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女王伝  作者: 桜ノ宮
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第五章 新しい出会い その一

 エルファーナ一行が西雅の都にたどり着いたのは港町を出てから三週間後のことであった。

 四頭立ての馬車は、貴族御用達の立派なもので、揺れも少なく中も広々としていたが、長旅になれていないエルファーナは、五日目でぐったりとしてしまった。

 リゼやルイーゼに心配をかけながら、なんとか到着した西雅の都は、周囲を高い外壁に囲まれていた。重厚で巨大な鉄製の門扉には、円形の塔も備えられていて、そこから重装備の兵士が顔を出していた。

 大きな門扉の横ある門番小屋が建っていた。そこから上にいる兵士と同じ格好の兵士が出てきた。通行証などを調べるのだろう。

 しかし兵士はリゼの顔を見ると急に畏まり、敬礼した。

 ほかの兵士たちも直立不動でつつがなく門の内に入ることができたのだ。

 跳ね橋の先には、更に壁があり、壁と壁の間は底の見えない水がたゆっていた。

 跳ね橋を渡り、中壁を抜けると橋のかかった先に門扉が見えたが、馬車が通るのを知っていたのかゆっくりと開いた。

 先ほどと同じように、底の見えない深い水をたたえた堀がめぐらされていた。

 三重の壁を抜ければ、そこは大陸随一のきらびやかさを誇る西雅の都であった。

 ほかの町や村とは違った厳重な体制に、ここには女王が住まう宮殿があるのだとひしひしと感じた。

 白壁の壮麗な家々が立ち並ぶ。馬車道は広く、通り過ぎる者たちもみな華やかな装いであった。窓を開ければ、花の香りが漂ってくる。

 馬車は華麗な宮殿に続く広い道を抜け、小高い丘をゆっくりと登った。針葉樹が等間隔に連なり、青空の下に広がる緑が絵画のようであった。林の終わりには、白亜の壁に囲まれた宮殿がそびえ立っていた。


「おっきい……」

 

 馬車は、門番が開けた先に広がる石畳を悠々と進んでいく。広々とした前庭には、青々とした手入れの行き届いた芝生が、まるで絨毯のように一面を覆っていた。天候が悪く、作物が育たないのが嘘のように、宮殿の周囲は四季に溢れていた。

 花の香りが強くなる。

 いい匂いにうっとりしていると、馬車がゆっくりと停まった。

 御者がドアを開け、まず先にリゼが降りた。

 ルイーゼに差し出されたリゼの手にそっと手を重ね、御者が用意した段を優雅に下った。旅の疲れなどみせない、毅然と、それでいて優雅な佇まいに、居並んだ侍従や侍女たちの間からため息が漏れた。

 黄金の神を持つ輝かしい美青年と漆黒の髪を持つ色めいた美少女の組み合わせは、まさに神が創り出した最高傑作のようで、一対のつがいのようであった。

 しかしそんな感嘆とした空気もエルファーナが出てきた瞬間、ぴしりとヒビが入った。


「ふわぁ……」


 天まで届きそうなほど高い建物に魅入っていたエルファーナは、足を踏み出そうとしてよろめいた。馬車が思ったより高い位置にあることを失念していたのだ。

 落ちる、と思わず目を瞑ったエルファーナの体がふわりと宙を浮く。


「危ないですよ」

「リゼ、ありがとう」


 エルファーナはにっこり笑った。

 降りて歩こうとしたが、リゼは頑として譲らなかった。


「まだ体調も万全ではないのですから無理はいけません」


 このところずっと微熱続きだったエルファーナを案じているのだろう。

 ルイーゼがいるときは、ルイーゼ第一だったリゼが、ちゃんと自分のことを見ていてくれたことを知ったエルファーナは嬉しくて首に手を回した。

 とたん、空気が微妙になった。

 さすがに宮殿に仕えているだけに私語はなかったものの、リゼとエルファーナの親密な様子に目が釘付けであった。

 すでに、彼らの脳裏からルイーゼの存在など忘れ去られていた。

 藍玉の騎士に大切に扱われている少女に関心がいっていた。


「ようこそいらっしゃいました、ハルフォンス様。我ら一同心よりお待ち申し上げておりました」


 白髪を後ろになでつけ、ぴしっと背筋の伸びた執事が進み出てくると、ルイーゼに向かって一礼した。


「わたくしは、執事筆頭のベゼルと申します。どうぞお見知りおきを。さ、宮殿までの輿(こし)をご用意いたしましたのでどうぞこちらへ」


 案内役がリゼではないことを知ったルイーゼは、一瞬不服そうに目を細めたが、すぐに笑顔で鷹揚に頷いた。そのまま、執事のあとをついて行った。

 ベゼルと入れ替わるように年若い執事がエルファーナたちに近寄った。


「僭越ながら、若輩者が宮中を代表し、ご挨拶申し上げます。藍玉の君におかれましては、この度のご帰還ご無事にあそばして喜ばしいことと存じ上げます」


 そう言ってベゼルにも負けぬ優雅な最敬礼をした。


「ケルナ。久しいですね。あなたもずいぶんと立派になって」

「いえ、ベゼル様にはまだ及びません。それはそうと、藍玉の君に抱かれているお方はどなたですか? 使用人の視線を独り占めしておりますよ」


 ベゼルと同じお仕着せの服に身を包み、漆黒の髪を後ろになでつけた青年は、興味深そうにエルファーナを見つめた。黙っていると冷然とした雰囲気があるが、少し砕けた口調になると親しみやすい空気となった。

 ケルナと呼ばれた青年をじっと見ていたエルファーナは、視線が合わさってにこっと笑みを浮かべた。

 一瞬目を見張ったケルナも同じように微笑み返した。


「この子は、エルファーナ。縁あって私が後見を務めることになりました」

「エルファーナ様でございますか。では、こちらの方が小媛(しょうえん)の間の主ですか……。よろしければ、わたくしが部屋までお連れいたしますが」

「ありがとう。けれど、この子のことが心配だから私が案内します」


 ケルナの申し出を断ったリゼは、好奇な視線をもろともせず扉をくぐっていった。

 そのまま第一の宮殿を突っ切ったリゼは、屋根のある回廊を通り、第二の宮殿へと足を運んだ。

 術中はびこる表舞台の第一の宮殿とは違い、要人の宿泊設備が整っている第二の宮殿は静謐(せいひつ)な趣があった。

 金に染められた扉の前に立っていた兵士が、恭しい態度で開けた。

 広がった目映い光景に魅入ったエルファーナは、物珍しそうにきょろきょろと視線を動かした。


「とっても素敵! とっても綺麗!」

 

 吹き抜けの大広間に出ると正面に赤絨毯の敷かれた優美な螺旋階段がそびえていた。天窓からは明るい陽光が伸び、高い天井には色鮮やかな宗教画が描かれていた。

 落ち着いた色の壁には絵画がかけられ、脇には年代物の骨董が並んでいた。

 磨き上げられた大理石の床も硝子を砕いてちりばめたかのようにきらきらと輝いていた。


「大陸一の職人が長い年月をかけて造りあげた宮殿ですからね。中庭も気に入るでしょう」

「中庭……?」

「それにあなたの部屋。あいにくと客人用の部屋ですが、広々としていてあなたもきっと気に入るはずです」

「わたしの、お部屋……? リゼと一緒じゃないの……?」


 リゼは困ったように瞳を揺らした。

 エルファーナはこれまでずっとリゼと同じ部屋で過ごしてきた。最初の頃は別々だったのだが、一人でいることを怖がったエルファーナが同室を望んだのだ。


「あなたの願いならどんなことでも叶えて差し上げたいのですが……」


 リゼは語尾を濁した。

 あと三年で女性として認められるエルファーナと寝食を共にするのは、あまり世間体がよくないだろう。


「……わかった」


 苦渋の決断をエルファーナも察した。


「しばらくの間は離れた寝所でお互い生活しますが、ルイーゼ様の見定めが終われば、時間に余裕ができます。そうしたら、私の宮に案内しますね。そこで一緒に暮らしましょう」

「! うんっ」


 寂しげに顔を曇らせていたエルファーナは、思いがけない言葉にパッと瞳を輝かせて大きく頷いた。

 リゼは、二人をこそこそと伺っている使用人の視線を気にもせずエルファーナを抱きかかえたまま階段を上がり、右手に曲がった。


「この奥があなたの部屋ですよ。中庭が一望できて、日当たりもよい部屋です」


 重厚な扉の横に畏まっていた侍従が頭を下げながら扉を開けた。

 リゼが当然といった様子で中に入っていくと、部屋に控えていた三人の女官が襟を正した。中でも一番の年長の女官が一歩進み出て、口上を申し上げる。

 後ろに下がっている女官二人は拝礼したまま顔を上げもしない。


「リゼ、リゼ、なあに?」


 見知らぬ女性がいたことにびっくりしたエルファーナは、言葉になっていない問いかけでリゼを見上げた。

 けれどリゼは言葉不足でもちゃんと意味を理解したようで、エルファーナを床に下ろすと、床に片膝を突き、視線を合わせた。


「あの者たちは今日よりエルファーナの世話をしてくれる者たちですよ」

「世話……? わたし、一人でもできるのに?」


 エルファーナは難しい本を読んでいるかのようにぎゅむっと眉を寄せた。


「エルファーナ、ここでは何ごともあなたの手を煩わせることはないのですよ。身の回りのことは彼女たちがするので、あなたはただ楽しく過ごすことだけを考えればいいのです。ここで生活する上でわからないことがあったらなんでも尋ねなさい。彼女たちが答えを導き出してくれますよ」


 リゼの話を真剣に聞いていたエルファーナは、女官たちを見た。年の頃は二十代の半ばといったところだろうか。

 リゼやルイーゼのような華はないものの、清潔感のあるすっきりとした顔立ちは清らかな美しさがある。

 エルファーナの視線に気づいた年長の女官は、にっこりと微笑んだ。その優しそうな笑みにエルファーナもにっことり笑顔を返す。


「わたし、エルファーナ。あのね、お世話はいらないの。だってね、わたしね、一人でお着替えもできるし、ちゃんと過ごせるのよ」


 胸を張るエルファーナに、女官が戸惑ったように視線をリゼに向けたが、リゼは目で制し、エルファーナの言葉を聞くよう促した。


「でもね、リゼはお仕事でわたしとあんまり一緒にいられないでしょ。こんなに広いお部屋で一人は寂しいの。一人で遊ぶ方法はいっぱい知ってるけど、みんなが一緒のほうが楽しいわ。だからわたしと……」


 ちょっと言いよどんだが、リゼが大丈夫と頷いてくれたのに勇気が出て、ごくんと唾を飲み込んでから言った。


「わたしと、お友達になってくれる……? みんな知らない人たちばかりでしょ? だからね、お友達が欲しいの」


 不安そうに問いかけるエルファーナに、年長の女官は目をしばたたかせる。


「お友達、でございますか……? 申し訳――」

「エルファーナが友達を欲しているのならばそのように接してくださいませんか」


 否と答えようとした女官の言葉を遮ったのはリゼであった。彼は普段よりもやや強い口調で言い放った。

 本来使用人と主が友達関係を結ぶのは好ましくないが、リゼはできる限りエルファーナの望むままにしてやりたかったのだ。


「は…? あ、いえ、仰せの通りに」


 ぽかんとした様子の女官は、慌てた様子で態度を改めると小さな主の(もと)に膝を折った。


「わたくしはリーシアと申します」

「リーシア……?」

「後ろに控えているのが、アルフィラとイーズです」


 名を呼ばれた女官はそれぞれ(おもて)を上げた。どちらも整った顔をしていた。

 アルフィラのほうは、燃えるような赤毛が印象的で、イーズと呼ばれたほうは精細さのある儚げな容貌をしていた。


「アルフィラ……イーズ……」


 名前を覚えようと必死な顔で繰り返す。

 その様子がいとけない子供のようで、はり付けた笑みを浮かべていた女官たちの表情が軟らかくなった。

 それを眺めていたリゼは、ほのぼのとした雰囲気に胸をなで下ろした。

 リゼが人柄や働きぶりを重視して選んだ三人であったが、やはり不安はつきなかったのだ。なにしろリゼはここ数年旅をしているほうが多かったし、彼女たちのことを思い出すだけでも苦労したのだ。

 しかし、エルファーナの嬉しそうな顔を見ているとそれも報われる。


「エルファーナを頼みますよ。これは藍玉の騎士リゼとしての命令ではなく、個人的なお願いです」


 アルフィラとイーズにエルファーナを休ませるよう指示したリゼは、寝室に向かおうとしたリーシアを引き留めた。


「藍玉の騎士様もお変わりになられましたね。よもや、貴方様があのような御子を大事そうにする日が来るとは主神アル=バラですらご存じではありませんでしたでしょうに。きっと日が落ちないうちに噂が駆けめぐりましてよ」

「口さがない連中の言葉に耳を傾けないのが賢明です」


 そう苦く笑ったリゼを、おかしげに見つめたリーシアは、眼差しをすっと改めて、


「エルファーナさまことはお任せ下さいませ。わたくしども三人がお守りいたします」


 それは義務でもなく、表面的な薄っぺらい言葉でもなかった。柔らかな誓いの奥には、真摯な響きが宿っていた。


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