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女王伝  作者: 桜ノ宮
38/41

   その二

 戴冠式当日。

 宮殿の前には一般人が列挙していた。

 暴徒や災害によって少し精彩を欠いていた西雅の都も、復興し始め、それまでの華やかさを取り戻していた。

 戴冠式は、それまでの習わしに添って、第一宮殿にて執り行われることとなった。

 美しく飾り付けられた女王の間の最高位に座し、最初こそそわそわと落ち着かなさそうに側に控えるリーシアたちに視線を送っていたエルファーナも、開会を知らせる銅鑼の音とともに背筋をぴんと伸ばし、集まった人たちを見下ろした。

 小さなエルファーナが金に縁取られた赤いすに深く腰掛けると足が届かなくなるので、背には絹の座布団が置かれていた。

 この日のために用意された華やかなドレスに身を包み、綺麗に髪を結い上げたエルファーナは、リゼと会った頃より格段にふっくらとした白い頬をバラ色に輝かせた。

 玉座から見て左側の最前列に八聖騎士たち、巨大な両扉を挟み、右側に教主並びに財務大臣を除いた五大臣十二官たちが着席していた。

 玉座に向かって伸びる階段の横の特等席には潔白を立証された朱玲次官が腰を下ろし、その脇には特別に許可を与えられた女官――リーシアたち三人が佇んでいた。 始まる前は所在なさげに座っているエルファーナを気にかけていた有能な女官たちも、さすがに女官の身分で参加を許されたのは異例なだけに、緊張を隠せない様子だった。

 けれど表面上は慎ましやかな表情なので、そうと気づいた者はいないだろう。

 一階の席は、大陸全土から集まった諸侯が座っていた。

 距離的に足を運べなかった者も多くいたが、エルファーナの眠りが長かったことが幸いしてか、過去最高の入りとなった。

 出入口付近には、剣を下げた兵士が(わき)を固め、厳重な警備のもと、厳かに儀式は進められていく。


「え~、こ、このたびの祝着至極に、ぞ、存じ上げます」

「あ、あの、な、長きに渡る憂いからさ、さめ、きょ、恐悦の極みでございます」

 五大臣は、みな冷や汗を流してその場に叩頭していた。

 赤絨毯の敷かれた大理石の床に額をこすりつける勢いで口上を述べたが、示し合わせたかのようにどもり、諸侯の失笑を買っていた。

 女王候補であった頃から、ルイーゼを早々と女王に押し、エルファーナなど歯牙にもかけなかった彼らにしてみれば、いたたまれない状況に違いない。

 なによりも、財務大臣の奇行も耳にしたならばなおさら。

 女王候補と大臣の癒着は、過去の悪例をひもとけばそう珍しいものでもなかったが、なにかしらいえない事情を抱える彼らは、エルファーナの顔すらまともにみられずに、そそくさと椅子に戻っていったのだ。


「女王陛下ご誕生の慶事。心よりお慶び申し上げます」


 五大臣の不作法を咎めるように彼らを一瞥した教主が、ゆっくりと進み出て拝した。

 御使いたちの頂点に立つ教主の優しい顔を見たエルファーナは、行儀を忘れて駆け下りていた。


「陛下……?」


 驚いたような顔の教主。年の頃は六十過ぎだろうか。

 眼差しは力強く、少し垂れた青い目がとても美しい。恰幅もよく、白い衣をまとった姿は、さすがに教主と思わせる威厳があった。


「わたし、神様にお仕えすることが夢だったの」


 そう言ってエルファーナは涙ぐんだ。

 とても信じられなかったのだ。


「御使い様だって遠くから見つめるだけで……まさか、教主様が目の前にいらっしゃるなんて……お会いできて光栄だわ。とっても嬉しい」


 エルファーナは、震える手で、教主の皺が刻まれた手を恭しく取った。


「あのね、頭をあげて。教主様はわたしに頭をさげちゃ駄目なのよ。だって、教主様はわたしよりずっとすばらしいもの。神様に一番近いお方よ」

「そのような……畏れ多い。陛下のほうがこの世で最も神に近いお方でございます。失礼ながら陛下は、主神アル=バラを深く崇拝していらっしゃるのですか?」

「うん。でもね、お名前を知ったのはつい最近なの。聖書もね、読めるようになったのよ。――人を愛し、己を愛し、すべてを愛せよってあったでしょ? わたしね、その言葉が一番好き。夢の中か……もうぼんやりしちゃったけど、とっても尊い方がね、みんなを愛しなさいっていっていた気がするの」

「愛ですか……(まった)くの愛ですな。それこそが、主神アル=バラのお考えなのでしょう」


 胸打たれた様子の教主は、深く息を吐き、それまでの表面上の笑みとは違った心からの笑顔をのぞかせた。


「敬虔な心こそ、優れた統治を生むものです。貴女のようなお方が今代の女王であらせられてようございました。我らが主はよい方を選ばれた」


 教主はそういうと、手にはめていた指輪をエルファーナに渡した。


「この瞬間より、教徒のすべては陛下の足下に」


 教主の宣言に、女王の間が揺れた。

 聖職者が神のほかに足を折るのは、前代未聞の珍事であった。

 あの指輪は、教主に受け継がれてきた代々の証だ。

 それを手放し、女王に贈ったとなると、本気の度量がうかがえる。

 教主の深い思いを雰囲気で察したエルファーナは、指輪を見つめ、教主を見つめ、やがて微笑んだ。


「わたしは神様じゃないわ。教主様、教主様の主は神様だけよ。わたしの主も神様だけ。それは変わらないのよ」


 そして、指輪を教主の指に戻した。

 思いも寄らない返答にしばらくぼうっとしていた教主であったが、己の失態に苦く笑った。

 そんな常とは違った戴冠式に、諸侯たちは興味深げであった。

 朱玲次官の番ともなると、ざわめきが広がった。朱玲次官が女王候補を暗殺しようとした咎で牢に入れられていたのは記憶に新しい。

 朱玲次官の疑いが晴れたといっても、心ない者たちは、真に操っていたのは朱玲次官と中傷し、新しい女王が次官を側に置くことはないとみていた。

 しかし、エルファーナの親しげな問いかけにだれもが耳を疑った。エルファーナと次官が少なからず交流があったことを知らなかったのだろう。


「娘さんの具合はどう?」


 微妙な空気を肌で一番感じていた朱玲次官は、この場で職を辞す覚悟をしていただけに、祝いの言葉を述べる前に女王のほうから声をかけられ、慌てた様子で口早に言った。


「女王陛下のお力によって回復致しました。このご恩は一生忘れません」


 次官は、自分が犯罪者と扱われたとき、エルファーナだけは無実を信じていたことを八聖騎士のひとりから教えられた。

 そのときの感動は言葉では言い表せなかっただろう。

 女王候補であったエルファーナに対しての無礼な振る舞いは今も覚えていた。

 それに、いくらルイーゼの行動に嫌悪を覚えたからといって、いさめることもできずに放っておいたことを恥じたのだ。

 初めこそ疑われて激昂したものの、そういう振る舞いをしていた自分を恥じるようになった。


「よかった」


 エルファーナはにっこりと笑った。

 儀礼をすっ飛ばしたやりとりに、少し戸惑った雰囲気が流れる。

 次官はこれ幸いにと、暇をいただきたい旨を申し上げた。

 それに騒然としたのは五大臣であった。財務大臣が失脚しただけでも大事だというのに、次官まで失ったら政策ですらままならないからだ。


「朱玲次官、どうかお考えを改めてくだされ」


 失言ですぞ、との声が飛ぶ中、八聖騎士は見守る態勢を取っていた。

 彼らは、エルファーナがどう答えるか知りたかったのだ。


「暇……? いいわ」


 エルファーナはあっさりと言った。

 諸侯たちもさすがに騒ぎ出したが、次の瞬間だれもが凍りついた。


「一ヶ月くらい? どれくらい休みたいの? 娘さんきっと喜ぶわ。いっぱい遊んであげてね。目隠し鬼も隠れ鬼もとっても楽しいのよ。せっかく元気になったんだもん、外で思いっきり遊んでね」


 にこにこと邪気のない言葉。

 リーシアが額を押さえてふらっと倒れそうになった。それをイーズとアルフィラが慌てて支える。


「休暇だと思っていらっしゃるわ……」


 貴人ならば、暇といわれれば、それは職を辞する意にとらえられるのだが、残念ながら平民のエルファーナに、その裏の意味など知るはずがない。だれも教えなかったからだ。暇=休暇と認識したのだろう。

 つかのま静寂に包まれる。

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