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女王伝  作者: 桜ノ宮
22/41

   その二

 ()()宮は、日を追うごとに華やかさを増していった。

 名実ともにルイーゼが有力な候補でなく女王と扱われているのは周知の事実で、次代の女王にへつらう有力貴族たちがこぞって司雅宮を訪れていた。

 彼らからの賄賂ともよべる貢ぎ物は、宮中にあふれかえるようで、十数人の侍女たちが朝から晩まで整理に追われていた。

 司雅宮へ一歩足を踏み込めば、音楽が好きだというルイーゼの言葉に呼び寄せられた一流の楽団が、優雅な音色を奏でている。


「まあ、エリッツェ様、わたくしそれ以上飲んだら酔ってしまいますわ」


 すっかりルイーゼ好みの豪奢な雰囲気となった部屋には、以前までの楚々とした品はどこにもなかった。

 女王候補が現在彼女だけであり、次の女王と囁かれているだけに、彼女の命令に逆らう愚か者などどこにもいなかった。

 猫足の優美な長いすの上で、六大臣の一人と朝から葡萄酒を飲んでいたルイーゼは、真っ白な肌をほんのりと桜色に染め、隣に腰掛けているエリッツェ・バーラスの胸にしだれかかった。

 大きく開いた胸元にちらりと視線を走らせたエリッツェは、こほんと空咳をしながら謝った。

 エリッツェは既婚者で、年も五十六であったが、愛人も作らず実直な男であった。仕事も有能で、財務大臣という国庫の管理を一任されている。前々代の女王の御代から仕え、古株の一人ではあったが、こたびの女王候補の前ではどうやら気が緩んでしまうらしい。

 若く美しい娘の匂い立つような色香にはさすがに抗いきれないのか、エリッツェの視線が舐めるようにルイーゼの細い腰や膨らんだ胸をはう。


「……そんなに熱い眼差しで見つめられた(うぶ)な娘でなくとも頬を赤らめてしまいますわ」

「あ、いや、すまない」

「まあ、謝らないでくださいませ。わたくし嬉しいんですの」


 ルイーゼは恥じらいを含んだかのように頬を染め、そっと上目遣いにエリッツェを見つめた。


「初めてお会いしたときからエリッツェ様とは二人きりでお話ししたいと思っておりましたの」


 お酒のせいか、それとも情欲のせいか、色めいた藍色の双眸はしっとりと潤んでいた。

 エリッツェはごくりと唾を飲み込んだ。

 凄絶な色香が、まるで霧のように広がってエリッツェの理性さえ蝕んでいくかのようだった。

 エリッツェの欲望をはっきりと読み取ったルイーゼは誘うように唇を彼に近づけた――。

 いかがわしいことが行われようとしているとは露と知らない隣室では、リゼが窓の外を眺めていた。


「おや、珍しくぼんやりとしてますね? 日頃は全く隙を見せないあんたが」

「カナリスですか」


 振り返ったリゼは、いつの間にか入り込んでいた仲間の姿を見つけ、小さく舌打ちした。


「またお姫様は男とお戯れ? まったく、よくやりますねぇ。女の武器をあますことなく使い、男の歓心を得るんだから。その手腕にはほんと脱帽もんだ」

「戯れ言のためにいらしたんですか?」

「まさか。さっきあんたの大事にしてるお姫さんに会ったのさ」


 カナリスがそう言った瞬間、リゼは睨みつけた。


「おぉ、怖っ。別になにもしてないですよ。ずいぶんと頭が抜けているような子でしたけれどね。あんたに会いたいのを我慢して……健気な子だねぇ。お姫様のように贅沢を好むんじゃなくて、今のままで十分満足していて……変わっている子だ」

「――エルファーナのことはすでに調べてあるのでしょ」

「お察しの通り」


 カナリスはにっこりと意味深に笑った。


「けれど、ずいぶんと窮屈な村にいたようだねぇ。なかなか村人たちが口を割らなかったと嘆いていたよ。まあ、少しばっかり乱暴して吐かせたみたいだけれど」


 あっけらかんと言い放つカナリスは、罪悪感など微塵も感じてないようだった。資料さえ手に入ればどうでもよいのだろう。


「医師だったかな。その人物が言っていたそうだよ。忌み子と呼ばれるお姫さんがなぜ迫害されていたのか。彼は生まれたばかりのお姫さんを取り上げたそうですねぇ」

「あぁ、あの医師ですか。頑なだったあの者の口をよく開かせましたね」

「ふふっ、それがその人物には近くの村に孫娘がいたのさ。たいそう可愛がっているみたいで、その子に奴隷の烙印でも押そうかと言ったらべらべら喋ってくれたみたいだよ。まったく、どんな非道な連中も家族の情には弱いねぇ」

「烙印……? まさか、ハルスに行かせたんですか?」


 見た目のか弱そうな雰囲気とは正反対にハルスは残虐だ。

 人をなぶるのを好み、彼にかかればどんな悪人でも罪を洗いざらい喋ってしまうだろう。

 特に最近は、奴隷の烙印を押して家畜同然に堕とすのを気に入っているらしく、彼の怒りを買った者は、奴隷市場で売られるという。

 けれど、そう仕事に忠実ではないハルスが命令を素直にきくとは思っていなかったリゼは、訝しんだ。


「会わなかったかい? 港町ヴェリッテに黄玉(おうぎょく)の坊やもいたんだよ」

「ヴェリッテ……」

「あんたにお仕事をとられて暇だったようでねぇ、手紙で恨み辛みを延々とつづっていたよ。ずいぶんと長くそこに留まっていたようで、調べさせるにはちょうどよかったですけどねぇ。あんたから女王候補を見つけた旨とお姫さんを連れてくることを書いた書簡を受け取ってからすぐに行動に移させてもらったよ。なんだい? 不服そうな顔で。当たり前だろ。危険な存在は排除しないとねぇ。それはあんたがよくわかっていると思ったけれど」

「頭で理解していても感情は不快な思いで埋め尽くされていますね。暁の領主が潰したのもご存じでしょ? 私は二度とあの村と関わりたくないのです。エルファーナの耳に入れたらたとえあなたでも容赦しませんよ」

「おぉ、怖い」


 おどけるように肩を震わせたカナリスは、くつくつと喉の奥で笑った。


「しかし暁の領主もやるねぇ。黄玉の坊やが親しみを覚えたっていっていたから、よほどの罰を与えていたようだねぇ。坊やの目に余る行為にも素知らぬふりをとおしてくれたようだし。ずいぶんな人格破綻者だ」

「ハルスが熱心なのは珍しいですね。いたぶるだけでなく、しっかり情報を聞き出すなんて」

「保護者さん、ずいぶんと暢気だねぇ。ほんとに気づいてないのかい? 坊や、お姫さんと知り合いだったみたいでねぇ、大乗り気で引き受けてくれたよ」

「ハルスと……? あぁ、そういえばエルファーナの遊び相手にその名が……まったく、しくじりましたね。ハルスであったなら近づけさせなかったのに」


 舌打ちしたリゼは、苦虫を飲み込んだような顔で嘆息した。


「ふふ、いいじゃないの。坊やにもようやく人並みの感情が出てきたんだから。なんだかお姫さんのことがえらく気に入ったみたいで、お姫さん、村でずいぶんな扱いを受けていたんだって? 話を聞くうちによほど腹に据えかねたのか、何人か瀕死の状態にしちゃったみたいだそうだよ。さすがに若い子は我慢強くないねぇ」

「それ、エルファーナには黙っていてくださいね。エルファーナがどんな風に過ごしていたかも、ベルッセがどうなったかも」

「もちろん」


 即答したカナリスを不審そうにリゼが見た。

 カナリスが大げさに驚く。


「ひどいなぁ。アタシってそんなに信用ないかい? だって、喋ったらきっとお優しいお姫さんのことだから罪悪感で自害でもしちゃいそうだし。それって困るんですよねぇ」


 含んだ物言いにリゼが眉を潜める。

 カナリスは一見優しげにみえてリゼよりも冷酷だ。常に利害を考え、損だと思ったら肉親でも切り捨てる薄情な人だ。笑顔の下で計略を巡らせ、決して本心を吐露することはない。


「カナリスが親切にする価値はないように思いますが」

「ありますよ。あんな素直な子は久しぶりだし。それに――――」


 カナリスはリゼの耳にそっと囁いた。

 驚愕に固まるリゼに、カナリスは楽しげに笑う。


「さて、どうなるんでしょうねぇ」

 その視線は、部屋の奥で嬌声を上げるルイーゼに向いていた。


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