その五
リーシアに連れ添って寝室に消えていくイーズを物憂げに見送ったアルフィラは、語尾を強めた。
エルファーナを泣かせたリゼに対して怒っているのだ。
いくら主人第一といえ、普通の女官ならばこんな無礼な態度を八聖騎士であるリゼにとらないだろう。
しかし、リゼに選び抜かれただけあって度胸があった。
「エルファーナ様にお仕えするわたしたちが蚊帳の外なのはいただけません。藍玉の騎士の我が主に対する情の深さは重々承知ですが、泣かせるなど言語道断です。それなりの理由をご説明ください」
キッとリゼを睨みつけたアルフィラは、答えを迫った。
ちょうどそのとき、エルファーナを寝かせたリーシアが戻ってきた。イーズは寝室に残ったのだろう。
「すでにあなた方の中でも一つの答えが導き出されていると思います」
疲れたように椅子に座ったリゼは、リーシアとアルフィラを正視し、静かに口を開いた。
「けれどあまりにも突飛ですわ。藍玉の騎士様はご存じでなかったのでしょ? ご存じでしたら、司雅宮へお連れしているはずですものね」
「ええ――エルファーナと出会ったとき、あの子は本当に憐れでした。私とあの子が寝そべってしまえば窮屈に感じてしまうほど狭い小屋にたった一人で住んでいたのですから……」
「――!」
それは女官たちの想像を遙かに超えたものであった。
「あの子の面倒をみてくれる大人などだれひとりいなかったのです。信じられますか? まだ大人の力を必要としている時期に、たった一人で……。いったいどれほどの年月をそこで過ごしたのでしょうね。エルファーナが先ほど語っていたでしょ。村長と呼んでいた人物は、彼女の祖父なんですよ。身内からも虐待を受けていたんです。本当に、おぞましい村ですよ。よってたかって無力な子を――だれよりも尊い、本来なら崇められるべき存在だったというのに」
リーシアはそっとハンカチを目元にあてていた。気丈なアルフィラも瞳を潤ませていた。
彼女たちは薄々勘づいていたのだ。湯浴みも付き添っていたので、背中に大きく走った鞭の痕を見てしまっていたのだ。真っ白な肌に刻まれた傷が、それまでどんな生活を送っていたか教えてくれた。
消えることのない痕は、何度も何度も打ち据えられていたことをはっきりと示していた。
だれの口にも上らなかったが三人とも気になっていたのだ。主人に面と向かって訊くわけにもいかず、悶々としていたのだ。
ましてあんなに無邪気な顔をしているエルファーナが、孤独のうちに過ごしてきたとだれが想像できよう。
「けれど、これも神の筋書きだったのかもしれませんね。あの子には、材料がそろってしまった。いかに過ぎた日の出来事であろうと、事実を覆すことはできません。果たしてエルファーナにとってこのことがよいのかわかりませんが……」
陰鬱に声を落としたリゼは、そっと睫を伏せた。
「まさか、正式に? 力はすでに消え失せてしまったのでしょう? アザも焼かれてしまった以上、エルファーナ様の身の証を示すものはなにもございません。証言だけでは頭の固い方々がいい顔をしませんでしょう。それに、女王候補様がほかにいらっしゃらないときならいざしらず、今はハルフォンス様が最有力候補。すでに皆様方は、ハルフォンス様を次の女王として扱われております。今更名乗りをあげたところで、エルファーナ様をかえって傷つけることになりませんか。わたくしは賛成いたしかねますわ」
「それでも万が一の可能性があります。女王候補としての資格がそろっている以上、そのままにしておくわけには……」
「いいえ、いかに藍玉の騎士様のお言葉といえ、承知できませんわ。女王候補様が先ほど倒れられたようですが、すでに噂でご病気ではなく毒を含まれたと密やかに囁かれております。何者かが葡萄酒に毒を盛ったと。朱玲次官との対立も日を追うごとに増しておりますわね。そんな中に何も知らないわたくしたちの主人を放れとおっしゃるのですか。女王候補様の無体な所行は聞き及んでおります。淫行にふけるだけではなく、使用人に対しても心ない仕打ちをなさっていると。そのような方とエルファーナ様を引き合わせるおつもりですか。エルファーナ様と女王候補様はお知り合いのようですが、女王候補様の日頃の態度からエルファーナ様をライバルとお認めにならないはずがありません。なにかが起こってからでは遅いのですよ」
一気にまくし立てたリーシアは、そこでちょっと呼吸を整えた。
「それに、藍玉の騎士様も迷われているのではありませんの? エルファーナ様が女王候補の資格を有しているといつお知りになったのか存じませんが、少なくとも昨日今日ではございませんでしょう。ならばこのままそっとしておいてくださいませんか」
「そうしたいのは山々ですが、噂に敏感な君たちならば、すでに耳に入っていることでしょう。ここに留め置くことに関して、不快を示す者たちの声が大きくなっているのです」
「藍玉の騎士は、エルファーナ様が候補として名をあげれば、異論を唱える声を抑えることができるとお思いなんですね」
アルフィラが言った。
けれどリゼは緩やかに首を振った。
「どちらにしても、穏やかならぬ空気は消えないでしょう。ならば、箔がついていたほうが守りやすくなります。どちらのほうがエルファーナのためによいのか迷っていましたが、先ほどのエルファーナを見て心を決めました。あの子が宿していたものをあのまま忌んだものとして刻んでおきたくはありません。女王候補であった――あの子もまた神に愛された子であることを知って欲しいのです」
リゼの真摯な言葉に、リーシアとアルフィラは顔を見合わせ、心を決めたように微かに頷いた。そしてどちらからともなく、深々と頭を下げた。
「数々の非礼を心よりお詫びいたします。そこまでお覚悟がおありなら、わたくしたちに異論ございませんわ」
同意を得られたリゼはほっと安堵のため息を漏らしたのだった。