎しみで燃え上がっていた。


「あいつと関わったらあなたもただじゃすまないわよ」

「ふ……愚かな」


 リゼは、冷笑を浮かべると、少し乱暴にヒーリアを引きはがした。


「なッ……」


 ヒーリアの顔が歪む。もはや、可憐という言葉は似合わない醜悪な顔を振り返って見ることなく、倒れている少女に駆け寄った。

 土のついた清潔とはいいがたい服、髪はぼさぼさで泥がこびりついていた。髪の色が何色であるかもわからないほどだ。壊れ物を扱うかのようにそっと抱き上げた リゼは、服越しに伝わる彼女の体温が高いことに気づいた。長い前髪をかき上げ額に手を当てれば、驚くほど熱かった。


「ねぇ、君。この村の医師は、どちらに?」


 空気のように軽い少女。衣服がぶかぶかで体格がよくわからなかったが、こうして触れてみると折れてしまいそうなくらい細かった。


「あ、あの……」

 呼び止められた娘は、リゼの顔を見ると顔を赤らめて口ごもった。しかし、ちらちらと青年の腕の中にいる少女に視線を落とすと、答えにくそうに口を閉ざした。


「教えて、くれませんか?」


 リゼは蒼い双眸を困ったように揺らし、まだ年若い娘を見つめた。

 まるで物語に出てくる貴公子のようなリゼに見つめられ、胸を高鳴らせない女はいないだろう。


「……こ、ここをまっすぐ行くと赤い屋根が見えてくるんですけど、そこに」

 

 案の定、美しい顔を前にすっかりのぼせ上がってしまった娘は、重かった口を簡単に開いた。そのまま、礼を言った去っていくリゼをうっとりと見つめているのだった。責めるような周囲の視線に気づかぬまま。

 診療所を目指し、颯爽と通りを歩くリゼに、周りの眼差しは冷たかった。

 見目麗しいリゼの腕の中にいる少女に気づくと一様に眉を潜めた。

 密やかにリゼの行為を咎めていたが、正面切って言う者はいない。彼の顔が少しばかり険しかったからだ。だれもが認める精巧な美貌が怒りに染まると凡人には近づきがたく、自然と道を開いていた。


「すみません」

「どうしたね?」


 リゼが少女を片手で支え、診療所と思える戸を開くと小柄な老人が振り返った。


「急患です。この子を診ていただけませんか」


 年老いた医師は、リゼの容姿を見てぽかんと口を開けていたが、リゼの言葉に慌てて視線を移した。


「エルファーナ……」


 老医師はそう呟き、申し訳なさそうに首を振った。


「悪いが、わしにはその子を診てやれない。だが、ここまで連れてきたお前さんの顔は立てて、薬はやろう」

「では、解熱剤を。酷い熱なんです」


 ぐったりとした少女を一瞥した老医師は、そのまま背を向けて無数の木箱の中から紙に包まれた粉薬をリゼに渡した。


「あんたも困ったことをしてくれたね。本当なら、これも掟に反するが、仕方あるまい」

「どうしてそれほどまでにこの娘を嫌うのです? 母親の命と引き替えに生まれたことがそんなに大罪ですか?」

「よそ者にはわからないだろう。人口の少ないこの村では、人生をまっとうできない死はなによりも呪わしい。加えて、その子の母親は、村長がだれよりも可愛がっていた娘だ。早くに愛娘を亡くした村長の恨みがその子に向かっても致し方ないこと」

「しかたないですって? それでこんな罪もない子が死んでもいいというのですか?」

「いいか、若造。この子は呪われてるんだ。わしもその呪われた証をみた。この子は心底悪魔の子さ。近づけば、きっと呪いを受けるだろう」


 老医師の丸い眼が真剣な色を帯びた。

 けれどリゼは平然とその忠告を受け止めた。


「頭の片隅にでもとどめておきます。それより、この娘の住まいを教えていただけますか?」

「やれやれ、わしはどうなっても知らんぞ。……ここを出て森のほうに行けば、少し離れた場所に石造りの小さな小屋が見えるだろう。そこに住んでいる。さあ。用がすんだならとっとと出て行ってくれ。わしはこれ以上関わりたくないんだ」


 しっしっと手を振った老医師は、背を向けたままもうこちらを見ようともしなかった。

 やれやれと肩をすくめたリゼは、一体この村はどうなっているのだろうと訝しんだ。もとより目的があって訪れた村だったが、一人の少女に手をさしのべてしまったせいで村人たちの心を頑なにしてしまったようだ。


「困りましたね……」


 それでもリゼは言葉ほど困ってはいなかった。もしこの村人たちの中に捜していた人物がいても、心から喜べなかっただろう。それにそれらしい人物がいないか村長たちにも尋ねたが、心当たりはないといっていた。

 村長が、ほんの少し動揺していたのが怪しいと思っていたが、きっとこの村ではないのだ。いや、単にそう思いたいのかもしれない。

 苦しそうに息をする少女をしっかりと抱え直したリゼは、教えられた家に向かって歩き出した。

 すでに頭上は曇っていた。陽は分厚い雲によって翳り、遠くで雷が鳴っている。 もうすぐ雨が降るのだ。

 連日の大雨は決して珍しいことではない。

 神に授かった力によって大陸に平穏をもたらしていた女王が不在の今、天候を自在に操れる者はいないのだ。四季は完全に崩れ去ってしまったといっていい。


「これは……なんて酷い」


 少女の家らしき前で立ち止まったリゼは、驚きをあらわにした。目の前の建物を家と呼んでいいのだろうか。老医師が小屋と言っていたが、確かに家というよりは物置小屋に近い。

 木戸を開け、中に入ったリゼはさらに愕然とした。

 外と変わらないほどひんやりとした室内には、明かり取りの蝋燭もなかった。

 ここが監獄だといわれても納得できるだろう。

 そう、ここは家でも小屋でもない。ただ人を閉じこめておくだけの牢屋だ。

 その柔らかな容貌から優しい男だと勘違いされるが、リゼは基本的に人に無関心で冷酷な男だ。けれど腕の中にいる少女に対しては、なぜか憐憫の気持ちがわいていた。

 こんな幼い少女が虐げられているのが憐れでしょうがなかった。

 寝台を探そうとしたが、そんなものがないのは一目瞭然であった。部屋の隅に大量の布きれを見つけ、まさかと思って眉を潜めたが、そこ以外に寝れる場所はなかった。


「さむい……」


 少女がガタガタと震えながら、温もりを求めるかのようにすがってきた。村人が着ているような毛皮ではなく、厚手の毛織物だけでは寒いのだろう。毛皮が裏打ちされた外套の一枚でもあれば、彼女の寒さが和らぐかもしれないのに。

 痛ましげに目を閉じたリゼは、ぎゅっと少女を抱きしめた。

 そっと布きれの中に横たえると、リゼは背負っていた荷を下ろし、中からカンテラを取りだして火を点した。

 携帯用のカンテラは、野宿のときに使用していたが、まさか家の中で使うことになるとは。

 炎が室内を柔らかく照らす。

 見事になにもない部屋であった。少女がくるまっている大量の布きれのほかは、大きな瓶。あとは、木の皮がその周辺に散乱していた。まっとうな人生を歩んできたリゼにはその皮が食糧であることに気づかなかった。

 食器も暖炉もない無機質な家。唯一雨漏りがないことだけが利点だろう。

 普通の人間だったら狂ってしまいそうな空間に、少女はどれほどの時を過ごしてきたのか。

 何も食べていないのだと訴えていた少女の言葉を思い出したリゼは、携帯食を取り出すとナイフで細かく砕く。日持ちがするようにと乾燥させているから、寝込んでいる少女には噛んで飲み込めないだろう。

 勝手に瓶をあけたリゼは、水が入ってることに気づいて匂いを嗅いだ。まだ新鮮な香りがする。これならば飲んでも大丈夫。

 側に木の筒を見つけたリゼは、少し洗ってから水を入れて少女に飲ませた。

 意識が虚ろだった少女は、小さい口で飲んでいたが、すぐに力尽きたようにぐったりとしてしまった。飲みやすいようにと頭を支え、砕いた干し肉を少女の口元に持っていく。


「さ、お食べなさい。ゆっくりでいいですよ」


 少女の口が小さく開く。そこに入れると、少女の口がゆっくりと動いた。どうやら食べ物であるという認識はあるらしい。

 しかし、空腹だといっていたわりには、二口ほどで食べなくなってしまった。高熱のせいで食欲がないのかもしれない。それでも食べてくれたことに満足したリゼは、もらった薬を少女に飲ませた。

 そのまま少女の看病に当たる。汗を拭き、額を冷やしたりと、これほどまでに尽くしたのは初めてだ。

 夜になると空気が冷えた。雨は本降りとなり、雷が轟音となって村全体を揺らしていた。

 軽く夕食をとったリゼは、吐く息が白くなったのをみて小さく舌打ちした。外套があるおかげで体は暖かかったが、むき出しの顔や指の先は冷たかった。


「あなたは、ずっとこの中で過ごしてきたのですか……?」


 リゼの小さな問いかけは、雷や雨音に打ち消えていった。

 カンテラの明かりだけが、唯一心を和ませるが、寝込んでいる少女はこれまで暗闇の中で過ごしてきたのだ。脳裏に浮かぶのは、村人たちの非道な姿ばかりであった。


「ん……」


 リゼがつい少女のことを考えていると、横で少女が身じろいだ。

 壁に背をあててじっとしていたリゼは、緊張を走らせた。


「だ、れ……?」


 黄金というよりは、甘く透き通った蜜のような瞳がリゼをとらえる。

 熱で潤んだ双眸は、どんな宝石でも敵わないほど美しい色をしていて、美しいものなど見慣れていたリゼですらどきりとした。


「気分はどうです?」

「少し、からだ、おもい……」


 リゼは少女の額に乗っていた布をどかすと、手を当てた。まだ少し熱いが、それはきっと自分の手が冷たいせい。燃えるような熱さはないから熱が下がったのかもしれない。


「さ、眠ってください。また熱が上がってしまいますよ」


 そう柔らかく言うと、少女は黙って涙を流した。

 まさか泣かれるとは思っていなかったリゼは少し慌てた。


「どこか痛いですか?」


 少女は静かに泣きながら、腕を伸ばして額に触れる手に手を重ねた。


「どこにも、行かないで……」


 掠れた小さな声。

 雨の音にかき消えそうなほど小さな声は、しかし不思議とリゼの耳にしっかりと届いた。


「どこにも行きません」


 少女の温かい手をもう片方の手で包むと、明らかに安堵した顔で少女は口元に笑みを乗せた。そのまますぅっと眠ってしまう。

 寝ぼけていたのだろうか。病気になればだれでも心細いものだ。

 少女の健気な姿に胸を打たれたリゼは、そっと手を離し、雫を拭ってやるとしばらくあどけない少女の寝顔を見つめながら思案していた。

 いったいいくつなのだろう。

 一人で生活するには早すぎる年齢だと思うが。


「包帯……?」


 ふいにリゼは、少女の右手に巻かれた布に気づいた。泥で汚れたそれは、衛生的によくない。

 洗おうとほどいたリゼは、目を見開いた。そこには、醜く引きつれた火傷の痕があったからだ。傷の色からみて最近のものでないことはすぐにわかった。

 リゼよりずっと小さく細い手に不釣り合いな傷。

 これを隠すために包帯を巻いていたのだろうか。

 少女の心の傷をのぞき見たきがして、不用意に包帯をとってしまった自分を恥じた。あかぎれだらけのぼろぼろの小さな手。骨が浮かび上がっていた。

 よくよくみれば、手だけでなく、額や頬にも傷跡があった。まさかと思って、腕をまくったリゼは絶句した。両腕にはくっきりと縄で縛りつけられた痕が残っていた。

 青紫色の痣は正視するのも厭わしい。きっと全身に虐待の印はついているのかもしれない。小石を投げつけられるなど可愛いものだったのだろう。もっと酷い仕打ちをこの子供は受けてきたのだ。

 こうして、生きて目の前にいることが奇跡に思えた。

 強い精神の持ち主だと感服した。頼る者がいない孤独の中での生活は、さぞ精神を蝕んでいったはず。普通の者ならば、病んでいるか荒んでいるところだ。

 なのに、少女の蜜色の美しい双眸は、病んでいるどころか澄んだ光を放っていた。清涼感さえただよう透明さは、腐ったこの村で決して失ってはいけない宝玉のように感じられた。


「私になにができるのでしょう……」


 少女のために何かをしてあげたい。

 それは偽善なのかもしれない。ただの憐れみで動くことは危険だ。

 彼には彼の立場と地位があり、そうやすやすと施しを与えることを許される身分ではなかった。これまでだって孤児や貧しさであえぐ者たちを見捨ててきたのだ。彼にとって大事なのは、捜している人物だけで、ほかはどうでもよかった。

 けれどどうしてもこの少女のことが気に掛かってしょうがないのだ。

 リゼは、真剣な眼差しでそのままずっと少女を見つめていた。

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