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女王伝  作者: 桜ノ宮
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   その二

「ここが、ベルッセですか」

 

 黄金の髪に海を思わせる深い蒼の双眸が美しい青年は、どこか陰気さを感じさせる村の入口に立って目を細めた。

 崩れかかった高い柵に守られるようにしてベルッセの村はあったが、ほかの村よりは裕福なようで、柵の奥には石造りの立派な家が並んでいた。

 周辺の平地は大小の石が転がり、馬車道こそ舗装されていたものの、大雨のあとではすべてが流され見る影もない。水はけが悪いのか、しっかりと水を含んだ土は、粘土のように柔らかで粘着力がある。いたるところにあるくぼみには、昨晩の名残である雨跡が泥水となって溜まっていた。

 今でこそ明るい日差しが降り注いでいたが、それも長くはもたないだろう。空の端には、暗雲を思わせるものが線を引いていた。もしかしたらまた天候が崩れるのかもしれない。

 このところ続く悪天候に、青年の柳眉が辛そうに寄った。


「な、なぁ旦那」


 青年を下ろしても出発する気配のなかった中年の御者は、きょろきょろと辺りを見回し、人気がないのを確認してから、そっと身をかがめて耳打ちした。


「ここにゃ、あんまり長居はしないほうがいいでっせ」

「なぜ?」


 不穏な言葉に、微かに眉を上げた青年が問う。

 心外そうな顔に、彼が旅人であることを思い出した御者は、これといって特徴のない顔にほんのりと恐怖の色をのぞかせた。「なぜって、」丸い目が村の入口と青年の顔を行き来する。


「そりゃあ、旦那。ベルッセが特殊だからでっせ」

 

 御者は声を潜めた。


「旦那も窓からみたでしょ。ここまでの道中ほかに村なんざありゃぁせん。岩と石が道を塞いで、まるで入り込むのを阻んでいるかのようで……。雨がふりゃぁ、この通り道はもっと悪くなる。車輪が泥にはまっちまって、動けなくなったのを旦那だって知ってるだろ? 道だってかろうじて整ってるだけで、ちゃんと整備しなきゃ、馬車だって通れなくなるだろうさ。それにここまでは複雑に入り組んでて、よっぽど地理のわかるヤツじゃなきゃ迷ってあの世逝きさ」


 御者の話を聞きながら、そういえば、と青年は思い出す。

 朝一番で隣村のベルーからベルッセに向かう乗合馬車を探したが、ほかの村や町に行く馬車はあってもベルッセだけはなかったことを。しかたなく、馬か乗せてくれる馬車を探していたが、ベルッセの名を口にすると、親切だった人たちの顔が見る間に硬くなって「悪いが、ほかあたってくれや」と断りの文句を口にした。

 理由を尋ねても曖昧に言葉尻を濁すだけで、明瞭な答えを得ることはできず、ベルッセへ行くことを諦めかけていたときに出会ったのが目の前にいる御者であった。彼も渋ったものの、多めの硬貨を握らせると承知してくれた。

 青年がベルッセの存在を知ったのは、つい最近であった。箔凰地方の北西には、人知れず外界との接触を禁じられた村がある、と。そんな噂がまことしやかに村人たちの間で囁かれていたのだ。

 その村では、伝承として伝わっていたようで、いわく、ベルッセ村には昔、豊穣をもたらす神が降臨し、一人の娘を寵愛したと。

 そのおかげで村は豊かになったが、自分もその恩恵を受けようと方々から人々が押しかけ、当時の権力者に目をつけられてしまったという。娘を手に入れれば、神の力も我がものにできると思い上がった者たちは、娘を執拗に狙い、それが神の逆鱗に触れてしまった。

 神は、愛しい娘を卑しい人間から守るために、村ごと閉ざしてしまったのだ。

 隠された村の存在に興味を惹かれた青年が、その村の名を調べ上げるまでは造作もなかった。そうしてたどり着いたのが、ベルッセと交流の深いというベルーだったのだ。


「なぁ、旦那。さんざん言ったが、もう一度言わせてくれ。悪いことはいわねぇ。ベルーへ戻ったほうがいい」

「用事がすんだらすぐにお暇させていただくつもりですよ」


 青年の変わらない答えにぐっと息を呑んだ御者は、はあぁぁとため息を吐いた。


「まったく、ベルーの連中だったら好きこのんで関わりを持ちたいと思わないでっせ。確かにこの村の連中の作るモンは、いいモンばっかだっていってもねぇ。商売以外で会話だってしたくないね。あんたも気をつけたほうがいいでっせ。あんたのようなべっぴんさんは、女たちが群がるだろうからね。だけど、決して物を受け取っちゃならねぇ。特に、花は、な」

「花? ずいぶん可愛らしいですね」

「この村じゃ、女が男に求婚するとき花を贈るのさ。前にそれを知らない旅人がそれを受けとっちまって、大変だったさ。旅人が無効を訴えても、ここは辺境の地だろ? 役人様はだれも助けちゃくれねぇ。憐れな旅人は、無理やり結婚させられて、ずいぶんな扱いをされたらしいでっせ。なんでも旅人には、里に残してきた婚約者がいたらしくてなぁ。その婚約者は旅人の結婚話の噂を聞いて、こう…喉に短剣を突き刺したっていうじゃないか。まったく、かわいそうな話だよ」

御使(みつか)いの方もいらっしゃらないのですか? 役人よりも聖職者に訴えたほうが確実でしょう。どんなに貧しい村でも聖職者はいるはずです」


 男女の交わりに関することは、聖職者に救いを求めるのが妥当だ。なにしろ、御使いが男女の誓いを認めなければ、夫婦になることはできないのだから。それを解消するにも御使いの許可が必要なはず。

 役人は、そう村に常駐していることはないが、聖職者は必ずといっていいほどいる。もちろん、一人の御使いが複数の村を兼任していることもあるので、役人と同じく常駐していない場合もあるが、城や宮仕えが基本の役人よりははるかに救いを求めやすいだろう。

 青年の中性的な綺麗な面をまじまじと見つめた御者は、苦虫を飲み込んだかのように顔を盛大に歪め、「だから言ったろ。この村は特殊なんだって。いつの代の村長だったか忘れちまったが、その村長が聖職者を追い出したのさ」吐き捨てた。

 追い出したとは、なんとも響きが悪い。

 本来なら、まかり通ることではない。教主の耳に入ったら、ベルッセもただではすまない。

 女王崇拝者に対しても、全能にして大陸の創造主である主神アル=バラを讃えることを声高に強要する教主だ。

 ベルッセの信仰が、主神アル=バラではなく、ほかの神々や女王であったならベルッセの住人は異端者として火あぶりの刑に処されるはず。まだ敬う対象が女王ならば、罪も軽減されるだろうが、それ以外であったなら処罰は確実だ。

 御者はその事実を知ってか知らずか、声音には嫌悪感はあるものの緊迫感はみじんもない。


「以来、村長が権力を握っててなぁ。ときおり聖職者が訪れるらしいが、そいつに対する仕打ちはずいぶんなもんさ。うちの御使い様も行かれたことがあるが、戻ってきたときは、酷い有様だった! ヤツら、気に入らないことがあると御使い様に石を投げつけるらしい」

「なぜベルッセを訴えないのです? 御使いに対する暴力や暴言は、法によって禁じられているでしょう。上の者たちに窮状を知らせる書状でも送れば、すぐに非道な行いはやむはず」

「まあ、あっしも噂しかしらんがね。御使い様方は、周防司官(すおうしかん)様に言ったそうだが、周防司官様は耳を貸さなかったそうだ。なんでも、ベルッセと関わりがあるようで、ベルッセの不祥事は周防司官様がもみ消したって噂もある。だから役人も手が出せないのさ」


 周防司官。位にすれば、暁の領主よりは少し下だが、箔凰地方の聖職者の頂点に立つのが彼であろう。実直で、信仰心の厚い彼は、教主の覚えもめでたいという。教主を目指す御使いならば、彼の不興を買うのはなによりも恐れるはずだ。

 ベルッセの平穏のからくりを知った青年は、何かを考えるように唇に手を当てた。考え事をするときの彼の癖であった。


「それに、村長の機嫌を損ねたら生きて出られないって噂もある。それでも行くかね?」

「――あなたは親切な方ですね」


 心配そうな御者の男に、ふっと思考をやめた青年が柔らかく微笑んだ。男でも思わず目を奪われる艶やかな笑みに、御者の男は顔を真っ赤にして、そっぽを向いた。


「な、なんでぇ。知らないではいっちまって、かわいそうな目に遭ったら、こっちも夢見が悪ぃしな。それに、多めにもらっちまったからな。釣りがわりだ」


 照れたようにそう言った彼は、そのまま馬を走らせて道を戻っていった。

 それを笑顔で見送っていた青年は、村に視線を戻すと一瞬だけ笑みを消した。冷ややかな表情は、見る者を怯えさせるような薄ら寒さがあった。


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