第十章 目覚めのとき
エルファーナは陶酔感に浸りながら目を開けた。
「エルファーナ! あぁ、よかった。気づいたのですね」
エルファーナは瞬いた。
一瞬、自分がどこにいるかわからなかったのだ。
見慣れない部屋であった。品よい調度で整えられていたから客室の一室なのかもしれない。
どれくらいの間気絶していたのだろう。
寝台の横には、柔らかな笑みを浮かべたリゼだけでなく、目を真っ赤にして喜んでいるリーシアたちもいた。
「具合はどうですか?」
リゼが心配そうに問いかける。
それに首を振ったエルファーナは、夢遊病者のようにふらりと起き上がると寝台を下りた。
右手はもう痛くなった。
それどころか、不思議な高揚感が身を包んでいた。
「エルファーナ? エル――――ッ」
エルファーナは燃えるような体を冷ますかのように走り出していた。
ふいをつかれたリゼたちは、エルファーナを捕まえることができなかった。
エルファーナは素足のまま人気のない廊下を走った。
どうやら第二の宮殿の一階の客室で寝ていたようで、外へ出る方法はすぐにわかった。
リゼに連れてきてもらったときのことを思い出しながら、第一の宮殿へ急いだ。
走って、走って。
息が切れても走った。
外は嵐で、強風と大雨でひどいありさまだった。
ドレスはすぐに濡れ、行く手を妨げるような風が、エルファーナを第二の宮殿へと押し返そうとする。
それでも確固たる決意を秘めたエルファーナは負けずに突き進んだ。
第一の宮殿が見えてくると、雨音や風の唸りにまじりながら人の怒号も聞こえてきた。
第一の宮殿に入ったエルファーナはまっすぐ進み、馬車で降り立ったときの最初の扉を見つけた。すでに第一の宮殿の使用人は非難したようで、だれもいなかった。
後ろからはエルファーナを呼ぶ声が聞こえる。リゼたちが追いかけてきたのだろう。
重い扉を開けた瞬間、エルファーナは呆然と立ちつくした。
地獄絵図だろうか。
累々と重なった死体。
雨と混じり合った大量の血が地面を染めていた。
「おいっ、ガキがいるぜ!」
エルファーナを見咎めた暴徒の一人が叫んだ。
「……ぁ」
エルファーナは震えそうになった。
しかし、右手の熱を思い出し、必死に留まった。
一歩、一歩…足をゆっくり前に出す。
「貴族のガキだぜっ」
エルファーナの服装を見て貴族と勘違いしたのだろう。憎々しげに叫んだ男に、周辺の男たちが参じる。
血に汚れた剣を片手に、相手が斬りかかろうとしたが、素早く回り込んだ人物がいた。
――リゼだ。
「この子には指一本触れさせません」
女官三人も短剣を構えて戦う覚悟をしていた。
「アルフィラ、イーズ! エルファーナ様を囲んでっ」
リゼたちの声がどこか遠くに感じる。
エルファーナは包帯をとった。真っ白な包帯がゆっくりと落ちていく。
そのとき、地面がまた震えた。前よりもずっと大きい揺れだ。
あちこちから悲鳴が上がる。
地面がぱっくりと開いたのだ。
それに呼応するかのように、雷が密集した家に落ちた。
「なんだ?」
「どうなってやるがるっ」
「エルファーナ様、そちらは危のうございますっ」
「お止まり下さい!」
けれど、周囲の声などエルファーナの耳には届いていなかった。
揺れのせいで千鳥足になりながら、瀕死状態の男に近づいた。
暴徒の一人だろう。薄汚い格好であった。背中は血で染まり、今にも事切れそうであった。
エルファーナは、とても憐れに思って、まだ振動している地面に膝を突き、両手を組んで祈った。
「我が主、我が主、わたしの願いを聞き遂げてください」
エルファーナの脳裏に、あの惨めな光景が蘇ってくる。
エルファーナは、戦いに参加しているすべての者を憐れんだ。かわいそうな人たち……。敵も味方も、傷ついた者すべてに憐憫の気持ちを抱いた。
「お助け下さい……この者を……みんなをお救い下さい」
だれも死んで欲しくない。
それがエルファーナの望みだった。
「あ――――あぁっ」
神の怒りにも似た落雷のせいか、暴徒たちは戦意を失したようだった。
嘆きにも似た声を上げながら、男たちがその場に崩れていく。
そのすきを見逃さず、八聖騎士や兵士が次々ととらえていった。
しだいに大きくなる揺れ。もはや、立っていられない状況に、暴徒を捕まえた兵士も地に伏した。
周囲の暴徒を片付けたリゼたちがエルファーナに近寄ろうとしたが、激しい振動にすぐその場に片膝をついてしまった。
しかし、エルファーナだけは、混乱もなく、ただ静かに、呻いている男に右手をかざした。真っ赤な血のようなアザが、淡く発光する。
「……!」
声を呑んだのはだれだったか。
ぱっくりと割れ、骨までみえていた背中は、みるみる再生し、傷などなかったかのように戻った。
激しい揺れの中、その奇跡を目の当たりにした者は、いちように目を疑った。
それはリゼたちも例外ではなく、信じられないといいたげに一驚を喫していた。
ざわめきが広がり、敵も味方もなく、血なまぐさいこの場に不釣り合いなエルファーナに目を注いでいた。
みんなの注目が集まる中、エルファーナの体が光りに包まれる。
目映い黄金の光。
その場にいただれもが目を開けていられず目を瞑った。
エルファーナを中心として光の柱が天を刺した。刹那、光はぱぁっと四方へ散り、雨雲を蹴散らしていく。
久しぶりの太陽が顔を覗かせる。
青空が空を彩った。
黄金の光は、粒子となって人々に降り注いだ。きらきらと輝く粒は、大陸全土を覆っていた。
その光に鎮静作用があるかのように、揺れがぴたりと止まった。
「傷が塞がってる……痛くないぞっ!」
興奮した声が四方から上がる。
傷がすっかり癒えていたのだ。
いや、それだけではない。
完全に命が果てた者たちまで息吹を吹き返したのだ。
黄金の粒子に再生の力があるかのように、裂けていた地面が閉じていく。災害の傷跡が次々に元通りになっていった。
「女王だ……っ」
「女王だ!」
だれもが女王の誕生を悟り、次々に歓喜の声を上げる。
敵も味方もなく、この朗報をだれもが喜んだ。
驚きと興奮に包まれた顔。
光はまだ続いている。氷の結晶のように地面に触れれば溶けてしまうが、氷の結晶と違い、光には治癒の力が宿っていた。
神の力が込められた黄金の粒子は、十八年間の天災に疲弊しきっていた大地を――人を癒すかのように晴れ渡った空から落ちていった。
それは、とても幻想的な光景であった。
けれどエルファーナは魅入る余裕もなかった。力を使いすぎた体は酷く疲れていたのだ。
ふっと落ちる体を駆け寄ったリゼが受け止めた。
「エルファーナ……!」
顔色を変えたリゼは、しかし、エルファーナの可愛らしい寝息を聞いて頬を緩めた。
リゼは、腕の中の新たな女王を大事そうに抱えて、ほんの少しだけ複雑そうな顔をしたが、すぐに愛おしげに見つめた。