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女王伝  作者: 桜ノ宮
19/41

   その三

最初の異変に気づいたのは、エルファーナを起こしにきたリーシアであった。


「エルファーナ、お目覚めの時間ですよ」


 エルファーナの希望で人前でないときは名前を呼び捨てにしているリーシアは、きっと旅の疲れが取れずにまだ深い眠りについているのかもしれないと思いながら寝室の扉を開けた。

 明るい日差しが大きな窓からさんさんと入り込む。ぐるりと見渡したリーシアは、蝋燭の炎が消えていないことに気づいて、側にあった鉄製の蓋を押して火を消した。

 リーシアの小さな主は、暗闇の中で眠るのが怖いらしい。年が十三というのには驚いたが。そんなに大きいとは思えなかったのだ。

けれど行動や言動があどけなくて、可愛らしくて、貴族たちの高慢さに慣れきっていたリーシアにしてみるとその無邪気さが愛おしかった。

 藍玉の騎士の後見がなくとも大好きになっただろう。

 見た目は銀の髪が印象的な痩せている少女で、お世辞にも可愛いとか美しいとかいえない容姿であったが、大きな蜜色の眼に見つめられてお願い事をされるとなんでも叶えてあげたくなる不思議な魅力がある。

 仕えるのが楽しいと感じたのは何年ぶりだろう。

 リーシアが奉公にあがって七年の歳月が流れていたが、長期間という契約のもとに一人の主人に仕えるのはこれが初めてだ。もちろん最初こそ不安に思ったが、エルファーナならやっていけそうな気がした。

 小さな主のために用意した朝食は喜んでくれるだろうかと、いろいろ考えながら寝台に足を運んだリーシアは、ぴしりと固まった。


「あ……、あ―――――っ」


 そこには、だれもいなかった。

 膨らみのない毛布は少し乱れたまま横たわっていた。すぐさま手で触れて熱を確かめたリーシアは、冷たい感触にざっと血の気を引かせた。

 脱兎の勢いで朝食の支度をしている二人に駆け寄った。


「大変よ! エルファーナ様がいらっしゃらないわっ」


 まさに緊急事態だった。


「まあ!」

「どうして……」


 二人も戸惑っているようだった。


「いいこと、藍玉の騎士様に知られては駄目よ」

「秘密裏にということ?」

「このような大事(だいじ)をお隠しになって藍玉の君があとから知ったらたいそうお怒りになるのではなくて?」


 藍玉の騎士は、いつも笑みを浮かべていて優しげだが、どこか他人に無関心なところがあり、烈火のごとく怒る姿など想像できなかったが、イーズの言葉は最もかもしれない。

 けれど。


「エルファーナ様は、藍玉の騎士様にご面倒をかけるのを申し訳なく思ってらっしゃるのよ。わたくしたちが方々を探し回ってそれでも見つからないようだったら、藍玉の騎士様にご協力願いましょう」


 三人は、密やかな結束をするとエルファーナの姿を探して部屋を出て行った。


 そんなことが起こっているとは知らないエルファーナは、眩しいくらいの光りに包まれてようやく目を覚ました。

 目をこすり、ぼんやりとしているとだんだん頭が冴えてくる。全く覚えのない寝室に、きょろきょろとしていたエルファーナは、寝室の扉をそっと開いて外に出た。

 すると窓際で優雅にカップを口に運んでいる男の姿があった。

漆黒のというには、あまりにも深すぎて緑がかってみえる髪が、男が手を傾けるたびにさらさらと流れていく。

艶やかな髪に目を奪われていると、男と視線があった。深い深い闇色の双眸は、何を考えているかわからない不気味さがあったが、エルファーナは怖くなかった。

 夜空を宿した水晶みたいな瞳は、吸い込まれそうなほど暗くて綺麗だった。

 切れ長の目ときゅっとした細い顎が、どこか近寄りがたい怜悧な雰囲気を作り出していたが、エルファーナは臆すること歩み寄った。


「ここはあなたのお部屋?」

「……」


 エルファーナには寝台で眠った記憶がなかった。きっと彼が運んでくれたのだろうとあたりをつけて、じっと見つめた。

 しかし彼は不快そうにエルファーナを一瞥すると、


「目覚めたのなら、とっとと去れ」


 ひんやりとした冷たい声。

 普通の者だったらその威圧感に耐えられず逃げ出すだろうが、男の優しさを知ってしまったエルファーナは怯まなかった。


「あのね、ありがとう。あと、ごめんなさい……。あなたの寝場所をとってしまったでしょ? わたしね、エルファーナというの。昨日ね、初めてここに来たのよ。一人で寝たのが久しぶりで……とっても怖くなっちゃって……部屋を出たの。そしたらどんどん知らない場所に行っちゃって……。とっても怖くて心細くて……。けど、あなたに会えたからよかったの」


 外の世界はなんでこんなにも優しい人たちで溢れているのだろう。自分に対して優しいのはリゼだけだと思っていたが、会う人みんな親切で、エルファーナの胸はふわっと温かくなるのだ。


「……くしゅっ」


 薄着一枚だったエルファーナはぶるっと身震いをした。夜はそんなに感じなかったが、朝は少し寒い。

 それでも村にいたときよりは数倍ましだったが、思わず肩をさすっていると、男が立ち上がって厚手の布を放った。

 ぱさりと目の前に落ちたそれを不思議そうに見つめていると、男が不機嫌に言い放った。


「それでも巻き付けてこの部屋から出て行け。邪魔だ」


 言葉はきついが、気遣いが感じられる。

 生地は見た目より軽かったが、ふわふわしていて体に巻くと温かかった。大きな布だったから、小柄なエルファーナの体はすっぽりと包まれてしまう。


「ありがとう。あなたってとっても親切な人。でも、わたし、帰り道がわからないの……」


 迷子なのだ。


「あのね、小媛(しょうえん)の間に行きたいの」


 図々しいのはわかっていたが、道を尋ねなければ今以上に困ったことになってしまうだろう。


「小媛の間……?」


 お前が?とでもいいたげな口調であった。

 それでも彼はエルファーナのために侍女を呼んでくれて、ようやく部屋に戻ることができたのだ。


「エルファーナ様……!」


 案内人である侍女の後をついていたエルファーナは、回廊の角を曲がったところで自分の名を呼ぶ声に気づいた。

 血相を変えたリーシアが駆け寄ってきた。


「リーシア!」


 エルファーナは破顔したが、リーシアのほうはどこかやつれたような面持ちで、彼女の苦労を知らないエルファーナは心配そうに彼女の顔を見つめた。


「あぁ、よかった……っ」


 エルファーナを発見したリーシアは、涙を流さんばかりに喜んだ。

 しかし、エルファーナが靴も履いてないのを見て取ると、冷たくなった小さな足に触れた。


「まあ! 素足で……っ。なんてお労しい。そこのお前、この方は小媛の間の主にして、藍玉の騎士が大切なさっているお方ですよ。それをこのようなお姿のまま歩かせるとは言語道断。お風邪でも召されたらどう責任をとります」

「も、申し訳ございません」

「気遣いのひとつも満足にできないのですか。ここは誉れ高き第二の宮殿ですよ。この宮殿で過ごされている客人に対しては、差違なく最上級の礼を持って尽くす決まりでしょう。初歩もまだ理解していないのですか。侍女であるからこそ細やかな気配りが要求されるのですよ。できないのなら降格か、第一の宮殿に身を移しなさい」


 厳しい叱責に、侍女の顔がさっと青ざめた。

 第二の宮殿では、女官であるリーシアの言葉は重い。

 第二の宮殿で働く女官は、みな家柄がよく、品行方正であったが、リーシアは特に貴族の出ということもあり、一目置かれていた。今はエルファーナ付きとなっているが、それまでは第二の宮殿の女官の束ね役の一人であったのだ。


「お、お許し下さい……っ」


 震えながら頭を下げる侍女に、眉を寄せたリーシアだったが、ぐっと言葉を飲み込み命じた。


「ここはわたくしに任せて仕事に戻りなさい。二度と軽んじた行動は許しませんよ」


 涙を流し去っていく侍女を一瞥もせずエルファーナに視線を移したリーシアは、きつかった眼差しを和らげて謝った。


御前(ごぜん)の前で失礼いたしました」

「リーシア。あの人ね、わたしをここまで連れてきてくれたの。とってもいい人なのよ? どうして怒るの?」

「エルファーナ様は本当に優しくていらっしゃる」


 足の裏まですっぽりくるむように布を巻き付き直し、エルファーナの体を抱き上げたリーシアは、ゆっくりと歩き出した。


「けれど、悪いことはしっかりと注意しないと伝わらないのですわ。わたくしどもの仕事は、いかにお客様に快適にお過ごしいただける環境を作り出すか、ですの。主人の望むことは、命じられるよりも前に動けなければ一人前の女官とはいえませんわ」

「リーシアは、一人前……?」

「そのような自負を抱いていたこともありましたが……。今は、小さな主人に振り回されておりますもの。とても一人前とは断言できませんわ」


 くすくすと楽しげに笑うリーシア。

 螺旋状の階段を上ったリーシアは、そこですれ違った侍女に、アルフィラとイーズへの伝言を頼むと小媛の間に入っていった。

 エルファーナの身支度を手伝い、温かい食事を運ばせたリーシアは、給仕をしながらなにがあったのかを聞き出した。

 しかし、黒髪に黒い瞳の美しい男と聞いて口元を微かに引きつらせた。


「そ、その方がエルファーナ様を……?」

「とっても親切な人なの。これをね、貸してくれたの。リーシアはだれか知ってる? わたし、これを返したいの」

「そう、ですか……」


 リーシアは悩むように難しい顔をしていたが、やがてため息を吐いた。


「多分、エルファーナ様がおっしゃっている方は、(すい)(ぎょく)の騎士様でしょう。瞳も髪も深いせいか、まるで闇をまとっているようだと囁かれていますわね。けれど、翠玉の騎士様は、あまり人前に出るのを好まないような方なので、わたくしはどんなお姿をなさっているか存じ上げません。けれど、そのような特徴の方は、翠玉の騎士様以外いらっしゃいませんわね」

「翠玉の騎士……? それって、リゼと一緒? リゼも騎士様!」

「えぇ、翠玉の騎士様も(リ・)(レイ)騎士(ハス)のお一人です。藍玉の騎士様に取りなしてもらったほうがよろしいのかしら」


 そこまで考えたリーシアは、駄目だと首を振った。

 それではエルファーナの行方不明事件がばれてしまう。


「それにしてもよく翠玉の騎士様のお部屋にたどり着きましたわね。確か、第二の宮殿の西にある至殿で過ごされているはず……」

「しでん……?」

「八聖騎士様のみなさまが生活されている宮殿ですわ。女王様の天主(てんしゅ)殿(でん)に繋がる回廊を渡ることができるのは、至殿に入ることを許された者だけですの。至殿までは専用の回廊を進めば足を踏み入れるのも可能でしょうが……あそこは警備も特に厳しく、そう簡単に入れないと思ったのですが……」


 首を傾げるリーシアに、よく意味を理解していないエルファーナもこてんと小首を傾けるのであった。

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