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女王伝  作者: 桜ノ宮
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   その二

 未だやまない雷鳴から逃げるようにぎゅっと耳を塞ぎながら司雅宮を訪れたエルファーナは、楽団の弦楽器の音色にようやく手を下ろした。

 音に音が重なり、深い色を出していた。司雅宮を満たす美しい音楽は、外の悪天候など意に介さないかのように響き渡っていた。

 華の間でエルファーナを出迎えたルイーゼは、喜色をたたえて歓迎した。


「まあ! エルファーナ、わたくしを覚えていて? あんなに長く旅を共にしたというのに、遠い昔のことのようだわ」


 最終試験を控えているというのに、緊張感のかけらもないルイーゼは、自信に満ちあふれていた。


「元気そうね。わたくしたち、ライバルだけれど、ちっともそう思わないのよ。あなたがまるで妹のように可愛くて、わたくしが女王に選ばれても仲良くしてね」


 たっぷりと香油を塗った肌はしっとりと輝き、艶やかな漆黒の髪をまとめ、真っ赤なドレスに身を包んだルイーゼは、蠱惑的なほどの妖しい美しさを漂わせていた。体の輪郭を強調したぴったりとしたドレスは、肩や胸元が開いているせいか色香が匂い立つようだった。

 耳や首に飾られた宝石もルイーゼの前ではかすんでしまうかのようだった。

 しかし、室内に一歩足を踏み入れたエルファーナは、見惚れる前に、咽せるほどの香りに少し咳き込んでしまった。

 金の香炉から麝香(じゃこう)がたかれているようだった。

 そういう香に縁にないエルファーナは、慣れるまでに時間がかかった。

 リゼたちは、西雅の都の被害状況を把握や最終試験の準備で忙しいらしく、エルファーナを司雅宮に案内すると第一の宮殿へ行ってしまった。


「さあ、こちらへいらして」


 女官を下がらし、人払いをしたルイーゼは、エルファーナを隣に座らせた。


「ルイーゼ様、もうご病気は平気?」

「ええ、すっかりよくなったわ。癒しの力が自分には効かないなんて……おかげで何日も伏してしまったわ」

「癒せ、ないの……?」

「だれにでも限界はあるの」


 ルイーゼの力では、他人の傷は癒せても自分の傷は癒せないのだ。

 癒せるのも一日に三人までで、何日か日を置かないと次の患者を治すことはできない。ルイーゼが受けた最初の試練は、簡単なもので、深手を負った兵士の傷を癒すことだけだった。

 だからこそ、弱点に気づく者はおらず、女王候補として認められたのだ。

 第一関門を突破し、胸をなで下ろしたルイーゼであったが、好意をあけすけに示す六大臣十二官とは違い、どこかよそよそしい八聖騎士の態度に疑念を抱いていた。

 ルイーゼが妖艶に誘ってもだれ一人として乗ってこなかった。

 ルイーゼに一番思いを寄せているはずの石榴の騎士でさえ、体を重ね合うことをはっきりと拒否したのだ。

 どんな男でも従えてきたルイーゼにしてみれば、こんな屈辱はなかった。


「そういえば、召し上がってくださらなかったのね」

「お菓子のこと?」

「ええ、頂き物なのだけれど、あなたが喜ぶと思って。わたくしたち、話す機会がなかったでしょう? 女王候補に選ばれた記念も込めて差し上げたのだけれど、お口に合わなかったようね。いえ、それでよかったのだわ。だってあのお菓子には……あぁ、恐ろしい……!」


 顔を覆うルイーゼを心配そうにエルファーナが覗き込む。


「具合、悪い……? 大丈夫? あのね、お菓子はとっても美味しかったのよ」

「嘘よっ」


 ばっと顔を上げたルイーゼは、エルファーナを睨みつけた。

 けれど呆然としたエルファーナの顔を見て、取り繕うように笑顔を浮かべて甘い声を出した。


「わたくしとエルファーナの仲でしょう? 嘘はよくないわ。だって、あなた寝込んだという噂をきかなかったわ」

「ほんとよ。三つしか食べれなかったけど、とっても美味しかったの。わたし、初めて食べたのよ。ふわってね、口の中で消えちゃうの。甘くて、お砂糖みたいだったわ」

「……悪運の強い子ね」


 エルファーナの言葉に偽りがないことを知ったルイーゼは、小さく舌打ちした。毒を振りかけたときに偏ってしまったのだろう。

 エルファーナを殺すつもりはなかったが、苦しめばいいと思い、猛毒のラグ草を使ったのだ。金さえあれば、毒草を手に入れるのは簡単であった。

 エルファーナが床の住人とならなかった上に、(リ・)(レイ)騎士(ハス)から疑いの目で見られて大変であった。とっさに女官に罪をかぶせたが、もちろん小手先の演技でだまされるはずもなく一蹴された。

 だから今度は、自分も毒を盛られた被害者であると説き伏せ、同じ犯人かもしれないと言いつのった。それでも疑惑は晴れず、ついに泣き崩れて石榴の騎士にすがったのだ。

 どうにかルイーゼから目をそらせたが、八聖騎士の――特にカナリスの笑顔が不気味であった。ルイーゼのやっていることなどお見通しのような底の見えない笑顔は、肝が冷える心地がした。

 だが、こうしてエルファーナと二人にさせたということは、疑いが晴れたとみていいのだろう。

 ルイーゼのやることに失敗などないのだ。


「わたし、ルイーゼ様にずっとお礼が言いたかったの。でも会えないから、お礼をいうかわりにお花をあげたの」


 ルイーゼの悪意に満ちた呟きが聞こえなかったエルファーナは、恥ずかしそうに言った。


「綺麗な花束だったわ。しばらくの間飾っていたのよ」


 もちろん嘘だ。 

 持ってきた女官に捨てるよう指示した。

 あんな庭に咲いているような花で満足すると思っているのだろうか。


「あの……あのね、わたし、ルイーゼ様にお願いがあるの」

「なにかしら?」

「おじちゃんの娘さんがね、病にかかっているの。もうすぐ死んでしまうの……。お願い、ルイーゼ様。治してあげて」

「エルファーナ、わたくしが女王になったら個人の自由で力を使うことは許されないのよ。女王の力は、すべての民のものですからね。けれど可愛いエルファーナの頼みですもの。考えておくわ」

「ほんと? きっとおじちゃん喜ぶわ」


 狂喜するエルファーナは、思わずルイーゼに抱きついていた。


「ありがとう、ルイーゼ様」

「ずいぶん親身になっているのね。使用人の子供かしら?」

「んとね、おじちゃんは捕まっちゃったの……。だから娘さんがどこにいるかもわからないの」

「捕まった?」


 ルイーゼの眼差しが冷めていく。


「エルファーナのいっている人物は朱玲次官の娘でなくて? 聖殿に病気の娘がいると聞いたわ。わたくしがあの者の娘を? エルファーナ、わたくしの命を狙った者の娘を癒せというの? 悪いけれど、無理よ」

「ルイーゼ、様……?」


 急変したルイーゼの態度に、びくっと体を震わせたエルファーナが身を引いた。


「捕まってせいせいしているというのに!」


 知らない人を見るかのようなエルファーナの瞳には、醜く歪んだ自分の顔が映っていた。


「ねぇ、エルファーナ」


 ルイーゼはエルファーナの頬に手を添えた。


「この世はね、弱肉強食よ。強者にのみ人はひれ伏すの。強い者こそ生き残るのよ」


 汚れを知らない白い頬に爪を立てた。


「……っ」


 痛みに顔をしかめるエルファーナ。

 鋭く尖った爪が深く食い込み、つぅっと血が流れた。


「どうして? なぜあなたは汚れないの?」


 狂気を宿した双眸を腹立たしげに細めた。

 エルファーナの蜜色の目は、澱んだルイーゼの瞳と違い、真っさらであった。

 これほど恐怖を与えても、苦痛を与えても、澄み切った輝きはあせることない。

 それがよけいに嗜虐(しぎゃく)をあおり、壊したい衝動に駆られた。

 ルイーゼがもう一方の手をエルファーナの細い首に伸ばしかけたそのとき、声がかかった。


「女王候補様、そろそろお時間です。藍玉の騎士がお待ちです」


 刹那、いつもの妖艶なルイーゼに戻ると、声も出ないエルファーナの傷ついた頬を舐めた。独特の味が口腔に広がる。


「ごめんなさいね、少し気が立っていたの。エルファーナ、またいらしてね」


 呆然としているエルファーナに別れを告げたルイーゼは、リゼに連れられ最終試験場となる塔に赴いた。

 女王が住まう宮殿の横に建っている塔は、天高くそびえ立ち、円錐の形をしていた。

 鉄製の扉から入ったルイーゼは、無機質な空間に眉を潜めた。

 絵画はおろか、椅子すらなかった。

 磨き上げられた平たい石が床を覆い、壁面は隙間ひとつなく閉じられ滑らかに円を描いていた。

 天窓さえない内部に、これからどのようなことをするか知らされていないルイーゼは訝しんだ。

 光る石を使っているのか、たいまつがなくとも塔の中は明るかった。目映いのではなく、緑青の淡い輝きが満たしていた。


「ここでわたくしの力が試されるというの? けが人もいないじゃない」


 エルファーナに激情をぶつけ、まだ気が立っていたのか、ルイーゼは剣呑に言い放った。


「――――祈りを」


 リゼはただ一言そう告げた。


「祈りですって?」


 冷笑を飲み込んだルイーゼは、問い返した。


「この空間は、女王候補の力を最大限に引き出すことができます。けれど、力満たない者がここで解放すれば、命が危うくなるでしょう」

「……ッ」


 ルイーゼは血相を変えた。

 そんな話は聞いていなかった。

 いや、導守ですら知らなかったかもしれない。

 ルイーゼは乾いた唇をぺろっと舐めた。

 動揺していたのだ。

 命を()してでも受けたいとは思わない。

 だが、引き返せないだろう。

 ふと、バッスの言葉が脳裏をよぎった。


『――失敗すればあちこちに潜んでる刺客がおめぇの命を奪うだろうよ』


 どちらにせよ、ルイーゼには道は残されていないのだ。

 ならば、すがるしかないのだ。この身に宿る癒しの力に。危険を承知で、賭けるしかなかった。


「それでも、あなたは進みますか?」


 リゼは静かに尋ねた。

 真剣な眼差し。

 けれどなぜかルイーゼは恐怖を感じた。

 知っているのではないかと思ったのだ。

 彼が――――(リ・)(レイ)騎士(ハス)が、ルイーゼの秘密を。

 疑心暗鬼とわかっていても、疑わずにはいられなかった。


「そう……ここで認められれば、わたくしは女王ということね」


 震えそうになる声音をわざと強めに言い放ってごまかしたルイーゼは、顔を上げ、艶然と笑った。

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